溢れる雫

五嶋樒榴

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ウヰスキー

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比呂志は社長秘書中林弥生に話をしに、クライアントの会社に到着した。
受付でアポを繋いでもらい、秘書課のドアの前に立った。ノックをすると、弥生が出てきた。
ゆるふわのカールがかかった美人。弥生は比呂志より年下の27歳だった。
「わざわざすみません、月島先生」
「いえ。事故後のお加減はいかがですか?」
弥生は比呂志にソファを勧めた。他の秘書がコーヒーを淹れて比呂志の前に置いた。
「前に整形外科でレントゲンを撮ってもらいました。特に異常はなしとの事でしたが、とりあえず半年くらいはリハビリに来ては?と言われてます」
弥生の話を聞いて比呂志も頷いた。印鑑を押してもらいたい書類に、署名と判を押してもらい書類をしまった。
「そうですね。後遺症が出ないとも限らないので、その方がよろしいかと。保険屋との交渉は全て僕が引き受けますから安心してください」
比呂志の言葉に弥生はにっこり笑った。
その笑顔に比呂志は引き込まれそうになった。
「では、また何かあれば、先日渡した名刺にご連絡ください」
コーヒーを飲み干して比呂志はソファから立ち上がった。
「下までお送りします」
弥生がエレベーターのボタンを押し、比呂志を乗せると自身も乗ってきた。
沈黙の中、居心地の悪い比呂志。やっと1階に到着すると、比呂志はそそくさと歩き、何もないところで躓いてしまった。
「大丈夫ですか?」
びっくりして弥生が近づいてきた。
甘い香水の香りが鼻に抜けた。比呂志は焦って立ち直った。
「し、失礼しました。ありがとうございました」
ぎこちなく比呂志が帰っていくのを弥生は頭を下げ見送った。
恥ずかしい思いをして、比呂志の頬は火照っていた。
弥生の甘い香りを思い出し切なくなる。
いつもこうだ。素敵な女性に出会っても、一歩踏み込めない。結局体だけの薄っぺらい繋がりしかないんだ。
比呂志はため息混じりにそう思いながら事務所に戻った。
大手弁護士事務所に籍を置いて、比呂志は中堅の地位にいた。同期の中ではシニアパートナーに1番早く出世するのではと言われているぐらい仕事も良く出来ていた。
33歳に見えない甘い童顔で、女子の間でも人気はないわけではないが、比呂志は同じ職場でトラブルを起こすつもりはサラサラなかった。
夜にはまた、鑑賞目的でバーのマスターに逢いに店にやって来た。
「いらっしゃいませ。ここ最近、通っていただけて嬉しいです」
コースターとお決まりのボウモアのボトル。
「どうして俺、これを飲むようになったんだっけ」
ふと、思い出したように比呂志は言った。
「シングルモルトがお好きだとおっしゃったので私がお薦めしました」
「そうだっけ。でもこれすごく好きだよ。俺の味覚に合ってる。さすがマスターだね」
嬉しそうに比呂志は言うと、今夜もストレートで愉しみ始めた。
「今日、例の女性にまた仕事で会ったんだ。心のどこかでは良いな、素敵だなって思うんだけど、なんか踏み込めないんだ。トラウマかな」
どうもその女性がよほど引っかかるんだなとマスターはすぐに気がついた。
「何かトラウマになる出来事でも?男は繊細ですから初体験の失敗を引きずるとたまに聞きますよね」
マスターの言葉に比呂志は笑った。
「俺もその1人。しかもめっちゃベタなヤツ。俺の初体験の相手、高校の同級生だったの。付き合ってた訳じゃないけど、なんとなくそんな感じになって。体から始まって好きになるってあるって言うじゃん。俺もその口。でもさ、やった後彼女が言ったんだ。やっぱ前の彼氏忘れられないって。確かに相手は初めてじゃないけど、フツー言う?終わった後に。それがあってなんかもうどうでも良くなってさ。彼女は何目的で俺としたのかも謎のまま。そのまま二度と口も利かなかった。大学生になっても、近寄って来た女の子達は、肩書きとかそう言うのしか見てなくてさ。弁護士になって今の法律事務所入ってからはそれが顕著に浮き彫りになった。だから愛なんてどうでも良いって思っちゃうんだよね」
ふーむと、マスターは唇に指を当て、セクシーに比呂志を見る。
「でも渇望してますよね。いつか、自分を自分として見てくれる人が現れる事」
マスターの言葉に比呂志は素直に頷いた。
「だから悩むんだ。好きになった人が、果たして俺を好きになるのか。俺は臆病で弱虫なんだよ」
比呂志はなんでこんな事を告白したのかと、自己嫌悪に陥ってカウンターに顔を埋めた。 
「もしかして、今気になる方が、跪いても欲しくなる女王かもしれませんよ」
妖しく微笑むマスターに言われ、浮かんできたのは弥生だった。
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