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アラン・ルルリア
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いつかふっと消えてしまいそうな女性だった。
初めて会った時から本能的に守らねばならぬと感じていたが、弟であるマルコが彼女に懐いてからは、マルコが傍にいることでその予感は防げるだろうと考えていた。
「ミリア母様、お手を」
「…ありがとう」
もう1人の母と弟の間に流れるのは本物の親子のようでいて、それとはまた違う空気。
「それでは、また来ます」
「ええ、待っています。お二人共、気を付けてお帰りくださいね」
「はい」
「ミリア母様も、お身体にはお気を付けて」
帰りの馬車の中、窓から外を見る弟に声を掛けた。
「……マルコ」
「分かってる。…分かってるよ」
__________
俺が17、弟が15の年。弟は王立学校へと入学した。父に似て表情筋が固く、歩けば人が避ける身体の大きな俺に比べ、熊獣人らしく身体は大きいものの、物腰が柔らかく表情の豊かな性格の弟の周りには常に人がいた。男も、女も。
「マルコ様、是非私と踊っていただけませんか?」
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
「なら私が…!」
「すみません。ずっと想いを寄せている女性がいるんです。ですので、貴女方とはご一緒できかねます」
婚約者を探す場でもある社交場で、婚約者がいないのに女性からの誘いを断る弟の姿は珍しいものでもあった。
「アル様?……またマルコ様のことを見ていらしたのですか?」
「ああ」
「弟君のことが心配なのも分かりますが、少しは私のことも見てくださいません?」
「っ悪い…」
「ふふ、冗談ですわ。弟想いのアル様もお慕い申しておりますもの」
「…ターニャ」
「まあ、そんなに頬を赤くされて。可愛いんですから」
運命の番とやらではないが、自身の婚約者であるリス獣人のラターニャ・スーリン侯爵令嬢とは良好な関係を築いていた。父に似て無愛想だ何だと言われるが、父ほど女心が分からない男ではないと思っている。
……ターニャに"分かっておりませんわ"と笑われたのは閑話休題だ。
ちなみに、複数いた婚約者候補の中から彼女を選んだのは俺自身だが、母は当初から彼女を推していたらしい。理由は「私と気が合いそうだから」だった。家格も同じで、彼女の父と俺の父が旧知の仲で、幼い頃からお互いを知っていたということもあり、ラターニャとの婚約が成立したのだった。
__________
「…ミリアが例の病にかかった」
「!」
王立学校を卒業し、帝国騎士団へ入団した直後のことだった。
妹のパトラ以外が集まった席で、父が告げた。
両親は、俺とマルコが"ミリア様が父のもう1人の妻であることを知っている"という事実を知っている。
「…医者は」
「既に診てもらっている」
意外なことに、マルコは冷静にそう問うた。
「彼女にはお前達に話すなと言われたが、こればかりはそうもいかないと思ってな…。…心の準備をしておけ」
「父さん」
「退学は認めない」
「……はい」
__________
現騎士団長の息子ということで当初から目は付けられていたが、実力主義の騎士団の中では些細なことだった。 日々の鍛錬に励むうち、周りとも打ち解け、入団から1年。
ラターニャは現スーリン侯爵家当主である父親から学びつつ、経理等を主に担当していたのだが。
「アル様」
「どうした、ターニャ」
「失礼を承知で申し上げます。ルルリア侯爵家の経営術と管理術を、学ばせて欲しいのです」
「…というと?」
「お義父様のもう1人の奥様が領地の管理を長年を担当されていることは存じております。マルコ様にその術をお教えしたのもその奥様であると伺いました」
丸い瞳で真っ直ぐに俺を見上げる彼女の身体は微かに震えていた。
「私は、そのお方とお会いしたことはございませんし、アル様とそのお方の距離感も存じ上げません。学校での私の勉強が不足していたことも事実でしょう。しかし、スーリン侯爵家をより安定させるためにも、是非お許し頂きたいのです」
「お義父上は何と?」
「アル様とダグラス侯爵様がお許しになるのなら、と」
「…俺を含めた家族とミリア様は決して冷たい仲ではない」
ターニャの表情が僅かに緩む。
「だが、許可はできない」
「…かしこまりました」
「彼女が流行病を患ってな」
「!…そんな、」
絶句した彼女が両手で口を覆った。月日をかけて徐々に衰弱していき、それを患うと高い確率で死に至る恐ろしい病。
「…心配するな、侯爵家の医者がついている」
