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後日譚 王の側近と王妃の侍女
春が来る
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冬の終わりの午後。
王宮の執務室には、やわらかな陽光が差し込んでいた。
石壁の隙間を抜けて射す光は、まだ冷たさを含みながらも、確かに春の兆しを運んでいる。
暖炉の炎が小さく揺れ、赤い光が壁に映っていた。
ギリアンは、机の前で静かに羽根ペンを握っていた。
一枚の羊皮紙が、白い余白を残したまま、ギリアンの前に広がっている。
その前に置かれた王印と封蝋。
どれもが、王のひとつの決断を待っていた。
「あなた……迷ってるんですか?」
静かにかけられた声は、王妃シルヴィアのものだった。
シルヴィアはそっと銀の茶器を置き、湯気の向こうから夫の背を見つめる。
ハーブティーの香りが、部屋の中に漂う。
ギリアンは微かに笑う。
だが、それは冷笑でも皮肉でもなく――少しだけ、過去の痛みを思い出したような苦い笑みだった。
「迷ってはいないんだ。ただ……制度というのは重い。一旦動かせば、もう情では戻せないものだからな」
「でも、それが『王』の役目でしょう?」
シルヴィアの声は柔らかく、それでいて確信に満ちていた。
ギリアンは短く頷く。
そして、羽根ペンの先をそっと羊皮紙に落とした。
扉が静かに開き、王室書記官が入室する。
黙って王の斜め後ろに控え、文板と筆を構えた。
机の端には封蝋と印章が並ぶ。
「――王命、起草する」
ギリアンの言葉とともに、書記官の筆が動いた。
音もなく、王の言葉が記録へと変わっていく。
『本王ギリアン・フォン・ヴァロアは、王国に忠を尽くし、長きにわたり功を積んだ者――
ホープ・ダーク、並びにその伴侶、ラシェル・フォン・ラヴァールの働きを認め、以下の命を下す。
一、両名の結びを王命により正式な婚姻と認め、王国の法に記す。
二、両名の子・ルークを、王国における正統な貴族子息として記録し、その名を戸籍に連ねさせる。
三、ホープ・ダークに新たなる家門の創設を許す。家名は――ノクシアル。
これに従属侯の爵位を与え、王命により以後の存続を保証する。
ノクシアル家は王家直轄の庇護下に置かれ、王命をもってのみ名を動かすを許す。
その子孫は王国に忠を尽くし、名誉と義務を継承すべし。』
筆が羊皮紙を走る間、ギリアンはふとシルヴィアを見た。
シルヴィアは何も言わず、ただその手元を静かに見守っている。
だが、目が合うと、ゆっくりと歩み寄り、文面を覗き込んだ。
「ノクシアル……、夜の影と光を結ぶ名。ルークに、ぴったりですね」
「そう思うか?」
「ええ。王国が名を与えたということは、『名を持たぬ子』が受け入れられたという証でしょう。それは、わたしたちがずっと願ってきたことではありませんか?」
シルヴィアの声は静かだったが、その瞳の奥には光があった。
ギリアンは小さく息を吐き、わずかに微笑んだ。
「制度が願いを叶えるには、誰かが動かさねばならない。……その役が『王』だと言うなのなら、それも悪くないな」
書記官が筆を止めた。
ギリアンは王印を取り上げ、赤い蝋の上に静かに押し当てた。
封蝋の乾く音が、室内に淡く響く。
「この書状は正副二通とし、副は王妃へ、正はヘーンブルグに滞在中のホープ・ダークへ届けよ」
「はっ」
書記官が一礼し、退室していった。
執務室に残されたのは、二人だけだった。
そこには再び、暖炉の小さな爆ぜる音だけが満ちている。
ギリアンは椅子にもたれ、窓の外に目をやった。
冬の庭には、まだ裸の枝が影を落としている。
しかし、その先端には小さな蕾が、確かに春の息吹を抱いていた。
「シルヴィ、……ようやく、春が来るな」
シルヴィアはふふっと微笑む。
「……素晴らしい季節になりますね。きっと」
その声は、静かな祈りのようだった。
