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第五章 夜の海を揺蕩う舟のように
長い影
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陽が傾き、王宮の中庭に、金のような光が落ち始めていた。
その光を受けて、白い石畳や植え込みが、ほんのりとあたたかさを帯びて見える。
「……見えるか、ヴィンセント」
応接間の窓辺で、ギリアンが軽く顎をしゃくる。
その視線の先には、庭をゆっくりと歩いてくる二人の姿――
レオナール・フォン・グラディスと、その妹、リアナだった。
兄妹は、庭の縁にある小さな噴水の前に立ち、何やら静かに言葉を交わしている。
リアナは両手を前に組み、兄を見上げている。
兄に何か言われたようで、その目元はわずかに赤く見える。
レオナールは妹に何か言い聞かせるように、けれど優しげに頷いていた。
「あの妹、なかなかの目をしているな」
ヴィンセントが低く呟いた。
長い指先で窓の縁を軽く叩きながら、目を細める。
「この滞在で、兄だけでなく、妹もカードに加えるつもりだろう」
「そう……君が、気付かないわけないか」
ギリアンは静かに窓から目を逸らし、背後の地図机へと歩み寄った。
「グラディス家は、シーランドの中でも保守的な炎派にして、軍と繋がりが深い。成人後のレオナールの外交手腕は有名だが……、妹まで育てていたとは思わなかった」
「今回は、シルヴィア王妃に万が一があった時の備えとして送り込まれたんだろう」
「そのようだね」
ギリアンは短く答え、地図の端を指で押さえた。
「シルヴィアが、グラディス伯爵夫人に連絡を取ってしまったのが要因だけど、僕は彼女を責めるつもりはないよ。炎派のグラディス家が動き出して、向こうの氷の王家がどう動くのか見極めたいし」
ヴィンセントは黙ったまま、眉をびくりと動かした。
「君はどう思う? あの兄妹の間にあるものを」
「家族の愛情だ。歪みもなく、無垢な兄妹愛だ。但しリアナの目には、王妃を見つめるような嫉妬が、ほんの一瞬混じった気もするな」
「嫉妬か……」
「己の未熟への嫉妬、王妃への敬意、それが混ざっていた。あの年齢でそれが出せるなら侮れない」
ギリアンは頷いた。
「――だが、その未熟さこそが、まだ使える証だ。リアナには余地がある」
「王妃の座を脅かすつもりか?」
ヴィンセントの言葉は冷静だったが、その奥に微かな警告が含まれていた。
ギリアンは一瞬だけ笑った。
「まさか! シルヴィアの座は、今の僕にとって、唯一無二だ」
「ならば、なぜ妹を滞在させている」
「リアナは王妃の器ではない。だけど、才能はある。器とは、王と共に歩む覚悟のことだ。だが器でなくても、王妃の影として、内政に参加させることは出来る。現王妃が手の回らぬ裏方に、炎派を関与させる大義名分としてね」
ヴィンセントの瞳が鋭くなる。
「それは、王妃殿下に知らせるのか?」
「いや、その必要はない。これは、あくまで政の話だ。私情は交えないつもりでいる」
そう言って、ギリアンは中庭に再び目をやる。
レオナールが、妹の肩に手を置き、何か諭すように話していた。
リアナは、小さく頷いている。
「王妃殿下に知らせないのなら、それは試練になるぞ。君にとっても、王妃殿下にとっても」
「でも、いずれ分かるさ。リアナがこの王宮でどれほどの爪を隠しているか」
その言葉に、ヴィンセントは黙って目を細めた。
ギリアンは少し間を置いて、ぽつりと漏らす。
「それに……今は君の妹もいる。ラシェルには幸せになってほしかったから、本当は巻き込みたくはなかったんだけどな」
中庭に広がる夕日は、兄妹の影を長く引き伸ばしていた。