「……一刻も早くお身体が良くなることを願っております」
治療法の見つかっていない病だ。気休めでしかないのは俺もターニャも分かっている。
「…俺ではだめか」
「アル様が…でございますか?」
「一応、俺もミリア様から学んでいたんだが」
「まあ、そうでしたの!それならそうと早く仰ってくだされば良かったのに…。ご教授くださいませ、アル先生」
「ふっ…、ああ」
ターニャは話をそれ以上掘り下げない賢い女だった。
茶目っ気のある笑顔を浮かべた彼女と並び、書斎へ向かう。
ふと脳裏を過ぎったのは、ミリア様とマルコが微笑み合う姿だった。
__________
「そういえば、あのダチョウ第2夫人は今どうしているのかしら」
「ああ、ダグラス騎士団長様に追い払われて領地の屋敷で寂しく暮らしているそうですわ。飛べぬ鳥らしく大人しくしているそうよ」
「まあ、何てお可哀想なの!まあでも離縁されなかっただけましですわね、騎士団長様と番のエカエラ夫人がお優しかったおかげでしょう」
「どうせ、政略結婚以外には使い道のない子でしたもの。ほら、今は亡き彼女の母親も愛されぬ第2夫人でしたし、あの優秀な人材の揃うサラン伯爵家にも戻ることなどできるはずもありませんわ」
「ホホ、その通りですわね!まさに飛べぬ鳥、親子揃って、ダチョウのように首だけ長くて醜い方でしたもの!流行病にかかったと噂で聞きましたし…ああお可哀想に!」
「あら、そのような大きな声で真実を述べてはダチョウ第2夫人がお怒りに…ああ、いらっしゃっていないのでしたわね、オホホホ」
俺とターニャ、マルコが一緒にいた時にその会話が聞こえてきたのは、とあるパーティーでのことだった。
ふとマルコを見遣ると、1度俯いた後、柔和な笑みを浮かべて"行ってくる"と言い、着飾った夫人に近付いて行く。
「ズーラ第1公爵夫人、ダゴニア第1公爵夫人、ご機嫌はいかがですか」
「ルルリア侯爵、ご機嫌よう」
「まだ侯爵ではありませんよ。父上の負担を減らすためにも一刻も早く後を継ぎたいとは思っておりますがね」
「まあ、お若いのに何てご立派な方でしょう。うちの愚息にも見習ってほしいですわね」
「ご謙遜を。ご子息方は既にご立派ではないですか。…ところで先程、父と母の名が聞こえたのですが、両親に何かございましたか?」
「いいえ、騎士団長様とエカエラ夫人には何もございませんわ。もう1人の奥方のことをお話ししておりましたの」
「ああ…ミリア様のことでしたか」
「お噂は伺っておりますわ。第2夫人はお忙しい騎士団長様の代わりと言って領地管理の真似事をされていると。マルコ様は後を継がれた後はどのようになさるおつもりなのですか?」
「どのようにと言いますと?」
「ご夫人のゆく場所のことですわ」
「ミリア様には、現在同様、領地の屋敷に住んでいただく予定ですよ。お身体の治療もありますからね」
「まあ!居場所をお与えになられるのですね!お噂通りお優しいお方だこと…」
「はは、お褒めに預かり光栄です。突然失礼致しました。私は他に挨拶がありますのでこれで失礼致します」
「ええ、是非次は娘もご一緒させてくださいませ」
夫人らに背を向け、弟はこちらへ帰って来た。
そう遠くなかったために会話がよく聞こえたが、何とも不愉快極まりない下品な会話であった。それでも弟は柔らかな笑みを崩すことはしなかった。
「アラン兄さん、ラターニャお義姉様、私は先に帰りますね」
「ああ」
「マルコ様、お気を付けて」
「ええ、ありがとうございます」
弟の背を見送った後、ターニャがこちらを見上げた。
「目上の彼女達を責めることはできない」
「……分かっておりますわ」
あと半年でマルコも卒業だ。今は父の言いつけなのだろう、よくこのような場に出てきているが、卒業すればもう出てくることはないだろう。そうすれば、このような話を聞くこともなくなる。
__________
彼女との久し振りの再会は、ベッドの上だった。
弟が泣き叫ぶ。彼女の手を擦って、"ミリア母様、嫌だ"と首を振るその姿は、実の母親を亡くした幼い子供のようで、番という半身を亡くした動物のようだった。
父の大きな影がふらりと部屋の外へ出たのが視界の隅に映る。
しばらくして、母と弟と妹をその場に残し、俺は父の匂いを辿った。恐らく父がいる部屋の前。扉の向こうは、彼女の趣味部屋。絵の具の独特の香りがするその部屋が、昔から俺は苦手だった。
「アラン、用があるなら入れ」
父の声がして、そっとノブを回す。染み付いた絵の具の香りが鼻腔を刺激した。
父は、椅子に腰掛けて外を見ていた。
「何故ここに…」
「…………何となくな」
俺に背を向けたまま顔を拭った父。
まさか、泣いていたのか?あの父が?
