甘い蜜と苦い蜜

始まりの始まり

2

それから3ヶ月ほどだった時だった。
珍しく夫が早くに帰宅した。
顔色が悪いので、風邪でも引いたかと体温計を差し出す。
ピピピ。
熱は特にない。いつもと同じ。
「何かあった？」
夫は2階をチラッと見た。
「麻奈は上か？」
「塾に行ってるわ。8時には迎えに行くけど」
私はそう言って、キッチンに立った。
まだ夕飯を作ってる途中だったから。
「すまない」
小さな声だった。
私は夫を見た。
「どうしたのよ。何があったのよ」
焦ったくなって私は尋ねた。
「……………部長に呼ばれた」
夫は肘をついた両手で顔を包み項垂れる。
「転勤？」
私は思い浮かんだ事を聞いた。
「……………俺が……………のがバレた」
「え？」
肝心なところが聞こえなくて聞き返した。
「……………不倫、していたのがバレた」
私は夫の告白に手が止まった。
「え？」
それしか言葉が出ない。
「……………彼女の夫が、会社に乗り込んできた」
私は、馬鹿な夫が相手の夫に、何か証拠を握られたのが分かった。
「……………俺と直属の上司に話があると。俺は彼女の旦那の顔なんて知らないから仕事の話かと。旦那は証拠の写真を俺と部長に見せた。慰謝料を請求された」
私はもう全て知っていたから冷静だった。私が冷静な事に違和感を夫は感じることもなく憔悴していた。
「すまない。浮気していたことも、もちろんちゃんと謝らないといけないが、まさか、こんな事でお前に苦労かけると思ってなかった」
どんな苦労なんだろうと私は思った。
夫が浮気をしていた事？慰謝料を請求された事？
「……………向こうのご主人が慰謝料を請求するなら、私も請求するわ」
私の言葉に夫はびっくりして私を見る。
私は足早に寝室に向かった。
まさかこんな事で役に立つ日が来ると思わなかった。
興奮していて指が震える。
「私もあなたと浮気相手の証拠を握ってるわ。示談で済まないなら、お互い慰謝料を請求し合うしかないけど。私は子供がいる分向こうより多く慰謝料を請求するわ」
私の言葉に夫は何も言えない顔をしていた。
もう全て私の言う事を聞かないとダメだと分かったようだった。
「明日にでも弁護士に連絡するわ」
そして私は離婚のためではなく、相手の夫婦と戦うために興信所の所長から弁護士を紹介してもらう事になった。
私はもう、なるようにしかならないと思った。
夫はおそらく左遷されるだろう。
相手の女も仕事を辞めるだろう。
相手の夫が女と離婚するかもしれないが、そんな事私には関係ない。
こんな事態でも冷静でいられるのは、涼香先生の存在だった。
私は涼香先生がいれば何も失うものが無かったから。
私は8時に麻奈を迎えに行った。
麻奈は笑顔で車にやって来た。
「ただいま。お腹すいたよー」
部活の後に直ぐに塾へ来てるので、麻奈に車の中で涼香先生のクッキーを少しだけ食べさせた。
「パパね、会社に浮気バレちゃった」
私がサラっと言うと、クッキーを食べ終えた麻奈はびっくりして私を見る。
「マジ？嘘でしょ！ヤバいじゃん！」
だよね。と私も思った。
「難しい話は落ち着いたらするけど、パパ、多分左遷されると思う。どこに飛ばされるか分からないけど、本社勤務はもう出来ないだろうから。で、パパのことだから仕事辞めるかも」
なるべく明るく私は言った。
社内に浮気がバレて、それでも仕事ができるほど精神的に強くないことを知っている。
挫折を知らずに、一流大学を卒業してエリート街道を来たが、結局は打たれ弱い小心者なのだ。
「パパと離婚するの？」
「麻奈はどう思う？ママとパパ、離婚したほうがいいと思う？」
弱り切っている夫を見せる前にまずは聞いてみた。
「……………現実になると分かんない」
麻奈の言葉を聞いて私は決心した。
家の駐車場に車を止めると麻奈を見る。
「パパとは離婚しないわ。左遷先によってはパパだけ単身赴任するかもしれないけど。ママは涼香先生と別れたくないから」
「ママ。パパを許すの？こんな事になっても？」
麻奈がびっくりして私を見る。
「麻奈も見れば分かるけど、今のパパを私は捨てられないもの」
私はそう言って麻奈の背中を押して家の中に入った。