氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第四章 わたし、子を、授かりました

君を守る剣と盾になる

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 ホープの声が広場を満たした直後、火刑台の周囲に緊張が走った。
 神官たちが顔をしかめ、焚き木の前で足を止める。
 兵たちは視線を交わし、命令を仰ぐように神官の動きを見ていた。

「……どうする、儀式は――?」
「でも、聖徒が越権だと言うなら……」

 その戸惑いを切り裂くように、ラシェルが一歩、前に出た。
 騎士団の装束に身を包んだ若い兵士が、ラシェルに手を伸ばしかける。

「下がれ――」

「私は、ラシェル・フォン・ラヴァール。シルヴィア王妃直属の侍女です!」
 ラシェルの凛とした声が、広場に響いた。

 周りの兵士たちは「王妃の侍女?」「あの炎派の王妃の――?」と、囁き始め、視線がラシェルに集中した。
 しかし、ラシェルは続けた。わずかに顎を上げる。

「シルヴィア王妃の命を受けて、ここに来ました。宰相府からの照会命令は、すでに中央大教会にも送られているはずです。それを無視し、今、ここで火を放てば、あなたたちは、王国法を破ることになります」

 ラシェルの声には一片の迷いもなかった。
 それも、堂々とした、落ち着いた、貴族の語り口で。

「そ、それは……」

「あなたたちは、誰の命で動くのか、今一度、胸に手を当ててください」
 ラシェルの視線は、鋭くも穏やかだった。

 その凛とした姿に、青年兵の一人がぽつりと呟く。

「……ラヴァール侯爵令嬢だ……」
「……まさか、ヴィンセント・フォン・ラヴァールの……妹?」
「そうだ……『ヴァンデの悪魔』の妹だ!」

 その言葉が広がると、兵たちの顔つきが変わった。

 ――かの『魔女王の剣』の妹。
 王国随一の剣士にして、王直属の軍師を兄に持つ、聡明な令嬢。
 ラシェルがここに来た意味を、兵たちは理解し始めていた。

「……つまり、これはただの小娘の行動ではないってことか」

 ざわつく役人の一人に、ラシェルは静かに近づく。


「王妃様は、命を救うために、自らの名を剣に変えた。それを折ろうとするのなら、覚悟しなさい。
 民が何を信じ、法が何を守るのか――その意味すら、あなた方が壊すことになります」

 その言葉は、まるで兄ヴィンセント・フォン・ラヴァールの言葉のようだった。


 役人は言葉を失い、わずかに頷いた。
 やがて、神官の手が松明を下ろす。

 ホープがラシェルに目を向け、微笑んだ。
 ラシェルはほんの少しだけ頷き、言葉を交わすことなく立ち位置に戻る。

(私は、王妃様の意志を伝えに来た。それだけ。……だけど)

 ラシェルは、焚き木の上に立つジェードの姿を見上げた。

(……あの人を、こんなことで焼かせてたまるもんですか)

 その心の叫びは、炎よりも熱く、静かに広場を満たしていた。




 民衆がざわめき、神官が戸惑う中。
 その先、石畳の道を進んでくる騎馬の一団が現れた。
 漆黒の地に金糸で王家の紋章が刺繍された軍旗が、風を裂いて高く掲げられている。

 整然と進む騎士団。その先頭に立つ騎士は、王冠を戴き、マントを翻し、軍馬の背から広場を睥睨していた。

「王……!」
「陛下が、直々に……?」

 その声が上がった瞬間、空気が一変する。
 兵たちは背筋を伸ばし、民はざわめきを飲み込むように沈黙した。
 神官すらも、松明を掲げたまま動きを止めた。

 魔女王ギリアン・フォン・ヴァロア。
 黒髪の王は、静かに馬を下り、地を踏みしめるように火刑台の前へと進み出る。

 王の足音だけが、石畳に響いた。

 王冠の蒼い宝石が陽光を跳ね返し、緊張に満ちた広場を静かに照らす。
 ギリアンは火刑台を見上げ、その視線の先に括りつけられたジェードの姿を捉えた。
 その目に、かすかな痛みと怒り、そして決意が宿る。


「火刑を――中止せよ」


 その一言は、命令であり、裁きであり、祈りだった。

 その場にいた誰もが、王の声に呑まれた。
 火を灯そうとしていた修道士の手が、わずかに震える。
 神官たちの間にも、動揺の色が広がる。


 ラシェルは、その背を、真正面から見つめていた。
 王の姿を見つめながら、胸にそっと手を当てる。

(あの人を救えるのなら……私は、王妃の剣にも、盾にもなる)

 その心の声は、静かに燃え上がっていた。
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