その長い影が、やがて王妃の足元に届く日が来るのか、それとも、光に溶けて消えるのか――それを知る者は、まだ誰もいなかった。
その光を受けて、白い石畳や植え込みが、ほんのりとあたたかさを帯びて見える。
「……見えるか、ヴィンセント」
応接間の窓辺で、ギリアンが軽く顎をしゃくる。
その視線の先には、庭をゆっくりと歩いてくる二人の姿――
レオナール・フォン・グラディスと、その妹、リアナだった。
兄妹は、庭の縁にある小さな噴水の前に立ち、何やら静かに言葉を交わしている。
リアナは両手を前に組み、兄を見上げている。
兄に何か言われたようで、その目元はわずかに赤く見える。
レオナールは妹に何か言い聞かせるように、けれど優しげに頷いていた。
「あの妹、なかなかの目をしているな」
ヴィンセントが低く呟いた。
長い指先で窓の縁を軽く叩きながら、目を細める。
「この滞在で、兄だけでなく、妹もカードに加えるつもりだろう」
「そう……君が、気付かないわけないか」
ギリアンは静かに窓から目を逸らし、背後の地図机へと歩み寄った。
「グラディス家は、シーランドの中でも保守的な炎派にして、軍と繋がりが深い。成人後のレオナールの外交手腕は有名だが……、妹まで育てていたとは思わなかった」
「今回は、シルヴィア王妃に万が一があった時の備えとして送り込まれたんだろう」
「そのようだね」
ギリアンは短く答え、地図の端を指で押さえた。
「シルヴィアが、グラディス伯爵夫人に連絡を取ってしまったのが要因だけど、僕は彼女を責めるつもりはないよ。炎派のグラディス家が動き出して、向こうの氷の王家がどう動くのか見極めたいし」
ヴィンセントは黙ったまま、眉をびくりと動かした。
「君はどう思う? あの兄妹の間にあるものを」
「家族の愛情だ。歪みもなく、無垢な兄妹愛だ。但しリアナの目には、王妃を見つめるような嫉妬が、ほんの一瞬混じった気もするな」
「嫉妬か……」
「己の未熟への嫉妬、王妃への敬意、それが混ざっていた。あの年齢でそれが出せるなら侮れない」
ギリアンは頷いた。
「――だが、その未熟さこそが、まだ使える証だ。リアナには余地がある」
「王妃の座を脅かすつもりか?」
ヴィンセントの言葉は冷静だったが、その奥に微かな警告が含まれていた。
ギリアンは一瞬だけ笑った。
「まさか! シルヴィアの座は、今の僕にとって、唯一無二だ」
「ならば、なぜ妹を滞在させている」
「リアナは王妃の器ではない。だけど、才能はある。器とは、王と共に歩む覚悟のことだ。だが器でなくても、王妃の影として、内政に参加させることは出来る。現王妃が手の回らぬ裏方に、炎派を関与させる大義名分としてね」
ヴィンセントの瞳が鋭くなる。
「それは、王妃殿下に知らせるのか?」
「いや、その必要はない。これは、あくまで政の話だ。私情は交えないつもりでいる」
そう言って、ギリアンは中庭に再び目をやる。
レオナールが、妹の肩に手を置き、何か諭すように話していた。
リアナは、小さく頷いている。
「王妃殿下に知らせないのなら、それは試練になるぞ。君にとっても、王妃殿下にとっても」
「でも、いずれ分かるさ。リアナがこの王宮でどれほどの爪を隠しているか」
その言葉に、ヴィンセントは黙って目を細めた。
ギリアンは少し間を置いて、ぽつりと漏らす。
「それに……今は君の妹もいる。ラシェルには幸せになってほしかったから、本当は巻き込みたくはなかったんだけどな」
中庭に広がる夕日は、兄妹の影を長く引き伸ばしていた。
その長い影が、やがて王妃の足元に届く日が来るのか、それとも、光に溶けて消えるのか――それを知る者は、まだ誰もいなかった。
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