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第二章 穏やかな涅槃
幕間 穏やかな涅槃
しおりを挟む世界は薄暗い。
スノードロップの目には、華美で色鮮やかなプリマヴェーラのすべてが、モノクロームのように色褪せて見えていた。
木々の枝葉はすべてが青みがかっていて。路傍に生えているタンポポも、花壇に植えられたアイリスも、湖の側に咲き誇るベゴニアやアヤメやコスモスも、向日葵も薔薇もチューリップもなにもかも――。なにもかも灰色で色なんかなくて。植生が滅茶苦茶なこの世界の百花繚乱のすべてが、スノードロップの目には明るく見えなかった。
精神的なものなのか。
それとも血を失いすぎたことで色覚に異常が生じたのか。
原因は杳と知れなかった。
だけど、どうでもよかった。別にさほど不便は感じていないし、もう治したいとも思わない。
どうでもいいのだ。
自分の人生のすべては、復讐のためにあるのだから。
「……」
スノードロップは色褪せた丘を登る。
ただの小高い丘には大小さまざまな花が咲いていて、静謐な風にゆらされて、まるで笑っているかのような音を出している。それは色が見えるものからすると爽やかに感じられるような優しい音なのかもしれないが、スノードロップにとってはただの嘲笑でしかなかった。ささやかな音さえも憎い。プリマヴェーラのすべてが憎い。
憎い。
憎い憎い憎い憎い――。
奥歯を噛み砕く音が、頭に響いてくる。
頭に浮かぶのはかつての仲間たちの笑顔と、絶叫を上げながら引き裂かれていく苦悶に満ちた顔。ときおり何の前触れもなく浮かんでくる情景の一つだった。世界には色がないのに、その情景だけはやたらと色に溢れていて、血の匂いすら感じられるほど鮮明だった。
フラッシュバック。
彼女はあの事件があってから二年間、毎日のようにトラウマを呼び起こされ、憎悪の閃光に脳を焼かれていた。
地獄は、常に側にあった。
逃げることはできない。
「……はっ」
――逃げる気などなかった。
すべてを燃やし尽くし、殺し尽くすまで止まる気などない。自分には後退など許されてはいない。進み続けなければいけない。死ねなかった以上、生き残ってしまった以上、仲間のために戦うしかなかった。
それが、自分の宿命なのだ。
スノードロップは立ち止まった。
丘の頂上についたのだ。そこには一本の桜の木が立っていて、遠目にはアスピスの要塞が見えた。スノードロップは細く息を吐いて、桜の木へと近づく。
灰色の花。その花の枝の下には、小さな墓石があった。不揃いで、歪な墓石。根元には花が植えられていて、そのすべてはスノードロップが植えたものだった。
仲間の名前と同じ花。
「……また来たよ」
スノードロップの言葉は、ただ空に溶ける。
彼女は墓石を見下ろしながら小さく笑う。そしてその笑顔はすぐに解けて、寂寥と悲哀の滲んだ表情へと変わった。
ここには誰も眠っていない。
彼女たちの死体は軍に回収され、こことは違う無縁墓地に葬られた。首都フローラにある軍人墓地。そこには中々行くことができないし、そもそも立ち入る許可も降りないだろうから、代わりを用意せざるを得なかった。
死体も骨さえもない墓所。
こんなところには仲間の魂さえ寄り付いていない。空虚に空虚を重ねるような行いだとわかってはいる。だが、それでも――それでも彼女には必要だった。
止まり木として。
心の拠り所として。
孤独を癒す場所として。
そして、自分の原点と使命を決して忘れないために、誓いを立てる場所として。
「……」
ここが仮設でも。本当の墓地ではなくとも。魂は宿っていなくとも。
ここに来ると嫌でも思い出す。
仲間と過ごした煌びやかな暖かい日々を。拠点「クロノス」……新進気鋭の精鋭部隊「クロノス隊」の輝かしい栄光。
