ストーカー

Mr.M

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五章 神無月

十月十八日(火曜日)8

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明け方から降り続いていた雨も
随分と小降りになり、
それと共に洋館の上には晴れ間が広がってきた。

テレビの画面がスタジオに戻ったが
その場は若干ざわついていた。
女子アナウンサーが慌てた様子で口を開いた。
「ここで、たった今入ってきたニュースを
 お伝え致します。
 今朝、
 朝臣市の大江町桂浜の山道で、
 乗用車が崖から転落する
 という事故がありました。
 現場は見通しのよい片側一車線の下り坂で、
 乗用車がカーブを曲がり切れずに
 崖から転落したものとみられています。
 車を運転していた男性は
 病院に搬送されましたが、
 意識不明の重体ということです。
 なお、この男性は
 先日八木容疑者の逮捕に貢献した、
 私立探偵の大烏亜門さんであることが
 わかりました。
 そして大烏さんは
 先日の殺人未遂事件の被害者である女性と、
 昨日入籍されたばかりだということです」
男と女はテレビの画面を見つめたまま固まった。


「・・こ、これは。
 よりによってすごいタイミングですね」
先に口を開いたのは男だった。
「それは事故のことを言ってるの?
 それとも結婚の方?」
男の動揺とは反対に女は冷静だった。
「両方ですよ。
 事件が二人を結び付けたと考えたら
 それはそれで劇的ですけど。
 入籍した翌日に交通事故だなんて。
 これはもう悲劇的ですよ。
 人生何が起きるかわからないですね。
 一寸先は闇というか、
 いやこの場合は青天の霹靂かな、
 それとも名探偵の誤推理と言うべきでしょうか。
 幸せな二人に訪れた突然の不幸。
 運命って残酷ですね」
興奮している男に女は白い目を向けた。
「武って本当に呑気よね。
 二人に訪れた突然の不幸?
 本当にそうかしら?
 たしかに大烏亜門にとっては
 不幸かもしれないけれど、
 安倍瑠璃にとっては
 そうではないかもしれないわよ?」
「な、何を言っているんですか。
 二人は入籍したばかりなんですよ?
 愛する人が事故にあったんですよ?
 どう考えても不幸でしょう」
「安倍瑠璃が本当に大烏亜門を愛していれば、ね」
女は窓の外に目を向けた。
窓を濡らしている雨の雫が一筋だけ、
ゆっくりと流れ落ちた。

「・・何ですかその含みのある発言は?」
男は呆れたように女を見た。
「案外、安倍瑠璃にしてみたら、
 大烏亜門がこのまま死んでくれた方が
 嬉しいのかもしれないわよ?
 もっと言えば、
 『どうして即死じゃないのよ』
 って思ってるのかもしれないわね。
 そっか、
 この事故も彼女が仕組んだものだとしたら・・」
そこまで言うと女は口を噤んだ。

男は女の発言に文字通り呆気にとられた。
男はコンコンと軽く咳払いをした。
「何てことを言っているんですか実果さん。
 不謹慎にもほどがありますよ。
 そもそも愛があるから
 二人は結婚したんでしょう?」
しかし男のそんな言葉も
女の心には響いていないようだった。

「これだから男っていう生き物は・・」
そして女は大きく溜息を吐いた。
「武は結婚に夢を見すぎてるのよ。
 愛しています。
 だから結婚しました。
 なんていうのは映画や小説のお話。
 女は男が考えている以上に
 現実的で狡い生き物なのよ。
 もし彼女が大烏亜門に恋をしたのだとすれば、
 それは彼の預金残高に対してね」
女の言葉に男は口を大きく開けて固まった。
男はもう一度コンッと咳払いをした。
「それは実果さんの偏見ですよね?
 第一、実果さんに結婚の何がわかるんですか?
 自分だって未経験じゃないですか。
 恋愛に関して言えば
 実果さんと私は同じ土俵です。
 そもそも男女の仲なんて
 第三者には理解できないんですよ。
 世の中色んな人間がいるんです。
 人の数だけ愛の形があるんですから。
 皆が皆、美男美女というわけではないんですよ。
 よく言うじゃないですか。
 十人十色。
 蓼食う虫も好き好き。
 ホームズよりもルパンが好き」
そこまで話して男は
女が自分の話を全く聞いていないことに気付いた。
今度は男が大きな溜息を吐いた。
「とにかく、
 実果さんの考えは飛躍しすぎています。
 百歩譲ってお金のために結婚したとして、
 その翌日に殺すなんて。
 そんな短絡的な人間がいたら、
 世の中犯罪者だらけになりますよ。
 そもそも殺すくらいなら
 端から結婚しなければいいんです」
男の言葉に女はポンッと手を叩いた。
「そうね。
 殺すくらいなら結婚しなければいいのよね」
「でしょう?
 それに彼女ほどの美貌の持ち主であれば、
 金にも男にも困らないはずです。
 それなのに彼を選んだのは
 そこに愛があったからですよ」
「まあお金はいくらあっても困らないけどね。
 でも結婚の目的がお金でないのであれば、
 大烏亜門を殺す動機は、
 それがそのまま彼女が結婚した理由と
 関係があるわね」
結局、男は自分の反論が
女には効果がなかったことを悟った。
男は諦めてソファーに身を沈めた。

「結婚をしてすぐに相手を殺そうとしたことから、
 そもそも結婚が彼女の望みではなかったと
 考えるのが自然。
 それならなぜ彼女は結婚をしたのか」
「望んでもいないのに結婚なんてしますかね?」
男は当然の疑問を口にした。
「それでも安倍瑠璃は
 結婚をしなければならなかった。
 彼女の意志とは無関係に」
「それはつまり?」
男は仕方なく相槌を打った。

「安倍瑠璃は大烏亜門に脅迫されていた」
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