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第拾肆章:学校の七不思議

第33話:学校の██不思議 その██「██階段」

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 目の前で飛び降りた少女を屋上から見下ろしてみてもどこにもその姿は無く、落下した痕跡は一切残っていなかった。やはり何らかの怪異である事は間違いないなかったが、本物の縁がここに居る以上はアレが一体何なのか見当もつかなかった。

「今のは……一体……」
「ど、どうしようみやちゃん……」
「とりあえず他の所も見てみよう。『学校の七不思議』が実在した以上は他のやつも対処しなきゃならねェ」

 一旦屋上の少女の事は諦めて階段を降り、三階へと戻った。まずは一番近い怪異である『トイレの花子さん』を調べようとトイレへと歩き出した。しかし、その途中で突然縁は足を止めて周囲を見渡し始めた。何度か教室のネームプレートを確認する様な動作をしており、扉を開けようとする動きも見られた。

「オイどうしたンだ?」
「……おかしいと思わないの?」
「何がだ?」
「さっきから『エリーゼのために』がずっと聞こえてるでしょ」
「う、うん。そういう七不思議だよね?」
「……音楽室なんてあった?」

 そう言われてネームプレートを見てみたがどこにも音楽室は存在していなかった。翠も音楽室が見当たらない事は証言しており、自分の記憶が正しければ小中学生の頃に見た音楽室は全て最上階にあった。その理由は考えるまでもなく防音のためである。中には地下にある学校もあるそうだが、この学校で地下へと行ける様な階段は見た覚えがなく、もし仮に地下にあるのだとしてもここまで聞こえてくるのは奇妙だった。

「私がここに通ってた時、音楽室はこの階にあった。でも今見たらどこにも無い」
「……翠、お前ェの学校の音楽室はどこにある……?」
「え、私の所は四階だけど……」
「どうなってンだ……」

 相変わらず『エリーゼのために』は校舎内に鳴り響いており、よくよく耳を澄ませてみればどこから聞こえてきているのかがまるで分らなかった。普通であれば音がどこから来ているかは多少は分かる筈なのだが、まるで耳の中で直接演奏されているかの様な不思議な感覚だった。しかし、これに関しては今はどうしようもないため一旦『トイレの花子さん』を優先する事にした。
 トイレへと入ってみると室内には冷気の様なものが漂っていた。怪異の一種にはこういった独特な雰囲気を持っている者が居り、非業の死を遂げた人間はこういったものを持つ霊体になりやすかった。

「なァ、君が居た時の花子さんの話はどんなのだったンだ?」
「皆が帰った夜の校舎の三階で、手前の個室の扉から三回ずつノックしていって『花子さんいらっしゃいますか』って言うと三つ目の個室から返事がある。それだけ」
「わ、私の所もそうだったよみやちゃん」
「アタシも同じだ」

 三つ目の個室の前で顎をしゃくると翠は『四神封尽』用の折り紙を取り出して個室を囲う様に動かし始めた。トイレという狭い場所であるため、その内の一匹は件(くだん)の個室内部へと移動させた。それを見て杖から床を伝って熱源を個室内へと侵入させた。念のために内部で移動させてみたが何らかの存在が居る様子は無く、条件を満たさない限りは現れない様子だった。
 手前から扉を三回叩きながら花子さんに呼び掛けていく。

「花子さん、いらっしゃいますか?」

 返事は無かった。隣の個室にも試してみたが、やはり返事は無い。しかし、噂でも語られている三つ目の扉を叩いて呼び掛けると、ついに反応があった。

「花子さん、いらっしゃいますか?」
「はい」

 個室内からか細い少女の声が聞こえてきた。ノブに手を掛けてゆっくりと開く。すると内部にはおかっぱ頭の小さな少女が立っていた。その顔からは生気が失われており、明らかに人ではないのが目に見えて伝わってきた。噂によれば花子さんは呼び掛けた人をトイレの中へと引き摺り込んでしまうらしいが、何故か目の前の花子さんは縁の事をじっと見つめていた。

