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第十九章 狂信者のカタリ
第402話 正しさの在処
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精神的な負担を減らし、生存を優先させ、いずれウミヘビが役目から解放されたその時、正しく安寧を与える。
きっとフリードリヒはそう計画をしている。その過程で積み上がる犠牲を飲み込んだ上で。
「……確かに貴方の方針も、ある種の救い。正しさなのかもしれません」
麻酔を投与するかのように、痛みを取り除いて過ごさせる。
それを間違っている、と断じる事はできない。
「しかしとても賛成できない。私は、彼らの治療を続けます」
バキィッ!
鈍い音が庭園に響く。衝撃で留め具が外れたモーズのフェイスマスクが、芝生の上に転がった。
「お前のやろうとしている事は拷問だ。前線から逃れられないウミヘビに痛みを自覚させ、更なる苦痛を与える。残虐極まりない」
「……そう、ですかね」
「それが理解できない能無しならば、おれが今ここでお前を殺してやる。それがウミヘビの為になるだろうよ」
「お気遣いありがとうございます。でも遠慮しておきます」
口角から微かに血を滲ませながらも、モーズは笑った。
「この後、ネグラの食堂で料理を振る舞う約束をしていますから」
新緑をした左目の奥に宿る光は、静かながらも決して揺らがない。
こうして食事を楽しめるのも、精神が癒えているからこそ。とでも言いたげな彼の目を見て、フリードリヒは忌々しげに舌打ちをした。
「フリードリヒさん、改めてお礼を申し上げます。貴方のお陰でタリウムの事を、ウミヘビの事をより深く知る事ができました。この知見を元に、より最適な治療を模索し邁進しようと思います」
「おれが直々に忠告をしたというのに、まだ続けると? 耳が腐っているのか?」
「私は医者ですから、目の前の患者を放っておくなんて出来ません」
モーズはガーデンチェアから立ち上がるとフェイスマスクを拾い、丁寧に顔へ付け直す。
その仕草はまるで、再び仮面を装着して戦場に戻る兵士のようだった。
「少しでも後悔をなくす為に、私は私の考えるより良い道を進みます」
「餓鬼が。理想ばかり掲げて何になる」
「未熟者の私は、理想がなければ迷子になってしまいますから」
それでは、と。モーズは頭を深々と下げ、フリードリヒの元から去って行った。
一人残されたフリードリヒはガーデンチェアにドカリと座り、足を組む。
「あの猿め、生意気が過ぎる。先のない感染者が何をほざいているんだ。もしやウミヘビに先生と呼ばれているから調子に乗っているのか? 高慢な。いっそおれが本当に処分して……」
ピピピピ
ぶつくさとモーズに文句を呟いていると、フリードリヒの腕時計型電子機器が鳴り響き着信を知らせる。
相手は副所長であった。
流石に無視できない為、一つ舌打ちした後、フリードリヒは面倒腐そうに応答をする。
「何だ? 研究ならば報告の通りだ。文句は受け付けな……。あ? 別件の依頼だぁ? そんなもの、他のクスシに回せばいいだろうが」
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』
「猿のフリしたアなんちゃらがラボの評判を落としている? 元よりラボに品格なんぞないだろ。勝手に言わせておけ。おれは知らん」
今世界を騒がしているモーズの偽物――『ペガサス教団司祭アレキサンドライト』のニュースなど、フリードリヒは何一つチェックしていない。副所長から直接聞かされても関心を抱く事などなく、戯言として処理される。
「用はそれだけか?」
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』
「……。は? 悪魔呼ばわり? ウミヘビを?」
が、ウミヘビを貶めている話を聞くや否や、一転してフリードリヒは態度をがらりと変え、ガーデンチェアを倒す勢いで立ち上がった。
「そいつは何処のゴミだ? 魚の餌にしてやる……!」
◇
植物園を出て、フリードリヒの気配が完全になくなった後。
モーズは深く息を吐いた。
「覚悟はしていたが……。やはりあの人は怖いな……」
パラス国の拘置所の取調室で詰められた時とは異なるプレッシャー。
ドスの効いた低い声で容赦なく発せられる暴言。タイミングの読めない癇癪。手加減を知らない暴力。まるで幼い子供だ。
ようやく緊張が解け、どっと疲れが押し寄せてくる。
心臓の鼓動が、さっきまでの張り詰めた時間を蒸し返すように乱れている。口の中が苦い。喉が焼けつくように熱い。
(しかし恐怖を気取られてしまえば、顔を合わせる事さえ叶わなかっただろう。何とか乗り切れてよかった)
日頃から意識しているポーカーフェイスが通用した事に安堵しつつ、モーズはネグラへ向かう。
フリードリヒに「食堂で料理を振る舞う」と言ったことは嘘ではない。この後アセトンと落ち合う予定だ。
(さて今日は何を作ろうか。フランス料理がいいか? ドイツやギリシャの料理に挑戦するのも面白そうだ。アセトンや他のウミヘビの好みも……)
――味覚の件は『後天的』。
そこでふと、モーズはフリードリヒから聞いたタリウムの話を思い出す。タリウムの身体的機能に異常はない。ならば彼の味覚障害の原因はストレスの可能性がある。
もしかしたら、治せるかもしれない。
(フリードリヒさんはそれを是としないかもしれないが、生活に彩りを持つのは大事な事だ。心身を麻痺させる事により回避できる苦悩もあるだろうが、安らぎを得る事もできない。……それこそ、残酷に思える)
何が正しいのか。何が最善手なのか。正直、モーズにはわからない。
それでも、救いたいという思いは変わらない。
足掻くと決めたのだ。限られた時間の中、命尽きるまで尽力すると決意したのだ。己を慕ってくれるウミヘビの為にも、思考を止める訳にはいかない。
(ステージ4の治療に成功すれば、ステージ5の数もぐっと減る。ウミヘビ達が戦わなくて済む日はきっと近い。その日に向け、私も出来ることをしなくてはな)
きっとフリードリヒはそう計画をしている。その過程で積み上がる犠牲を飲み込んだ上で。
「……確かに貴方の方針も、ある種の救い。正しさなのかもしれません」
麻酔を投与するかのように、痛みを取り除いて過ごさせる。
それを間違っている、と断じる事はできない。
「しかしとても賛成できない。私は、彼らの治療を続けます」
バキィッ!
鈍い音が庭園に響く。衝撃で留め具が外れたモーズのフェイスマスクが、芝生の上に転がった。
「お前のやろうとしている事は拷問だ。前線から逃れられないウミヘビに痛みを自覚させ、更なる苦痛を与える。残虐極まりない」
「……そう、ですかね」
「それが理解できない能無しならば、おれが今ここでお前を殺してやる。それがウミヘビの為になるだろうよ」
「お気遣いありがとうございます。でも遠慮しておきます」
口角から微かに血を滲ませながらも、モーズは笑った。
「この後、ネグラの食堂で料理を振る舞う約束をしていますから」
新緑をした左目の奥に宿る光は、静かながらも決して揺らがない。
こうして食事を楽しめるのも、精神が癒えているからこそ。とでも言いたげな彼の目を見て、フリードリヒは忌々しげに舌打ちをした。
「フリードリヒさん、改めてお礼を申し上げます。貴方のお陰でタリウムの事を、ウミヘビの事をより深く知る事ができました。この知見を元に、より最適な治療を模索し邁進しようと思います」
「おれが直々に忠告をしたというのに、まだ続けると? 耳が腐っているのか?」
「私は医者ですから、目の前の患者を放っておくなんて出来ません」
モーズはガーデンチェアから立ち上がるとフェイスマスクを拾い、丁寧に顔へ付け直す。
その仕草はまるで、再び仮面を装着して戦場に戻る兵士のようだった。
「少しでも後悔をなくす為に、私は私の考えるより良い道を進みます」
「餓鬼が。理想ばかり掲げて何になる」
「未熟者の私は、理想がなければ迷子になってしまいますから」
それでは、と。モーズは頭を深々と下げ、フリードリヒの元から去って行った。
一人残されたフリードリヒはガーデンチェアにドカリと座り、足を組む。
「あの猿め、生意気が過ぎる。先のない感染者が何をほざいているんだ。もしやウミヘビに先生と呼ばれているから調子に乗っているのか? 高慢な。いっそおれが本当に処分して……」
ピピピピ
ぶつくさとモーズに文句を呟いていると、フリードリヒの腕時計型電子機器が鳴り響き着信を知らせる。
相手は副所長であった。
流石に無視できない為、一つ舌打ちした後、フリードリヒは面倒腐そうに応答をする。
「何だ? 研究ならば報告の通りだ。文句は受け付けな……。あ? 別件の依頼だぁ? そんなもの、他のクスシに回せばいいだろうが」
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』
「猿のフリしたアなんちゃらがラボの評判を落としている? 元よりラボに品格なんぞないだろ。勝手に言わせておけ。おれは知らん」
今世界を騒がしているモーズの偽物――『ペガサス教団司祭アレキサンドライト』のニュースなど、フリードリヒは何一つチェックしていない。副所長から直接聞かされても関心を抱く事などなく、戯言として処理される。
「用はそれだけか?」
『⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎』
「……。は? 悪魔呼ばわり? ウミヘビを?」
が、ウミヘビを貶めている話を聞くや否や、一転してフリードリヒは態度をがらりと変え、ガーデンチェアを倒す勢いで立ち上がった。
「そいつは何処のゴミだ? 魚の餌にしてやる……!」
◇
植物園を出て、フリードリヒの気配が完全になくなった後。
モーズは深く息を吐いた。
「覚悟はしていたが……。やはりあの人は怖いな……」
パラス国の拘置所の取調室で詰められた時とは異なるプレッシャー。
ドスの効いた低い声で容赦なく発せられる暴言。タイミングの読めない癇癪。手加減を知らない暴力。まるで幼い子供だ。
ようやく緊張が解け、どっと疲れが押し寄せてくる。
心臓の鼓動が、さっきまでの張り詰めた時間を蒸し返すように乱れている。口の中が苦い。喉が焼けつくように熱い。
(しかし恐怖を気取られてしまえば、顔を合わせる事さえ叶わなかっただろう。何とか乗り切れてよかった)
日頃から意識しているポーカーフェイスが通用した事に安堵しつつ、モーズはネグラへ向かう。
フリードリヒに「食堂で料理を振る舞う」と言ったことは嘘ではない。この後アセトンと落ち合う予定だ。
(さて今日は何を作ろうか。フランス料理がいいか? ドイツやギリシャの料理に挑戦するのも面白そうだ。アセトンや他のウミヘビの好みも……)
――味覚の件は『後天的』。
そこでふと、モーズはフリードリヒから聞いたタリウムの話を思い出す。タリウムの身体的機能に異常はない。ならば彼の味覚障害の原因はストレスの可能性がある。
もしかしたら、治せるかもしれない。
(フリードリヒさんはそれを是としないかもしれないが、生活に彩りを持つのは大事な事だ。心身を麻痺させる事により回避できる苦悩もあるだろうが、安らぎを得る事もできない。……それこそ、残酷に思える)
何が正しいのか。何が最善手なのか。正直、モーズにはわからない。
それでも、救いたいという思いは変わらない。
足掻くと決めたのだ。限られた時間の中、命尽きるまで尽力すると決意したのだ。己を慕ってくれるウミヘビの為にも、思考を止める訳にはいかない。
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