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第拾章:件の件

第22話:件様の言うとおり

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 暦は10月に入ろうとしていた。体を照りつけていた日差しは弱まり、程良い気温が保たれる様になっていた。翠の通っている高校ではこの月に文化祭が行われるらしく、今からどんな出し物をしようかと話し合っているらしく、帰って来ては毎日の様にその事を話していた。それだけ彼女にとっては楽しみな行事なのだろう。元々体を動かすのがそれほど得意ではないのだから、当然といえば当然だった。
 何か異常な事件が起こっていないかとWebクローラーを使ってSNSを調べていると、あるトレンドが目に入った。そこには『くだん』と書かれていた。試しにいくつかの投稿を調べてみると、とある人物が投稿した動画が物議を醸しているらしかった。その動画を再生してみると、どこかの農家と思しき場所が映っており、雌牛が出産しているシーンだった。数分経つと子牛が産み落とされたが、それを見て撮影者のカメラは大きく揺れた。一瞬だったが、その子牛の顔は人の形をしていた。
 早めに大学から帰っていたため翠にメールを送る。

『終わり次第家に』

 送信し終えると後ろの棚から資料を引っ張り出し、該当する記録が無いか調べ始めた。
 『くだん』というのは19世紀頃からその存在が確認され始めた異常存在である。牛の体を持ち、頭部は人間の姿をしているとされている。非常に短命な存在であり、死亡する前に必ず人語で未来を予言する様な発言をするとの事だった。資料にもその様な容姿の姿が描かれていたが、いずれもすぐに死亡してしまったため封印をする必要もなく、ただ火葬するだけに留めていたらしかった。
 もし仮にこの記録通りすぐに死亡するにしても放っておく訳にはいかない。既に情報が拡散され始めてる以上は姉さんに頼んで記録の改竄をしてもらう必要がある。それにこの『件』が何を予言するかというのも気になる。もし何かまずい予言がされた場合、アタシ達が対処する必要が出てくる。
 一旦資料を机に置いて電話の所まで向かい、姉さんへと連絡をする。

「もしもし姉さん」
「雅、どうかしましたか?」
「実はさっき『件』に関する投稿を見つけたんだ」
「『件』ですか……場所は?」
「白澤農場……ちょっと調べてみたけど牧畜をやってる所みたいなんだ」
「時刻は分かりますか?」
「動画が投稿されてたのは今朝だった。もしすぐに投稿されたんだとしたら、大体7時15分頃」
「……分かりました。こちらでも各地に調査をする様に伝えます。現地の調査を頼めますか?」
「いいよ。そこまで遠い場所じゃ無かったし」

 電話を終えると居間へと戻り、再び資料を開いた。記録には今まで『件』が行ってきたという予言の内容が記載されていた。作物の豊凶や飢饉の発生などを予言しており、第二次世界大戦時には戦争での敗北や空襲さえも予言したと言われている。どういった方法で未来を予知しているのかはまだ解明されていなかったが、いずれの予言も全て的中していた。しかし『件』本人は数日後に死亡しており、どうやって予言したのか、どういう存在なのかの質問をする事も出来なかったらしい。
 怪異自体が偶発的に発生する事もあるという前例から考えて、『件』の誕生理由自体はそこまで重要な部分ではないのかもしれない。一番重視するべきなのは、やっぱり予言した後に死ぬっていう点だ。何故死んでしまうのかという点が分かれば、それを抑えて封印する事も出来るかもしれない。
 色々と考察しているとクローラーに新たな投稿が引っ掛かった。それは動画を投稿した白澤農場の人物によるものであり、そこには『件』が喋って予言をしたと書かれていた。
 予言の内容は「近い内に化け物が現れ、災いをもたらす」というものだった。

「クソマジかよ……」

 少し寒気を感じながらスマホで農場へのアクセス方法を調べてみると、どうやらそこまで離れている場所ではなく、電車にしばらく乗っていれば着く場所だという事が分かった。予言が行われた以上は『件』の命が残り少ないのは確定していると言ってもいい状態であり、可能であれば翠が帰り次第出発したいところだった。
 一人で向かってもどうしようもないため翠を待っていると17時頃に家へと帰ってきた。急いでくれたらしく息を切らしており、まずは一旦お茶でも飲ませて落ち着かせる事にした。
 何とか呼吸を整えた翠に事情を説明すると、動画や資料に目を通してすぐにでも調査をした方がいいと進言した。

「しかし今から行っても着く頃には夜だぞ?」
「でも予言されたって事は長くても三日の命って事でしょ? だ、だったらすぐ行った方がいいよ」
「まあアタシは構わねェが……翠はすぐ出れるのか?」
「う、うん。ちょっと待っててね」

