毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第五章 恋する乙女大作戦編

第82話 ネグラ視察

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「貴女の仰る通り、わたくしアトロピンの毒素はとても弱い。しかし、そのような事、重要ではない」

 ネフェリンの視界に入っていた、緑色一色だった植物は極彩色となり、草木自体も大きくなったり小さくなったりひん曲がったりと無秩序に歪になってゆく。

「知っておりますか? わたくしの毒素は、記憶障害を起こせます。局地的に、そこだけをくり抜くように、記憶を消せる」

 アトロピンの姿もぐにゃりと、揺れる水面に映った反射のように形が変貌する。
 やがて襲いかかってくる、ふらつき、吐き気、倦怠感、悪心、眠気、頻脈。

「仮に意識を保てたとして、せん妄状態となり、ある事ない事を幻視してしまう。またここは植物園。同じ作用を持つ草花が数多存在する。例えばダチュラの花の香りを堪能すれば、同じ状態へ陥る。そんな中わたくしが行ったのだと、どう断言するおつもりでしょうか?」
「ぐ、ぅ、うぅうう……!」
「機能不全となった信用の足らぬ頭で、何をどう責めるおつもりでしょうか?」
「あ、う、ぁああ……っ!」
「まして青洲先生を陥れるなど、どうして出来ましょうか?」

 土の香りを濃く感じる。視界が随分と低くなって、アトロピンの靴しか見えない。
 しかしネフェリンは、自分は倒れたのだという自覚も出来なかった。

「そう。貴女は日頃の疲れが出て、睡魔に襲われた。慣れない場所を歩き、足を取られた。そして、転倒した。そこにわたくしが居合わせた。ここで起きたの出来事は、それだけ」

 ただ、彼に冷え切った瞳で見下ろされている事だけは、肌で感じられた。

「それだけでございます」

 その時ポンと、アトロピンは後ろから肩を掴まれる。

「ストップ、アトロピンくん」

 そう言ってアトロピンに毒霧を撒くのを止めるよう言ったのは、フリッツであった。
 ここまで走って来たのだろう、彼は肩で息をしている。

「フリッツ殿」
「間一髪かな? 間に合ってよかった~」

 フリッツに声をかけられたアトロピンはあっさりと毒霧を止め、両手を後ろに組んで横に移動しフリッツに道を譲る。
 しかしクスシの許可なく、それも国連警察とはいえ部外者に毒霧を使った事に対して、彼は何の弁明も謝罪もしなかった。これはウミヘビの中でも規律に忠実なアトロピンにしては異常な事である。

(温厚なアトロピンくんがすごーく怒ってる。何をしたんだろう、この人)

 フリッツは直ぐに地面に倒れ込むネフェリンの元に駆け付け、状態を確認する。毒霧による中毒症状は起こしているものの軽微。処置をしなくとも時間経過で回復するだろう。
 問題は彼女が倒れ込んだ時に掴み、身体に触れてしまった、近場に生えていた植物の方だ。常緑植物で花も茎に密集して咲いてはいるが小さく緑色と、とても地味な見た目だが、葉、果実、茎、花、根、樹液、全てに毒を持つ。

「あ、違うね。全然間に合ってないね。直ぐに医務室へ行こうか」
「い、医務室……?」
「そう、医務室。君がその手に触れた葉っぱはローレルジンチョウゲ……。樹液に触れれば皮膚からも毒が浸透する、危険植物だ」

 具体的に言うと水脹れや炎症を引き起こす。
 内服した場合、腎臓や神経にまでダメージがいき最悪――といった、非常に危険な植物。

「アトロピンくん、彼女を運ぶのを手伝……いないっ!」

 そしてそんな植物に触れてしまったネフェリンを放置して、アトロピンはいつの間にやら忽然と姿を消していたのであった。

 ◇

 同時刻。ネグラの鉄柵の前にて、マイクが柵越しに中の様子を観察していた。
 ネグラは地中海に面するギリシャの街並みを彷彿とさせる、白い建物が並ぶ観光地のように整った所。そのネグラの中でカラフルな髪色をしたウミヘビ達が、自由に駆け回っている。
 危険物を格納する監獄にはとても思えない。

「生物兵器にこれだけの予算をかけるとは、ラボの連中は頭がおかしいんじゃないか?」

 マイクは釈然としない思いを抱いたまま、フリーパスを鉄柵のカードリーダーに読み込ませ、門を開錠し中へ足を踏み入れた。

(国を滅ぼせるレベルの兵器。それが国連管理下にあるとはいえ、ただの研究所が所有しているなどあってはならない。過去にも幾度も国連警察及び軍へ所有権限を移すように打診したが、所長は頑なに聞かなかった)

 クスシでない人間の訪問に気付いたウミヘビ達が俄かに騒ぎ出し、遠巻きにマイクの様子を伺っている。
 最低限の教育はされているようで、余所者だからと襲って来たり闇雲に絡んできたりはしない。

(実際に見てみると、どうだ。柵の中とはいえ檻はなく、ウミヘビに首輪もリードも付けずに放し飼いにしている。なんという杜撰さ。直ぐに本部に連絡をし、奴らを徹底的に管理しなくてはいけないな)

 一人一人が軍隊で言う大隊に匹敵する武力を持つウミヘビ。純粋な身体能力だけでなく毒素を用いた大気汚染や引火性爆発性を含めれば、その危険度は更に跳ね上がる。
 まさに一騎当千。ならば研究所を介してではなく国連が直接管理すべきだと、マイクは強く考えていた。それは国連警察上層部も同じ意見である。
 まずは詳しい内部調査を入れる為にも、ウミヘビに不祥事を起こさせ『ラボはウミヘビを管理出来ていない、または持て余している』と上層部及び世間に示す。
 その為の、視察。

(再び来訪する機会をずっと伺っていた所、昨日の世界ニュースでモーズという新人のクスシがメディアに乗る、という騒動を起こした。視察に訪れる取っ掛かりは十分)

 マイクは遠巻きに自分を見ているウミヘビを無視して、ネグラの奥へと進んでゆく。

(聞いた話、所長は長い間ここを空けているそうじゃないか。半年前は追い出されてしまったが、最高責任者がいない今ならば……!)
「そこのオニーサン、お酒飲むぅ?」

 突然、声をかけられマイクの足が止まる。声が聞こえた方を見てみれば、赤ら顔のウミヘビこちらに向けて手招きをしていた。
 彼は広場の屋台バーの中でドリンクを作っているようで、周辺では簡素な椅子に座ったウミヘビ達がドリンクを堪能している。
 屋台バーに一番近い席で紙タバコを吸うウミヘビに至ってはアルコールを呑んでいて、朝だと言うのに不摂生を絵に描いたような光景を作っていた。

「余所者を気軽に誘うなよ、アセト」
「いやぁ、お巡りさんがネグラに来るなんて珍しいじゃない。お話しよーよ?」

 これだけだらしの無いウミヘビを上層部に報告すれば、ラボにより圧力をかけられるかもしれない。
 マイクはそう思って、赤ら顔のウミヘビの誘いに乗る事とした。
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