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第拾章:件の件

第23話:件の白澤

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 夜ノ見町に戻ってきたのは真夜中であり、あと少しで日を跨ぎそうな時間帯だった。時間が時間という事もあってか人通りは無く、町は静けさに包まれていた。四仁宮とは違って街灯もあり建造物も多いため、この時間でも問題無く周囲の状況を確認する事は出来たが、やはり深夜という事もあって裏路地などは一メートル先くらいしか目視出来なかった。
 『件』が話していた神獣の一体である『牛女』を探すべく町中を歩き回っていたが中々見つけられなかった。深夜であるため何かが居れば確実に気配を感じられる筈なのだが、どこにもそれらしくものは感じられず、精々民家の中から住民の話声や気配が辛うじて聞こえる程度だった。

「みやちゃん、『牛女』ってどんなのだっけ……」
「アタシも詳しく覚えちゃいねェが、多分アイツと同じ予言をするタイプの奴だ」
「暴れるって言ってたけど、予言だけでそんな事出来るのかな……」
「さぁな。だがいずれにせよアイツの予言が外れた前例は無かった。『牛女』とかいうのが来るのはマジなんだろうよ」

 民家が並んでいるあかつき通りをしばらく歩いていると、突然犬の鳴き声が複数回響き渡った。その後犬の悲鳴らしく声が聞こえ静かになった。夜中に犬が吠える事自体は有り得なくはなかったが、今この状況でしかも悲鳴までも聞こえたとあっては確認しない訳にはいかなかった。

「翠……」
「う、うん」

 音が聞こえた方向へとひっそりと歩き、立ち並んでいる民家の入り口を一つずつ覗いて確認していると、ある家の敷地内から何かの水音の様なものが聞こえてきた。ぴちゃり、ぴちゃりと地面に滴下している様な音であり、嫌な予感がして心臓の拍動が少しだけ速まった。
 そしてそこを覗いてみると、そこには何かがうずくまる様にして蠢いていた。意を決して懐中電灯を向けてみると、それは着物を着た女性と思しき後ろ姿であり、足元には血塗れになっている犬が倒れていた。女はゆっくりとこちらに振り返りその顔を露わにした。
 女の頭部は牛そのものと言っても過言ではない形をしており、口の周りには犬のものと思しき血が付着していた。興奮状態にあるのか鼻息を荒くしており、話が通じる雰囲気では無かった。

「み、みやちゃんどう……?」
「翠急げ! 居たぞ!」

 翠に指示を出した瞬間『牛女』はこちらに全身を向けたかと思うと突進を仕掛けてきた。咄嗟に飛び退いて何とか躱せたが、『牛女』がぶつかった拍子にブロック塀が一部破損していた。尻餅をついた姿勢から何とか立ち上がり向かい合って対峙し、すぐに攻撃出来る様にと地面に熱源を流した。翠の準備が整うまでに少しでも時間稼ぎをしなければならなかった。

「あな悲し 崇めし神を 忘れ果て 今や我をも あだと成すとは」
「オイ大人しくしろ! 妙な真似すンなよ!」

 急いで熱源を移動させて『牛女』の体へと上らせ始めると、再び喋り始めた。

「大地揺れ 例え全てを 穿うがとうと それらは全て 我の為なり」

 加熱を行おうとした瞬間、突然まるで地震の様に地面が揺れ始めた。上手く踏ん張る事が出来ない自分はバランスを崩して尻餅をついてしまい、折り紙を取り出していた翠も手から零れ落としていまっていた。そんな中でも『牛女』は平然とした様子でそこに立っており、空を見上げ始めた。

「長月の 夜闇は我を 呑み込みて いつしかその身 闇へいざなう」
「テ、テメェ……」
「みやちゃん!」
「翠! お前ェは結界に集中しろ! そっちが上手くいきゃいいンだ!」

 何とか立ち上がろうとしたものの、いつまでも地面は揺れ続けており、そのせいで一向に上手くいかなかった。『牛女』は背を向けて夜道を歩きだし、その場から離れ始めていた。翠はそれを追跡させる様に折り紙を数匹飛ばしたが、『牛女』が何事か呟くと何故か空中でピタリと停止したかと思うと数秒後には落下してしまった。
 やがて『牛女』の姿が見えなくなると揺れは収まり、立ち上がる事が出来る様になった。

「ご、ごめんみやちゃん……」
「いや大丈夫だ。一応アタシの熱源はまだ付いてる。しかしさっきの揺れは……」

 周囲を見渡してみたものの誰も外には出てきておらず、騒ぎ一つ起きていなかった。もし仮に地面が揺れていたのであれば、他の住人も気付くはずだがその様子がまるで見られなかったのだ。
 アイツがさっきやったのは予言の一種か? だがこの感じは妙だな……幻覚を見せられてたのか? 認識そのものに干渉してきただけなら、それを打ち敗れれば簡単に捕まえられるか……?

