【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第一章 初めての夜よりも、身体は確かに応えていく

眠れぬ夜*

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 扉が静かに開き、黒い衣の王太子が入ってきた。
 その瞬間、女官たちは一斉に下がり、部屋に残ったのはギリアンとシルヴィアの二人だけになった。
 蝋燭の炎が五つ、壁の織物に揺れる影を落とす。

(……これが、王太子妃としての最初の時間)

 ギリアンは無言で歩み寄り、寝台の脇に立つ。
 シルヴィアが近づくと、衣の奥からかすかに香る香木と冷たい風の匂いがした。
 その香りだけで、胸の奥の鼓動が早まる。

 シルヴィアは腹のあたりで重ねた手を固く握りしめた。
(どうしましょう……心臓の音が、聞こえてしまいそう……)
 指先が汗ばみ、絡めた指をそっと動かす。

 視線を上げると、黒髪の王太子が自分の首元を見ていた。
 感情を読ませない蒼い瞳――初対面の時と同じ。だが、距離が近すぎる。

「……痛むようなら、言ってください」

 低く声が響いた。
 それは思いやりではなく、確認の響きだとすぐにわかってしまった。
(痛いと言ったら、そこで、きっと終わりなんだわ……)
 シルヴィアは、唇の乾きを舌で湿らせ、うなずいた。
(わたしを信じるしかないと、おっしゃった。試されるのね)

 ギリアンの手が背に伸び、留め金を一つずつ外していく。
 金具が外れる小さな音が、なぜか胸の奥まで響く。
 布が緩み、肩口を滑り落ちる瞬間、彼の指先が素肌に触れた。
 指先だけなのに、熱がそこに残る。
(式の時の手と同じ。こんな温かさ、知らなかった……)

 衣服は床にふわりと落ち、残るは薄い下着だけ。
 胸元の布が払われ、空気がひやりと触れた途端、背筋に震えが走る。
 腰をなぞるように指先が布を足元へ下ろすと、空気の冷たさと共に、体の内側に熱が巡るのを感じた。

 ベッドに導かれ、シーツの感触を背に感じる。
 覆いかぶさる影が頬をかすめた。それは、口づけではなかったが、それでも近さに呼吸が詰まりそうになる。
 膝を押し開かれ、片脚を持ち上げられる。
 体温が触れ合ってすぐ、その境界線がゆっくりと押し破られていく。

「……っ」

 シルヴィアは思わず息を漏らした。
 強引な圧迫と、体の中に広がる鈍い痛みを堪える為にシーツを掴む。
 ギリアンは一度だけ動きを止め、短く息を吐いてから、ゆるやかに動き始めた。

 ギリアンの動きに合わせて身体が揺れる。
 シルヴィアは目を瞑り、固く口を引き結んだ。
(……痛い……でも、口にしたら、ギリアン様は止めてしまう……)
 耳元で聞こえる、規則的な呼吸を、ただ数えた。

 蝋燭の炎がゆらぎ、壁の影が波のように形を変える。
 やがて痛みの奥に、熱が混じり始め、シルヴィアの呼吸が浅くなった。
(……いつ、終わるの……)
 痛みのせいか、熱のせいか、冷静に考えることが出来ない。

 声が、漏れそう――。

 だが、もう、声が漏れたとしても、それは多分言葉になりそうにない。それならば、大丈夫だろう……。

 腰に添えられた大きな手が、動きを支えるように強まった。
 数度、深く踏み込まれたとき、抑えていた声が洩れた。
「……だ……だいじょうぶ、です」
 自分でも驚くほどかすれた声だった。

 ギリアンは何も答えず、動きはやがて緩やかになり、最後の一突きで止まる。
 短い息とともに重みが離れ、ギリアンの熱が去る。寒さを感じたところに、毛布が肩まで掛け直された。

「……休んでください」

 淡々とした声が耳に残る。
 扉が閉まり、ベッドの上に残ったのは、自分の熱い呼吸、そして胸の奥の熱だった。
(……わたし、必ずやり遂げるわ。ギリアン様を王にする……王に子を授ける。……でも、あの炎のような熱は――)

 蝋燭は四つ。光はまだ消えない。
 その明かりの下で、冷たさと熱がせめぎ合う自分の鼓動を、シルヴィアは一人で感じていた。

 ――眠れない。

 まぶたを閉じれば、指先の温度も、背に残る感触も、すぐそこに蘇る。
 義務だったはずなのに、心のどこかが妙に騒がしい。
(王妃になる。それが私の役目……)
 そう繰り返しても、胸の奥の熱は静まらなかった。

 新しい国、夫となった王太子、そして初めての交わり――。
 到着したばかりなのに、今日一日で色んなことがありすぎた。
 ――思い出すほどに、眠りは遠のいていった。


 小さなノックが、静寂を破った。
「……失礼いたします、王太子妃殿下」
 扉の隙間から、女官が顔をのぞかせた。
「お休みのところ、失礼ですが……お加減はいかがでしょうか。お湯もご準備いたしております」

「……大丈夫よ。しばらく、一人でいさせて」
 穏やかに微笑んでみせると、女官は一礼し、静かに扉を閉めた。

 再び訪れた静けさは、先ほどよりも深く、長く感じられた。
 蝋燭の炎が揺れ、壁の影がゆっくりと伸びていく。
 その影の向こうに、彼の気配がまだ残っているような錯覚から、シルヴィアはしばらく逃れられなかった。
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