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第二十章 真っ赤な嘘
第429話 真夜中の光源
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「ニコ~、起きてるぅ?」
こんこんこん
真夜中のネグラ、ウミヘビマンションのとある一室の前で、ビニール袋を持ったアセトアルデヒドは扉をノックしていた。
「お菓子持って来たんだぁ。僕も作るの手伝ったやつぅ」
ビニール袋には食堂で開催されていたスイーツビュッフェ、その残りのお菓子が詰まっている。
開催時間が終了し、片付けを済ませた後も姿を現さなかった扉の向こうにいる人物、ニコチンの為に持ってきたのだ。
ウミヘビは基本、食堂で食事を摂る習慣だ。今日一度も食堂に姿を現さなかった事は、一日何も口にしていない事にも繋がる。タバコと酒以外に金を使うことのないニコチンの事だ、絶食していたと考えて間違いないだろう。
幾ら必要食事量が少ないウミヘビでも、丸一日絶食すればお腹が空いてしまう。アセトアルデヒドはどうにかして食べて貰おうと、言葉を続けた。
「ニコが好きそうな塩っぱいクラッカーも、いっぱい入れたんだぁ。きっと気に入ってくれると思うんだけどぉ」
『アセトのくれるもんなら何だって食べるよ。ドアノブにかけといてくれ』
そこでようやく、ニコチンが返事をしてくれた。
扉越しとは言え、通信にも応答してくれなかった彼の声を今日初めて聞けた事に、アセトアルデヒドの表情がぱっと明るくなる。
しかし扉は開けてくれない。喜びは一瞬で引き、代わりに胸の奥から心配が湧き上がってきた。
「……ニコ、具合悪い? モーズ先生呼んで来ようかぁ?」
『いらねぇよ。ウミヘビは風邪なんざひかねぇんだから。つかこんな夜中に来る訳ねぇだろ』
「モーズ先生は、来てくれるよぉ?」
アセトアルデヒドがそう答えた直後、不意に沈黙が落ちる。
『……そうだな。そういう馬鹿だな、あいつは』
「ニコ?」
『菓子、置いておいてくれ。後で食べる。実は今日、ちょっとした事でめちゃくちゃ苛ついててな。誰彼構わず当たり散らしそうなんだ』
「そ、そう。ちゃんと、食べてねぇ?」
『あぁ』
暗に誰の顔も見たくない。
そう婉曲に告げられては、アセトアルデヒドは引き下がるしかない。
ニコチンはどんな時でも、アセトアルデヒドの前では彼なりに紳士であろうと努めていた。中毒状態であっても、他者に罵倒されようがそのまま喧嘩をしようが、不快感を露骨にぶつけるようなことはなかった。
そんな彼が、自ら距離を取ろうとしている。余程の事があったのだろう。アセトアルデヒドはドアノブにビニール袋をかけ、しょんぼりと肩を落としながらその場を後にした。
足音が遠ざかり気配が完全にしなくなった辺りで、部屋の中にいたニコチンは……吸いかけのタバコを床の灰皿に押し付け、火を消した。
彼の部屋は備え付けの家具以外存在せず、殺風景と言っていい。刑務所の牢屋と大差ない程だ。
ただし今は、灰皿に収まりきらなかった吸い殻が床に散乱していて、異質な光景を生み出していた。
「……」
床に直で座るニコチンの右手には短くなったタバコ。左手には携帯端末。
部屋の灯りは付けておらず、唯一の光源はその画面だけ。
画面には、履歴一覧が映し出されている。
「こんな夜中でも通信すりゃ、あいつは応答する。か」
薄闇の中、ニコチンは誰にともなくぽつりと呟く。
「へっ、それがどうしたってんだ」
モーズは新人のクスシ。立場は弱く権力という権力は何も持っていない。ラボの入所試験を突破している以上、医師として知識や技術は高いのだろうが、クスシとしては未熟も未熟だ。
理想を掲げ、体当たりする勢いで菌床現場を駆け回り、できる事を必死に模索する姿などとても青い。
