氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第四章 わたし、子を、授かりました

ジェードは、生きてるよ

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 ラシェルは王宮の中庭を歩きながら、胸の奥のざわめきを持て余していた。
 ジェードの火刑台での出来事は、夢のようで、けれど何度思い返しても現実だった。

 ホープもきっと――と、考えていた。

(あんな光景を見たんだもの……。ホープ様だって、平気なはずがない……)

 ホープのことを案じながら、庭の角を曲がった時だった。
 ラシェルは思わず足を止める。

 芝生の上で、ホープが犬とじゃれ合っていた。

「――それ、ぼくのマント! ……ああもう、返せってば……!」

 いつもの黒毛の軍用犬が、楽しそうにホープのマントをくわえて逃げまわる。
 ホープは本気で追いかけるでもなく、手を伸ばしては空振りして、苦笑していた。

(……元気、そう)

 ラシェルの胸に、少しだけ安堵が灯る。
 だけど、そのまま立ち去る気にはなれず、意を決して近づいた。

「……ホープ様」

 呼びかけに気づいて、ホープが振り向く。
 黒髪が風に揺れて、その顔に笑みが戻る。

「あ、ラシェル。ごめん、今ちょっと大事な攻防戦中で――」

 犬がワンと鳴いてマントを放し、ラシェルの方に駆けてきて足元に寝そべった。
 ホープはその様子を見て、困ったように笑った。

「……どうしたの?」

 ラシェルは言葉に迷いながらも、目をそらさずに聞いた。

「その……あの火刑のこと、ホープ様の方が……落ち込んでるんじゃないかって、心配してました」

 ホープは一瞬だけ足元の犬を見るふりをした。
 だが、すぐにまたラシェルの方を見て、穏やかに微笑んだ。

「ありがとう。でも、ぼくは大丈夫。……君の方こそ、無理してない?」
「……」

 図星だった。
 火刑台の炎。あの光の中から現れた少年の姿。
 ジェードの、泣きそうな声――。

 胸の奥がずっと、焼けつくように痛かった。

「……ジェード様が、火に包まれて……。怖かった。今も夢に見てしまうんです……」

 ラシェルが声を震わせると、ホープはすぐにそばに来て、そっと肩に手を置いた。

「……大丈夫。ジェードは、生きてるよ」

 その言葉に、ラシェルは顔を上げる。
 ホープの瞳は、まっすぐだった。

「双子だから、わかるんだ。……ぼくとジェードは、ちゃんと、繋がってる。たとえ、どんなに離れてても。こんなことを、ヴィンセントに言っても、全く信じてもらえないんだけどさ。そういう神秘的現象オカルトは、ラシェルは……どう思う?」

 理屈じゃなくて、魂のどこかが、そう感じているような――深い、静かな信頼。
 ラシェルは、無意識に頷いていた。

「……私は、信じたいです」

 風が吹いて、草木の香りがふわりと流れる。
 犬は起き上がると、ホープの足元にぴたりと座った。

 ラシェルは、ホープの言葉を胸の奥で反芻していた。

(……ジェードは、生きてるよ。双子だから、わかるんだ)

 信じることを、恐れずに口にできる人。
 どれほどの苦しみをくぐってきたかを知っているのに、それでも誰かを信じるまなざしは、まっすぐで、揺るがなかった。

 そんなホープの横顔に、ふと微笑みを浮かべて、ラシェルは明るい声を作った。

「……そういうのって、良いですね……」

 ホープがきょとんと振り返る。

「ん? 何が?」
「……不思議な、目に見えないものです。家族の愛? 絆、って言うのかな。……私、ホープ様が、ちょっと羨ましいです」

 風の音に紛れるような小さな声だったが、ホープは静かに受け止めていた。
 ラシェルは一歩だけ前に出て、地面に目を落としたまま続ける。

「私も……そんなふうになれたらって、思います。ホープ様の大切な人に、ちゃんとふさわしいって、言えるくらいに」

 冗談みたいに言ったつもりだった。

 だが、ホープはすぐには何も言わなかった。
 けれど、そっとラシェルの方に視線を向ける。
 その目に宿るのは、優しさと、どこかはにかんだ光があった。

「ぼくの方こそ……君にふさわしいかどうか、これから証明していくよ。ぼくなりにね」

 その言葉が、そよ風のようにラシェルの胸に届いた。

 ふたりの間には、まだ触れない距離はあった。
 でも、心は確かに寄り添っていた。
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