隊長を務めたスノードロップは、その想い出を忘れることができなかった。優秀で、仲間想いの部下たちとの居心地の良かった日々。出撃後、必ず全員でテーブルを囲いお茶会をして、生きて帰ってきたことを何度も確かめあった。冗談を飛ばし合い、おふざけも何度もして、当時のメンターから何度も雷を落とされた。
そんな日々の光景が写真のように切り取られ流れていく。
みんな笑顔だった。ときに辛く、悲しいことがあっても慰め合い、前を向いて、笑い合うことができていた。
――それが突如、理不尽に奪われた。
「――」
思い出したくなんかない。
でも、絶対に脳裏から離れない光景。
あの日、「クロノス」で展開された地獄は、そうした灯火のような日常のすべてを一瞬で破壊した。無数に押し寄せる化け物。抵抗も虚しく引き裂かれ、絶叫を上げながら肉塊にされていくアンサスたち。仲間の死体が、部下だったナニカが、血の海の上に投げ出され、ゴミのように放られていて、精鋭部隊の栄光は尊厳とともに粉々に破壊された。
身体が勝手に震えだす。
忘れられるわけもない。明るい想い出に浸ろうとすると、かならず現れるのだから。いや、思い出さないようにしたところで、ふとしたきっかけに勝手に浮かんでくる。血が、憎悪が、怒りが、沸騰する。
それはまるで、寄せては返す波のように。
何度も何度もリフレインする。
消えることは、決してない。
「ああああああぁっ」
スノードロップは叫んで、蹲った。地面を掴んで土を抉り、歯を噛み締めてドス黒い感情に耐える。
思い出したくなんかない。でも、忘れられない。明るい記憶だけ切り取ることができればいいのに、それもできないのだ。光が浮かぶと、それを覆い尽くす巨大な闇が現れる。苛まれない時間なんかない。苛まれずに済むことなんかない。何度も何度も何度も何度も何度も何度も――。
悪夢は終わらない。
「……シオン」
不意に浮かんだ名前を、震える声で吐き出した。
シオン。それは、スノードロップと同じ日に拠点で生まれた親友。一番仲のよかった気の置けない友人だった。
彼女は、スノードロップの目の前で生きたまま内臓を引きずり出され殺された。アンサスの生命力の強さを試すがごとく、化け物どもは彼女の腕を引きちぎり、足を捻り折り、腹の肉を裂いて弄んでいた。
激痛と恐怖に泣き叫び、助けを求めるシオンの声は、今でも鮮明に思い出せるほどに耳朶に染み付いている。
「……お前は、死んだんだ」
スノードロップは事実を確かめるように言葉を吐いた。魂を削るような痛みを伴いながら。
地面が滲んで見えたのは、心が叫んでいたからだ。
「……死んだんだよ。俺の目の前で。助けられなかったんだ……そうだろ……。……そうなんだよ。ずっと……俺はずっとそのことを……」
唇を噛んだ。血が溢れても、止まらない。
「お前は眠ったんだ……。穏やかに眠れる場所に行って、苦しみから解放されたんだよ。……死んで花となったんだ……。もう、いないんだ」
だから――。
だから、あいつはシオンではない。
シオンであっていいわけがない。化け物どもに弄ばれ蹂躙されたのに、なんでその化け物の腹からシオンが生まれてくるというのか。そんなのはあんまりだ。あまりにも酷すぎて、受け入れられるわけがない。
あれは、シオンではない。
そうだシオンはもう死んだのだから。
「……俺は、地獄にいるんだ」
わかりきったことだった。
でも、あまりにも受け入れられなくて、そう吐き出さないとさらに狂ってしまいそうだった。
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いるとすれば、それは悪魔だ。
「……シオンッ。俺は……俺は……」
本当は眠りたいんだ。
心の中で生じた矛盾した願いは、少女の耐え難い絶望に対するアンビバレントな感情の発露だった。穏やかに眠る仲間たちの前で、ただ一人眠ることを許されなかった少女は、叫び続ける。
ここは、皮肉に満ちた穏やかな涅槃。
眠りについたものたちが、絶望へと還る場所。
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