ウミヘビの中でもぶっきらぼうで口も目付きも悪いニコチンに対しても、決して臆せず接し対等であろうと努め、懸命に『治療』に励んでいた。
『コーヒーをよく飲んでいるが、豆にこだわりはあるのか?』
『釣りに興味はあるだろうか? セレンが案内してくれた物置で、釣り竿を見付けてな。私も未経験なのだが……。あっ、呆れないでくれ』
『そういえば寄宿舎の遊戯室にはビリヤードがあったな。やってみないか? えっ、寄宿舎に入れない? ええと、では誰かに運ぶのを手伝って貰おう。寄宿舎に入れるウミヘビを紹介してくれないか?』
『ネグラを一周してみたのだが、海に面した場所はないのだな。マリンスポーツでもどうかと考えたのだが。私も海ならば浮かべるのだし。うっ、嘘ではないぞ。……多分』
その『治療』は顔を合わせる度に、遊戯に誘うという形で施された。
様々な体験を経験する。それが治療に繋がるから、と。
滑稽な程に真面目に愚直に、ニコチンへ向き合ってきた。
「あいつにゃ、何もできやしねぇよ」
治療でも料理でも遊戯でも何事でも真摯だったモーズを思い出し、ふっと、ニコチンは力無く笑う。
「……何にも、な」
彼の赤い瞳には、諦観が宿っていた。
――ニコチンが扉を開け菓子を手にしたのは、携帯端末の充電が切れ、部屋が真っ暗になった後であった。
▼△▼
次章より『ハロウィンの翌日』、開幕。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
『真っ赤な嘘』、これにて完結です。
この真っ赤な嘘をついた対象は勿論、徐福です。ガーネットも嘘吐きですけども、徐福は彼の比じゃないという。
溜めに溜めて、ようやく登場が叶った副所長! 伏線との整合性を取るのに苦労しました……。本部襲撃メンバーも大分悩んだ。悩んだだけありいい感じにまとめられたかな?
ガーネット、徐福、ユワの正体判明、教団本部、《珊瑚サマ》、タリウムの掘り下げ、臨床試験の結果、など書くのに大分難儀した場面が多かったのですが書き切れてよかった!
次章では院長達の再登場です! 勿論、あの人も起きるよ! お楽しみに!
もしも面白いと思ってくださいましたらフォローや応援、コメントよろしくお願いします。
励みになります。
こんこんこん
真夜中のネグラ、ウミヘビマンションのとある一室の前で、ビニール袋を持ったアセトアルデヒドは扉をノックしていた。
「お菓子持って来たんだぁ。僕も作るの手伝ったやつぅ」
ビニール袋には食堂で開催されていたスイーツビュッフェ、その残りのお菓子が詰まっている。
開催時間が終了し、片付けを済ませた後も姿を現さなかった扉の向こうにいる人物、ニコチンの為に持ってきたのだ。
ウミヘビは基本、食堂で食事を摂る習慣だ。今日一度も食堂に姿を現さなかった事は、一日何も口にしていない事にも繋がる。タバコと酒以外に金を使うことのないニコチンの事だ、絶食していたと考えて間違いないだろう。
幾ら必要食事量が少ないウミヘビでも、丸一日絶食すればお腹が空いてしまう。アセトアルデヒドはどうにかして食べて貰おうと、言葉を続けた。
「ニコが好きそうな塩っぱいクラッカーも、いっぱい入れたんだぁ。きっと気に入ってくれると思うんだけどぉ」
『アセトのくれるもんなら何だって食べるよ。ドアノブにかけといてくれ』
そこでようやく、ニコチンが返事をしてくれた。
扉越しとは言え、通信にも応答してくれなかった彼の声を今日初めて聞けた事に、アセトアルデヒドの表情がぱっと明るくなる。
しかし扉は開けてくれない。喜びは一瞬で引き、代わりに胸の奥から心配が湧き上がってきた。
「……ニコ、具合悪い? モーズ先生呼んで来ようかぁ?」
『いらねぇよ。ウミヘビは風邪なんざひかねぇんだから。つかこんな夜中に来る訳ねぇだろ』
「モーズ先生は、来てくれるよぉ?」
アセトアルデヒドがそう答えた直後、不意に沈黙が落ちる。
『……そうだな。そういう馬鹿だな、あいつは』
「ニコ?」
『菓子、置いておいてくれ。後で食べる。実は今日、ちょっとした事でめちゃくちゃ苛ついててな。誰彼構わず当たり散らしそうなんだ』
「そ、そう。ちゃんと、食べてねぇ?」
『あぁ』
暗に誰の顔も見たくない。
そう婉曲に告げられては、アセトアルデヒドは引き下がるしかない。
ニコチンはどんな時でも、アセトアルデヒドの前では彼なりに紳士であろうと努めていた。中毒状態であっても、他者に罵倒されようがそのまま喧嘩をしようが、不快感を露骨にぶつけるようなことはなかった。
そんな彼が、自ら距離を取ろうとしている。余程の事があったのだろう。アセトアルデヒドはドアノブにビニール袋をかけ、しょんぼりと肩を落としながらその場を後にした。
足音が遠ざかり気配が完全にしなくなった辺りで、部屋の中にいたニコチンは……吸いかけのタバコを床の灰皿に押し付け、火を消した。
彼の部屋は備え付けの家具以外存在せず、殺風景と言っていい。刑務所の牢屋と大差ない程だ。
ただし今は、灰皿に収まりきらなかった吸い殻が床に散乱していて、異質な光景を生み出していた。
「……」
床に直で座るニコチンの右手には短くなったタバコ。左手には携帯端末。
部屋の灯りは付けておらず、唯一の光源はその画面だけ。
画面には、履歴一覧が映し出されている。
「こんな夜中でも通信すりゃ、あいつは応答する。か」
薄闇の中、ニコチンは誰にともなくぽつりと呟く。
「へっ、それがどうしたってんだ」
モーズは新人のクスシ。立場は弱く権力という権力は何も持っていない。ラボの入所試験を突破している以上、医師として知識や技術は高いのだろうが、クスシとしては未熟も未熟だ。
理想を掲げ、体当たりする勢いで菌床現場を駆け回り、できる事を必死に模索する姿などとても青い。
ウミヘビの中でもぶっきらぼうで口も目付きも悪いニコチンに対しても、決して臆せず接し対等であろうと努め、懸命に『治療』に励んでいた。
『コーヒーをよく飲んでいるが、豆にこだわりはあるのか?』
『釣りに興味はあるだろうか? セレンが案内してくれた物置で、釣り竿を見付けてな。私も未経験なのだが……。あっ、呆れないでくれ』
『そういえば寄宿舎の遊戯室にはビリヤードがあったな。やってみないか? えっ、寄宿舎に入れない? ええと、では誰かに運ぶのを手伝って貰おう。寄宿舎に入れるウミヘビを紹介してくれないか?』
『ネグラを一周してみたのだが、海に面した場所はないのだな。マリンスポーツでもどうかと考えたのだが。私も海ならば浮かべるのだし。うっ、嘘ではないぞ。……多分』
その『治療』は顔を合わせる度に、遊戯に誘うという形で施された。
様々な体験を経験する。それが治療に繋がるから、と。
滑稽な程に真面目に愚直に、ニコチンへ向き合ってきた。
「あいつにゃ、何もできやしねぇよ」
治療でも料理でも遊戯でも何事でも真摯だったモーズを思い出し、ふっと、ニコチンは力無く笑う。
「……何にも、な」
彼の赤い瞳には、諦観が宿っていた。
――ニコチンが扉を開け菓子を手にしたのは、携帯端末の充電が切れ、部屋が真っ暗になった後であった。
▼△▼
次章より『ハロウィンの翌日』、開幕。
ここまでお読みいただき誠にありがとうございます。
『真っ赤な嘘』、これにて完結です。
この真っ赤な嘘をついた対象は勿論、徐福です。ガーネットも嘘吐きですけども、徐福は彼の比じゃないという。
溜めに溜めて、ようやく登場が叶った副所長! 伏線との整合性を取るのに苦労しました……。本部襲撃メンバーも大分悩んだ。悩んだだけありいい感じにまとめられたかな?
ガーネット、徐福、ユワの正体判明、教団本部、《珊瑚サマ》、タリウムの掘り下げ、臨床試験の結果、など書くのに大分難儀した場面が多かったのですが書き切れてよかった!
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