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夏の花火

第309話

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 「科学装置が発明される前の遠い過去では、「夏」はまだ、この世界に残っとった」


 夏が、…世界に…?

 それは今もだろ?

 今年だって、まだ秋じゃないぞ。


 「いいや、もう夏は来ない。来年も、再来年も」

 「どういうこと?」

 「私たちは今、「海」の中におるんや。深い海に」

 「は?」

 「“変えられない事象”って言うのは、もうすでに“過ぎ去った時間”のことを指す」

 「過ぎ去った…時間…」

 「今年の夏は、もう二度と戻ってはこん。そうやろ?」

 「…まあ」

 「せやから、あんたを連れて行ったんや」

 「どこに?」

 「あの世界に」


 女はベンチの上に寝そべり、優しく瞬きをする。

 電灯の明かりが少しだけ暗くなった。

 夜は、さっきよりもずっと深い。

 けど、時間の流れは、ずっと穏やかなままで——
 

 
 「あの世界で、私たちはまだ出会ってなかった。それは世界の記憶の一つなんや。未来が失われた、——世界の」

 「“私たちが初めて出会った場所”、…確か、そんなこと言ってたよな?」

 「私とあんたがこうして話しとるのも、「今日」であって、「今日」やない。まだ“出会ってない”。それに近い「時間」というか…」

 「出会ってないって…。じゃあいつ出会うねん」

 「さあ、わからん」

 「わからんって…」

 「冗談に聞こえるかもしれんけど、真面目な話」

 「真面目には聞こえんけどな?」

 「はいはい」


 千冬を救う方法。

 それがなんなのかを、今すぐに知りたい。

 どうやって救うんだ?

 何をすればいいんだ?

 そんなことばかりが頭の隅にチラついて、騒がしかった。

 女はそれを見透かしたように、俺の言葉を遮ってきて。


 「で、どうやって…」

 「結婚」

 「…は?」
 
 「あんたとキーちゃんは、未来で結婚してた」


 何が聞こえたのか、一瞬わからなかった。

 聞き慣れない言葉が聞こえた気がした。

 だからもう一度尋ねた。

 そしたら——


 「結婚。意味わかるやろ?」

 「ケッ、ケッコン!?」



 …意味が、わからない…

 …いや、意味はわかる。

 言葉の「意味」は。


 でも、…どういう…



 「世界にまだ「未来」が生まれる前、「夏」が、まだこの世界に存在した日。あんたとキーちゃんは、あの海辺にいた。雨上がりの空の下で」
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