【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第八章 王は王妃を寵愛している

あたたかい絆

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 夜の風はまだ冷たく、屋敷の石畳にも白い霜が降りていた。
 ホープは外套の襟を立てながら、廊下の先に見えたラシェルの姿に歩を早めた。

「ラシェル」
 ラシェルが振り返り、金の髪が肩のあたりで揺れた。

「やっと会えた……」
「ホープ様……あの、実は」

 その顔に微笑みは浮かんでいたが、何かを言い出しにくそうにしていた。

「今まで、ずっと、黙っていたんですけど……私、二週間も、月のものが遅れていて……。妊娠したかもしれない、って。不安で……」

 ホープは一瞬、瞠目する。
 その表情に驚きと、何か別の感情が同時に差す。

「……そうだったんだ」
「ごめんなさい……王妃様には、相談してしまいました。でも、ホープ様には言えなくて。あなたは王の忠臣だし、こんな話、してはいけないと思って……」

 ラシェルの声が細くなる。
 けれど、ホープは静かに頭を横に振った。

「君が黙っていたのは、正しい判断だと思う。立場があるし……怖かっただろう」

「……はい」
 少し頷いて、ラシェルは俯く。

 その肩に、そっと温もりが触れる。
 ホープが、躊躇いがちに手を置いていた。

「でも……一人で抱えさせて……ごめん」

 その言葉に、ラシェルの瞳が見開かれる。

「謝るのは、私の方です……」
「違うよ。君が苦しんでるって、気付いてあげられなかった」

 ホープの声は、優しく、どこか悔しげだった。

「……それで、その……赤ちゃんは……?」
「……出来ていませんでした」

 そう答えたラシェルの声には、ほっとしたような、ほんの少しだけ寂しげな色があった。

「そっか……」
 ホープは小さく息を吐いた。
 睫毛の下で、黒い瞳が揺れる。

 その表情は、安堵とも、複雑な寂しさともつかない、少し大人びた静けさだった。

「……でも、君が無事でよかった」

 ラシェルは、ふと顔を上げる。
 涙ぐんだ蒼い瞳に、蝋燭の柔らかな光が映る。

「ホープ様……」

 名前を呼ぶだけで、胸がいっぱいになる。
 今夜はそれ以上の言葉はいらなかった。

 ふたりの間に沈む沈黙は、不安ではなく、あたたかい絆のようなものだった。

 しばらくして、ホープは口を開いた。
 その声音は、少し震えていた。

「……あの時の事、謝らなきゃと思ってた。あの瞬間は、確かに幸せだったけど、それでも、王妃の侍女って立場の君を、大事にしなきゃいけないのに。王宮から離れて、気が緩んでた」

 ホープの黒い瞳が、真っ直ぐにラシェルを見ていた。

「君に、こんな不安を抱かせるくらいなら……ぼくは我慢できる。君のことが大切だから。だから……お互い、このまま役目を全うできるように、これからは、ちゃんと考えていこう」

 その言葉に、ラシェルの胸がじんと熱くなった。
 責めるでも、欲望を押しつけるでもない。
 ただ、自分の立場もラシェルの立場も大切にしたうえで、きちんと向き合おうとする姿勢が、痛いほど眩しかった。

「……ホープ様。……我慢、出来るんですか?」

 思わず口をついて出たのは、悪戯っぽい問いだった。
 ホープが目を見開いて、そして苦笑する。だが、迷いなく。

「……うん、出来るよ。と言うか、する。絶対に」

 そんなホープの顔を見て、ラシェルは小さく笑った。
 けれど、胸の奥に、あの夜の温もりが戻らないことへの、残念な想いが滲む。
 あの夜、優しくて、温かくて、確かに大切にされていることが嬉しかったのだから。

 でも。

「はい。私も、頑張ります」

 小さくそう言ったラシェルの頭に、ホープの手がふわりと伸びた。
 ゆっくりと、優しく撫でるように、何度も何度も指が髪を梳いていく。

 涙が、また浮かびそうになった。
 けれど今度は、悲しみではなく、胸いっぱいの安心の涙だった。
 ホープの決意が嬉しすぎるので、『魔女の薬』の事は、今は言わないでおこう。

「ごめんね。それに、ありがとう、ラシェル」
「こちらこそ……ありがとうございます」

 春を待つ夜の空の下、二人はしばらく黙ったまま、寄り添っていた。
 それは、同志のような、共に歩んでいこうとする強い意志の結びつきだった。
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