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第八章 王は王妃を寵愛している
王妃の特権
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秋の風が、色づき始めた木々の間を吹き抜けていく。
森沿いの街道を、二頭立ての馬車がゆるやかに揺れながら進んでいた。
王妃シルヴィアが、各地の修道院を訪ねるのは、今では月に一度の習慣となっていた。
きっかけは、子を望む月の試みに失敗した時――つまり、月のものが来てしまった時だった。
心が沈むのをただ受け入れるよりも、何か意味のある時間に変えたいと願ったのだ。
そんなシルヴィアの願いを知って、侍女のラシェルが、遠方の修道院への宿泊もすべて同行してくれている。
馬車の窓には、秋の陽射しに輝くススキが流れていく。
その車内で、シルヴィアとラシェルは、手元の聖典を覗き込むようにして座っていた。
「この壁画、こないだ訪ねた修道院にありましたよね」
「ええ。やっぱり順番に描かれているみたいね。東から西へ、天使の導きに従って巡る道……。ラシェルがヘーンブルグでもらってきたこの聖典、本当に貴重だわ」
「私、手書きの本しか見たことないので、その印刷された本が、真っ黒で……少し驚きました」
「そうなの。わたしもよ。印刷技術は、二百年前にヴァロニアで生まれた技術なんだって、陛下が教えてくれたわ」
そう言って、シルヴィアは絵の余白をなぞるように指を滑らせた。
「ねえ。この絵の描かれた修道院を全部、巡ってみたいと思わない?」
「はい、楽しそうですね!」
ラシェルは穏やかに頷いた。
「宿泊が必要な場所も、私、お供します。……外泊の許可も、頂いてますから」
その声に、シルヴィアは目を細めて笑った。
数日の遠出を伴う修道院巡りには、必ずラシェルが付き添っていた。
その間の政務は、リアナが代行してくれている。
ギリアンの許可も得ての、小さな旅だった。
「順番通りだと、この挿絵が、次の修道院の壁画に描かれていそうよね?」
ページをめくりながら、シルヴィアが楽しげに声を落とす。
「はい。そこは『試練の門』の場面があると聞いています」
挿絵には、巡礼の旅に出る男女が並んで描かれていた。
背後には天使と悪魔、それぞれの影が薄く差し込んでいる。
「……続きの壁画が、南部にもあるって言ってたわね」
「はい。でも、私がヘーンブルグのアレー村で見たものは、まだ最後じゃなかったと思うんです。国境までの巡礼の道にも、壁画は続いているのかもしれません」
そう聞いて、シルヴィアは一瞬だけ目を細める。
「多分、ヘーンブルグ領までは行けそうね。王の許可は下りたし」
「本当ですか?」
ラシェルの顔がぱっと明るくなる。
「ええ。今のところ、修道院巡りは王妃の信仰と評判されてるみたいなの。少しずつ、許される範囲も広がってきたわ。だから、ヘーンブルグには絶対に行かないと」
そう言いながら、シルヴィアはふと視線をラシェルに移す。
「……ラシェル。一緒に外泊までついてきてもらって、本当にありがとう」
ラシェルは首を横に振る。
「私、王妃様がどこへ行かれようと、お供します」
その声音は、決意を秘めながらも静かだった。
「……実は、私……あの時、もし本当に妊娠していたら、王妃様の傍にいられなくなるんだと、覚悟したんです」
それはもう、過去の出来事として語られた言葉だった。
それでも、ラシェルは膝の上で、指をきゅっと握りしめていた。
声には震えはなかったが、その胸中は明らかだった。
「でも、違いました。私の居場所は、まだ、王妃様の傍にある。なら、もう二度と……王妃様を一人にはしません。誰が離れても、私だけは、傍に居ます」
その言葉に、シルヴィアの瞳がわずかに揺れた。
「……ありがとう、ラシェル。わたしも、あなたが居てくれるのが、本当に嬉しいの」
