毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十五章 里帰り編

第524話 憧憬

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「そのネックレスが気になりますか?」
「……あ、あぁ」

 ルチルに訊ねられたモーズは、曖昧に頷く。

黒瑪瑙オニキス。ギリシャ語の爪が名前の由来とされ、ギリシャ神話にも登場します。美の女神ヴィーナスの指から落ちた爪が宝石になったのがオニキス、と伝わっていますね」
「ヴィーナスの爪か。少し怖いな……」
「何も根本から剥がれたのではありませんよ? 悪戯好きのキューピットが、矢で射落とした破片とされていますから」
「それはそれでどうなんだ?」

 ルチルの話から、自由奔放に活動するキューピッドが脳裏に浮かび、モーズはふと目を伏せる。
 キューピッド。翼を持つ、幼い子供の姿をした神。子供の見た目に引っ張られてか、悪戯好きな面もある。
 どことなく、黒い髪に黒い目をした、ステージ6の少年が視界の端にちらつく。

「モーズ先生?」
「あぁ、いや。何も……」
「信徒の『オニキス』を、思い出してしまいましたか?」

 図星である。
 モーズはぐっと唇を噛んだ。

「……あぁ、そうだ。あの少年の事が、思い浮かんでしまった」

 オニキスは初めて会ったその時からステージ6の状態で、手の施しようがなかった。
 意思疎通はできる。人の記憶も持っている。しかし根本は『珊瑚』でしかなく、人間を苗床としか見ていない節があり、同じステージ6しか仲間として受け入れず、遊び相手を求めていた。
 処分すべき、人間の形をした災害。
 それでも、それでも。

「彼が亡くなった事は、知っているか?」
「えぇ、人伝に聞きました。詳細までは把握していませんが」
「……オニキスは、私の直ぐ側で亡くなってしまってな。何も、できないまま。……とても、悔しかった」

 オニキスが見せてきた夢の中で、全身で寂しいと叫んでいた彼の言葉を傾聴すれば、何か違っただろうか。医師として向き合えば、何か違っただろうか。思惑はどうあれ、モーズを遊び相手として認識し、求めてきたのだ。
 頼ってきたのだ。
 例え結末が変わる事がなくとも、最期まで向き合って、せめて自分の手で、眠らせる事ができたのならば。
 クスシとして、医師としての責任を果たせたのならば、引っ掛かりを覚えずに過ごせただろうかと。
 真っ黒なオニキスのネックレスを眺めていると、そんなたらればが胸の中で渦巻く。

「処分……。あ、いや、オニキスの安楽死をだな、してくれたのは他の医師(※フリードリヒ)で、私ではなかったんだ。知り合ったのは私の方が先だったというのに、中途半端な関わり方を、してしまった」

 未だ手を汚した事がないのは、命を奪った事がないのは、覚悟も実行力も不足している結果のように感じてしまう。

「ルチル医師はペガサス教団の信徒で、患者の安楽死には反対派だったな?」
「えぇ、あっていますよ。珊瑚症は不治の病ですが、死の病ではない。以前お話した通り、稀に正気に戻る方もいるのです。ワタクシとしてはコールドスリープも反対で……」
「しかし望まれたら応えていたな」

 その発言に、ルチルは僅かに金眼を見開く。
 パラス感染病棟に勤務していた頃。モーズは、ルチルがコールドスリープを選ばず安楽死を取った患者を、粛々と永眠させていたのを見た事がある。
 患者の意思を尊重し、泣きもせず嘆きもせず、作業的に機械的に、処置を済ませていた。端から見れば冷酷に見えるかもしれない。しかしモーズの目には、私情を挟まず役割を果たし切る、医師の鑑に見えた。