 そう言うと翠は制服から私服へと着替えて折り紙の準備を始めた。相手が相手という事もあってかいつも以上に準備は早く終わり、すぐに家から出発した。
 夜ノ見駅から三時間程電車に乗り続け、ようやく目的地に着いた時には既に20時を回っていた。四仁宮しにみやと呼ばれているこの地域は町から大きく外れた場所であり、農園などがよく見られる土地だった。この地域にある白澤農場で『件』が発見されたのはある意味必然とも言えるかもしれない。いずれにしても牛が居なければアレは生まれる事が出来ないのだ。

「く、暗いね……」
「この辺は街灯とかねェからな。あんま離れンなよ」

 あらかじめ持ってきておいた懐中電灯を点けて道を歩き始めた。明かりと言えるものはせいぜい民家から漏れているものくらいであり、もしそこからの光が途絶えようものなら完全な暗闇に包まれてしまう事は容易に想像出来た。翠ははぐれない様に服の裾を掴みながら付いてきていた。
 しばらく歩き続けると例の農場へと辿り着いた。牧畜をやっているという事もありかなりの敷地面積を持っており、ライトを向けるとその広々とした牧草地帯が目に入った。

「う、牛とか居ないね……?」
「夜だからな。厩舎きゅうしゃだろ。ほら行くぞ」
「えっちょっ、ちょっと待ってみやちゃん……! ちゃんと農場の人にお話しないと!」
「バカ言うな。隠されるかもしれねェし、アタシらの素性がバレたらまずいだろ。いくらお前ェが記憶消せるっつっても出来るだけ避けたい」
「い、いいのかなぁ……」
「よかねェけどしょうがないだろ。なるべくバレない様に行くぞ」

 先に翠に柵を超えさせると手伝ってもらいながら敷地内に入った。足元の牧草はいくつか食べられた痕跡があり、かなりの数の家畜が飼われているものと思われた。なるべき足音を立てない様に移動して厩舎まで辿り着くとこっそり中に入り、光が漏れない様に扉を閉めた。
 中には牛や豚などの様々な家畜が居り、そのほとんどが眠っていた。スマホでSNSに投稿された動画を再生し、撮影場所を特定した。そこを見てみると雌牛が寝ていたが、子牛の様な生き物は確認出来なかった。

「居たか?」
「う、ううん。も、もしかしたら違う所に居るのかも……」

 更に細かく厩舎の中を調べようとしたところ、眠っている牛の影から声が聞こえてきた。

「そこの者」
「えっ? みやちゃん?」
「アタシじゃねェぞ。そこだ……」

 牛の方に明かりを向けるとその体の影から小さな牛が姿を現した。その頭部は完全に人の形をしており、顔だけ見れば40代の男性を思わせた。

「……件か?」
「うむ、いかにも。汝らはいずこより来たのだ」
「夜ノ見町ってとこだ。アンタが発見されたって聞いてな、わざわざ来たンだよ」
「夜ノ見……あの地はまだ果ててはおらんのだな」
「あ、あの……私達、その、怪異とかそういうのを封印するっていう仕事をしてて……」
「すると汝らは日奉の血筋と考えてよろしいか」
「……知ってンのか?」

 『件』は小さく息を吐く。

「いかにも。しかし日奉は我を捕らえる事は叶わなんだ」
「だからここに来たンだ。アンタの予言は全てのパターンで的中してる」
「ぱたーん……? 米国の言葉であろうか。あまりその様な言葉を使わないでくれると幸いだが」
「そりゃ悪かったな。でだ……アタシらの目的は予言の意味とアンタの封印だ。理解してくれるか?」
「予言であれば幾らでも語ろう。されど我を封印する意味など無い。我は近い内に太平を得るのだ」
「そういう訳にはいかねェよ。アンタは何度も色んな時代、場所に生まれてる。さっきの話し振りからするに、全部同一の個体なんだろ?」

 『件』は突然扉の方を向くと隠れる様にと発言した。こちらを騙そうとしているのかと感じたが、翠が何かを察したらしく腕を引いて物陰へと引っ張り込んだ。その直後、この農場の主と思しき人物が中へと入ってきて電気を点けた。

「ああ、起きてたのか。何か物音がした気がしたんだが……」
「何心配するでない。ここは我が見ておる、曲者が居ればすぐにでも声を上げよう」
「……そうだな。それでえっと……」
「主人よ、貴殿もしつこいな。いかような手段を用いようとも我の死は防げぬ。我は未来を予知し太平を得る。遥か太古よりの習わしなのだ」
「分かった……すまない、もう寝るよ」
「それが良い。快眠は体に良いと聞くぞ」

 主人は電気を消して厩舎から出て行った。気配が無くなったのを見計らうと物陰から出て再び『件』の前に立った。

「……よ、良かったんですか?」
「何がだ?」
「わ、私達の事を言って捕まえてもらう事も出来た筈ですよ」
「何故その様な事をする必要があるのだ。我には汝らの力が必要なのだ」
「それは……予言に関する事か?」
「うむ。少し長くなるやもしれぬが、聞いてくれるか」