そう言いながら、そっとラシェルの手を取る。
「実はね、この旅にはもう一つ、わたしだけの目的があるの」
ラシェルははっとして顔を上げる。
シルヴィアは、迷いのない眼差しでラシェルを見つめ返す。
「……もしも、このまま子を授かれないまま、年月が経ってしまったら。その時は、誰かの命を、わたしの手で受け入れたいと思ってるの」
「それは……養子を、お考えなのですか?」
「ええ。王妃として、王を支える者として、命を繋ぐという責任はあるわ。でも、それだけじゃないの……。『母』になりたいという気持ちは、わたし自身の願い。……ただ、陛下には、まだ話していなくて。……ちゃんと向き合って、話せる時が来たらって、思ってる」
言葉は静かだったが、その奥には確かな決意が宿っていた。
ラシェルは、少しだけ目を伏せて、静かに頷いた。
「……王妃様に抱かれるその子は、きっと幸せですね」
「ふふ。でも、あなたも、いつか、赤ちゃんを抱くかも」
そこまで言いかけたシルヴィアに、ラシェルは柔らかく笑って言った。
「いいえ! 私は、今後、子どもを持つつもりはありません。自分の未熟さが、誰かを傷つけるんだと、それが、あの時の不安だけで、もう十分すぎるほど分かりました。もう、失敗はしません」
それは、自らの傷に蓋をするような言葉だった。
けれど、そこに滲んでいたのは絶望ではなく、静かな覚悟だった。
「失敗なんかしていないでしょ? ホープ様との絆が深まったじゃない。それに、もし、あの時本当に妊娠してたのなら、その子、わたしが引き取ってたかもね? 王妃の特権ってやつで」
ラシェルは一瞬きょとんとして、次の瞬間、思わず吹き出した。
「……もう! シルヴィア様は、本気でそうしそうです」
「本気よ?」
「冗談でいてください……」
シルヴィアは、微笑んだ。
親友のおかげで、心の奥に黒く淀んでいた想いは昇華されていく。
そして、優しくラシェルの手を握る力を少しだけ強くした。
馬車は小さな橋を越え、修道院の尖塔が、遠くにその影を現しはじめていた。
森沿いの街道を、二頭立ての馬車がゆるやかに揺れながら進んでいた。
王妃シルヴィアが、各地の修道院を訪ねるのは、今では月に一度の習慣となっていた。
きっかけは、子を望む月の試みに失敗した時――つまり、月のものが来てしまった時だった。
心が沈むのをただ受け入れるよりも、何か意味のある時間に変えたいと願ったのだ。
そんなシルヴィアの願いを知って、侍女のラシェルが、遠方の修道院への宿泊もすべて同行してくれている。
馬車の窓には、秋の陽射しに輝くススキが流れていく。
その車内で、シルヴィアとラシェルは、手元の聖典を覗き込むようにして座っていた。
「この壁画、こないだ訪ねた修道院にありましたよね」
「ええ。やっぱり順番に描かれているみたいね。東から西へ、天使の導きに従って巡る道……。ラシェルがヘーンブルグでもらってきたこの聖典、本当に貴重だわ」
「私、手書きの本しか見たことないので、その印刷された本が、真っ黒で……少し驚きました」
「そうなの。わたしもよ。印刷技術は、二百年前にヴァロニアで生まれた技術なんだって、陛下が教えてくれたわ」
そう言って、シルヴィアは絵の余白をなぞるように指を滑らせた。
「ねえ。この絵の描かれた修道院を全部、巡ってみたいと思わない?」
「はい、楽しそうですね!」
ラシェルは穏やかに頷いた。
「宿泊が必要な場所も、私、お供します。……外泊の許可も、頂いてますから」
その声に、シルヴィアは目を細めて笑った。
数日の遠出を伴う修道院巡りには、必ずラシェルが付き添っていた。
その間の政務は、リアナが代行してくれている。
ギリアンの許可も得ての、小さな旅だった。
「順番通りだと、この挿絵が、次の修道院の壁画に描かれていそうよね?」
ページをめくりながら、シルヴィアが楽しげに声を落とす。