「私も安楽死は反対派だが、その医療方針は医師としての矜持から来るものではない。ただただ、患者に生きて欲しいと願う、私個人の、我儘だ」

 自分の思想を患者に押し付けているだけの、自己満足。
 先の見通しなど立てられないまま、口先だけの理想を語る、無責任な願い。

「信仰も思想も切り離して患者と向き合えるルチル医師の姿勢を、私は尊敬しているよ」
「……尊敬、ですか? 本当に?」
「あぁ。貴方は腕も判断力も、確かだから」

 だからモーズはルチルをこう呼ぶ。
 ルチル“”と。

「……違いますよ、モーズ先生」

 しかしルチルは、モーズから向けられた純粋な賞賛を否定した。
 声を僅かに震わせて。

「判断力など……。違う、違うのです。ワタクシは、ワタクシは――諦めてしまった、だけです」
「諦める?」
「……はい」

 小さく頷くとルチルは金眼を細め、俯く。

「以前、ペガサス教団の洗礼名は、宝石の名前だとお伝えしましたね?」
「あぁ。覚えている」
「その所為で、患者に勘違いされた事があるのですよ。教祖様から洗礼を受けた信徒だと。勘違いした患者はワタクシに、『ペガサス教団に入団させてくれ』と迫ってきた。最初は意味がわからず、大層、困惑したものです」
「それは、災難だったな……」
「えぇ。その患者はワタクシを通し、入団する為だけに通院をしてきました。それ以外の事は何も求めなかった。望まなかった。……治療を勧めるワタクシの声は、届かなかった」

 治療する意思のない患者に対し、医者は無力だ。手術さえすれば、または薬さえ飲めば治るものでも、患者本人が拒否すれば、どれだけ優れた医術も何の意味をなさない。
 そもそも珊瑚症は治療に入った所で、治す事はできない。あくまで延命。先送り。
 『珊瑚』に侵されていく苦しみを長引かせるだけとも、考えられる。

「回診を重ねる毎に、言葉を重ねる度に、終わりの見えない闘病を強いるよりも……寧ろ信仰という希望を持たせた方が、患者の為ではないかと。そちらの方がよほど幸福に生きられるのではないかと、思うようになってしまいました」
「……そうか。その患者の影響で、貴方も入団したのだな」
「影響は、受けていますね。確実に。しかし、決定打となったのは」

 そこでルチルは目を伏せ、

「ワタクシ自身も罹患した事です」

 そう告白した。
 珊瑚症に罹った事で、今まで何処か他人事だった『珊瑚』への恐怖や絶望感、先の見えなさをルチルは嫌と言うほど実感した。
 ステージが進めば、待つのは死。例えコールドスリープを選ぼうとも、目覚めの時がいつになるかわからない。国際情勢が変化し、コストのかかるコールドスリープ維持が放棄される事もあり得る。
 仮に未来で治療法が見付かったとしても、それが百年後だとしたら? 知らない時代に目覚めた自分は、果たしてその後を幸福に過ごせるのか。
 考えれば考えるほど、ルチルは不安に苛まれてしまった。

「それから間もなく、入団を願う患者の噂を聞き付けてか、ある日ワタクシの元にも信徒が訪れました。その方にワタクシは勧誘されて……」

 受け入れた。
 現実逃避をするかの如く。

「……モーズ先生ならば、患者本人が治療を拒否しようとも投げ出さず、根気よく説得していたでしょうね。例え、自分の我儘と自覚していたとしても」
「……。あぁ。そうだな、やめない。私は、諦めが悪いから」
「えぇ。パラスにいた頃も貴方は決して膝を折らずに、立ち向かっていた。いつか必ず、珊瑚症を治療できると」

 自分と同じように、珊瑚症に侵されているにも関わらず。
 モーズがパラス感染病棟に勤務していた頃は、少しでも暇があれば取り憑かれたように研究に励み、立ち止まらず、『珊瑚』の撲滅を追い求め続けていた。
 自分は絶望に屈してしまったと言うのに。

「その姿がとても、眩しく見えました。宝石よりも、ずっと」

 ――故にルチルはモーズに、憧れている。
 今も。

「モーズ先生をペガサス教団へ勧誘したのも、同じ信徒になって欲しかったと言うより……。沢山、お喋りをしてみたかったのですよ。本当は。時間にも仕事にも追われない場で、顔を合わせて」

 『珊瑚』の適合率の高い脳を収穫するのでもなく、洗脳するのでもなく、ステージを促進するのでもなく。
 ただ、心ゆくまで話をしたかった。
 そんな、御使いステージ6の使命として外れた願いを、ルチルはずっと抱いていた。
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