【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第一章 初めての夜よりも、身体は確かに応えていく

花嫁の間

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 婚礼の儀を終えると、シルヴィアは王宮奥の【花嫁の間】へと案内された。
 扉が閉じられた瞬間、外の祝宴のざわめきは遠くへと薄れ、室内は静かな香木の香りに包まれる。
 薄紅色の天蓋がふわりと垂れ下がる寝台が、部屋の中央に静かに佇んでいる。
 壁に掛けられた薄紅色の織物が、燭台の炎に照らされ、ゆらゆらと影を揺らしていた。

(……ここが、次の儀式の場所……)

 さっきまで、あれほど多くの視線に囲まれていたのに。
 今、この部屋にいるのは自分と、数人の女官だけ。
 それが、かえってシルヴィアの緊張を強めた。

「殿下がお支度を整えられるまで、こちらでお待ちくださいませ」
 年長の女官が深く頭を下げ、侍女たちが慣れた手つきで近づいてくる。

 婚礼衣装の背の留め金が外れ、重たい布が床へと落ちた。
 厚い絹の温もりが離れ、背筋にひやりと空気が触れる。
(もう後戻りはできないのね。まぁ、そんなつもりはないけれど)

「お疲れでしょう、王太子妃様」
「……ええ。あそこの果物を少しいただいてもいい?」
 努めて穏やかに返すと、侍女の視線がやわらいだ。
 侍女の一人が隅の小卓の上から、果物皿と水差しを取り、化粧台の前に座らされたシルヴィアの横に立つ。

 温められた香油が銀盆に載せられ、肩口に垂らされる。
 すべらかな指が筋肉をほぐしていくが、胸の奥の緊張は解けない。
 いつもなら、すっかりリラックスして眠ってしまいそうな手業だというのに。
(男の人に触れられるのって、どんな感じなのかしら)

 女官は香油に白い花弁を沈めた小瓶を取り出し、指先でそっとシルヴィアの首筋をなぞった。
 その香りは、春の庭を閉じ込めたように甘く、どこか切なかった。

「こんな香りは初めてだわ。これは?」
「殿下がお好みとされる香りでございます」
 そう告げられ、シルヴィアは一瞬だけ息を止めた。

 ――好み。まだ何も知らない相手の、わずかな手がかり。胸の奥が、理由もなくざわめく。

「わたし……黒い髪を初めて見たわ」
 ギリアンの黒い髪を思い出してつぶやく。
「はい、殿下は王家の中でも……異例のお方です。【黒】は魔性。不吉の色ですから……」
「不吉? ……いいえ、わたしには夜空のように深く見えた」

 髪飾りが外され、結い上げられていた金の髪が背へと流れ落ちる。
 櫛が通るたびに、さらさらと音を立て、そのたびに子どもの頃の自分がふと顔を出す。
(本当は、怖い。殿下がどんな人か、ほとんど知らないのに……)

 裸足になった足先も、香油で温かく拭われ、薄紅の布でそっと包まれた。
 女官たちの手は迷いなく、しかしどこか祈るような動きにも感じられた。

 白い薄衣が肩に掛けられ、腰紐が結ばれる。
 香油の香りと花の匂いが溶け合い、部屋そのものも儀式の準備を整えていた。

「お支度が整いました」
 年長の女官の声が、静けさを破る。
 シルヴィアは立ち上がり、裾を整え、深く息を吸い込んだ。
(これは王妃としての最初の夜。退く道も、逃げ道もない……なら、せめて、自分の足で進むしかないわ)

 その時、外から扉を叩く音。
 部屋の外に控えていた侍従が告げる。
「殿下がお待ちです」

 心臓が強く打つ。
 シルヴィアは一歩踏み出し、扉へと向かった。
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