5 / 11
「父のキャッチボール」
しおりを挟む
「父のキャッチボール」
夕刻を伝える鐘が鳴り響く。太陽が血糊のように真っ赤に染まり、名残惜しさを噛み締めながら友人たちが帰路につく。
もう少し遊びたかったな、また明日など各々愚痴をこぼす中、喜沢洋平はある一つの影を見つけた。
「あれ、お前の親父じゃね?」
友人が差した指の先には、間違いなく父がいた。
七月の夕方。もうこの時期になると日が沈んでも暑さが残り続ける。事実、今現在も遊び惚けて熱の篭った体が冷めてくれそうな様子はない。
そんな状況の中で帰路につく父は、スーツを畳んで腕にかけ、ワイシャツを肘までまくっている。その様子が酷く不格好で、こんな時間に返ってくる父がどこか情けなくて、洋平は思わず「違げーよ」と言葉を投げ捨て、わざわざ遠回りして家まで向かった。
その夜。晩御飯はまだできておらず、母は台所で調理中。父はというと、すっかり部屋着に着替えてテレビの前に座っていた。
見ているのは田舎を旅する芸人をただ眺めるだけという退屈な番組。
「それ面白いの?」
「まあ、普通だな」
「なんだよ普通って」と、そこで会話は打ち切り。続くのは沈黙。
特に会話をする気もなく、携帯をただひたすらにいじっていると「どうだ、学校は」と、会話のキャッチボールすらできない無口な父が、重い口を自ら開いた。
「まあ、普通だよ」
「そうか」
そこでやっぱり会話は打ち切り。続ける必要もないし、また沈黙が――というところで父が「ちょっと外に出ないか」と続けた。
「は?」
なんで、と切り返す前に「よし、行こう」と父はもうやる気満々。台所にいる母も苦笑いを浮かべているだけ。少し台所の様子を覗くと、衣の付いたアジフライがまだ四匹ほど横たわっていた。
浮かれた足取りで外に向かう父親の後を「ったく……」と呆れながら追いかける。
玄関を出ると、父は洋平に何かを無造作に手渡した。手渡されたそれは、これまで見たことのない野球のグローブだ。
こんなの家にあったっけ、と手にはめてみるとざらざらと不快感が左手を包み込む。パンパンと叩いてやると、埃が少し舞った。
「キャッチボールでもと思ってな」
「なんでまたいきなり」
「まだ晩御飯まで時間がかかりそうだったからな」
「そんなん待ってりゃすぐだったんじゃ……」
「細かいことは気にするな」
そう言うと、父は思いっきり振りかぶった。
※
――ほら、ちゃんと取れよ。
ビールを飲んだ時、洋平の頭の中で父の声が木霊していた。
「そんなことあったなぁ……」
「どうしたの?」
思い出に耽っている洋平を、怪訝な顔をした妻の希美が覗き込んでくる。
「いやさ、なんか親父のこと思い出してさ」
「お義父さん?」
「あぁ。もう死んでから五年か……」
「時間って経つのあっという間ね」
「ホントにな。孫の颯太を見せれたのが数少ない親孝行だったかな」
「な、私そこまで話したことないからわからないけど、お義父さんってどんな人だったの?」
「ただひたすらに無口な親父だったな。五分会話が続けられんのはお袋だけだった」
「なんかあなたそっくり」
「やめてくれよ。親父よりかはましさ」
「そーお? ま、いいけど」と、希美が料理を並べる。偶然にも、洋平が思い出したあのキャッチボールの日と同じ、アジフライだった。
――多分、親父なりのコミュニケーションだったんだろうなぁ。
今、父親という立場になって洋平はその意図をようやく理解した。
父の威厳、家族の長、大黒柱。しっかりしてなければ、という意識と、仲のいい家族でありたいという願望の狭間からあのような行動をとった、が真相だろう。
「颯太……遅いなぁ」
物思いにふけっていると、希美が時計を見ながらつぶやいた。もう時刻は七時を回ろうとしている。
「今日はどこに遊びに行ってるんだっけ?」
「いつもの公園のはず――」と希美が言いかけたところで扉が開いた。
「ただいま!」
何か事件に巻き込まれたのか、そう懸念した矢先に聞き慣れた元気な声。おかえり、と夫婦で返してやった。
「遅かったな」
「ごめんなさい!」
「楽しかったか?」
「とっても!」
「そうか……」と、言葉に詰まる。
――話題が、ない。
何を話せば。
いつも何を話してたっけ……。
「そ、そうだ。父さんと今度、キャッチボールしないか?」
息子との会話に詰まり、出てきたのがキャッチボール。このままじゃ親父レベルだな、と苦笑いを浮かべていると「え、やだ」とあっさりと拒絶された。
――親父、父親として負けたよ。
苦笑いを浮かべながら食べたアジフライは、どこか悲しい味がした。
夕刻を伝える鐘が鳴り響く。太陽が血糊のように真っ赤に染まり、名残惜しさを噛み締めながら友人たちが帰路につく。
もう少し遊びたかったな、また明日など各々愚痴をこぼす中、喜沢洋平はある一つの影を見つけた。
「あれ、お前の親父じゃね?」
友人が差した指の先には、間違いなく父がいた。
七月の夕方。もうこの時期になると日が沈んでも暑さが残り続ける。事実、今現在も遊び惚けて熱の篭った体が冷めてくれそうな様子はない。
そんな状況の中で帰路につく父は、スーツを畳んで腕にかけ、ワイシャツを肘までまくっている。その様子が酷く不格好で、こんな時間に返ってくる父がどこか情けなくて、洋平は思わず「違げーよ」と言葉を投げ捨て、わざわざ遠回りして家まで向かった。
その夜。晩御飯はまだできておらず、母は台所で調理中。父はというと、すっかり部屋着に着替えてテレビの前に座っていた。
