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第五章 夜の海を揺蕩う舟のように
リアナ・フォン・グラディス
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レオナール・フォン・グラディスが王宮に到着してから、数日が経っていた。
彼が外交使節としての任を果たし、注目を集める中、その妹、リアナ・フォン・グラディスが、静かにヴァロニア王宮の門をくぐった。
王への正式な謁見申請はあったが、それに先立ち、まずリアナを迎えたのは、王の側近ヴィンセント・フォン・ヘーンブルグだった。
上級賓客のための応接室。
王宮東翼の中でも、最も陽当たりのよい角部屋にそれはあった。
厚手の絨毯、金糸のカーテン、華やかな刺繍のソファと、ほどよい装飾が施された空間。
扉をノックすると、中からすぐに応答があった。
「お入りくださいませ」
低く柔らかな声だった。まだ少女のようにも聞こえたが、その調子には待つ者の余裕が滲んでいた。
ヴィンセント・フォン・ヘーンブルグは、静かに扉を開けた。
奥のソファに座っていたのは、翠の瞳を持つ若い娘。
金髪は丁寧にまとめられ、立ち上がると小柄な身体に仕立てのよいドレスがよく映えていた。
娘は会釈すると、まるで古くからの知人にするような穏やかな笑みを浮かべた。
「ようこそ。『魔女王陛下の剣』、ヴィンセント様」
その呼び名に、ヴィンセントの瞳がわずかに細められる。
「よくご存じで」
「ええ。勉強してきましたもの。貴方の名前は、ヴァンデの戦記にも残っております。――悪魔の如き元帥閣下と」
淡く微笑みながら、リアナはソファ前のティーテーブルに向かい、ひとつの銀のポットを持ち上げた。
「失礼ながら、今日は従者を下がらせております。ご無礼でなければ、わたくしがお茶をお淹れしても?」
「どうぞ」
紅茶の香りが、室内にほのかに満ちていく。
カップに注がれた琥珀の液体が、揺れる陽光を受けてきらめいた。
「お茶は、ただの潤滑油だと祖母に教わりました。交渉の場でこそ、香りと温度は大切です」
ヴィンセントは無言で椅子に腰を下ろす。
この娘は、ただの使節の妹ではない。やはり、王妃候補として送り込まれたのだ。
「貴女の滞在目的、正確に伺っても?」
リアナは微笑を崩さず、まっすぐにヴィンセントを見返した。
「兄の使節として来訪し、王妃陛下のご様子を見に参りました。もちろん、王宮の空気に触れることも学びのうちでございます」
「王妃の様子を?」
「はい。ヴァロニアの王家を支える女性として、どのような方かを理解すること。それは、炎派と氷派の未来にとって、必要な判断材料になります」
ヴィンセントはカップを持ち上げる手を止め、少しだけ身を乗り出す。
「陛下の王妃は、シルヴィア殿下お一人です。判断材料という言葉は、少々不躾では?」
リアナの瞳が、ほんの一瞬だけ笑みを失い、すぐに元の静けさを取り戻した。
「……失言でしたら、お詫びいたします」
だがその声音は謝罪のそれではなかった。
むしろ、「引っかかってくれてありがとう」とでも言いたげな、確信犯の響きを孕んでいた。
沈黙が流れる。
だが、息苦しさはなかった。
むしろ、二人の間には、静かな思考の応酬が流れていた。
やがて、ヴィンセントがそっとカップを置いた。
「さすが、よく仕込まれている」
「恐れ多いですわ。――『ヴァンデの悪魔』にそう評価されるとは」
ヴィンセントは立ち上がり、もう一度だけリアナを見下ろした。
「次の相手が誰であっても、言葉は選ばれるといい」
「ええ、もちろん。それが、女の務めですから」
見上げた瞳は、静かに笑っていた。
けれど、その笑みに潜むものが何かを、ヴィンセントははっきりと理解していた。
――これは、王妃シルヴィアとは違う種類の女だ。
――己の美しさと知性を武器に、戦場に立つ覚悟をした女。
彼が外交使節としての任を果たし、注目を集める中、その妹、リアナ・フォン・グラディスが、静かにヴァロニア王宮の門をくぐった。
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上級賓客のための応接室。
王宮東翼の中でも、最も陽当たりのよい角部屋にそれはあった。
厚手の絨毯、金糸のカーテン、華やかな刺繍のソファと、ほどよい装飾が施された空間。
扉をノックすると、中からすぐに応答があった。
「お入りくださいませ」
低く柔らかな声だった。まだ少女のようにも聞こえたが、その調子には待つ者の余裕が滲んでいた。
ヴィンセント・フォン・ヘーンブルグは、静かに扉を開けた。
奥のソファに座っていたのは、翠の瞳を持つ若い娘。
金髪は丁寧にまとめられ、立ち上がると小柄な身体に仕立てのよいドレスがよく映えていた。
娘は会釈すると、まるで古くからの知人にするような穏やかな笑みを浮かべた。
「ようこそ。『魔女王陛下の剣』、ヴィンセント様」
その呼び名に、ヴィンセントの瞳がわずかに細められる。
「よくご存じで」
「ええ。勉強してきましたもの。貴方の名前は、ヴァンデの戦記にも残っております。――悪魔の如き元帥閣下と」
淡く微笑みながら、リアナはソファ前のティーテーブルに向かい、ひとつの銀のポットを持ち上げた。
「失礼ながら、今日は従者を下がらせております。ご無礼でなければ、わたくしがお茶をお淹れしても?」
「どうぞ」
紅茶の香りが、室内にほのかに満ちていく。
カップに注がれた琥珀の液体が、揺れる陽光を受けてきらめいた。
「お茶は、ただの潤滑油だと祖母に教わりました。交渉の場でこそ、香りと温度は大切です」
ヴィンセントは無言で椅子に腰を下ろす。
この娘は、ただの使節の妹ではない。やはり、王妃候補として送り込まれたのだ。
「貴女の滞在目的、正確に伺っても?」
リアナは微笑を崩さず、まっすぐにヴィンセントを見返した。
「兄の使節として来訪し、王妃陛下のご様子を見に参りました。もちろん、王宮の空気に触れることも学びのうちでございます」
「王妃の様子を?」
「はい。ヴァロニアの王家を支える女性として、どのような方かを理解すること。それは、炎派と氷派の未来にとって、必要な判断材料になります」
ヴィンセントはカップを持ち上げる手を止め、少しだけ身を乗り出す。
「陛下の王妃は、シルヴィア殿下お一人です。判断材料という言葉は、少々不躾では?」
リアナの瞳が、ほんの一瞬だけ笑みを失い、すぐに元の静けさを取り戻した。
「……失言でしたら、お詫びいたします」
だがその声音は謝罪のそれではなかった。
むしろ、「引っかかってくれてありがとう」とでも言いたげな、確信犯の響きを孕んでいた。
沈黙が流れる。
だが、息苦しさはなかった。
むしろ、二人の間には、静かな思考の応酬が流れていた。
やがて、ヴィンセントがそっとカップを置いた。
「さすが、よく仕込まれている」
「恐れ多いですわ。――『ヴァンデの悪魔』にそう評価されるとは」
ヴィンセントは立ち上がり、もう一度だけリアナを見下ろした。
「次の相手が誰であっても、言葉は選ばれるといい」
「ええ、もちろん。それが、女の務めですから」
見上げた瞳は、静かに笑っていた。
けれど、その笑みに潜むものが何かを、ヴィンセントははっきりと理解していた。
――これは、王妃シルヴィアとは違う種類の女だ。
――己の美しさと知性を武器に、戦場に立つ覚悟をした女。
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