毒素擬人化小説『ウミヘビのスープ』 〜十の賢者と百の猛毒が、寄生菌バイオハザード鎮圧を目指すSFファンタジー〜 

天海二色

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第二十一章 ハロウィンの翌日

第450話 多目的ホール

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 ◇

 立っていられない程の地震は5分程で収まった。
 しかし断続的な余震は続き、学会会場である多目的ホールは未だ混乱の渦の中にいた。
 地震そのものに慣れていない一部の聴講者は、会場警備の支持を待たず席を立ち、荒々しい足取りで出口へ走って行く。しかし座席と座席の間の通路は人一人分の幅しかなく、我先にと駆け込むほど人と人がぶつかり合いダマとなり、前へ進まない。
 このままでは群集雪崩が起きる。そう思われた直後、

「クロロホルム!」

 壇上で、ユストゥスが叫んだ。
 彼の呼び声に応え、壇上下手の袖に待機していたクロロホルムが、「Jaヤー!」という掛け声と共に飛び出してくる。
 彼は己の得物である槍状抽射器を背中に回し、右手の平を口元に添えると、
 ふー……
 薄緑色の毒霧を吐き、多目的ホール全体に散布する。
 間もなくして、通路で詰まっていた人々を含め、フェイスマスクを持たず抗う手段がない者達が次々に眠気を訴え、立っていられなくなり、座り込んだり側の椅子にもたれかかった後に夢の中へ誘われていった。
 クロロホルムの毒霧――致死性を極限まで落とした、麻酔の効果により眠りについたのだ。

「訓練通りに動け!!」

 多目的ホール全体が薄緑色のフィルターに包まれる中、指示を飛ばしたのはガスマスクを付けたマイクである。
 クララの座る座席の側。ホール壁際に立っていた彼は拡声器を片手に、警備を請け負っていたホール内のアメリカ軍を動かす。軍人達は一糸乱れぬ動きで、通路で眠る聴講者達の介助へ向かった。

「まずは出口を確保! 通路を塞ぐ、意識のない人間から順々に搬送! また負傷者を発見した場合、優先的に避難させ……!」

 ヒュ~…………。ドンッ! ドドンッ!!
 天井の遥か上。屋根の向こうから、鋭い破裂音が鳴り響く。
 重低音がホールの床を震わせ、思わず顔を上げた者も多かった。
 それは、事前に取り決めた信号弾の音である。
 意味は――『外は危険だ』。

「メディア、聴講者の方々、壇上へ! ひと所に固まり、動かないように!!」

 マイクの判断は速かった。
 直ぐ様、真逆の避難方針へと切り替える。

「緊急事態発令だ! !!」

 その声を合図に、ホール内にいた待機部隊が一斉に動き出す。
 私服姿で聴講者に紛れていた者達が次々と立ち上がり、素早く割り振られた持ち場へ向かって走り出す。
 座席の約3分の2が、瞬く間に兵士へと変貌した。

 ヒュウウウ……! ドンッ! ドドンッ!! ドドドンッッ!!

 慌ただしくなったホールへ、もう一度、轟音が鳴り響く。
 地を這うような重低音が胸を打ち、振動となって背骨を揺らした。
 先程とは違う信号。意味は――『菌床出現』。

Scheißeクソッ!」

 ユストゥスは苛立ちを声に出すと、壇上下手へ顔を向けた。
 視線の先には、電波が繋がらなくなったパソコンを抱えるフリーデンが立っている。

「フリーデン、上に出るぞ!」
「えっ!? いやまずパウル先輩に連絡取った方がいいんじゃ……!?」
「返事は短く! Jaヤーと言え!」
「やっ、Jaヤー!」

 フリーデンを呼び付けたと同時に、ユストゥスは袖を捲り腕から己のアイギスを分離すると、

「フリッツ、この場は頼んだ!」
「了解したよ」

 壇上上手に居たフリッツにホールを託し、肥大化したアイギスの触手に乗り、フリーデンとクロロホルムも抱え、ホールの出口まで一気に飛んだ。
 そのまま、彼らは戦場へ向かって行った。

「大丈夫ですかねー?」

 フリッツの背中に隠れるように立っていた尿素カルバミドが、ひょっこりと顔を出して言う。
 その肩に、静かに手を置いたのはクロロメタンだった。

「案ずる事はなかろう。かの者らはクスシの中でも場慣れしている。外の連中との合流も果たせれば、敵なしよ」

 落ち着いた低音。冷静な言葉には、確かな信頼が滲んでいた。
 尤もこの場とていつ安全でなくなるか不鮮明なのはわかっているようで、片手には既に冷気放射器を握っているが。

「うん。クロロメタンの言う通りだよ、カルバミド」

 フリッツは柔らかく、しかしどこか芯の通った声で続ける。



 ◇

「こいつぁ大物だねぃっ!」

 講演ホールの天井の向こう側。緩やかな弧を描くドーム型の屋根、その天辺に立つウミヘビ。
 迷彩柄の軍服を無造作に脱ぎ捨て、薄いシャツの袖を風にはためかせながら、燐は銃型抽射器を天に向け掲げていた。
 彼の口元には、抑えきれぬ喜色。
 眼下に広がる光景は――凄惨と呼ぶに相応しい、地獄絵図だった。

 大学病院の広大な敷地に建てられた、ドイツ感染病棟。そこの西棟が、菌糸に侵食されている。
 壁面にびっしりと張り巡らされたのは、血管のように脈打つ太い菌糸。
 真紅に染まったそれは、壁の内から外へと喰い破るように顔を出し、瞬く間に太く、長く、枝分かれしながら伸長していく。
 やがて菌糸は西棟所全体を包み込み、施設そのものを支柱とする異様な巨木へと変貌させた。

 幹のように肥大化した中心部からは、蔦状の菌糸が幾重にも這い伸び、周囲の空間を網のように覆っていく。
 その先端からは、赤黒い胞子が絶え間なく撒き散らされ、空に血の霧のような幕を張っていた。
 《植物型》。
 前回の特殊学会でも出現した菌床。しかしその規模は前回の比ではなく、周囲の庭園も、見る間に赤く染まりゆく。
 踏み荒らされた芝生には菌糸が這い、石畳には赤黒い斑点が浮かび、屋台やテントは蔓に飲み込まれ軋む音を立てる。
 数刻前まで賑わっていた祭り会場は、歓声が恐鳴へと変わり、逃げ惑う人々の絶叫で満たされた。
 そして、

 ボコッ!
 西棟の壁がひときわ大きく膨らんだかと思うと、崩壊。
 その裂け目から、隆起した菌糸を肢として這い出てきた、ステージ5。
 西棟内で入院をしていた、ステージ3患者の成れの果て。
 蜘蛛のような動きで壁を這い降り、うつ伏せのまま地上へ降り立つ光景は、殺戮の前触れを感じさせる。

「あんな雑魚共、俺の毒霧を使えば終わるというのに」

 ドーム屋根の上。
 感染者たちが次々と地上に降り立つ様を見下ろしながら、クロールは苛立ち混じりに唸った。まるで孵化したばかりの虫けらが這い回るのを眺めるような目付きだ。

「えっ!? だ、だ、駄目だよ、クロール……!」

 隣に立つアンモニアが慌てて制止する。
 声も体も小さく震え、顔には明らかな動揺が浮かんでいた。

「わかっている。だからさっさと働きやがれ、盆暗」

 言い終えるなり、アンモニアの背中を無造作に蹴りつけるクロール。
 アンモニアは「あぅっ」と短く声を漏らして前につんのめる。半歩前へ出たその位置には、迷彩柄のヘルメットを脱ぎ捨てたジエチルエーテルが立っていた。

「あ~、やっと脱げる。暑苦しかった」

 水色の髪を風に遊ばせながら、顔をぱたぱたと手の平で仰ぐジエチルエーテル。
 災害真っ只中ながら、その態度はどこまでも緩い。

「そ、そ、そんなのんびり構えている場合……!?」
「焦ったって効率があがる訳じゃぬぇだろ。寧ろ下の人間共が落ち着くまで間を置いた方がいい。人が少ない方が涼しいしな」

 地上では菌床出現直後から、警備に回っていた軍の部隊が避難誘導に勤しんでいる。
 そもそも大学病院敷地内に居る群衆の半数は、ドイツ支部とアメリカ支部を中心とした国連軍。私服の者が多く側から見ると分かりにくいが、過剰なまでの厳重耐性が敷かれていたのだ。彼らの活躍によって感染者の制圧、牽制も迅速で、パニックも徐々に収まってきている。
 ウミヘビ側からすると、人間が多い方が動き難い。
 人の波が引き、一般市民が被災地から除かれたその時こそ、彼らが動くべき瞬間だ。
 マイペースに軍服を脱いだジエチルエーテルは、腰にが収まったガンホルダーを装備。
 次いで視線だけアンモニアに向けた。

「ぶっつけ本番。クールに行こうじゃぬぇの、アンモニア」
「う、う、うん……っ!」

 
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