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第九章 わたしは、あなたの子どもを、望んでいます
誰にも告げず
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夜の王宮。
政庁棟にほど近い執務室には、蝋燭の火がゆらめき、温められた赤ワインの香りが満ちていた。
香草と果実の香りが絡み合い、ほのかに甘く、どこか懐かしい。
ギリアン・フォン・ヴァロアは机に腰をかけ、陶器の杯を揺らしていた。
ゆっくりと回る深紅の液体に、思い出の影がよぎる。
「……やっぱり、甘い酒はどうも苦手だな」
呟くように零した声に、扉の向こうから柔らかな気配が近づく。
月のお務めの夜。王妃シルヴィアが、静かに部屋に足を踏み入れた。
「……ギリアン様? 中々来られないので、随分遅くまでお仕事だと思ったら。お酒を飲まれていたんですね」
「君を待っていたんだ。良ければ一緒にどうだい」
「……わたしに合わせて、甘い方のワインですか?」
くすっと笑いながら、シルヴィアは小さく頷き、対面の長椅子に腰を下ろした。
ギリアンは杯を満たし、一口を含む。
「教えられた通り、一度沸かしてみた。……確かに、甘くなった。だけど、やっぱり、甘いものは、どうも苦手だな」
シルヴィアが少し驚いたように笑う。
「でも、とても美味しいですよ? ……もしかして、何か、苦い思い出でも?」
「うん……この風味は、何故か良い記憶がないな。風邪を引いた時に、母が飲ませてくれた果実水の味だ。薬草が入っていたのかもしれないな」
「イザベラ様……きっと、心配だったんですね。少しでも早く良くなるようにって」
その笑顔に、ギリアンの胸に優しい波紋が広がる。
ギリアンはふと手元の杯に目を落とし、さりげなく懐から、小瓶を取り出した。
漆黒の小瓶――『黒曜の蜜』。
誰にも告げず、ただ一人で選ぶということ。
それは、赦しではなく、決意の証。
ギリアンは静かに小瓶の中身を、一滴だけワインへと垂らす。
微かな香りと共に、記憶の中の恐れが――今、静かに消えていく。
ごくりと飲み干したその直後。
「……何をしてるんですか?」
不意に、向かいから首を傾げる声。
ギリアンはわざとらしく表情を崩さず、軽く笑ってみせた。
「リアナが『夜薔薇の滴』を、あらためて調合してくれてね。……今夜、早速使ってみようかと思って」
「――!」
それだけで、シルヴィアの顔がみるみるうちに染まっていく。
「そ、そういう事は……もっと、こう……前もって、言ってくだされば……! 心の準備と言うか……」
恥じらいと驚きに目を伏せる様子は、王妃の威厳もどこかへ消えていた。
耳まで染めながら、膝の上で手を握りしめている。
その表情は怒っているのではなく、ただひたすらに恥ずかしさに戸惑う、恋する少女のようだ。
けれど、その照れ隠しの奥に浮かぶ想いは、確かなものだった。
「でも……、わたしも……その……今夜は、望んでいますから……」
ギリアンはシルヴィアの隣に移動し、手でそっとシルヴィアの指先を包む。
その時、ふっと、春の庭のように甘く切ない香りが鼻腔を擽る。
「……良い香りだな」
そう言ってシルヴィアの首元に鼻を近づける。
その香りは、初夜にシルヴィアが纏っていた香りだった。
「……この香り、モンドメーヌ修道院のシスターの、手作りの香油なんです。気に入ったので、個人的に分けて頂きました」
ギリアンは、深く息を吸ってから、静かに囁いた。
「じゃあ……後は二人で、奇跡に賭けてみよう」
窓の外、夜空には月が静かに輝いていた。
政庁棟にほど近い執務室には、蝋燭の火がゆらめき、温められた赤ワインの香りが満ちていた。
香草と果実の香りが絡み合い、ほのかに甘く、どこか懐かしい。
ギリアン・フォン・ヴァロアは机に腰をかけ、陶器の杯を揺らしていた。
ゆっくりと回る深紅の液体に、思い出の影がよぎる。
「……やっぱり、甘い酒はどうも苦手だな」
呟くように零した声に、扉の向こうから柔らかな気配が近づく。
月のお務めの夜。王妃シルヴィアが、静かに部屋に足を踏み入れた。
「……ギリアン様? 中々来られないので、随分遅くまでお仕事だと思ったら。お酒を飲まれていたんですね」
「君を待っていたんだ。良ければ一緒にどうだい」
「……わたしに合わせて、甘い方のワインですか?」
くすっと笑いながら、シルヴィアは小さく頷き、対面の長椅子に腰を下ろした。
ギリアンは杯を満たし、一口を含む。
「教えられた通り、一度沸かしてみた。……確かに、甘くなった。だけど、やっぱり、甘いものは、どうも苦手だな」
シルヴィアが少し驚いたように笑う。
「でも、とても美味しいですよ? ……もしかして、何か、苦い思い出でも?」
「うん……この風味は、何故か良い記憶がないな。風邪を引いた時に、母が飲ませてくれた果実水の味だ。薬草が入っていたのかもしれないな」
「イザベラ様……きっと、心配だったんですね。少しでも早く良くなるようにって」
その笑顔に、ギリアンの胸に優しい波紋が広がる。
ギリアンはふと手元の杯に目を落とし、さりげなく懐から、小瓶を取り出した。
漆黒の小瓶――『黒曜の蜜』。
誰にも告げず、ただ一人で選ぶということ。
それは、赦しではなく、決意の証。
ギリアンは静かに小瓶の中身を、一滴だけワインへと垂らす。
微かな香りと共に、記憶の中の恐れが――今、静かに消えていく。
ごくりと飲み干したその直後。
「……何をしてるんですか?」
不意に、向かいから首を傾げる声。
ギリアンはわざとらしく表情を崩さず、軽く笑ってみせた。
「リアナが『夜薔薇の滴』を、あらためて調合してくれてね。……今夜、早速使ってみようかと思って」
「――!」
それだけで、シルヴィアの顔がみるみるうちに染まっていく。
「そ、そういう事は……もっと、こう……前もって、言ってくだされば……! 心の準備と言うか……」
恥じらいと驚きに目を伏せる様子は、王妃の威厳もどこかへ消えていた。
耳まで染めながら、膝の上で手を握りしめている。
その表情は怒っているのではなく、ただひたすらに恥ずかしさに戸惑う、恋する少女のようだ。
けれど、その照れ隠しの奥に浮かぶ想いは、確かなものだった。
「でも……、わたしも……その……今夜は、望んでいますから……」
ギリアンはシルヴィアの隣に移動し、手でそっとシルヴィアの指先を包む。
その時、ふっと、春の庭のように甘く切ない香りが鼻腔を擽る。
「……良い香りだな」
そう言ってシルヴィアの首元に鼻を近づける。
その香りは、初夜にシルヴィアが纏っていた香りだった。
「……この香り、モンドメーヌ修道院のシスターの、手作りの香油なんです。気に入ったので、個人的に分けて頂きました」
ギリアンは、深く息を吸ってから、静かに囁いた。
「じゃあ……後は二人で、奇跡に賭けてみよう」
窓の外、夜空には月が静かに輝いていた。
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