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第二章

32、青い春に芽吹くものは

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「キャーッッ! 美影みかげくん頑張ってーッッ!!」

 割れんばかりの黄色い声援が体育館の天井を揺らし、シュート練習をしていたミラの耳をも劈いた。

 ミラが声に導かれて目を向けると、数人の女子生徒が肩を寄せ合い、隣のコートで繰り広げられているバスケの試合を観戦していた。
 より詳しく言うのであれば、ボールをキープしてコート上を駆ける清十郎せいじゅうろうにエールを送っている。

 清十郎は華麗なフットワークで相手チームのディフェンスを掻い潜り、勢いを落とすことなくゴール下を守っている生徒へと突っ込んでいく。衝突すると思われた寸前、清十郎は対峙していた生徒の頭上を跳び箱よろしく飛び越え、そのままダンクシュートを決める。ボールに続いて清十郎がコートに降り立つと、周囲から割れんばかりの歓声が沸き上がった。

「いやー、ホントすっげーな、清十郎! ヴィンス・カーターみたいでマジかっけぇ!」

 先ほど踏み台になった男子生徒が、清十郎の背をバンバンと叩く。その無遠慮さからか、清十郎は顔をしかめていた。
 なんとも微笑ましい、学校生活のワンシーンである。そんな穏やかな授業風景を、ミラはとろんとした目で眺めながら、清十郎と初めて出逢ったときのことを思い出していた。

 ミラの清十郎に対する第一印象は、敵対しているジェバイデッドの精鋭、暗殺者アサシンセルジュに似ている、だった。きっと清十郎は、あと何年か経てばセルジュのような美丈夫へと成長するのだろうな、と。
 似ていると感じたのは、なにも姿形だけではない。
 セルジュと似た、抜き身の刀のような暴の気配。清十郎からそこはかとなく滲む無法の匂いを、ミラは敏感に感じ取っていた。

 そしてなによりも、寂しそうに見えた。

 こんな時季外れに、中高一貫校である十星じゅうじょうに転校してきたぐらいだ。清十郎は、きっと他人が踏み込んではならない事情を抱えている。それが起因で、寂しそうだと感じたのかもしれない。
 そういった色眼鏡で見ること自体が偏見であると己を戒めながら、ミラは清十郎に接した。せっかく縁あって出逢ったのだから、学校生活というものを共に楽しみ、共に学んでいければいい。ミラは心の底から、そう祈った。

 そしてミラの祈りが天に通じたのか、清十郎はこの数日間で驚くほどクラスに馴染んだ。

 転校してきたばかりの頃は、清十郎のぶっきらぼうな態度に少々ハラハラしていたものだが、まったくの杞憂だった。
 清十郎は、案外素直なところがある。ミラの話に嫌な顔一つせずに耳を傾けてくれるし、授業でわからない点を尋ねられることもあった。
 モデル並みの美しい外貌や、類まれな身体能力の高さも上手い具合に好感をもたらしてくれたのだろう。清十郎は、いまではすっかりクラスの人気者だ。

 しかし、他のクラスメイトたちが清十郎を慕って囲う反面、ミラは一定の距離を保つようになっていた。清十郎本人から、変わらず接して欲しいと頼まれたのにもかかわらず。
 ごめんなさいと心の中で謝罪しながら、ミラは清十郎の様子をちらとうかがった。

 清十郎は、顔を伝う汗を体操着で拭き取っており、身体能力の高さを証明するかのように割れた美しい腹筋を、惜しげもなく晒していた。
 色気たっぷりな腰つきを目撃してしまったミラの脳裏に、とある光景がフラッシュバックする。
 保健室で繰り広げられた、濃密で官能的な交わりが、鮮明に。

 貪られるような口づけに頭が痺れ、胸を撫でられれば子宮が疼き、低い声の囁きに腰が砕け。ぱんぱんに張り詰めた肉棒に貫かれたときなど、あまりの気持ち良さに天に召されたと錯覚したぐらいだった。
 荒々しいのに、どこかたどたどしい慈しみも感じる、清十郎の愛撫、腰使い。アクアに変身している際に受けてきた性的凌辱とはなにかが違う、心まで満たされるような、夢のようにふわふわとした情交。