「……どうしてあなたが」
「何? この子と知り合いなのか?」
「そ、そうなの?」
「知らない。トイレの花子さんとか誰でも知ってるでしょ」
「そんな訳ないわよ……あなたは私と同じ……」

 どういう事だ? 花子さんは縁の事を仲間だと思ってるのか? 確かにこの子は普通の人間とは言い難い。だがぱっと見は普通の人間にしか見えない筈だ。もしかしたら屋上のアレと勘違いしてるのか?

「悪いけど、私はあなたの事なんて噂程度でしか知らない。ここに来た理由もあなたとは関係ない」
「何、言ってるの……」
「屋上に私の偽物が居る。アレが気になるだけ」

 それを聞いた花子さんの瞳孔が少しだけ縮んだ。何かに気が付いたのかと思っていると、突然足に何かが掴まってきた。見てみると和製便所の中から長くて白い手が伸びてきており、自分だけでなく翠や縁にも掴みかかっていた。すぐに個室内に残していた熱源を移動させて花子さんへと接触させたが、加熱する前に便器内へと吸い込まれてしまった。
 吸い込まれて辿り着いたのはまた別のトイレの個室だった。衣服には何も付着しておらず、熱源から発されている波を探知しようとしても何故か上手く追跡出来なかった。確かに熱源そのものは存在している様だったが、どこか遠い場所にあるかの様に波が不安定だった。

「ど、どこ……?」
「トイレでしょ」
「何か変だぜ……熱源が追えねェ。ここはどこなんだ?」

 すぐにトイレから出てみるとそこには先程の学校と同じ廊下があった。スマホを見てみると時間も特に経っている様子はなく、一体何をされたのかまるで分らなかった。しかし、再び『エリーゼのために』が流れ始めると縁はすぐに歩きだしてある扉の前で止まった。

「どうしたンだ?」
「ん。音楽室」
「……何?」
「あ、あれ……?」
「入ってみよう……」

 急に現れた音楽室に不信感を抱きながらも扉を開けてみると、中にはよく学校で見る普通の音楽室になっており、そこに置かれているピアノの前ではベートーヴェンが座った状態で演奏を続けていた。ベートーヴェンはこちらが入って来た様子に気が付いていないらしかった。
 翠が折り紙を用意している中、演奏を続けている彼へと近付いて声を掛けてみた。しかし何も反応を示さず、また目を瞑ったまま演奏しているので視界にすら入っていない様子だった。

「み、みやちゃん、ベートーヴェンさんは耳が悪いって習ったよ」
「お、おう、そうだったな」

 少し不安はあったが肩に触れてみると、ようやくこちらに気が付いたのか目を開けて演奏を止めた。しかし怒る様子もなく静かに立ち上がるとその口を開いた。

「客人かね」
「あ、えーと……」
「気にする必要は無い。耳は聞こえている」
「え? でもさっき聞こえてなかったっすよね?」
「音楽は私を包み込むのだ。その間だけ、私は本物になれるのだ」

 まるでベートーヴェンは自分が本物ではないと理解しているかの様な反応を示した。自分の記憶にある七不思議には『肖像画のベートーヴェンが出てくる』とあった。もし彼がその怪異なのであれば、自分の事を理解しているのも納得だった。

「君の名は?」
「日奉雅です。あの子は翠。隣の子は縁」
「ほう、その様子だと彼女は死の括りから解放されたのだな」
「死の括り……?」
「二宮と名乗る青年、花子とかいう女児、気持ちの悪い半身人形……彼らは皆、死に囚われているのだ。無論、私もその一人だが」
「あ、あのあのっ……ど、どういう事ですか?」

