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後日譚 王の側近と王妃の侍女
穏やかな日常*
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秋の風が吹くヘーンブルグの朝。
山の匂いと干し草の香りが混ざった、どこか懐かしい空気の中で、ホープとラシェルは村の奥へと歩いていた。
「母さんの話では、この先の坂を上がったところの家、今、空き家になってるらしいんだ」
「……空き家? 改装して宿屋に出来そうならいいですよね」
ラシェルの声には、意外なほどの前向きさが滲んでいた。
旅装も脱ぎ捨て、地元で仕立てたシンプルな服に身を包んだラシェルは、村の風景に馴染みつつあった。
しかし、醸し出すオーラが村人とは明らかに違う。
フードで金髪を隠しても、立ち居振る舞いや姿勢から育ちの良さがにじみ出ていた。通り過ぎる人々の目はちらちらと二人を追って、物珍しげにホープに声を掛けていた。
「ここかな」
ホープが立ち止まったのは、少し傾いた木製の門の前だった。
低い石垣に囲まれた敷地に、二階建ての大きな木造家屋が建っている。今は使われていないらしく、屋根には苔が這い、蔦が軒先に伸びていた。
だが、骨組みはしっかりしており、元は何かの店だったのか、玄関口の石段や、裏庭に続く道などに、かつての名残が残っていた。
「わぁ! 良いですね! 改装は必要だけど、広さも十分です。玄関前に馬車も停められそう」
「田舎で土地だけは広いから、馬車って発想はなかったな。……流石だね」
ラシェルは、真剣な眼差しで窓や土台の様子を見て回る。ホープはそれを後ろで見守りながら、内心ほんの少し驚いていた。
(まさか、ラシェルがこんなにやる気になるなんて……)
「ねえ、ホープ。井戸は、家の裏にあるって言ってた?」
「うん、井戸も枯れてないって。修理すれば使えるはず。母さんの知り合いの大工に聞いてみるよ」
「うん、お願い」
「……ラシェル、こんな田舎生活だけど、本当に、大丈夫?」
ホープが少し心配を滲ませるが、ラシェルは楽しそうだった。
「……大丈夫どころか、すごく楽しみで、自分でも驚いてる。でも、侍女になった時に、陛下に『君ならどこででもやっていけるだろう』って言われたの。私、前からそんな感じだったのかもしれない」
秋の陽射しの下で、ラシェルは、自分の新しい人生の始まりを感じていた。
「ラシェル」
ホープは少しだけ真顔になって、ラシェルの手を取った。
「……ぼくか君か、どちらかが死ぬまで、傍にいると誓うよ。ここを君の居場所にする。君と、子どもと……家族として」
それは、アレー村での結婚を誓う聖句だったが、ラシェルは気付いていなかった。
「……何処だろうと、あなたが、私の居場所よ」
ラシェルはそっと頷いたが、「あら。これ、前も言った気がする」と笑った。
* * * * *
改修予定の家を決めたホープとラシェルは、早速、村の人々と顔を合わせる時間を増やすようになった。
最初は、ホープの母親と一緒に朝の寄り合いへ行くところから始まった。
教会の近くにある、小さな広場には、毎朝農作物や手作りの乳製品を持ち寄る村人たちが集まっている。
「ほらホープ、あんたの奥さん連れておいでなさい!」
そう声をかけたのは、昔からホープを知っている農家のおばさん。
その声に振り返ると、籠いっぱいに秋野菜を積んだ荷車が目に入る。
「うちの娘、奥さんの髪を真似したいって言われたわよ」
ラシェルは村人の人懐こさに戸惑いながらも笑顔を見せ、そっとお辞儀をする。
そしてホープは、代わりに野菜をいくつか買って母の籠に入れながら、昔の顔見知りたちに次々と挨拶していく。