 こんなもの、忘れられるわけがない、それどころか──。

「……また気持ち良くしてほしい」

 自然と漏れ出たイヤらしい願望に仰天し、ミラは咄嗟に口を押さえた。

 近頃のミラは、ずっとこんな調子だった。いまも清十郎を見ているだけで急激に劣情が込み上げてきて、子宮の奥がじゅくじゅくと疼いてくる。
 この身を焦がすような淫欲から、解放してほしい。あの心が蕩けるような快感をもう一度、いや、何度だって与えて欲しいと、ミラは絶えず願ってしまっていた。

 ミラが自分の中に眠っていた淫らな欲望に気づいたのは、校舎裏で清十郎にキスされたことがきっかけだった。
 清十郎の突飛な行動にも驚いたが、なによりも。
 キスに応えようとしている自分がそこにいて、ミラは愕然がくぜんとなった。

 これがセルジュに飲まされた妊娠促進剤による煽りなのか、はたまたミラに元から備わっていた色欲なのかはわからない。
 いずれにせよ、このままではまた清十郎を襲ってしまう気がする。そして、そうなったら。今度こそ妊娠してしまうかもしれない。

 ミラは、両手をそっと下腹に添えた。
 もしも本当に身籠ったとしたら、ほぼ100%の確率で産み育てるという選択を取るだろう。ミラの置かれた境遇がどうであれ、身籠ったのが地球人同じ種族の子であれ、異星人の子であれ。

 命、というものがどういうものなのか、ミラにはよくわからない。命はどこからきて、どこへいってしまうのか。人類はその解明の一端すら掴んでいないのだから。
 ただ、命の消える瞬間はとても悲しいということ。それだけはよく知っている。
 子宮に生命が宿ったならば、それを消すなどという考えは頭を掠めもしないはずだと、ミラは確信していた。

 いつかは家族を持ち、子を持つのもいいだろう。だがそれはいつかであって、いまではない。普通の女子高生としてやりたいことはたくさんある。メダリオンとして地球を守る使命もある。
 清十郎とて、同級生を孕ませたとなればただで済むはずがない。ミラと清十郎、ふたりの将来に多大な影響を及ぼすであろうことは、目に見えている。
 
 互いの未来を守るために、性行為だけは絶対に避けなければ。
 けれども、ミラにはこの事態をどう対処していいのか見当もつかなかった。不定期的に訪れる性的欲求を抑える方法もなく、また、それを原因として休学するというのも少々無理がある。
 結局、悩みに悩みぬいて思いついたのは、清十郎との接触を最低限に留めること、だった。必要以上に触れ合わなければ、過ちなど起こしようがないだろう、と。

 こうして清十郎を避け続けて五日ほどが経過しているが、いまのところは上手くやれている──と思っているのは、ミラだけなのかもしれない。

「あ……」

 ミラは、清十郎から恨みがましい視線を送られていることに気づき、サッと目を逸らした。
 事情を知らない清十郎は、きっとミラを軽蔑していることだろう。ミラも清十郎とは仲違いしたくないと告げたのに、やっていることといえばその真逆で、あからさまに避けているのだから。

 気まずさを払うように、ミラはシュートの練習を再開してボールを放つ。しかしボールはバックボードに当たり、跳ね返って放物線を描きながら、ミラの頭上を大きく越えていってしまった。

 その先に立っていた、余古島よこしまというクラスメイトが、ボールを難なくキャッチする。

「ありがとうございます」

 そう礼を言って駆け寄るミラに、余古島はニヤニヤと下品な笑みを浮かべるばかりで、一向にボールを返却してくれる気配がない。それどころか、わけのわからぬ問いを投げかけられた。

