73 / 94
番外編
恋愛狂想曲(6)
しおりを挟む
桂樹が「ゴキブリ王国」に駆けつけたのは、東郷が中に入って二十分後の事だった。
「キャサリン、マリー、ミレーユ……」
「ゴキブリ王国」は、既に消防隊に囲まれていた。
目の前で、自分の恋人達が苦しんでいるのに違いない光景を見て、桂樹は力無く名前を呼ぶ。
入り口は、濛々とした煙が立ち込めている。
桂樹は、消防隊員に引き止められ、中に入ることも出来ない。
それでも桂樹は、消防隊の手を振り払って、「ゴキブリ王国」の中に入ろうとしていた。
「ここを通せ! ここにはオレの大事な恋人がいるんだ! 放せっ!」
「まだ中に誰かいるんですか!?」
消防隊員は、桂樹の言葉に目を丸くした。
現場に緊張感が走る。
消防隊員は、「ゴキブリ王国」には、もう誰もいないという事を前提として、消化活動に励んでいたからである。
「B班、c班! 救出に向かってくれ!」
「はっ!」
消防隊員の体調の一言で、マスクを手に隊員達が中へぞろぞろと入っていく。
桂樹は祈るような気持ちで、それを見送った。
☆
ガシャーン! ガッシャーン!
ガラスの割れる音が、「ゴキブリ王国」の最深部から響いた。
東郷は、中にいるゴキブリ達を助ける為に、苦肉の策として、消火器でゴキブリの生息しているガラスケースを壊して逃がす事にしたのである。
「ケホッ! ケホッ!」
片っ端からガラスケースを壊し、最深部のほぼ全てのゴキブリを逃がした所で、東郷は力尽きた。
この時、東郷は気絶してしまったのだが、東郷に取ってはそれが正解だったのかもしれない。
何故なら、彼の身体の上を、大群のゴキブリが身体の上を這っていったのだから。
潔癖性の彼は、きっとそれに耐えられなかっただろう。
☆
「うわっ」
「ゴキブリ王国」に入って行った隊員達から、思わず声が洩れる。
「何だ何だ」と他の隊員達も悲鳴を挙げた。
大量のゴキブリが、出口を求めて溢れ帰っていたからである。
救いを求めて、隊員達の身体を登ってくるゴキブリに、皆は慌てふためいた。
「ええいっ! そんな事でどうする。まず人命救助が先だ!」
「そう言われましても」
消防隊員達も人間である。
生理的に受け付けられないものは、当然あるのだ。
しかし、自分達が助けなくて誰が助けるんだ、という使命感が、消防隊員達を突き動かす。
所々で、ゴキブリに足止めをされながら、何とか最深部へと辿り着いた。
「よしっ、思ったより火は出てないぞっ! 火元に放水を――!」
隊長が叫んだ。
「ゴキブリ王国」は、ほとんどがガラスで設計されており、燃えるものが少なかった事が幸いだった。
「隊長! 人を発見しました!」
それは先程、学長が叫んでいた「恋人」と言う人物なのだろう。
隊員は、慌ててその人物を背に背負って、「ゴキブリ王国」の出口へと向かった。
隊員はその時、やけに重くて固い、大柄な女性だな、と思いながらも、口には出さなかった。
☆
火事は結局、最深部の一部が黒コゲになった程度の、ぼや騒ぎで終わった。
避難をした学生や研究員達は、授業や研究を中断せざるを得なかった為、皆「人騒がせな」と、ぶつぶつ文句を言いながら、自らがいるべき場所に帰っていった。
瑞穂は。
「だから、大した事にはならないって言ったのよ」
と、避難誘導を徹底した自分を忘れて、中断した食事会を再び再開した。
桂樹は、自分の恋人達ゴキブリの無事を確認して、感動の再会を果たしていた。
そして、逃げ出したゴキブリ達を捜し、大学内を走り回っている。
それに対しての苦情は、後日、各部から多々寄せられることになった。
病院に運ばれた東郷は、すぐに意識を取り戻したが、何故だか丁重に扱われる患者となり、不思議な気分で、たった三日間の入院生活を送った。
このボヤ騒ぎの原因を造ったカップルたちは、防犯カメラの映像を元に、大学警察が調査をし、すぐに捕まった。
こうして、「ゴキブリ王国放火事件」は幕を下ろしたのである。
☆
「桂樹……この記事は何だ?」
十樹は大学ニュース新聞に載っている、ある一軒に着目した。
それは、桂樹ですら想定外のニュースだった。
思わず、記事の内容を声に出して読み上げる。
「学長、二股か!?って、何だこれ」
「この記事によると、私は東郷と言う男の恋人がいるにもかかわらず、付き合っている彼女がいると言う事だが……」
十樹は、その内容を桂樹に告げると「ああ!」と心当たりのある返事をした。
「桂樹――っ!」
「これはオレのせいじゃねぇ! 誤解だ!」
『学長、二股疑惑にホモ疑惑』
「ゴキブリ王国放火事件」は収束したが、新たな事件は未だくすぶって、幕は下りそうになかった。
幾何学大学は、今日も賑わしい。
(終)
「キャサリン、マリー、ミレーユ……」
「ゴキブリ王国」は、既に消防隊に囲まれていた。
目の前で、自分の恋人達が苦しんでいるのに違いない光景を見て、桂樹は力無く名前を呼ぶ。
入り口は、濛々とした煙が立ち込めている。
桂樹は、消防隊員に引き止められ、中に入ることも出来ない。
それでも桂樹は、消防隊の手を振り払って、「ゴキブリ王国」の中に入ろうとしていた。
「ここを通せ! ここにはオレの大事な恋人がいるんだ! 放せっ!」
「まだ中に誰かいるんですか!?」
消防隊員は、桂樹の言葉に目を丸くした。
現場に緊張感が走る。
消防隊員は、「ゴキブリ王国」には、もう誰もいないという事を前提として、消化活動に励んでいたからである。
「B班、c班! 救出に向かってくれ!」
「はっ!」
消防隊員の体調の一言で、マスクを手に隊員達が中へぞろぞろと入っていく。
桂樹は祈るような気持ちで、それを見送った。
☆
ガシャーン! ガッシャーン!