「はい。そこは『試練の門』の場面があると聞いています」
挿絵には、巡礼の旅に出る男女が並んで描かれていた。
背後には天使と悪魔、それぞれの影が薄く差し込んでいる。
「……続きの壁画が、南部にもあるって言ってたわね」
「はい。でも、私がヘーンブルグのアレー村で見たものは、まだ最後じゃなかったと思うんです。国境までの巡礼の道にも、壁画は続いているのかもしれません」
そう聞いて、シルヴィアは一瞬だけ目を細める。
「多分、ヘーンブルグ領までは行けそうね。王の許可は下りたし」
「本当ですか?」
ラシェルの顔がぱっと明るくなる。
「ええ。今のところ、修道院巡りは王妃の信仰と評判されてるみたいなの。少しずつ、許される範囲も広がってきたわ。だから、ヘーンブルグには絶対に行かないと」
そう言いながら、シルヴィアはふと視線をラシェルに移す。
「……ラシェル。一緒に外泊までついてきてもらって、本当にありがとう」
ラシェルは首を横に振る。
「私、王妃様がどこへ行かれようと、お供します」
その声音は、決意を秘めながらも静かだった。
「……実は、私……あの時、もし本当に妊娠していたら、王妃様の傍にいられなくなるんだと、覚悟したんです」
それはもう、過去の出来事として語られた言葉だった。
それでも、ラシェルは膝の上で、指をきゅっと握りしめていた。
声には震えはなかったが、その胸中は明らかだった。
「でも、違いました。私の居場所は、まだ、王妃様の傍にある。なら、もう二度と……王妃様を一人にはしません。誰が離れても、私だけは、傍に居ます」
その言葉に、シルヴィアの瞳がわずかに揺れた。
「……ありがとう、ラシェル。わたしも、あなたが居てくれるのが、本当に嬉しいの」
そう言いながら、そっとラシェルの手を取る。
「実はね、この旅にはもう一つ、わたしだけの目的があるの」
ラシェルははっとして顔を上げる。
シルヴィアは、迷いのない眼差しでラシェルを見つめ返す。
「……もしも、このまま子を授かれないまま、年月が経ってしまったら。その時は、誰かの命を、わたしの手で受け入れたいと思ってるの」
「それは……養子を、お考えなのですか?」
「ええ。王妃として、王を支える者として、命を繋ぐという責任はあるわ。でも、それだけじゃないの……。『母』になりたいという気持ちは、わたし自身の願い。……ただ、陛下には、まだ話していなくて。……ちゃんと向き合って、話せる時が来たらって、思ってる」
言葉は静かだったが、その奥には確かな決意が宿っていた。
ラシェルは、少しだけ目を伏せて、静かに頷いた。
「……王妃様に抱かれるその子は、きっと幸せですね」
「ふふ。でも、あなたも、いつか、赤ちゃんを抱くかも」
そこまで言いかけたシルヴィアに、ラシェルは柔らかく笑って言った。
「いいえ! 私は、今後、子どもを持つつもりはありません。自分の未熟さが、誰かを傷つけるんだと、それが、あの時の不安だけで、もう十分すぎるほど分かりました。もう、失敗はしません」
それは、自らの傷に蓋をするような言葉だった。
けれど、そこに滲んでいたのは絶望ではなく、静かな覚悟だった。
「失敗なんかしていないでしょ? ホープ様との絆が深まったじゃない。それに、もし、あの時本当に妊娠してたのなら、その子、わたしが引き取ってたかもね? 王妃の特権ってやつで」
ラシェルは一瞬きょとんとして、次の瞬間、思わず吹き出した。
「……もう! シルヴィア様は、本気でそうしそうです」
「本気よ?」
「冗談でいてください……」
シルヴィアは、微笑んだ。
親友のおかげで、心の奥に黒く淀んでいた想いは昇華されていく。
そして、優しくラシェルの手を握る力を少しだけ強くした。
馬車は小さな橋を越え、修道院の尖塔が、遠くにその影を現しはじめていた。
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