「いくら?」

「……なんのことですか?」

 ミラはきょとんと首を傾いだ。まさか、ボールを取った礼に金銭でも要求されているのだろうか。

「そういうのいいから。清純そうな顔して、ウリやってんだろ? 同級生のよしみでさ、タダでヤらしてくんね?」

 余古島がなにを言っているのか、さっぱりわからない。うり、売り、ウリ……と頭の中で言葉を繰り返している内に、それが俗にいう売春であると理解したミラは、思わず声を荒げた。

「そんなこと、やってない!」

「いやいやいや、さっきから男子おれたちのこと、物欲しげな顔して見てたじゃん。みんな言ってるぜ? 今日の保刈ほかり、なんかエロい顔してるって」

 言うが早いか、余古島はミラの顎を固定し、値踏みするように顔を覗きこんできた。
 
「……いやホント、えっろ」

 舌なめずりする余古島に、ミラの肌がぞわりと粟立った。本能的に危機を察したミラは、もうボールのことなど気にしている場合ではないと身を翻す。
 しかし一歩遅く、背後から羽交い絞めにされてしまった。いくら体育を担当している教諭が席を外しているとはいえ、暴挙に過ぎる。

「やだっ、離してっ!!」

 ミラが必死に身を捩るも、余古島はそれをものともせず、白い太ももの感触に嘆息を漏らしていた。

「うわ、超柔らけぇ。カラダあっつ……なぁ、ふたりで授業抜けて、どっか行かねぇ? 俺もう、ヤバいんだけど……ぎゃっ!?」

 突然、余古島は蛙を踏み潰したかのような汚い悲鳴を上げ、ミラを抱えたまま体育館の床に倒れ込んだ。その衝撃で、ミラを拘束していた手が外れる。
 なにが起きたのかわからず混乱するミラの眼前を、ボールがころころと転がっていった。

「てめっ、なにしやがる!!」

 余古島のドスの利いた声に、ミラの視線が自然と引っ張られる。
 右腕を押さえながらぎゃあぎゃあと喚き散らす余古島の背中越し、約五メートル先のところに、清十郎が立っていた。ちょうど、ボールを全力投球し終えたようなフォームで。
 どうやら余古島は、清十郎にボールをぶつけられたらしい。

「……手が滑った」

 清十郎は実に涼しい顔で言い放つと、何事もなかったかのように試合に戻っていく。
 ところが、それで許せるほど余古島は器が大きくないようで、清十郎に掴みかかっていった。 

「ウソつけ! わざとじゃなかったにしろ、詫びのひとつもねぇってのかよ!」

 にわかに、一触即発の空気が漂い始めた。ミラはふたりを仲裁するべく立ち上がろうとするのだが、なぜか身体が茹だるように熱く、いうことをきいてくれない。

「ちょっと余古島! いい加減にしなさいよね!!」

 ひとりの女子生徒がミラを抱き起こし、喝を放った。

「謝れっていうなら、まずあんたが謝りなさいよ! 保刈さんに変なことしようとしてたんだから!!」

 その意見に同意したのか、女性生徒の大半がミラの傍に駆け寄り、余古島を睨みつけていた。
 さすがに分が悪いと判断したらしい余古島は、清十郎から手を離し、近くにあったボールを乱暴に蹴り飛ばすと体育館から退出していってしまった。

「保刈さん、大丈夫? 美影くんが助けてくれてよかった。私、怖くて余古島を止めに入れなかったから……ごめんね」

 一番最初にやってきた女子生徒にそう謝られて、ミラは熱に浮かされっぱなしの頭をもたげた。
 ぼんやりとした視界で、清十郎の姿を捉える。

(……助けて、くれたんだ)

 よくよく考えれば、清十郎ほどの身体能力を持つ者が、暴投などそうそう起こすはずもない。洒落では済まされない悪戯をミラに仕掛けてしようとしていた余古島に当たる確率など、限りなくゼロに近いはずだ。

 つまり清十郎は、ミラを助けるため、ボールを余古島に投げつけたことになる。他ならぬ、清十郎自身の意志で。
 その事実を知ったせいなのだろうか。ミラは、胸の辺りがじんわりと温かくなるのを感じた。
 それは、肉体を蝕む淫欲の炎とは、まったく異なる温かさだった。
 
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