ガラスの割れる音が、「ゴキブリ王国」の最深部から響いた。
東郷は、中にいるゴキブリ達を助ける為に、苦肉の策として、消火器でゴキブリの生息しているガラスケースを壊して逃がす事にしたのである。
「ケホッ! ケホッ!」
片っ端からガラスケースを壊し、最深部のほぼ全てのゴキブリを逃がした所で、東郷は力尽きた。
この時、東郷は気絶してしまったのだが、東郷に取ってはそれが正解だったのかもしれない。
何故なら、彼の身体の上を、大群のゴキブリが身体の上を這っていったのだから。
潔癖性の彼は、きっとそれに耐えられなかっただろう。
☆
「うわっ」
「ゴキブリ王国」に入って行った隊員達から、思わず声が洩れる。
「何だ何だ」と他の隊員達も悲鳴を挙げた。
大量のゴキブリが、出口を求めて溢れ帰っていたからである。
救いを求めて、隊員達の身体を登ってくるゴキブリに、皆は慌てふためいた。
「ええいっ! そんな事でどうする。まず人命救助が先だ!」
「そう言われましても」
消防隊員達も人間である。
生理的に受け付けられないものは、当然あるのだ。
しかし、自分達が助けなくて誰が助けるんだ、という使命感が、消防隊員達を突き動かす。
所々で、ゴキブリに足止めをされながら、何とか最深部へと辿り着いた。
「よしっ、思ったより火は出てないぞっ! 火元に放水を――!」
隊長が叫んだ。
「ゴキブリ王国」は、ほとんどがガラスで設計されており、燃えるものが少なかった事が幸いだった。
「隊長! 人を発見しました!」
それは先程、学長が叫んでいた「恋人」と言う人物なのだろう。
隊員は、慌ててその人物を背に背負って、「ゴキブリ王国」の出口へと向かった。
隊員はその時、やけに重くて固い、大柄な女性だな、と思いながらも、口には出さなかった。
☆
火事は結局、最深部の一部が黒コゲになった程度の、ぼや騒ぎで終わった。
避難をした学生や研究員達は、授業や研究を中断せざるを得なかった為、皆「人騒がせな」と、ぶつぶつ文句を言いながら、自らがいるべき場所に帰っていった。
瑞穂は。
「だから、大した事にはならないって言ったのよ」
と、避難誘導を徹底した自分を忘れて、中断した食事会を再び再開した。
桂樹は、自分の恋人達ゴキブリの無事を確認して、感動の再会を果たしていた。
そして、逃げ出したゴキブリ達を捜し、大学内を走り回っている。
それに対しての苦情は、後日、各部から多々寄せられることになった。
病院に運ばれた東郷は、すぐに意識を取り戻したが、何故だか丁重に扱われる患者となり、不思議な気分で、たった三日間の入院生活を送った。
このボヤ騒ぎの原因を造ったカップルたちは、防犯カメラの映像を元に、大学警察が調査をし、すぐに捕まった。
こうして、「ゴキブリ王国放火事件」は幕を下ろしたのである。
☆
「桂樹……この記事は何だ?」
十樹は大学ニュース新聞に載っている、ある一軒に着目した。
それは、桂樹ですら想定外のニュースだった。
思わず、記事の内容を声に出して読み上げる。
「学長、二股か!?って、何だこれ」
「この記事によると、私は東郷と言う男の恋人がいるにもかかわらず、付き合っている彼女がいると言う事だが……」
十樹は、その内容を桂樹に告げると「ああ!」と心当たりのある返事をした。
「桂樹――っ!」
「これはオレのせいじゃねぇ! 誤解だ!」
『学長、二股疑惑にホモ疑惑』
「ゴキブリ王国放火事件」は収束したが、新たな事件は未だくすぶって、幕は下りそうになかった。
幾何学大学は、今日も賑わしい。
(終)
0
あなたにおすすめの小説
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
ナイナイづくしで始まった、傷物令嬢の異世界生活
天三津空らげ
ファンタジー
日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる