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第十五章 平和が終わる日
第312話 洗礼名
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「内緒話とは……。まさか生真面目が売りのモーズ先生が、規約違反をしようと?」
「今までも厳格に守れていた訳ではないぞ。何度、上司に叱られた事か」
アイギスを得る前にネグラに入った事もあれば、独断で菌床処分を遂行した事もある。どれもこれも規約違反だ。
そして主にユストゥスに叱られた。他のクスシからも、心配されるという名のお叱りを都度受けている。
「ふふ。モーズ先生にそのようなやんちゃな面があったとは、知りませんでしたね」
「本題だが、ルチル医師」
「はい」
「ペガサス教団の信徒を公言している貴方が捕えられていない理由を、訊ねても?」
「あぁ、日本の『天空の城事件』の事ですか」
日本にあるペガサス教団の集会所で巻き起こった菌床騒動。それは『天空の城事件』と呼ばれるようになり、ペガサス教団はバイオテロ組織だとする声も大きくなった。
その影響でペガサス教団の信徒だとわかる人間は捕えられ、最低でも事情聴取を受けている。と、世界ニュースでは報道されていた。しかし目の前のルチルは警察の厄介になっておらず、今のようにVR空間内で自由に過ごせている。
「モーズ先生は勘違いしていらっしゃいますが、ワタクシはペガサス教団の信徒である事を公言していません」
「そうなのか?」
「えぇ。信徒以外で知るお方はモーズ先生と先生の関係者、それからロベルト院長だけですね。そして知っていたとして、ワタクシを信徒と裏付ける証拠は何もない」
モーズの後を追い、信徒を引き連れホテルの部屋に襲撃してきた事もあるルチルだが、あの時はモーズが国外へ、それも人工島アバトンに行ってしまうかもと焦っていたから大胆な行動に出てしまっただけで、普段は粛々と信仰をしているのだという。
「そもそもただペガサス教団の信徒、というだけで逮捕には至りませんよ。事情聴取は受けるでしょうし退団も促されるでしょうが、国連は信仰の自由を認めておりますので」
「成る程……」
バイオテロ組織に等しいと言える事態に至っても、信仰の自由の方が権限が強い。ペガサス教団の解体が頓挫している主な理由である。
国連警察のマイクが頭を抱えている訳だ、とモーズは心の中で同情をした。
「モーズ先生はワタクシが逮捕される事が心配で連絡を下さったのですか? だとしたら嬉しいですね」
「別に心配はしていないが」
「おや。断言されると、ちょっと傷付きます」
「だが友人として気になった、という体で表向きには取り繕うつもりだ」
「友人として? ふふ。嬉しいですね。方便だったとしても、嬉しい」
モーズに友人扱いされた事に、ルチルはクツクツと喉を鳴らして喜んでいる。
この状況は本来、許されない事だ。クスシはペガサス教団の信徒への接触、詮索、深入りは禁止されている。この規約を定めた副所長に露見してしまえば、どんな処罰が下るかわからない。下手をすれば、クスシを辞めさせられてしまうかもしれない。
しかしルチルは、モーズがクスシとなる以前からの知り合い。それも同じ医療従事者。学会で顔を合わせた時のように、会話を交わしても何らおかしくない関係。密かに探りを入れても不自然ではないだろう。
モーズがルチルに、正確にはペガサス教団に訊きたい事は沢山ある。
本尊。御神木。《原木》。ステージ6こと《御使い》。『珊瑚サマ』。《ウロボロス》とその関係者を知っているのかどうか。ルチルと顔見知りらしいオニキスについて、どこまで知っているのか。菌床で一体、何をしているのか。イギリスの菌床でジョンを招き入れ、何をしたかったのか。【教祖様】は誰で、どんな人物なのか。
その全てを訊く時間はないし、時間があったとして、ルチルが真実を教えてくれるかもわからない。仮に正しく知る事ができた所で、警察でも何でもないモーズに出来る事は非常に限られる。
そう判断したモーズは、事前に考えを整理し、訊ねる質問を一つに絞ってきた。これは国連警察のマイクに、焦りから不用意な発言をしてしまった反省も踏まえている。
「ルチル医師。貴方は《アレキサンドライト》を、知っているだろうか?」
ルチルに投げかけた、たった一つの質問。それはモーズが今、最も気になっているモノであった。
珊瑚症感染者と接触した際、度々耳にしていた宝石の名前。それを、日本で遭遇したペガサス教団の信徒も口にしていた。信徒達は基本的に日本語で喋っていたので、何を話していたのかわからなかったが、《アレキサンドライト》という単語だけは聞き取れたのだ。
「《アレキサンドライト》……。それは皇帝の名を冠する宝石の名前、であっているでしょうか?」
「違う。……と、予想する」
歯切れ悪く、モーズは話す。
「先日、ペガサス教団の信徒と接する機会があったのだが……。度々《アレキサンドライト》と呟いていたのを聞いた。しかしどうも宝石の事ではないようだ。信徒達の間では特別な意味でもあるのかと、少々気になってな」
イギリスの菌床の中、モーズの白昼夢に現れたステージ6の少女、スピネルも欲していたモノだ。
国を跨いで求められる《アレキサンドライト》。それは『珊瑚』に関わる何かを指しているのかとしれない。もしかしたら、感染者がステージ6へ変貌するメカニズムに関わっている可能性もある。モーズはそれが知りたかった。
「宝石ではない《アレキサンドライト》、ですか」
ルチルは顎に手を当て、考え込んでいる。
(彼にもわからない、だろうか)
尤もわからない事がわかるのも収穫になる。知る手段が現状ないのならば未練は絶たれ、目の前の研究に集中できるからだ。
寧ろ「わからない」という回答を、ルチルから得る為に訊ねた所もある。それだけモーズの中で《アレキサンドライト》が心の中に引っかかっていたのだ。
「でしたらそれは、『洗礼名』でしょうね」
しかしある意味、期待と異なる回答をルチルは告げた。
『洗礼名』。それが《アレキサンドライト》の持つ意味だと。
「洗礼名……。ペガサス教団にも洗礼があるのか」
「ありますよ。洗礼名を授けられるのは、極一部の方になりますが」
キリスト教の場合、洗礼を受けるのに対価も条件も必要なく、洗礼の準備に関する学びさえすませれば誰でも受けられ、洗礼名もその際に授かる事が多い。
それとは反対に、ペガサス教団では洗礼を受け洗礼名を授かるには、複数の条件を満たさなければならないらしい。
「条件をクリアした方のみが洗礼を受けられます。それで、教祖様は宝石がお好きでして、宝石の名前を洗礼名にするんですよ」
「そうなのか。つまり信徒達は《アレキサンドライト》という洗礼名を持つ者の名を呟いていた、と。これで一つ、スッキリしたな。教えて頂き感謝する、ルチル医師」
「いえいえ。別に秘密にしている事ではありませんし、この程度のお答え幾らでも致しますよ」
「……ん? そういえばルチル医師の名前も宝石だな?」
――金紅石。
それは黄金色に輝く、針状結晶の宝石をさす名前だ。
「貴方も洗礼を受け、洗礼名に改名したのだろうか?」
西暦2320年現在。欧米では改名の手続きが比較的、容易にできる。
信心深い信徒ならば洗礼名を本名として改名する事もあるだろう、とモーズは思ったのだが……。
「いいえ。ワタクシの名前は元からで、洗礼名ではないですね。たまに信徒達の中でも勘違いされ、妬まれたりします」
困ったものです。と、ルチルはさして困っていない口振りで苦笑したのだった。
「今までも厳格に守れていた訳ではないぞ。何度、上司に叱られた事か」
アイギスを得る前にネグラに入った事もあれば、独断で菌床処分を遂行した事もある。どれもこれも規約違反だ。
そして主にユストゥスに叱られた。他のクスシからも、心配されるという名のお叱りを都度受けている。
「ふふ。モーズ先生にそのようなやんちゃな面があったとは、知りませんでしたね」
「本題だが、ルチル医師」
「はい」
「ペガサス教団の信徒を公言している貴方が捕えられていない理由を、訊ねても?」
「あぁ、日本の『天空の城事件』の事ですか」
日本にあるペガサス教団の集会所で巻き起こった菌床騒動。それは『天空の城事件』と呼ばれるようになり、ペガサス教団はバイオテロ組織だとする声も大きくなった。
その影響でペガサス教団の信徒だとわかる人間は捕えられ、最低でも事情聴取を受けている。と、世界ニュースでは報道されていた。しかし目の前のルチルは警察の厄介になっておらず、今のようにVR空間内で自由に過ごせている。
「モーズ先生は勘違いしていらっしゃいますが、ワタクシはペガサス教団の信徒である事を公言していません」
「そうなのか?」
「えぇ。信徒以外で知るお方はモーズ先生と先生の関係者、それからロベルト院長だけですね。そして知っていたとして、ワタクシを信徒と裏付ける証拠は何もない」
モーズの後を追い、信徒を引き連れホテルの部屋に襲撃してきた事もあるルチルだが、あの時はモーズが国外へ、それも人工島アバトンに行ってしまうかもと焦っていたから大胆な行動に出てしまっただけで、普段は粛々と信仰をしているのだという。
「そもそもただペガサス教団の信徒、というだけで逮捕には至りませんよ。事情聴取は受けるでしょうし退団も促されるでしょうが、国連は信仰の自由を認めておりますので」
「成る程……」
バイオテロ組織に等しいと言える事態に至っても、信仰の自由の方が権限が強い。ペガサス教団の解体が頓挫している主な理由である。
国連警察のマイクが頭を抱えている訳だ、とモーズは心の中で同情をした。
「モーズ先生はワタクシが逮捕される事が心配で連絡を下さったのですか? だとしたら嬉しいですね」
「別に心配はしていないが」
「おや。断言されると、ちょっと傷付きます」
「だが友人として気になった、という体で表向きには取り繕うつもりだ」
「友人として? ふふ。嬉しいですね。方便だったとしても、嬉しい」
モーズに友人扱いされた事に、ルチルはクツクツと喉を鳴らして喜んでいる。
この状況は本来、許されない事だ。クスシはペガサス教団の信徒への接触、詮索、深入りは禁止されている。この規約を定めた副所長に露見してしまえば、どんな処罰が下るかわからない。下手をすれば、クスシを辞めさせられてしまうかもしれない。
しかしルチルは、モーズがクスシとなる以前からの知り合い。それも同じ医療従事者。学会で顔を合わせた時のように、会話を交わしても何らおかしくない関係。密かに探りを入れても不自然ではないだろう。
モーズがルチルに、正確にはペガサス教団に訊きたい事は沢山ある。
本尊。御神木。《原木》。ステージ6こと《御使い》。『珊瑚サマ』。《ウロボロス》とその関係者を知っているのかどうか。ルチルと顔見知りらしいオニキスについて、どこまで知っているのか。菌床で一体、何をしているのか。イギリスの菌床でジョンを招き入れ、何をしたかったのか。【教祖様】は誰で、どんな人物なのか。
その全てを訊く時間はないし、時間があったとして、ルチルが真実を教えてくれるかもわからない。仮に正しく知る事ができた所で、警察でも何でもないモーズに出来る事は非常に限られる。
そう判断したモーズは、事前に考えを整理し、訊ねる質問を一つに絞ってきた。これは国連警察のマイクに、焦りから不用意な発言をしてしまった反省も踏まえている。
「ルチル医師。貴方は《アレキサンドライト》を、知っているだろうか?」
ルチルに投げかけた、たった一つの質問。それはモーズが今、最も気になっているモノであった。
珊瑚症感染者と接触した際、度々耳にしていた宝石の名前。それを、日本で遭遇したペガサス教団の信徒も口にしていた。信徒達は基本的に日本語で喋っていたので、何を話していたのかわからなかったが、《アレキサンドライト》という単語だけは聞き取れたのだ。
「《アレキサンドライト》……。それは皇帝の名を冠する宝石の名前、であっているでしょうか?」
「違う。……と、予想する」
歯切れ悪く、モーズは話す。
「先日、ペガサス教団の信徒と接する機会があったのだが……。度々《アレキサンドライト》と呟いていたのを聞いた。しかしどうも宝石の事ではないようだ。信徒達の間では特別な意味でもあるのかと、少々気になってな」
イギリスの菌床の中、モーズの白昼夢に現れたステージ6の少女、スピネルも欲していたモノだ。
国を跨いで求められる《アレキサンドライト》。それは『珊瑚』に関わる何かを指しているのかとしれない。もしかしたら、感染者がステージ6へ変貌するメカニズムに関わっている可能性もある。モーズはそれが知りたかった。
「宝石ではない《アレキサンドライト》、ですか」
ルチルは顎に手を当て、考え込んでいる。
(彼にもわからない、だろうか)
尤もわからない事がわかるのも収穫になる。知る手段が現状ないのならば未練は絶たれ、目の前の研究に集中できるからだ。
寧ろ「わからない」という回答を、ルチルから得る為に訊ねた所もある。それだけモーズの中で《アレキサンドライト》が心の中に引っかかっていたのだ。
「でしたらそれは、『洗礼名』でしょうね」
しかしある意味、期待と異なる回答をルチルは告げた。
『洗礼名』。それが《アレキサンドライト》の持つ意味だと。
「洗礼名……。ペガサス教団にも洗礼があるのか」
「ありますよ。洗礼名を授けられるのは、極一部の方になりますが」
キリスト教の場合、洗礼を受けるのに対価も条件も必要なく、洗礼の準備に関する学びさえすませれば誰でも受けられ、洗礼名もその際に授かる事が多い。
それとは反対に、ペガサス教団では洗礼を受け洗礼名を授かるには、複数の条件を満たさなければならないらしい。
「条件をクリアした方のみが洗礼を受けられます。それで、教祖様は宝石がお好きでして、宝石の名前を洗礼名にするんですよ」
「そうなのか。つまり信徒達は《アレキサンドライト》という洗礼名を持つ者の名を呟いていた、と。これで一つ、スッキリしたな。教えて頂き感謝する、ルチル医師」
「いえいえ。別に秘密にしている事ではありませんし、この程度のお答え幾らでも致しますよ」
「……ん? そういえばルチル医師の名前も宝石だな?」
――金紅石。
それは黄金色に輝く、針状結晶の宝石をさす名前だ。
「貴方も洗礼を受け、洗礼名に改名したのだろうか?」
西暦2320年現在。欧米では改名の手続きが比較的、容易にできる。
信心深い信徒ならば洗礼名を本名として改名する事もあるだろう、とモーズは思ったのだが……。
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