「行こう翠。それと白い折り鶴あったろ。あれを頼む」
「え、う、うん」

 翠は所有者の認識能力を補完してくれる力がある折り鶴を取り出すと、周囲を漂う様に浮遊させた。普段ならば懐に忍ばせたりするところだが、深夜で人の気配が無いという事もあってこの方法をとったらしい。その状態で自分の付着させた熱源から発される波を探知しながら歩き始めた。
 そうして辿り着いたのは夜ノ見小学校だった。深夜のため生徒は誰も居らず、いつも賑やかな校内からは声一つしなかった。そんな小学校の校門前に『牛女』は立っており、校舎を見上げていた。
 今度は逃がさない様に警告無しに加熱を開始したところ、熱を感じてこちらに気付いた。翠もすぐさま『四神封尽』に使う折り紙を放ったが、『牛女』は再び口を開いた。

「子は宝 國が語りて 民共は いつしか我を 忘れ果てぬる」

 空気が一瞬冷えた気がした。

「愚かなる 無知を極めし 者共は かつてのともを 穢れと嫌う」

 その発言の直後、杖を握っている左手に斑点が現れ、それらが急激な速度で肥大化していった。いつの間にか左手の感覚も無くなり、杖を手放してしまい何故か加熱も出来ない状態へと変化してしまった。

「っ!?」
「み、みやちゃんそれっ!」

 斑点が出来て感覚が無くなる……昔見た何かの映画で見た事がある症状だ。確かハンセン病だったか、らい菌を基に発症する病で以前はその見た目や偏見から罹患者が差別を受けた事もあった病だ。だが今じゃ治療法も判明してるし、人から人への感染はほぼ無いとされてる。まさかこいつ、今意図的に感染させたのか……?
 その場から立ち去ろうとする『牛女』に熱源を移動させようとするが何故か上手くいかず、無事な右手で頭部に触れてみると僅かに腫れており、その影響で上手く発動出来ない可能性があった。

「翠っ! 結界で祓ってくれ!」
「で、でもそれって何かの病気なんじゃ……」
「だとしてもアイツが予言の力で無理矢理作った病気だ! 祓ってくれれば消せる!」
「わ、分かった!」

 翠は蛙を模した折り紙で倒れているアタシを囲み、瓶詰折り鶴に念を送り始めた。すると腫れはみるみる引いていき、すぐに元通りの体へと戻れた。それを見てすぐに熱源を移動させて『牛女』に付着させ、いつでも追跡出来る様にしておいた。

「だ、大丈夫?」
「ああ……しかしアイツ、予言ってのとはちょっと違うンじゃねェか……?」
「そうなのかな……」
「まァそれは後でいいか。それより翠、先にこの学校の浄化からだ」
「え?」

 僅かではあったが、学校の敷地内からは妖気の様なものが放たれていた。微弱なものではあったが先程自分に起きた症状を鑑みると放っておく訳にはいかなかった。

「アイツは自分の意思で病気も伝染させられる。さっきの発言を見るに、ここをターゲットにしてた筈だ」
「で、でもどうして……」
「分からねェ。だが忘れられた神獣だ。荒魂となったからには人間を皆殺しにするまでやめないつもりかもな」
「だから学校……」
「子供が居なけりゃどこの国も発展は出来ねェからな」

 翠は蛙達を自立移動させて学校の敷地全域が入る様に配置すると浄化を開始した。その際中『牛女』の位置を追跡し続けていると町中をウロウロと歩き回っており、次の標的にする場所を吟味している様な印象を受けた。
 浄化を終えると追跡を再開して次の場所へと向かった。とはいえ『牛女』は未だに立ち止まらずに移動を続けており、何を次の目的としているのかは不明だった。
 到着したその場所は駅前の広場だった。いつもは賑やかなこの場所も今は静けさに包まれており、街灯の音がジジジと鳴っているだけだった。『牛女』は広場の真ん中に立っており、こちらに気が付いたのか振り返った。

