プリマヴェーラ・ストラトス―転生したらヒロイン全員病んでいて修羅場な件―

浜風ざくろ

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第六章 消えぬ狂気

第八十六話 狂おしいほどおかしな愛

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 花の歌が流れていた。

 小さな蓄音機から流れる美しいピアノソナタは、ところどころに途切れながら、薄暗い部屋の沈黙を囁くように脅かす。

 この世界を象徴するクラシック。プリマヴェーラを訪れたものたちを歓迎するその曲は、椿の孤独を誤魔化すこともできなかった。 
 
「……ミノルちゃん」

 自室の椅子に腰掛ける彼女は、寂寥の吐息をこぼした。愛しい人の名とともに。愛しい人の影を思いながら。

 服を織っていた。

 小さな服を。小さな小さな服を。

 棒針を持つ指先が、爪弾くように動く。美しい動きだが規則的で、まるで精巧な機械のようにも見えるほど完成されていた。それを何回も繰り返している。何回も、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も――。

 ベッドには、彼女の作品が山積みになっていた。謹慎を申し渡されてから休まずに、寝ることもせずに続けたせいか、その数は膨大だった。寄り添い合うテディベア、子供用の上着、子供用の靴下、子供用のズボン、子供用のよだれかけ、子供用のニット――。

「ミノルちゃん……ミノルちゃん……ミノルちゃん……」

 彼女の瞳は病的なほどに暗かった。

 うわ言のように愛する人の名前を呼びながら、ただ服を織っているのだ。彼と自分の子供が生まれたときのために。ただひたすら、その先の夢を追うために。

 準備は大切だと思うから。

 必ずたくさんの子供を授かることになる。彼はたくさん求めてくるだろうし、椿もたくさん求めるから。彼との間にできた子供は、きっと皆天使のように可愛いはずだ。だから、たくさん可愛い服を作るんだ。たくさん可愛いぬいぐるみを作るんだ。たくさんたくさん、たくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさんたくさん。

「ミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃんミノルちゃん……」

 ――ねえ、可愛い子供が欲しいの。

 椿は、薄暗く嗤う。

 ――子供ができたら、私のこと見てくれるよね?

 ――見てくれないわけないないよね?

 花の歌が、ざりざりと割れる。古びた蓄音機は、古びたレコードと噛み合わず削り合っているんだ。その音は不快で、狂おしいほどに寂しいのに、なぜか聞いていたくなる。

「ミノルちゃんは私のものなの」

 椿は、つぶやく。

 そう、彼は椿のものなんだ。誰のものでもない。最初から、生まれたときから、決まっている。椿と彼は結ばれる運命なんだ。結ばれないといけないんだ。

 この世界は、そのためにあるんだから。

「なのに、なんでこうなるの?」

 わからない。

 椿は、は、ミノルのためを思って、彼の記憶を消してきたんだ。苦しんできた彼が、もう苦しまなくていいように。家族を失ったことも、重荷となっていた妹の存在も、そして彼が自分を殺すことになったきっかけでもある事件も……。

 そうすれば、彼はまっさらでいられたのに。

 いいことをしていたんだ。神様が、許してくれた。愛する人を救いなさいって。愛する人を、優しい世界に連れていきなさいって。もう頑張らなくていいんだって教えてあげなさいって。

 救いだった。

 だのに、上手くいかない。

「……そんなに、翔陽ちゃんはミノルちゃんが憎いの?」

 生命の調律。

 女神の慈悲さえ否定するあの力をミノルに与えたのは、間違いなく翔陽だ。彼は、あの事件でずっとミノルを憎んでいる。何年もずっと。そのせいでミノルが自分のこころを殺すことになって、苦しみを背負うことになっても。そのことをわかっているはずなのに、それでもこうも綿密に嫌がらせを続けているんだ。

 彼は、ミノルに夢を見せる気はない。忘れられないように、あの力を与えてゆっくり思い出させようとしている。

 ミノルのこころを再び踏みにじろうとしているんだ。

「……みんな知らないのよ」

 この世界の花が、死体から咲いていることも。

 この世界が、女神の慈悲とミノルへの復讐のために創られた歪なものであることも。

 ミノルが、再び地獄に戻ろうとしていることも。

 誰も、なにも、知らないんだ。

 椿は、棒針をテディベアに刺した。

「それなのに」

 あの、泥棒猫どもが――。

 何も知らないくせに、邪魔ばかりして。

「死ね」

 ――死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した刺した。

 たくさんたくさん。綿が、腹を引き裂いたときの臓物のようにまろび出てきて。狂おしい。こうしたい。あいつら、全員。愛しいミノルに近づく蛆虫どもは全員、全員死ねばいいの。

「………………泥棒猫が」

 頭に浮かんだのは、白い泥棒猫。

 あの、強いだけが取り柄の薄汚い女。誰よりもミノルを拐かしているくせに、そのことに気づいてすらいない害虫。

 蛆虫め。

 ――お前のせいだ。お前のせいで、みんな壊れた。ミノルは忘れていないといけなかったのに。自分は正しいことをしようとしていたのに。まるで罪人のように糾弾してきて、ミノルの信頼さえも壊されてしまった。

 ――翔陽と、蛆虫。お前たちは絶対に許さない。ミノルちゃんと自分の幸せを壊したお前たちを。やり直そうとした人生を台無しにされたんだ。

「……もう、やめて」

 椿は嘆いた。

 自分じゃない自分が言った。自分の中に混ざっている椿が言ったんだ。椿は嗤う。

「煩いな」

「やめて、お願い……。スノーちゃんは何も悪いことはしてないじゃない」

「私から彼を奪おうとしている。それは、悪いことでしょ?」

「……違う。彼は、あなたのものじゃないわ」

 棒針を刺した。

 自分の太ももに。

「……あはっ」

 溢れ出す痛みと血に、震えるほど興奮する。

 椿は黙った。いや、泣いている。痛くて悲しくて泣いているらしい。

「……うふふ。間違えているのはあなたよ」

 なにも間違えてなんかいない。

 あいつらは、いずれみんな死ぬ。

 これから生まれる「エリカ」の養分となって朽ち果てる運命なんだ。

 その果てに待つ理想郷の踏み台となる定め。

 ――だから、殺したって何の問題もない。

「……ミノルちゃん」

 ――予定が変わったよ。

 本当はすべてが終わってから思い出してもらう予定だった。それまでは椿として愛してもらうつもりだったけど、こうなってはそれも難しい。

 ――でも、それでも椿は慈悲深いから。

「一度だけ機会をあげる」

 椿は、艶やかにつぶやいた。

 ――椿をもう一度愛してくれるなら、あなたの大切なものはまだ壊さない。決定的なほどには、まだ壊さないから。

 ――でも。

「……許さないから」

 ――椿を、一度拒絶したことは。

 許さない。

 椿は、正面に手をかざす。

 ざりざりと音を立て、砂嵐を帯びながら現れたのは露木稔のメニュー画面。

 そこにある項目をみてほくそ笑む。

 シオンの固有ストーリー発動条件。

 イベント名「生命の調律」を。

「……うふふ」

 花の歌が、割れていた。

 壊れたレコードから奏でられる壊れた名曲が、とても心地よい。

 ――忘れていたな。

 ――ここは、花が咲く地獄なんだって。 
 
 椿は、血を流しながら再び服を織り始めた。

 その表情は狂気そのものだった。 

 
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