午後になると、教会での勉強を終えた子どもたちが、ラシェルを囲んでいた。
「ねえねえ、お姫さま。お城には王子さまはいたの?」
「うん、いますよ……とーっても、可愛い、黒髪の王子様が」
「黒かみ!? 王子さまなのに、かわいいの?」
「ええ。エリクス王子は、まだ一歳なんです」
ラシェルは、子どもたちの質問攻めに微笑みながら答える。
しかし、同時に、この村にはなかなか情報が届かないという事実に気付かされた。
その様子を少し離れた日陰で見ていたホープは、隣に立っていた青年に話しかけられる。
「ラシェルさんって、意外と馴染んでるなぁ。貴族って、もっと高飛車なのかと思ってたよ」
「うん、ラシェルは、前にも村に来たことあるからかな? でも、ぼくが知ってる騎士団の仲間とかも、そんなに変わらないよ。酒飲んで、馬鹿騒ぎするとことか一緒だよ」
「……へぇー。春のお祭りのみたいな感じなのかな。そういや、うちの結婚式の後に、皆が俺の歓迎の祭りまでしてくれてさ、村中大騒ぎで、あの雰囲気は確かに楽しいな。この村って、皆家族みたいだよね」
青年――ルネは隣町からアレー村に婿入りしてきたらしい。ホープの話を笑って聞いていたが、麦わら帽をかぶり直して、妻の実家の畑仕事に戻っていった。
ホープは手を振って、その背中を見送った。
夕方、ラシェルは実家の裏手で、ホープの母と一緒にハーブを摘む。
こうして、村人たちの間に少しずつ馴染んでいくラシェルと、ラシェルの隣で静かに見守るホープの姿が、徐々に日常の風景になっていった。
* * * * *
夜の帳が下りると、風が少しだけ冷たくなった。
家の外では虫の音が響いている。
小さなランタンの灯りのもと、寝台の上でホープはそっとラシェルの髪を梳いていた。
ラシェルはホープの膝に頭を預け、うとうととしながら、満たされたような顔をしている。
「……今日は、動きすぎなかった?」
「うん、大丈夫よ。無理しすぎないように、お母様が気を遣ってくれてるの。……でも、背中はちょっと張ってるかも」
そう言ったラシェルの言葉に、ホープはすぐに姿勢を変え、ラシェルの背中を優しくさする。
温もりをこめるように、ゆっくりと。
「……気持ちいい。……ホープの手、温かい」
ホープの掌が優しく撫でるたびに、くすぐったいのに、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「お疲れ様、ラシェル」
その言葉に、ラシェルは小さく笑って、寝返りを打つようにホープの方へ体を向けた。
夜着の裾から、すべすべとした太ももがのぞく。
まだお腹は目立たない。けれど、そこには確かにふたりの子が宿っている。
「ラシェル……少しだけ、触れてもいい?」
ホープの問いに、ラシェルは黙って頷いた。
その唇が、額に、頬に、鎖骨に――
まるで愛しさを少しずつ確かめるように、ゆっくりと降りていく。
ラシェルも、ホープの背をそっと撫で返す。
ホープの指が肌をなぞると、そこから熱が広がっていき、呼吸の音も肌に触れるように感じられた。
ふたりの指先が交わり、手を繋ぐ。
「……赤ちゃん、聞いてないかな……? ちょっと、恥ずかしいかも……」
「きっと、聞いてる。……君を愛してるって、伝わればいいな」
肌に触れるのは、ただの欲じゃない。
重ねた日々と、これから生まれてくる命への祝福――そんな優しさが満ちていた。
そのまま、ふたりは、そっと寝台に身を預け合う。
交わるよりも、寄り添う。
深くキスをしながら、心が重なる時間。
熱を帯びた吐息と、低く囁く声。
妊娠中のラシェルを思って、ホープは慎重に、けれど確かに愛を注ぐ。