部屋を見回す。1番に目に止まったのは、父の横にあるキャンバス。そこには両親と、俺達兄弟3人の姿が描かれていた。
『アラン様は絵の具の匂いがお嫌いですか?』
『…はい。ミリア様はこの匂いがお好きなのですか』
『実は、私もあまり好きではないのです』
『え…?』
『でもそれも、私が絵を描くことが好きな理由のひとつなのですよ』
ふと、彼女の言葉と微笑みが脳裏によみがえる。
彼女がその言葉の詳しい意味を教えてくれることはついぞ無かった。今でもその意味は分からない。
ただ、その絵は繊細で柔らかく、彼女をそのまま表しているもののように感じられ、
その絵を見る父の横顔は、父は確かに彼女を愛していたのだと俺に理解させるものだった。
__________
葬儀は彼女の実家のサラン伯爵家以外を招くことはなく、ひっそりと行われた。
葬儀には、次期宰相に決まった彼女の姉のみが訪れた。
「…では、仕事がありますので失礼致します。わざわざ妹の葬儀をしてくださり、ありがとうございました」
そして時は経ち、現在既に結婚が成立している者に限り特例で認め、以降は国の一夫多妻制は廃止するという大幅な法改正がなされた。
__________
「アル様」
「ターニャ、もう寝るから小言なら……」
「私も隣で描いてもよろしいですか?」
「…ああ」
初めて会った時から本能的に守らねばならぬと感じていたが、弟であるマルコが彼女に懐いてからは、マルコが傍にいることでその予感は防げるだろうと考えていた。
「ミリア母様、お手を」
「…ありがとう」
もう1人の母と弟の間に流れるのは本物の親子のようでいて、それとはまた違う空気。
「それでは、また来ます」
「ええ、待っています。お二人共、気を付けてお帰りくださいね」
「はい」
「ミリア母様も、お身体にはお気を付けて」
帰りの馬車の中、窓から外を見る弟に声を掛けた。
「……マルコ」
「分かってる。…分かってるよ」
__________
俺が17、弟が15の年。弟は王立学校へと入学した。父に似て表情筋が固く、歩けば人が避ける身体の大きな俺に比べ、熊獣人らしく身体は大きいものの、物腰が柔らかく表情の豊かな性格の弟の周りには常に人がいた。男も、女も。
「マルコ様、是非私と踊っていただけませんか?」
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
「なら私が…!」
「すみません。ずっと想いを寄せている女性がいるんです。ですので、貴女方とはご一緒できかねます」
婚約者を探す場でもある社交場で、婚約者がいないのに女性からの誘いを断る弟の姿は珍しいものでもあった。
「アル様?……またマルコ様のことを見ていらしたのですか?」
「ああ」
「弟君のことが心配なのも分かりますが、少しは私のことも見てくださいません?」
「っ悪い…」
「ふふ、冗談ですわ。弟想いのアル様もお慕い申しておりますもの」
「…ターニャ」
「まあ、そんなに頬を赤くされて。可愛いんですから」
運命の番とやらではないが、自身の婚約者であるリス獣人のラターニャ・スーリン侯爵令嬢とは良好な関係を築いていた。父に似て無愛想だ何だと言われるが、父ほど女心が分からない男ではないと思っている。
……ターニャに"分かっておりませんわ"と笑われたのは閑話休題だ。
ちなみに、複数いた婚約者候補の中から彼女を選んだのは俺自身だが、母は当初から彼女を推していたらしい。理由は「私と気が合いそうだから」だった。家格も同じで、彼女の父と俺の父が旧知の仲で、幼い頃からお互いを知っていたということもあり、ラターニャとの婚約が成立したのだった。
__________
「…ミリアが例の病にかかった」
「!」
王立学校を卒業し、帝国騎士団へ入団した直後のことだった。
妹のパトラ以外が集まった席で、父が告げた。
両親は、俺とマルコが"ミリア様が父のもう1人の妻であることを知っている"という事実を知っている。
「…医者は」
「既に診てもらっている」
意外なことに、マルコは冷静にそう問うた。
「彼女にはお前達に話すなと言われたが、こればかりはそうもいかないと思ってな…。…心の準備をしておけ」
「父さん」
「退学は認めない」
