夜霧家の一族

Mr.M

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三章 そして二人いなくなった

<日入 酉の刻> 神隠

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西の空が紅く染まっていた。

本宅の茶の間には八人分の膳が並んでいた。
しかし部屋には七人の人間しかいなかった。
各々が目の前の膳を見つめたまま
押し黙って座っていた。

「闇耳、兄貴を呼んで来い」
痺れを切らした孤独が口を開いた。

「私が呼んできましょう。
 皆は先に食事を始めて下さい」
末席の闇耳が腰を上げるよりも先に
一二三がさっと立ち上がって部屋を出ていった。

「二三姉ぇ、随分と気掛かりのようね」
狐狸が孤独の方を見て
にやにやとほくそ笑んでいた。
「何が言いたいんだよ」
孤独が狐狸を睨み付けた。

「予見があんなことになったんだから、
 わかるでしょ?」
「へっ、一槍斎の兄貴が
 予見のように殺られたとでも言いたいのか?」
「少なくとも、
 二三姉ぇはそう考えたんじゃないの?」
「一二三の姉貴は心配性なんだよ」
狐狸の話が面白くないのか
孤独は「ちっ」と舌打ちした。

「愛する人のことだもの、心配して当然よねぇ」
そんな孤独の様子を見て狐狸はさらに続けた。
「馬鹿野郎、それは餓鬼の頃の話だろ!」
「あはは、男の嫉妬はみっともないわよ、孤独」
狐狸は口を大きく開けて笑った。
「てめえ、ふざけたことをぬかすと許さねえぞ。
 あと、兄貴のことを
 呼び捨てにするなって何度も言ってるだろ!」

そこで狐狸はハッと息をのむと口を噤んだ。

「おい、何とか言えよ!」
孤独が声を荒げたが、
狐狸はそれを無視して
何かを考え込むように口に手を当てた。
「ねえ・・アンタ、前に言ってたでしょ?」
そして僅かな間を置いてから口を開いた。
「槍兄ぃと予見が怪しいって」
狐狸の言葉が予想外だったのか
孤独は目を瞬かせた。
「へっ!
 あん時は俺様の話を信じなかったくせに、
 何だよ今更?
 俺様は確かに予見と兄貴が二人で
 こっそりと午の宅に入っていくのを見たんだよ」
「あの時は
 アンタが寝ぼけて幻でも見たのかと思ったのよ。
 大体、何でわざわざ空き家になってる
 午の宅で逢引きする必要があるのよ?
 そんなことよりも。
 二三姉ぇがアンタの与太話を信じ・・」
狐狸の言葉は続く孤独の怒号により掻き消された。
「おい!
 さっきから聞いてりゃ『アンタ、アンタ』って
 兄貴に向かってふざけるのも大概にしろよ!
 それに与太話ってどういう意味だ!」
孤独が目を大きく見開いて怒鳴った。

「止さぬかっ、二人共」
不意に、八爪の声が茶の間に響き渡った。
「夜霧の掟に従いお前達が生き残った場合、
 二人でこの家を
 盛り立てていくことになるのだぞ。
 もう少し仲良くできんのか」
そして八爪は大きな溜息を吐いた。

「へっ。
 親父、心配するこたぁねえさ。
 生き残るのは此奴じゃなくて
 一二三の姉貴だからよ。
 ひっひっひ」
孤独がツルツルの頭を撫でながら笑った。
「まるで自分が生き残るのは
 決まってるとでも言いたげね。
 残念だけどアンタは槍兄ぃか陽兄ぃに
 殺られるわよ。
 二郎に勝てるかどうかも怪しいところね」
狐狸は澄ました顔で湯呑の茶を啜った。
「何なら俺様がてめえを殺ったっていいんだぜ。
 別に男が女を殺しちゃいけねえって
 決まりはねえんだからな」
孤独が舌を出してべろんと唇を舐めた。

その時、
廊下を駆けてくる足音がして
慌ただしく障子戸が開かれた。

「坤の宅に兄の姿はありませんでした」
顔を真っ赤にした一二三がその場に立ったまま
息を弾ませてそう切り出した。

茶の間にいる誰もがすぐには言葉を発しなかった。

八爪は目を閉じて
何やら考え込んでいるようだった。

孤独は俯いて込み上げてくる笑いを堪えていた。

陰陽は一二三の表情をじっと見つめていた。

狐狸は驚いたように大きく口を開けていた。

二郎は目の前の料理を指を咥えて眺めていた。

闇耳はぼんやりと天井を見上げていた。

外から雉鳩の
「グーグーポッポー」
という啼き声が聞こえてきた。


「消えた・・。
 そういうことかな?」
陰陽の声が茶の間に流れていた沈黙を破った。

「部屋の様子はどうだったのだ?」
八爪が目を開けて一二三に問いかけた。
「僅かに争った跡が見られました」
「ひっひっひ、
 こうなってくると
 兄貴はすでにこの世にいないのかもしれねえな」
孤独がおどけた調子で軽口を叩いたが、
それに対しては誰も反応しなかった。

「・・兄さんは
 自分の意志で消えたのかもしれないよ」
しばらくしてふたたび陰陽がポツリと呟いた。

「何を根拠にそんなことが言えるんだよ、陰陽?」
孤独の目が大きく見開かれて陰陽を睨んだ。
「一槍斎兄さん程の腕の持ち主を殺すことは
 容易じゃない。
 兄さんと争って
 仮に命を奪うことができたとして、
 当然その相手だって無事では済まないはず。
 にも拘らず、
 ここにいるボク達の中に
 怪我をしている者はいない」
「・・そうですね。
 陰陽の言葉を信じましょう」
陰陽の言葉に一二三は小さく胸を撫で下ろした。

「あはは。
 陽兄ぃも二三姉ぇも
 何を呑気なことを言ってるのよ?
 予見が殺されたことは忘れたの?
 それにいくら槍兄ぃが強いからって
 正面からやり合ったとは限らないでしょ?
 いるじゃない、ここに。
 卑怯なやり口が得意な奴が」
そう言って狐狸は孤独を指差した。

「てめえ、
 俺様が兄貴を殺ったって言いたいのか!」
「アンタは昔、
 槍兄ぃを毒殺しようとした過去があるじゃない。
 忘れたわけじゃないわよね?」
「て、てめえ!」

「止めなさい、二人共!」
滅多に声を荒げることのない一二三が
屋敷中に響くほどの声で叫んだ。
一瞬で茶の間が静寂に包まれた。

「神、隠、し・・」
その時、闇耳が小さな声で呟いた。
皆の視線が闇耳に集まった。
しかし
その後しばらく待っても
闇耳がそれ以上口を開くことはなかった。

「仮に一槍斎が何者かに殺されたとして、
 それは奴が弱かったというだけのこと。
 一体、何の問題がある?」
そんな中、
八爪が普段通りの穏やかな声を発した。

誰も口を開かなかった。

「・・そうですね。
 お父様の言う通りです。
 予見が亡くなったことで
 皆も覚悟はしているでしょう」
一二三は大きく息を吸って、
膳の前に腰を下ろした。
それからそっとその細い指で目尻を拭った。
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