ラシェルは目を閉じながら、そっと呟く。
「……ホープ……私、幸せよ。あなたに触れられるのが好き」
額を重ね、指を絡め、暫くそうしていた。
ふたりの間に流れる温度は、優しく、どこまでも甘やかだった。
山の匂いと干し草の香りが混ざった、どこか懐かしい空気の中で、ホープとラシェルは村の奥へと歩いていた。
「母さんの話では、この先の坂を上がったところの家、今、空き家になってるらしいんだ」
「……空き家? 改装して宿屋に出来そうならいいですよね」
ラシェルの声には、意外なほどの前向きさが滲んでいた。
旅装も脱ぎ捨て、地元で仕立てたシンプルな服に身を包んだラシェルは、村の風景に馴染みつつあった。
しかし、醸し出すオーラが村人とは明らかに違う。
フードで金髪を隠しても、立ち居振る舞いや姿勢から育ちの良さがにじみ出ていた。通り過ぎる人々の目はちらちらと二人を追って、物珍しげにホープに声を掛けていた。
「ここかな」
ホープが立ち止まったのは、少し傾いた木製の門の前だった。
低い石垣に囲まれた敷地に、二階建ての大きな木造家屋が建っている。今は使われていないらしく、屋根には苔が這い、蔦が軒先に伸びていた。
だが、骨組みはしっかりしており、元は何かの店だったのか、玄関口の石段や、裏庭に続く道などに、かつての名残が残っていた。
「わぁ! 良いですね! 改装は必要だけど、広さも十分です。玄関前に馬車も停められそう」
「田舎で土地だけは広いから、馬車って発想はなかったな。……流石だね」
ラシェルは、真剣な眼差しで窓や土台の様子を見て回る。ホープはそれを後ろで見守りながら、内心ほんの少し驚いていた。
(まさか、ラシェルがこんなにやる気になるなんて……)
「ねえ、ホープ。井戸は、家の裏にあるって言ってた?」
「うん、井戸も枯れてないって。修理すれば使えるはず。母さんの知り合いの大工に聞いてみるよ」
「うん、お願い」
「……ラシェル、こんな田舎生活だけど、本当に、大丈夫?」
ホープが少し心配を滲ませるが、ラシェルは楽しそうだった。
「……大丈夫どころか、すごく楽しみで、自分でも驚いてる。でも、侍女になった時に、陛下に『君ならどこででもやっていけるだろう』って言われたの。私、前からそんな感じだったのかもしれない」
秋の陽射しの下で、ラシェルは、自分の新しい人生の始まりを感じていた。
「ラシェル」
ホープは少しだけ真顔になって、ラシェルの手を取った。
「……ぼくか君か、どちらかが死ぬまで、傍にいると誓うよ。ここを君の居場所にする。君と、子どもと……家族として」
それは、アレー村での結婚を誓う聖句だったが、ラシェルは気付いていなかった。
「……何処だろうと、あなたが、私の居場所よ」
ラシェルはそっと頷いたが、「あら。これ、前も言った気がする」と笑った。
* * * * *
改修予定の家を決めたホープとラシェルは、早速、村の人々と顔を合わせる時間を増やすようになった。
最初は、ホープの母親と一緒に朝の寄り合いへ行くところから始まった。
教会の近くにある、小さな広場には、毎朝農作物や手作りの乳製品を持ち寄る村人たちが集まっている。
「ほらホープ、あんたの奥さん連れておいでなさい!」
そう声をかけたのは、昔からホープを知っている農家のおばさん。
その声に振り返ると、籠いっぱいに秋野菜を積んだ荷車が目に入る。
「うちの娘、奥さんの髪を真似したいって言われたわよ」
ラシェルは村人の人懐こさに戸惑いながらも笑顔を見せ、そっとお辞儀をする。
そしてホープは、代わりに野菜をいくつか買って母の籠に入れながら、昔の顔見知りたちに次々と挨拶していく。