見ているのは田舎を旅する芸人をただ眺めるだけという退屈な番組。
「それ面白いの?」
「まあ、普通だな」
「なんだよ普通って」と、そこで会話は打ち切り。続くのは沈黙。
特に会話をする気もなく、携帯をただひたすらにいじっていると「どうだ、学校は」と、会話のキャッチボールすらできない無口な父が、重い口を自ら開いた。
「まあ、普通だよ」
「そうか」
そこでやっぱり会話は打ち切り。続ける必要もないし、また沈黙が――というところで父が「ちょっと外に出ないか」と続けた。
「は?」
なんで、と切り返す前に「よし、行こう」と父はもうやる気満々。台所にいる母も苦笑いを浮かべているだけ。少し台所の様子を覗くと、衣の付いたアジフライがまだ四匹ほど横たわっていた。
浮かれた足取りで外に向かう父親の後を「ったく……」と呆れながら追いかける。
玄関を出ると、父は洋平に何かを無造作に手渡した。手渡されたそれは、これまで見たことのない野球のグローブだ。
こんなの家にあったっけ、と手にはめてみるとざらざらと不快感が左手を包み込む。パンパンと叩いてやると、埃が少し舞った。
「キャッチボールでもと思ってな」
「なんでまたいきなり」
「まだ晩御飯まで時間がかかりそうだったからな」
「そんなん待ってりゃすぐだったんじゃ……」
「細かいことは気にするな」
そう言うと、父は思いっきり振りかぶった。
※
――ほら、ちゃんと取れよ。
ビールを飲んだ時、洋平の頭の中で父の声が木霊していた。
「そんなことあったなぁ……」
「どうしたの?」
思い出に耽っている洋平を、怪訝な顔をした妻の希美が覗き込んでくる。
「いやさ、なんか親父のこと思い出してさ」
「お義父さん?」
「あぁ。もう死んでから五年か……」
「時間って経つのあっという間ね」
「ホントにな。孫の颯太を見せれたのが数少ない親孝行だったかな」
「な、私そこまで話したことないからわからないけど、お義父さんってどんな人だったの?」
「ただひたすらに無口な親父だったな。五分会話が続けられんのはお袋だけだった」
「なんかあなたそっくり」
「やめてくれよ。親父よりかはましさ」
「そーお? ま、いいけど」と、希美が料理を並べる。偶然にも、洋平が思い出したあのキャッチボールの日と同じ、アジフライだった。
――多分、親父なりのコミュニケーションだったんだろうなぁ。
今、父親という立場になって洋平はその意図をようやく理解した。
父の威厳、家族の長、大黒柱。しっかりしてなければ、という意識と、仲のいい家族でありたいという願望の狭間からあのような行動をとった、が真相だろう。
「颯太……遅いなぁ」
物思いにふけっていると、希美が時計を見ながらつぶやいた。もう時刻は七時を回ろうとしている。
「今日はどこに遊びに行ってるんだっけ?」
「いつもの公園のはず――」と希美が言いかけたところで扉が開いた。
「ただいま!」
何か事件に巻き込まれたのか、そう懸念した矢先に聞き慣れた元気な声。おかえり、と夫婦で返してやった。
「遅かったな」
「ごめんなさい!」
「楽しかったか?」
「とっても!」
「そうか……」と、言葉に詰まる。
――話題が、ない。
何を話せば。
いつも何を話してたっけ……。
「そ、そうだ。父さんと今度、キャッチボールしないか?」
息子との会話に詰まり、出てきたのがキャッチボール。このままじゃ親父レベルだな、と苦笑いを浮かべていると「え、やだ」とあっさりと拒絶された。
――親父、父親として負けたよ。
苦笑いを浮かべながら食べたアジフライは、どこか悲しい味がした。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
至れり尽くせり!僕専用メイドの全員が溺愛してくる件
こうたろ
青春
普通の大学生・佐藤健太は目覚めると、自宅が豪華な洋館に変わり10人の美人メイドたちに「お目覚めですか、ご主人様?」と一斉に迎えられる。いつの間にか彼らの“専属主人”になっていた健太は戸惑う間もなく、朝から晩までメイドたちの超至れり尽くせりな奉仕を受け始める。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
ちょっと大人な物語はこちらです
神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な短編物語集です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
幼馴染に告白したら、交際契約書にサインを求められた件。クーリングオフは可能らしいけど、そんなつもりはない。
久野真一
青春
羽多野幸久(はたのゆきひさ)は成績そこそこだけど、運動などそれ以外全般が優秀な高校二年生。
そんな彼が最近考えるのは想い人の、湯川雅(ゆかわみやび)。異常な頭の良さで「博士」のあだ名で呼ばれる才媛。
彼はある日、勇気を出して雅に告白したのだが―
「交際してくれるなら、この契約書にサインして欲しいの」とずれた返事がかえってきたのだった。
幸久は呆れつつも契約書を読むのだが、そこに書かれていたのは予想と少し違った、想いの籠もった、
ある意味ラブレターのような代物で―
彼女を想い続けた男の子と頭がいいけどどこかずれた思考を持つ彼女の、ちょっと変な、でもほっとする恋模様をお届けします。
全三話構成です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる