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第五章 夜の海を揺蕩う舟のように
グラディス家の坊ちゃん
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夕暮れ。
王宮執務室には、謁見を終えたギリアンと、ヴィンセントが戻っていた。
重厚な扉越しにも寒さが滲み込んでくる。
ギリアンは暖炉の前に立ち、火ばさみで薪を整えながら、ちらと背後に視線をやった。
「ヴィンセント、君は、グラディス家の坊ちゃんを、どう見た?」
問いを受けて、書見台の前にいたヴィンセントが書類から目を離し、答える。
「王妃の初恋の相手。女慣れしていて、物腰は柔らかいが、軽薄ではない。もうすぐ十九、シーランドでは炎派の貴族の若手として一目置かれているようだ」
「彼は、氷派にとっても、炎派にとっても……刺激の強い存在だろうね」
「洗練されすぎている。外交官としては優秀だが、あの若さは刃にもなる。人懐こさを盾に、懐へ入る術を心得ている。君のような男が、最も警戒すべき相手だ」
「……見送りにまで来てたらしいね。嫁ぐ日の朝に。シルヴィアが、あんな目で見てた相手なんて、知らなかった」
ギリアンの声は低い。
火がぱち、と弾けて薪がはぜた。
「嫉妬か? ギリアン」
「……戦略の話をしてるんだ」
「それなら、」
ヴィンセントは手にしていた地図を指で叩く。
ヴァロニアとシーランドを結ぶルート、交易の要所にグラディス領が位置していることが示されていた。
「グラディス伯は、実家こそ穏健派だが、王妃の実家・レーヴェンヌ家と親しい。レオナールを通せば、炎派との接触は容易になる」
「……だけど、それだけじゃない」
ギリアンが静かに言った。
「シルヴィアが子をなさぬことを理由に、妹を僕に紹介しに来たようだ。建前だろうが、裏を返せば、王位継承を心配している証拠だ」
「ヴァロニアの王妃が炎派の娘であることは、あちらにとっても政治的意味を持つ。ゆえに、炎の血を引く後継者の価値は大きい」
「うん。だけど、レオナールに薬草を持たせてきた。と言うことは……」
「シルヴィア殿下が子が成せるかどうかを、直接確認したいと言うことだな。こちらの都合ではなく、向こうの判断材料として」
ギリアンは沈黙したまま、暖炉を見つめる。
「シルヴィアは……知らないんだろうな。あの男が、何を確かめに来たか」
「知れば傷つくと?」
ヴィンセントの声に、ギリアンは息を吐いて、ゆっくりと頷いた。
「それでも、連携は必要だ。教会に変わる、秩序と信仰の形を作るには、選ばれた血統と正義の王が必要になる。その象徴が、シルヴィアだ」
ギリアンは窓の外に目をやった。
シルヴィアが侍女とともに薄く雪の積もった庭を歩いている姿が見えた。
夕日に照らされ、頬が赤く染まっている。
(シルヴィ……)
日が落ちるまでもう少しだ。
「レオナールには、しばらく滞在してもらおう。王妃に怪しまれぬ程度に、十分な時間をかけて、こちらの在り方を、炎派の目に見せるんだ」
「君が自分の嫉妬心と折り合いをつけられるなら、戦略としては有効だな」
「……ヴィンセント……君は、嫉妬なんか、したことないんだろうね」
ギリアンが思わず笑うと、ヴィンセントも何か言いたげに、わずかに口元を緩めた。
しかし、問われなければ、言わないのがこの男だ。
ヴィンセントに過去に恋人がいたことを知っているが、ギリアンは敢えて何も聞かなかった。
「いずれ王妃が子を得れば、それは奇跡として扱われる。それまでは舞台を整え、見せつける必要がある。
選ばれた王妃を通じて、教会の偽りを明らかにし、黒髪の正統性を示す。炎派と連携して民意を取り戻す」
ヴィンセントがまとめるように言い、ギリアンがゆっくりと、火ばさみを置いた。
「……それでも、あの男に『ルビ』と呼ばせるのは、気に食わないな」
ギリアンはそう呟き、暖炉の火を背に受けながら、窓の向こうのシルヴィアを見つめ続けていた。
王宮執務室には、謁見を終えたギリアンと、ヴィンセントが戻っていた。
重厚な扉越しにも寒さが滲み込んでくる。
ギリアンは暖炉の前に立ち、火ばさみで薪を整えながら、ちらと背後に視線をやった。
「ヴィンセント、君は、グラディス家の坊ちゃんを、どう見た?」
問いを受けて、書見台の前にいたヴィンセントが書類から目を離し、答える。
「王妃の初恋の相手。女慣れしていて、物腰は柔らかいが、軽薄ではない。もうすぐ十九、シーランドでは炎派の貴族の若手として一目置かれているようだ」
「彼は、氷派にとっても、炎派にとっても……刺激の強い存在だろうね」
「洗練されすぎている。外交官としては優秀だが、あの若さは刃にもなる。人懐こさを盾に、懐へ入る術を心得ている。君のような男が、最も警戒すべき相手だ」
「……見送りにまで来てたらしいね。嫁ぐ日の朝に。シルヴィアが、あんな目で見てた相手なんて、知らなかった」
ギリアンの声は低い。
火がぱち、と弾けて薪がはぜた。
「嫉妬か? ギリアン」
「……戦略の話をしてるんだ」
「それなら、」
ヴィンセントは手にしていた地図を指で叩く。
ヴァロニアとシーランドを結ぶルート、交易の要所にグラディス領が位置していることが示されていた。
「グラディス伯は、実家こそ穏健派だが、王妃の実家・レーヴェンヌ家と親しい。レオナールを通せば、炎派との接触は容易になる」
「……だけど、それだけじゃない」
ギリアンが静かに言った。
「シルヴィアが子をなさぬことを理由に、妹を僕に紹介しに来たようだ。建前だろうが、裏を返せば、王位継承を心配している証拠だ」
「ヴァロニアの王妃が炎派の娘であることは、あちらにとっても政治的意味を持つ。ゆえに、炎の血を引く後継者の価値は大きい」
「うん。だけど、レオナールに薬草を持たせてきた。と言うことは……」
「シルヴィア殿下が子が成せるかどうかを、直接確認したいと言うことだな。こちらの都合ではなく、向こうの判断材料として」
ギリアンは沈黙したまま、暖炉を見つめる。
「シルヴィアは……知らないんだろうな。あの男が、何を確かめに来たか」
「知れば傷つくと?」
ヴィンセントの声に、ギリアンは息を吐いて、ゆっくりと頷いた。
「それでも、連携は必要だ。教会に変わる、秩序と信仰の形を作るには、選ばれた血統と正義の王が必要になる。その象徴が、シルヴィアだ」
ギリアンは窓の外に目をやった。
シルヴィアが侍女とともに薄く雪の積もった庭を歩いている姿が見えた。
夕日に照らされ、頬が赤く染まっている。
(シルヴィ……)
日が落ちるまでもう少しだ。
「レオナールには、しばらく滞在してもらおう。王妃に怪しまれぬ程度に、十分な時間をかけて、こちらの在り方を、炎派の目に見せるんだ」
「君が自分の嫉妬心と折り合いをつけられるなら、戦略としては有効だな」
「……ヴィンセント……君は、嫉妬なんか、したことないんだろうね」
ギリアンが思わず笑うと、ヴィンセントも何か言いたげに、わずかに口元を緩めた。
しかし、問われなければ、言わないのがこの男だ。
ヴィンセントに過去に恋人がいたことを知っているが、ギリアンは敢えて何も聞かなかった。
「いずれ王妃が子を得れば、それは奇跡として扱われる。それまでは舞台を整え、見せつける必要がある。
選ばれた王妃を通じて、教会の偽りを明らかにし、黒髪の正統性を示す。炎派と連携して民意を取り戻す」
ヴィンセントがまとめるように言い、ギリアンがゆっくりと、火ばさみを置いた。
「……それでも、あの男に『ルビ』と呼ばせるのは、気に食わないな」
ギリアンはそう呟き、暖炉の火を背に受けながら、窓の向こうのシルヴィアを見つめ続けていた。
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