毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十五章 里帰り編

第527話 トルコ石

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「今日は有難うございました、モーズ先生」
「こちらこそ。とても勉強になった」

 装飾芸術美術館の外、広場の端にて。
 ルチル希望の『美術館巡り』を終え、別れる時が来た。
 美術館の中でモーズは、日々研究に追われ、災害の対処に尽力している緊張感とはかけ離れた、何とも穏やかな時を過ごせた。美術館を離れるのが少し名残惜しいと感じる程に。

(しかもルチル医師はガイド役を買ってくれて……。チケット代は払わせて貰ったが、それでは足りない気がするな)
「そうそう、モーズ先生。こちらをどうぞ」

 不意に、ルチルは手に持っていた小さな紙袋をモーズへ差し出す。それはルチルが美術館内にあるミュージアムショップで購入していたものだ。
 その中身は、トルコ石をヘッドとするペンダントだ。
 ミュージアムショップの宝石は宝飾専門店と比べたら安価で、ガラスケースの中に陳列される事もなく、誰でも触れられるよう布にかけられた什器の上に置かれていた。それらをルチルはじっくりと吟味をし、その内の一つを手に取っていた。
 てっきり、自分への土産として購入していたと思っていたが――

「お付き合い頂いたお礼です」
「そんな。私は貴方へ礼を返したくて来たのだ。此処で物を貰っては意味がない。まして値の張る宝石など……」
「宝石と言えど石です、気負う必要はありませんよ。どうか、受け取ってください。要らなければ捨ててしまって構いませんから」

 どうすべきか。と、モーズは逡巡する。
 つい先程、購入したばかりの物に仕込みも何もされていないだろうが、ペガサス教団の信徒から渡される物は警戒すべきではないか。それ以前に物を貰ってしまっては今回の趣旨から違えてしまうのではないか。
 モーズがそんなふうにぐるぐると考え込んでしまっていると、彼の隣に立っていたテオがモーズの脇腹を肘で突つき、

「モーズ先生の為に用意してくれたんですから、貰っちゃいましょー?」

 と、あっけらかんと言ってきた。
 テオことテオフラストゥスが受容したという事は、この贈り物に害はないという事。後はモーズの気持ち次第、となるが、やはり貰ってばかりいるのは気が引ける。
 この場で何か、ルチルに返せる物は、とモーズが思考を巡らせた時。コートのポケットに入れっぱなしだった物をふと思い出した。

「……その、安価な物で悪いが」

 トルコのイスタンブールの屋根付き市場、グランド・バザールに寄った際に思い付きで購入した、青色の一つ目ことナザール・ボンジュウのストラップ。
 モーズはそれを手に取ると、ルチルへ差し出した。トルコ石のネックレスに比べ、買い値の額が一桁下がってしまうものの、他に手渡せるものがない。

「一方的に貰うのは忍びない。これと交換する、という形にしたいのだが、どうだろうか?」
「しかしこれはモーズ先生がトルコで購入したものでしょう? ワタクシが頂戴してよいのですか?」
「あぁ。貴方がくれた物と比べたら、とても釣り合っていないがな……」
「――いいえ、とても嬉しいです」

 ルチルは受け取ったナザール・ボンジュウをハンカチで包み込み、大事そうに鞄の中へと仕舞う。
 量産品であるガラス細工に過剰な扱いをする姿を見て、購入時に、せめて包装紙に包んで貰えばよかったと、モーズは少し後悔をする。

「次に会う時までに、もっとまともな物を用意しよう」
「おや、またお会いする機会を考えてくださるのですか。嬉しいですね。その時にはお茶でもしたいものです」
「諸々、落ち着いたら考えるよ。ルチル医師」

 そうして別れの挨拶をすませたモーズは、ルチルに一つ会釈をすると背中を向け歩き出す。ちなみにこの後は滞在しているホテルに戻るのだと言う。

「では行こう、しょちょ……ンンッ。テオ」
「はーいっ!」

 名前を呼ばれたテオは元気よく返事をすると、隣にぴったりくっ付いてモーズに続いた。
 2人が雑踏の中へ消えていった辺りで、ルチルはポケットからおもむろに無線イヤホンを取り出すと両耳に付けた。尤も電源は入れておらず、イヤホンから音は流れていない。これはただ、誤魔化す為に装着しただけだ。

『おい、ルチル!』

 頭の中に直接響く、ラリマーの声と違和感なく会話する為に。

『何故なにもしない! アレキサンドライトを前にして……!』
「何かできるとお思いで?」
『当然だ!』

 ラリマーの息巻く声と共に、建物と建物の間、路地から伸びてきた赤い筋が出現する。それは歩道に敷き詰められたタイルとタイルの溝を縫って、蛇のように直進した。
 標的はモーズ。赤い筋こと『珊瑚』の菌糸が足元に届きさえすれば、モーズを物理的に拘束する事も、電気信号の発信によって洗脳または気絶させる事もできる。
 この場にウミヘビがいない今、教祖の求める宝石神饌を確保する絶好の機会チャンスだと、ラリマーは判断したのだが――
 歩道を這い足元まで伸びてきた菌糸を、モーズの隣を歩くテオがひと睨みした。

 たったそれだけで、菌糸は霧散。歩道には赤黒い煤汚れのような跡が残るのみとなってしまった。

『……っ!? なっ、何だあの子供は! 何をした!?』
「やはり只者ではなかったようですね」

 あっさりと対処してきたテオに驚愕するラリマーに対し、ルチルは至極落ち着いていた。

「テオさんは側に居て妙なプレッシャーを感じましたし、御使いを警戒しているラボがモーズ先生を無防備にさせる訳がない、と推測はしていました。優秀なボディーガードなのでしょうねぇ」

 何者かはわからないが、一筋縄ではいかない気配を察し、ルチルはモーズに手出ししなかった。
 尤もテオがいようがいまいが、ルチルは何か仕掛ける気など最初からなかったが。

「明後日の学会は教祖様が注目しています。下手に騒ぎを起こし、学会が延期または中止になって困るのは此方も同じ。ここは静観が正しいのですよ、ラリマー」
『チッ。釈然としないな』

 ラリマーは吐き捨てるように言う。
 わかりやすい彼の反応にルチルはくすりと笑みをこぼすと、

「⬛︎⬛︎⬛︎」

 ぼそりと小声で、しかしラリマーには聞こえるよう、独り言を呟いた。

『? 何か言ったか、ルチル』
「……いいえ、何でも」

 その独り言はラリマーには聞き取れなかったらしく、聞き返されてしまう。しかしルチルは答えず言葉を濁した。

 ルチルが呟いた独り言は、人の名前だ。
 ラリマーが人の頃に使っていた、名前。

 耳に入ってます全く反応を示さなかった辺り、ラリマーはかつての名前も――ルチルの患者だった頃の記憶も、残っていないのだろう。
 そうではないかと考えていた推測は、いま確信へと変わった。

(ワタクシの記憶も意思も、人の頃と何処まで乖離しているのか、わかりませんね)

 ルチルは一見すると『珊瑚』の本能に惑わされず、物事を客観的に俯瞰して振る舞うことが出来ている。しかし身も心も『珊瑚』の塊……つまりステージ6御使いとなっている以上、《珊瑚サマ》の介入は避けられない。
 果たして今抱いている自分の思考や感情は人なのか、『珊瑚』なのか。
 確かめる術は最早、ない。

(……退団など、不可能なのですよ。モーズ先生。ワタクシはとっくの昔に、手遅れなのですから)
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