王は制度を動かし、願いはついに形を得た。
そしてその瞬間、長い冬は、静かに終わりを告げていた。
王宮の執務室には、やわらかな陽光が差し込んでいた。
石壁の隙間を抜けて射す光は、まだ冷たさを含みながらも、確かに春の兆しを運んでいる。
暖炉の炎が小さく揺れ、赤い光が壁に映っていた。
ギリアンは、机の前で静かに羽根ペンを握っていた。
一枚の羊皮紙が、白い余白を残したまま、ギリアンの前に広がっている。
その前に置かれた王印と封蝋。
どれもが、王のひとつの決断を待っていた。
「あなた……迷ってるんですか?」
静かにかけられた声は、王妃シルヴィアのものだった。
シルヴィアはそっと銀の茶器を置き、湯気の向こうから夫の背を見つめる。
ハーブティーの香りが、部屋の中に漂う。
ギリアンは微かに笑う。
だが、それは冷笑でも皮肉でもなく――少しだけ、過去の痛みを思い出したような苦い笑みだった。
「迷ってはいないんだ。ただ……制度というのは重い。一旦動かせば、もう情では戻せないものだからな」
「でも、それが『王』の役目でしょう?」
シルヴィアの声は柔らかく、それでいて確信に満ちていた。
ギリアンは短く頷く。
そして、羽根ペンの先をそっと羊皮紙に落とした。
扉が静かに開き、王室書記官が入室する。
黙って王の斜め後ろに控え、文板と筆を構えた。
机の端には封蝋と印章が並ぶ。
「――王命、起草する」
ギリアンの言葉とともに、書記官の筆が動いた。
音もなく、王の言葉が記録へと変わっていく。
『本王ギリアン・フォン・ヴァロアは、王国に忠を尽くし、長きにわたり功を積んだ者――
ホープ・ダーク、並びにその伴侶、ラシェル・フォン・ラヴァールの働きを認め、以下の命を下す。
一、両名の結びを王命により正式な婚姻と認め、王国の法に記す。
二、両名の子・ルークを、王国における正統な貴族子息として記録し、その名を戸籍に連ねさせる。
三、ホープ・ダークに新たなる家門の創設を許す。家名は――ノクシアル。
これに従属侯の爵位を与え、王命により以後の存続を保証する。
ノクシアル家は王家直轄の庇護下に置かれ、王命をもってのみ名を動かすを許す。
その子孫は王国に忠を尽くし、名誉と義務を継承すべし。』
筆が羊皮紙を走る間、ギリアンはふとシルヴィアを見た。
シルヴィアは何も言わず、ただその手元を静かに見守っている。
だが、目が合うと、ゆっくりと歩み寄り、文面を覗き込んだ。
「ノクシアル……、夜の影と光を結ぶ名。ルークに、ぴったりですね」
「そう思うか?」
「ええ。王国が名を与えたということは、『名を持たぬ子』が受け入れられたという証でしょう。それは、わたしたちがずっと願ってきたことではありませんか?」
シルヴィアの声は静かだったが、その瞳の奥には光があった。
ギリアンは小さく息を吐き、わずかに微笑んだ。
「制度が願いを叶えるには、誰かが動かさねばならない。……その役が『王』だと言うなのなら、それも悪くないな」
書記官が筆を止めた。
ギリアンは王印を取り上げ、赤い蝋の上に静かに押し当てた。
封蝋の乾く音が、室内に淡く響く。
「この書状は正副二通とし、副は王妃へ、正はヘーンブルグに滞在中のホープ・ダークへ届けよ」
「はっ」
書記官が一礼し、退室していった。
執務室に残されたのは、二人だけだった。
そこには再び、暖炉の小さな爆ぜる音だけが満ちている。
ギリアンは椅子にもたれ、窓の外に目をやった。
冬の庭には、まだ裸の枝が影を落としている。
しかし、その先端には小さな蕾が、確かに春の息吹を抱いていた。
「シルヴィ、……ようやく、春が来るな」
シルヴィアはふふっと微笑む。
「……素晴らしい季節になりますね。きっと」
その声は、静かな祈りのようだった。
王は制度を動かし、願いはついに形を得た。
そしてその瞬間、長い冬は、静かに終わりを告げていた。
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