【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第八章 王は王妃を寵愛している

Three Mothers and a Queen

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 また年の瀬が近づき、シーランド各地でも、年末の市場は大変賑わっていた。
 
 日が暮れ始め、門限まであと僅か。
 【薔薇の館】の裏門に駆け込んだベナは、ほっと息をついた。
 冷たい夜風に頬を赤らめながら外套を整えていると、すぐ傍で扉がきぃと開く。

「ベナ様。門限ぎりぎりです。お気をつけくださいませ」

 監視役の女官が、いつもの冷ややかな声で出迎えた。
 が、どこか心配する気配も含まれているのが、最近の彼女らしい。

「ごめんなさい。今年も、あの甘口ワイン、市場では見つけられなかったの」
 ベナは少し残念そうに肩を落とす。

 そんなやりとりの後――
 回廊を抜け、小さな応接間に入ると、すでに重たいカーテンは引かれ、古びた燭台に淡い光が灯っていた。

 中央のローテーブルの上には、見慣れぬワインの瓶が一本。

「あら? セラフィナ、これは?」
「王宮御用達のモンタルヴァンです。私が、オスカー殿下にお願いして、譲っていただきました」

 セラフィナと呼ばれた女官の言葉に、ベナは思わず目を見張る。
 その名前は、ヴァロニアでも高貴な客人にのみ供された通好みの銘柄だった。

 しかし、ベナは銘柄を聞いたところで、その価値はわからなかった。

「オスカーめ、……あの男、何か下心でも?」

 部屋の中央のソファーにゆったりと座る、この部屋の主の声。
 その声音には、微かな皮肉と警戒が混ざっていた。

「もちろん、毒味は私がいたします」

 緊張した面持ちで、セラフィナは三つの盃に赤を注いだ。

「あなたと一緒に、また飲みたかったの。市場では見つけられなかったから、嬉しいわ」
「そなた、すっかり信仰を捨ててしまったのだな」

 主が薄く微笑み、ベナが目を細める。
 ベナはもともと異教徒の娘だ。生涯飲酒を禁じる宗派だった。

 そんな二人の前で、セラフィナは一番に杯に口をつけた。

「まぁ、とても良い香り……ワインって色も綺麗なのですね。初めて飲んだので、お味はよくわかりませんが、喉がすごく熱くなるのですね」

 セラフィナが毒味も終えると、三人は盃を掲げ、音もなく乾杯した。

「これは、モンタルヴァンだ。渋みのある、いかにも通好みの味だ」
 主が一口含み、そう呟く。

「……渋っ」

 口に含んだベナが、美しい眉を寄せてぽつりとこぼす。
 その様子を見て、主はあははと笑った。

「そなたが好んで飲んでたいのは、サント・リセールという甘口だ。あれは、ここでは手に入らない」

「……ベナ様は、甘口がお好みでしたか?」
「……そうね。わたくしは、甘い方が好きよ……」

 二人の会話を聞きながら、主は懐かしむように盃を揺らす。

「このモンタルヴァンは、火にかけて煮立たせると、渋みと酸味が飛ぶ。そうすれば、驚くほど甘くなる。幼い頃は、母がそれに薬を溶かして、病気の時によく飲まされた」

「ふふっ……素敵ななのね」

 盃をテーブルに置きながら、ベナが微笑む。
 主はふと、少しだけ眼差しを伏せた。

「どうだか。あの人は、【黒】のギリアンの方を可愛がっていたからな。私の味方ではなかった」

 場が一瞬、静かになった。
 しかし、その空気はベナによってすぐ破られた。

「そ? あなたが気に入っていたのに奪われちゃった黒いネックレス、からのプレゼントだって言ってたから、似たようなものを探していたんだけど」

 主は軽く目を見開くと、その後微笑んだ。

「セラフィナ。この子の為に、このワインを沸かして、甘口にしてやってくれるか?」
「あら! 嬉しい!」

 ベナは、美しい顔をさらに美しくほころばせる。

「承知いたしました」
 セラフィナは、そう言って赤らんだ顔で、ふらついたように瓶を手に取る。

「あらら、なんだか……頭がふわふわします……」

 ベナが慣れた手つきで、セラフィナの身体を支えた。

「あなた、飲み過ぎない方が良いわ。オスカーに、何か吹きこぼしたら大変だし」
「だ、大丈夫です……オスカー殿下は……」

 その名に、セラフィナが笑った。

「相変わらず、奥様とは冷えてらっしゃるみたいで……」
「もう。心配だわ。さあ、水をお飲みなさい」

 ベナが慣れた調子で、セラフィナに水差しを押し付けた。


 その様子を、主は盃を持ったまま、目を細めて眺めていた。
 そして、盃の底を見つめる。
 渋くて、苦くて、それでもどこか火照るような、この『赤』。

「このワインが私だとしたら……『炎』にかければ、……甘くなるのか?」

 主の呟きを、その横顔を見つめながら、ベナは静かに聞いていた。
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