午後になると、教会での勉強を終えた子どもたちが、ラシェルを囲んでいた。
「ねえねえ、お姫さま。お城には王子さまはいたの?」
「うん、いますよ……とーっても、可愛い、黒髪の王子様が」
「黒かみ!? 王子さまなのに、かわいいの?」
「ええ。エリクス王子は、まだ一歳なんです」
ラシェルは、子どもたちの質問攻めに微笑みながら答える。
しかし、同時に、この村にはなかなか情報が届かないという事実に気付かされた。
その様子を少し離れた日陰で見ていたホープは、隣に立っていた青年に話しかけられる。
「ラシェルさんって、意外と馴染んでるなぁ。貴族って、もっと高飛車なのかと思ってたよ」
「うん、ラシェルは、前にも村に来たことあるからかな? でも、ぼくが知ってる騎士団の仲間とかも、そんなに変わらないよ。酒飲んで、馬鹿騒ぎするとことか一緒だよ」
「……へぇー。春のお祭りのみたいな感じなのかな。そういや、うちの結婚式の後に、皆が俺の歓迎の祭りまでしてくれてさ、村中大騒ぎで、あの雰囲気は確かに楽しいな。この村って、皆家族みたいだよね」
青年――ルネは隣町からアレー村に婿入りしてきたらしい。ホープの話を笑って聞いていたが、麦わら帽をかぶり直して、妻の実家の畑仕事に戻っていった。
ホープは手を振って、その背中を見送った。
夕方、ラシェルは実家の裏手で、ホープの母と一緒にハーブを摘む。
こうして、村人たちの間に少しずつ馴染んでいくラシェルと、ラシェルの隣で静かに見守るホープの姿が、徐々に日常の風景になっていった。
* * * * *
夜の帳が下りると、風が少しだけ冷たくなった。
家の外では虫の音が響いている。
小さなランタンの灯りのもと、寝台の上でホープはそっとラシェルの髪を梳いていた。
ラシェルはホープの膝に頭を預け、うとうととしながら、満たされたような顔をしている。
「……今日は、動きすぎなかった?」
「うん、大丈夫よ。無理しすぎないように、お母様が気を遣ってくれてるの。……でも、背中はちょっと張ってるかも」
そう言ったラシェルの言葉に、ホープはすぐに姿勢を変え、ラシェルの背中を優しくさする。
温もりをこめるように、ゆっくりと。
「……気持ちいい。……ホープの手、温かい」
ホープの掌が優しく撫でるたびに、くすぐったいのに、胸の奥がじんわりと熱くなった。
「お疲れ様、ラシェル」
その言葉に、ラシェルは小さく笑って、寝返りを打つようにホープの方へ体を向けた。
夜着の裾から、すべすべとした太ももがのぞく。
まだお腹は目立たない。けれど、そこには確かにふたりの子が宿っている。
「ラシェル……少しだけ、触れてもいい?」
ホープの問いに、ラシェルは黙って頷いた。
その唇が、額に、頬に、鎖骨に――
まるで愛しさを少しずつ確かめるように、ゆっくりと降りていく。
ラシェルも、ホープの背をそっと撫で返す。
ホープの指が肌をなぞると、そこから熱が広がっていき、呼吸の音も肌に触れるように感じられた。
ふたりの指先が交わり、手を繋ぐ。
「……赤ちゃん、聞いてないかな……? ちょっと、恥ずかしいかも……」
「きっと、聞いてる。……君を愛してるって、伝わればいいな」
肌に触れるのは、ただの欲じゃない。
重ねた日々と、これから生まれてくる命への祝福――そんな優しさが満ちていた。
そのまま、ふたりは、そっと寝台に身を預け合う。
交わるよりも、寄り添う。
深くキスをしながら、心が重なる時間。
熱を帯びた吐息と、低く囁く声。
妊娠中のラシェルを思って、ホープは慎重に、けれど確かに愛を注ぐ。
ラシェルは目を閉じながら、そっと呟く。
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