「……はい」
__________
現騎士団長の息子ということで当初から目は付けられていたが、実力主義の騎士団の中では些細なことだった。 日々の鍛錬に励むうち、周りとも打ち解け、入団から1年。
ラターニャは現スーリン侯爵家当主である父親から学びつつ、経理等を主に担当していたのだが。
「アル様」
「どうした、ターニャ」
「失礼を承知で申し上げます。ルルリア侯爵家の経営術と管理術を、学ばせて欲しいのです」
「…というと?」
「お義父様のもう1人の奥様が領地の管理を長年を担当されていることは存じております。マルコ様にその術をお教えしたのもその奥様であると伺いました」
丸い瞳で真っ直ぐに俺を見上げる彼女の身体は微かに震えていた。
「私は、そのお方とお会いしたことはございませんし、アル様とそのお方の距離感も存じ上げません。学校での私の勉強が不足していたことも事実でしょう。しかし、スーリン侯爵家をより安定させるためにも、是非お許し頂きたいのです」
「お義父上は何と?」
「アル様とダグラス侯爵様がお許しになるのなら、と」
「…俺を含めた家族とミリア様は決して冷たい仲ではない」
ターニャの表情が僅かに緩む。
「だが、許可はできない」
「…かしこまりました」
「彼女が流行病を患ってな」
「!…そんな、」
絶句した彼女が両手で口を覆った。月日をかけて徐々に衰弱していき、それを患うと高い確率で死に至る恐ろしい病。
「…心配するな、侯爵家の医者がついている」
「……一刻も早くお身体が良くなることを願っております」
治療法の見つかっていない病だ。気休めでしかないのは俺もターニャも分かっている。
「…俺ではだめか」
「アル様が…でございますか?」
「一応、俺もミリア様から学んでいたんだが」
「まあ、そうでしたの!それならそうと早く仰ってくだされば良かったのに…。ご教授くださいませ、アル先生」
「ふっ…、ああ」
ターニャは話をそれ以上掘り下げない賢い女だった。
茶目っ気のある笑顔を浮かべた彼女と並び、書斎へ向かう。
ふと脳裏を過ぎったのは、ミリア様とマルコが微笑み合う姿だった。
__________
「そういえば、あのダチョウ第2夫人は今どうしているのかしら」
「ああ、ダグラス騎士団長様に追い払われて領地の屋敷で寂しく暮らしているそうですわ。飛べぬ鳥らしく大人しくしているそうよ」
「まあ、何てお可哀想なの!まあでも離縁されなかっただけましですわね、騎士団長様と番のエカエラ夫人がお優しかったおかげでしょう」
「どうせ、政略結婚以外には使い道のない子でしたもの。ほら、今は亡き彼女の母親も愛されぬ第2夫人でしたし、あの優秀な人材の揃うサラン伯爵家にも戻ることなどできるはずもありませんわ」
「ホホ、その通りですわね!まさに飛べぬ鳥、親子揃って、ダチョウのように首だけ長くて醜い方でしたもの!流行病にかかったと噂で聞きましたし…ああお可哀想に!」
「あら、そのような大きな声で真実を述べてはダチョウ第2夫人がお怒りに…ああ、いらっしゃっていないのでしたわね、オホホホ」
俺とターニャ、マルコが一緒にいた時にその会話が聞こえてきたのは、とあるパーティーでのことだった。
ふとマルコを見遣ると、1度俯いた後、柔和な笑みを浮かべて"行ってくる"と言い、着飾った夫人に近付いて行く。
「ズーラ第1公爵夫人、ダゴニア第1公爵夫人、ご機嫌はいかがですか」
「ルルリア侯爵、ご機嫌よう」
「まだ侯爵ではありませんよ。父上の負担を減らすためにも一刻も早く後を継ぎたいとは思っておりますがね」
「まあ、お若いのに何てご立派な方でしょう。うちの愚息にも見習ってほしいですわね」
「ご謙遜を。ご子息方は既にご立派ではないですか。…ところで先程、父と母の名が聞こえたのですが、両親に何かございましたか?」
「いいえ、騎士団長様とエカエラ夫人には何もございませんわ。もう1人の奥方のことをお話ししておりましたの」
「ああ…ミリア様のことでしたか」
「お噂は伺っておりますわ。第2夫人はお忙しい騎士団長様の代わりと言って領地管理の真似事をされていると。マルコ様は後を継がれた後はどのようになさるおつもりなのですか?」
「どのようにと言いますと?」