 そう言うと『件』はその場に腰を降ろすと真っ直ぐな目でこちらを見つめながら、落ち着いた口調で話し始めた。
 『件』が語るところによると、かつて彼が行ってきた予言は全て凶事を避けるためのものだったのだという。豊作を伝えたのは、それを狙いに来る野盗に関する注意喚起であり、戦争の敗北を伝えたのはあれ以上の犠牲者を減らすためだったのだという。きちんと注意をしてくれた人も居れば、ただの化け物の戯言だと無視した人も居たらしい。そして今回予言した「化け物が現れて災いをもたらす」という内容は、普通の人間では解決出来ないものらしかった。

「何で解決出来ないって分かってンのにこんな所で生まれたンだ? 日奉一族の中にも牛を飼ってる人は居た筈だぞ」
「人の子よ、少しは考えを巡らせてはどうだ。我とて好きな場所に生まれられる訳ではない。あらゆる生物がそうであろう」
「……そうだな」
「え、えっと……それでその化け物っていうのは?」
「うむ、それなのだがな……」

 『件』は何か言いづらい内容なのか口をもごもごとさせ始めた。しかしやがて決心したのか口を開いた。

「……実はな、その化け物というのが我の身内なのだ」
「身内?」
「オイオイ待てよ。怪異のアンタに身内が居るってのか?」
「人に子が出来て我に出来ぬ理由は無かろう」
「いやその……こんな事言っちゃなんだが、確か短命なんだろ? 体だって子供だし……」
「何やら破廉恥な事を考えておるな? 身内と言っても汝らの様に性交によって子孫を残している訳ではない」
「お、おうそうか……」
「みやちゃん……」

 隣で翠が少し顔を赤くしていたが、自分も恥ずかしい勘違いをして何となく顔が熱くなっていたので翠を見る事は出来なかった。

「我らは神獣の類であるというのは分かるか?」
「あ、ああ。アンタみたいに予言する妖怪みたいなのは他にも居るらしいし、そういう奴らの中には神獣って呼ばれてるのも居るみてェだな」
「よく勉強しておるな、理解が早くて助かるよ学者君。本題に戻るが、我ら神獣は目には見えぬ糸の様な物で結ばれておる」
「……血筋みてェなもんか?」
「それとは違う。汝らならば理解出来る筈だ。汝の名は雅、そっちは翠。血の繋がりは無いのであろう?」

 体が強張る。翠も驚いたらしく体が少し跳ねていた。

「……知ってンのか」
「これしき分からぬでは予言は出来ぬ。ともかく汝らの間にあるそれの如く、我と他の神獣は繋がっておるのだ」
「え、えっと……じゃあその他の神獣が悪さをすると?」
「うむ、誠恥ずかしい話であるがそうなのだ」
「何で分かる?」
「繋がっておれば自然と分かる。あれもかつては我らと同じ神獣であったが、今や信仰無き荒魂よ」
「そいつの名前は?」
「……牛女ぎゅうじょと言ってな。我とは真逆の容姿をした者だ。牛のこうべに人の体、一丁前に着物を着ておる」

 詳しくは知らなかったが、少しだけ聞いた覚えのある名前だった。しかし『件』の話によると、かつて神獣だったらしく、それが事実なのであれば人々から忘れられ始めており、狂暴化している様だった。かつて強力な力を持っていた神格が暴走した場合、通常の怪異とは比べ物にならない被害が出る可能性がある。
 『件』はすっくと立ち上がると尻を向けて最初に現れた場所へと行き、眠っている牛の体に身を寄せた。

「急げ。彼奴きゃつは夜ノ見の町を標的にしておる」
「何っ!?」
「詳しい目的など土台検討もつかぬ。されどあの町が標的なのであれば、いずれそれも見えてこよう」
「わ、分かりました! あ、ありがとうございます!」
「構わぬ。だが急げ。我の命もそう長くはないのであろう。彼奴を打ち倒し猶予があれば汝らの行く末でも見てやろう」
「翠急ぐぞ!」

 急いで厩舎から飛び出すと農場から出て駅へと向かった。幸いにもまだ終電ではなかったため、すぐにでも町へと戻れそうだった。電車が来るのを見ながら姉さんへと電話を掛ける。
 『件』が語った『牛女』という存在について伝え、もしもの事があった場合は即座に情報操作や増援を呼べる体制にしておいて欲しいと要請して電話を切った。その後すぐに電車へと乗り込む。
 『牛女』なんて記憶の片隅にしかなかった。資料にもあまり詳しい情報は載ってなかった筈だ。これはアタシら日奉一族のミスかもしれない……『牛女』は妖怪なんかじゃなく、神獣の一種だった。信仰を失った神の向かう先は一つしかない……獣だ。
 時折SNSにそういった情報が出ないか確認しながら夜闇の中夜ノ見町へと向かった。
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