【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第一章 初めての夜よりも、身体は確かに応えていく

黒髪の君

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 ヴァロニア王宮・謁見の間。
 高窓から射す午後の光が、大理石の床を白く照らしている。
 両側に並ぶ貴族たちの視線が、一斉に開かれた扉へ向けられた。

 その間を、シルヴィアはゆっくりと歩み出た。
 背筋を伸ばし、視線を揺らさず――だが、奥に立つ人物を見た瞬間、心臓がわずかに跳ねる。


 黒い髪。


 ――シルヴィアは生まれて初めて黒い髪を見た。
 船上で見た夜空より黒い闇。
 祖国シーランド・レーヴェンヌ伯爵領でも、黒髪の者は居なかった。

 金と青が溢れるヴァロニアの宮廷にあって、その髪色だけが異質に目に映った。
 王太子ギリアン・フォン・ヴァロア。
 噂通りの冷ややかな面差しは、感情を計らせぬまま、ただ彼女を見ている。
(でも、王族とはそういうものよ。祖国の宰相閣下も無口で厳しい御方だと聞いているし)

「……シルヴィア・フォン・レーヴェンヌ」
 低く響く声が名を呼ぶ。
「ヴァロニアへようこそ。これより王妃として、ヴァロニア王国に仕えて頂く」

 決まり文句だった。
 だが、わずかに遅れて続く沈黙に、シルヴィアは自分が計られているのを感じる。
 言葉の裏を探ろうとする自分を抑え、淑女の礼を取った。

「光栄に存じます、殿下」

 貴族たちの視線が、二人の間を行き来する。
 その中に、好奇と警戒、そして僅かな軽蔑が混じっているのを、シルヴィアは見逃さなかった。
(――臆病者の王太子、ね。ここではそう呼ばれているのかしら)
 唇に浮かべた微笑は、形だけ。
 けれど心の奥では、すでに問いを一つ、握りしめていた。

 式次第が終わると、側近が二人を控え室へ案内した。
 扉が閉まり、静寂が落ちる。

「長旅、お疲れだったでしょう」
 人前ではない声は、思っていたより低くも冷たくもない。でも、シルヴィアは、ギリアンが何か隠しているような気がした。
 ギリアンは机の上の水差しに手を伸ばし、淡々と注いだ。
「王都の空気は海沿いとは違います。慣れるまで少し時間がかかるかもしれません」

「……殿下は、わたしをどうご覧になりますか?」
 シルヴィアは水を受け取りながら、目だけで相手を探った。

 ギリアンの瞳がわずかに細められる。
「どう、とは? あなたがどういう答えを望まれているのか、まだわかりませんが。ただ――役目を果たしてくださる方だと信じています」

「信じて、くださる?」
「信じるしかない、と言ったほうが正確かもしれません」
 口調は柔らかいのに、その中身は距離を置く言葉だった。

 小さな間を置いて、彼は視線を窓へ向けた。
「……王都には、僕の戴冠を良しとしない者たちがいます。戴冠後も、その争いはしばらく続くでしょう」
 その声音は淡々としていて、脅すような響きはない。だが、事実を告げる冷ややかさがあった。

「つまり、わたしもその渦中に入るということですね」
「王妃という立場は、避けられません」
 ギリアンは短くそれだけを答える。

 シルヴィアは水杯を置き、小さく息を吐いた。
 この男は、少しでも心を許すには時間がかかる――そう確信する。
 それでも、心の奥で芽生えた小さな闘志は、消えるどころか静かに熱を帯びていった。
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