【完結】氷の王と炎の王妃

藤井 紫

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第八章 王は王妃を寵愛している

祈りよりも、価値あるもの

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 柔らかな陽が射し込む政庁の執務室。
 書類を束ね終えたギリアンが、背もたれに深く身体を預けたそのとき、扉が静かに叩かれた。

 入ってきたのは、シルヴィアだった。
 その手には、封蝋を解かれた書簡が一通。

「視察の件で、お伝えしたいことがあって……少し、よろしいですか」

 ギリアンは軽く頷き、机の上を片付けながら椅子を勧めた。
 王の顔を崩さないように努めるが、どこか表情が緩んでしまいそうになる。

「どうぞ。……何かあった?」

 シルヴィアは腰を下ろし、手紙を差し出した。

「ツンゲン領という、南の山間にある修道院から、わたし宛に書簡が届いたんです。……葡萄の産地として知られている場所のようなんですけど……」

「葡萄とワインの修道院か。春の蔵出しへの、お誘いか何かですか?」

 ギリアンが手紙を受け取り、ざっと目を通す。
 その文面の末尾に、ふと視線が留まる。

「……孤児が増えている、と読めますね。支援が減り、手が回らないと」

「はい。はっきりとは書かれていませんけれど、何とかしてほしいという想いは、伝わってきました」
「農園を併設しているのなら、働く場所は十分あるはずだ。それなら、人手が必要なはずなのに?」

「そうなんです……。だから、余計に気になってしまって……」
「……なるほど」

「次の地方巡察に、ツンゲン領を組み入れても良いですか? もともと候補地には挙がっていましたし、行程を調整すれば問題はありません。同行者として、ラシェルにも動いてもらうつもりです」

 ギリアンは一瞬、考えるように目を伏せた後、シルヴィアを見つめた。

「……少し、遠くないですか?」

 言い方に棘はない。
 むしろ、どこか心配するような声音だった。

「あの日までには帰ってこれるように調整します」
 月に一度の、のことだ。
「あ、いや、……無理はしなくていい。君の身の安全が一番だ」

 シルヴィアはその言葉を受け止め、やわらかく微笑んだ。

「今までは、修道院へ赴くのは祈りのため、静養のためでした。……でも今、こうして民の側から求められて足を運ぶのです。わたしでヴァロニアの為に役に立てることがあるのなら、むしろ有難いです」

「……求められて、か。……僕にも、同じような経験があります」

「王妃という役目を通して、少しでも手を差し伸べられるなら。それはきっと、天使への祈りよりも価値があると思いませんか?」

 ギリアンは、シルヴィアの瞳の奥に揺るがない光が見えた。
 王妃であることに、飾りではない意志を宿したまなざし。
 そして、以前、ギリアンが『天使も悪魔も信じていない』と言ったことを、受け入れてくれている慈愛。

 ギリアンは目を伏せ、静かに頷いた。

「……わかった。視察として正式に認めよう。同行する騎士団を、僕の方で手配しておこう」

「ありがとうございます。……そういえば、新年に酒蔵が随分空いたと聞きましたので、今年の初蔵出しものを購入するのはどうでしょう?」

「……そうだな。王妃の視察という形なら、口を挟まれることもないだろう」

 そして、静かに言葉を続けた。

「必要なことがあれば、遠慮なく僕に命じてほしい」

 小さな笑みとともに立ち上がったシルヴィアは、手紙を机に置いたまま、軽く礼をした。
 その背を見送りながら、ギリアンはしばし書簡に視線を落とす。

 『らが増えている』──その一文が、妙に重く見えた。
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