「そこで止まれ! 大人しくすれば悪くはしない」
「……人の世は いつしか醜く 変わり果て 今やそこには 我の場所無し」
「場所……居場所が欲しいって意味か?」
「我が朋は 我の力を 認めども 人はこの身を 他所へと移さん」

 他所へと移した……まさかそういう事なのか? 確か『牛女』は『件』と同じ予言をする神獣の一種だった。こういった存在はどこかで崇められていた筈だ。それが信仰を失って荒魂になったって事は、そのやしろがどこかへ移されたって意味だ。なら『牛女』の所有権を元の場所に戻せれば……。

「日奉の 意思継ぐ女子おなご 邪魔をして 我の悲願を 阻まんとす」

 『牛女』がそう発言すると突如自分の体が足の先から粒子の様に散り始めた。しかしそれにも関わらず、何故か感覚は無くなってはおらず、どこか別の場所へと転送されている様な感覚だった。翠を見ても変化は無く、どうやら『牛女』は自分を排除すべき存在として認識しているらしかった。

「みやちゃん、何が!?」
「……翠、これを」

 ポケットにしまっていたスマホを取り出すと翠に手渡した。もし現世から自分が消された場合、姉さんや他の一族に連絡が取れるのは翠だけになる。そうなった場合、『牛女』は翠を集中的に狙う事になる。その可能性を考えるといつでも連絡が取れる様にスマホを渡しておく必要があった。もちろんもう一つの理由もあったが。

「えっ、えっ?」
「……翠、姉さんに連絡して『牛女』の元の居場所を探してもらえ」
「ど、どういう意味……?」
「アイツの目的は自分を忘れ去った人間への復讐だ。元神様だ。アタシらじゃこれ以上はキツイかもしれねェ……」
「でも私の『四神封尽』なら!」
「見ただろ、アイツの言葉の前じゃ結界術も効かない。精々祓うのが限界だ。だったらやる事は一つだろ……」
「っ! わ、分かった!」

 翠はその場から走り出し、距離を取り始めた。『牛女』は翠を追う事はせずにどこかへと移り行くこちらをじっと見つめていた。もう追わなくてもいいからなのか、それとも別の理由があるのかは分からなかったが、自分の予測が正しければ上手く封印出来る筈だった。
 既に肩の辺りまで粒子の様になって消えていた。

「……勝ち誇ってるって感じだな」
「我が怒り いかなる手段 使おうと 最早無意味と 成りて果てる」
「そうかな……確かにアンタの力は強力だよ。だがよ、本当は予言する力じゃないンだろ。アンタの本当の力は……」

 口が消え、やがて全てが消えうせた。


 いつの間にか自分が立っていたのは見知らぬ寺院だった。人の気配はどこにも無く、ただ優しい風が吹いているだけだった。ただ感覚的な印象だったが、この場所が普通の場所ではないというのは明らかだった。敷地内には細い枝を持った木が植えられており、枝には綺麗な緑色をした葉と赤い色をした丸い実がいくつも生っていた。所々に桜に似た見た目をした花も咲いており、地面にはいくつか実が落下していた。
 敷地内を歩き回っていると一つのほこらを見つけた。そこには牛が祀られていた。牛は地域によっては荒魂の眷属とされており、ここの寺院もまた牛を神として祀っている様だった。祠の外には句碑が立てられており、そこにはこう書かれていた。

『暴れ牛 時越え我ら 人の子に 救いの言葉 与え給うな』

 これで全てが確定した。『牛女』が何を望んでいたのか、どこに居たのか、そして何故移らなくてはいけなくなったのかを理解した。
 『牛女』は元々は噂から発生した存在だった筈だ。しかし牛を祀っている寺があれば、いつしかそこは人々の間で『牛女』が居る寺という事になる。そうなれば一目見ようと集まってくる人間も出る。そういった噂には妙な条件が付きものだ。例えば「この祠を三周する」みたいなくだらない噂。どれだけくだらなくても信じる人間は居る。信仰を集められる『牛女』からすればいいかもしれないが、ここを管理している人間にとっては……。
 突然ピシッと音が響き、空にヒビが入り始めた。更に地面が揺れ始め、木に生っていた赤い実が次から次へと落ち始めた。そして再び足から粒子の様に消え始め、翠が上手くやってくれた事を理解し目を瞑った。