「ご夫人のゆく場所のことですわ」
「ミリア様には、現在同様、領地の屋敷に住んでいただく予定ですよ。お身体の治療もありますからね」
「まあ!居場所をお与えになられるのですね!お噂通りお優しいお方だこと…」
「はは、お褒めに預かり光栄です。突然失礼致しました。私は他に挨拶がありますのでこれで失礼致します」
「ええ、是非次は娘もご一緒させてくださいませ」
夫人らに背を向け、弟はこちらへ帰って来た。
そう遠くなかったために会話がよく聞こえたが、何とも不愉快極まりない下品な会話であった。それでも弟は柔らかな笑みを崩すことはしなかった。
「アラン兄さん、ラターニャお義姉様、私は先に帰りますね」
「ああ」
「マルコ様、お気を付けて」
「ええ、ありがとうございます」
弟の背を見送った後、ターニャがこちらを見上げた。
「目上の彼女達を責めることはできない」
「……分かっておりますわ」
あと半年でマルコも卒業だ。今は父の言いつけなのだろう、よくこのような場に出てきているが、卒業すればもう出てくることはないだろう。そうすれば、このような話を聞くこともなくなる。
__________
彼女との久し振りの再会は、ベッドの上だった。
弟が泣き叫ぶ。彼女の手を擦って、"ミリア母様、嫌だ"と首を振るその姿は、実の母親を亡くした幼い子供のようで、番という半身を亡くした動物のようだった。
父の大きな影がふらりと部屋の外へ出たのが視界の隅に映る。
しばらくして、母と弟と妹をその場に残し、俺は父の匂いを辿った。恐らく父がいる部屋の前。扉の向こうは、彼女の趣味部屋。絵の具の独特の香りがするその部屋が、昔から俺は苦手だった。
「アラン、用があるなら入れ」
父の声がして、そっとノブを回す。染み付いた絵の具の香りが鼻腔を刺激した。
父は、椅子に腰掛けて外を見ていた。
「何故ここに…」
「…………何となくな」
俺に背を向けたまま顔を拭った父。
まさか、泣いていたのか?あの父が?
部屋を見回す。1番に目に止まったのは、父の横にあるキャンバス。そこには両親と、俺達兄弟3人の姿が描かれていた。
『アラン様は絵の具の匂いがお嫌いですか?』
『…はい。ミリア様はこの匂いがお好きなのですか』
『実は、私もあまり好きではないのです』
『え…?』
『でもそれも、私が絵を描くことが好きな理由のひとつなのですよ』
ふと、彼女の言葉と微笑みが脳裏によみがえる。
彼女がその言葉の詳しい意味を教えてくれることはついぞ無かった。今でもその意味は分からない。
ただ、その絵は繊細で柔らかく、彼女をそのまま表しているもののように感じられ、
その絵を見る父の横顔は、父は確かに彼女を愛していたのだと俺に理解させるものだった。
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葬儀は彼女の実家のサラン伯爵家以外を招くことはなく、ひっそりと行われた。
葬儀には、次期宰相に決まった彼女の姉のみが訪れた。
「…では、仕事がありますので失礼致します。わざわざ妹の葬儀をしてくださり、ありがとうございました」
そして時は経ち、現在既に結婚が成立している者に限り特例で認め、以降は国の一夫多妻制は廃止するという大幅な法改正がなされた。
__________
「アル様」
「ターニャ、もう寝るから小言なら……」
「私も隣で描いてもよろしいですか?」
「…ああ」
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はじめまして。ご感想ありがとうございます。
いっそ、悪役がいれば…と思わせるような、切なくやるせない気持ちを抱く話を書きたくて生まれたのがこのお話です。現在完結にしておりますが 次話を更新する予定がありますので、気が向いたらこそっと覗きに来て頂ければ幸いです。
はじめまして、
私も切なくて切なくて泣きました!
誰が悪いとかないのに~嫌な人もいないのに~せつなーい( ;∀;)
でも好きです♪♪
素敵な作品をありがとうございました♪
はじめまして。ご感想ありがとうございます。
気に入っていただけたようで嬉しい限りです。不定期投稿ですが、これからも読んでいただけると幸いです。