 目を開けると駅前広場に戻ってきており、そこに立っていた筈の『牛女』の姿は消えていた。しばらくそこで立っていると翠が走って戻ってきた。

「み、みやちゃん!」
「おう、上手くいったな」
「あ、あれ……消えてる……」
「姉さんが上手く話を通してくれたンだろ」
「みやちゃんに言われた通りの事言ったら、あか姉急に慌ててどこかに電話し始めて……」
「ああ、それでいいンだ」
「ど、どういう事なの?」
「……アイツは元々はある寺院で祀られてたンだ。正確には住民の間で噂が広まって、それが基になって『牛女』はその寺にある祠を依り代にしたンだ。でも何かがあったンだろうな。『牛女』はそこから追放された。依り代も無く、信仰を失った神は荒魂になった」
「じゃあ依り代に戻したって事?」
「多分な。管理者がそれを認めれば、信仰に縛られる神は戻らざるを得ない。その人には悪いが、これが一番安全なやり方だ」

 すぐにでも『件』の所へと戻りたかったが既に終電の時間は過ぎており、今日はもう会いに行く事は出来なかった。スマホを見てみると時刻は既に0時を過ぎており、それを知って急にぐったりと疲れが来た。これ以上は出来る事が無いと家へと向かって歩き始め、いくつもの鳥居を潜って家に着くと帰ってくるのを待っていたのか美海が玄関先で眠っていた。美海を抱き上げた翠と共に家に入るとすぐにパソコンからSNSを開いて目立った投稿が無いか確認した。相変わらず『件』の噂でトレンドは持ち切りであり、『牛女』の噂などどこにも見られなかった。

「大丈夫そう……?」
「ああ……可哀想でもあるがな……」

 そうして見ていると『件』に関する新しい投稿がされた。それを投稿したのは白澤農場のアカウントだった。そこには動画が添付されており、『件』が亡くなったという内容が書かれていた。再生してみるとまだ僅かに息がある『件』が横になってこちらを向いて口を開いた。

『誠……誠見事だ人の子よ。我の予想を超えた事をやってのけるとは、まっこと見事也。これで彼奴の誇りも保たれよう……これがこの時代での我の最後の、予言となろう』

 自分も翠も画面を食い入る様に見つめていた。封印は叶わなかったが、せめて最後くらいは看取るべきだと思った。

『気を付けよ……全ては終わってはおらぬ。今の道を進むのであれば、いつかその身、朽ちる事になるやもしれぬぞ……』
「みやちゃんこれって……」
「……」
『だが汝ら次第だ。道をたがうな……違えてはならぬぞ……汝らには、正しき心があるのだ……』

 アタシと翠を導く様なその言葉を最後にして『件』は力が抜ける様にして息を引き取った。それから数秒後、突然その投稿は削除された。姉さんに伝えていたためか、機械関連に侵入出来る一族の力によって削除されたのだろう。更にトレンドから『件』は消失し、それについて語っていた投稿も全てが削除されていった。恐らく投稿者本人の記憶も近い内に別の人員によって改竄されるのだろう。『件』など初めから伝承に過ぎない存在だった様に。

「これで……終わり」
「また件はいつか出てくるだろうがな。でも相当先だろうさ。アタシらが死んでからかもな」
「これで良かったんだよね……」
「いずれにせよアイツの死は避けられなかった。予言がされた時点でな。だが……せめて願いを叶えてやる事は出来た。それで良しとしよう……」
「そうだね……」
「翠、もう今日は寝ろ」
「……みやちゃんは?」
「アタシは……今日の事を記録してからにするよ」
「うん……」

 布団を敷いて横になった翠の側に美海が寄り、一緒に眠り始めた。その横で資料を開いて白紙に記録をつけていく。『件』だけでなく『牛女』の事もしっかりと書いて忘れない様にした。『件』は未来を予知して注意喚起をする存在として、そして『牛女』は言葉を使って様々な事象を引き起こす存在として。どちらがいいとか悪いではない。どっちも使い方次第で神にも悪魔にもなれる力だ。どちらも正しく使われる様にしっかりと管理するのが大切なのだ。
 筆を進めていき最後の一行を書き終える。一息置いてまだ残っている空白の部分に一筆加える事にした。

『長月を 越えし者共 夜を駆け 和魂にきたま集うは 神無月なり』
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