 ベートーヴェンは一つだけ空白になっている肖像画の前に行くとそれらを見上げた。

「私はドイツに生まれた。端から見れば父は決して良い人物とは言えなかったのだろうな。カールと上手くやれなかった私が言えた事ではないが」
「あの、どういう意味っすか……?」
「私はずっと音楽に縛られていた。それが楽しくてやっていたのだから文句は無い。だが、『私』から見れば悲しき事だ。青春さえも犠牲に払った愚かな男は、最期は音すら失い惨めに息絶えたのだ」
「……ベートーヴェンは自殺未遂もしてる。私と同じ、死にまとわり憑かれていた」
「いかにも。愚かなものよな。結局『私』もこうして音楽からは逃れられないのだから」

 どうやらこのベートーヴェンはかつて実在していた本物のベートーヴェンの記憶を引き継いでいるらしく、その記憶を持っていながら別の人格を持っている様だった。彼はあくまでベートーヴェンであるため、今もこうしてピアノを弾き続けているのだろう。自らの意思とは矛盾して。

「しかしその者は違うのだろう。見たところ、ここから脱した様だ」
「いや、ちょっと待ってくれますか?」

 アタシは彼がしている勘違いを正し、自分達が何のためにここへとやって来たのかを説明する事にした。ベートーヴェンは時折引き寄せられるかの様にピアノの側に行っては何度か鍵盤を叩いていたが、話を最後まで聞き終えると口を開いた。

「事情は分かった。どうやらその者と私が知っている者は違うのだろうな」
「ん、そういう事」
「しかし手伝ってやれる事は無いぞ。『私』は今や、かつての私を再現している存在に過ぎん。この学校の事も詳しくは知らんのだ」
「そうですか……ありがとうございました」
「あ、みやちゃん、どうするの……?」

 翠は彼を封印するのかどうか不安そうに尋ねてきた。実際このベートーヴェンは何か害意を持っている訳ではなく、更にしっかりと自分が怪異であると認識しているため話し合いで済ませられるかもしれないと考えていた。しかしそれを口に出そうとすると、それを手で制された。

「私を消すのだろう?」
「……条件を飲んでもらえるならそこまではしないです」
「いや、いいのだ。消せるのなら消してくれ」
「……いいんですか?」
「もういい加減『私』を演じるのは疲れたのだ。私だけ眠っているというのは不公平ではないかな?」
「分かりました。ただ、消すんじゃなくてここじゃない世界に封印するって形になります。それでもいいすか?」
「ああ、是非頼もう」

 それを聞いた翠は少し困惑しつつも『四神封尽』の準備を始めた。その間ベートーヴェンはこれが最後とばかりにピアノを弾き始めた。物悲しい切ない旋律であり、それでいて心に溶け込む様な妖美さもあった。
 準備を終えた翠が結界を発動させ、ベートーヴェンの体が発光し始める。段々と光が強くなっていき、最後に彼は握り拳を大きく掲げながら光の中へと消えていった。そんな彼を最後まで照らし続けていたのは窓から差す月光だった。

「と、とりあえずこれで一体目……だね」
「ああ。だがベートーヴェンや花子さんが言ってた事が気になる。二人は君を誰と間違えたンだ?」
「そりゃあの屋上のでしょ」
「いやそれはそうなンだろうが……彼女は何者なんだ? 何故君の姿を真似してる?」
「知らない。何にしてもこれ以上この部屋に居る意味ないんでしょ。他の手掛かり探そうよ」

 縁はベートーヴェンの事など興味なしといった様子で一人で廊下へと出て行った。急いで折り紙を回収して後を追うと縁は階段の所で待っていてくれた。縁は合流すると何も言わずに階段を降り始めたが、三階と二階の踊り場に到着した際に一瞬つまずいたかの様によろめいた。

「大丈夫か?」
「き、気をつけてね。暗いから危ないだろうし……」
「…………止まって」
「えっ?」

 縁は踊り場の壁に書かれている階数表記を一瞥すると一人で二階まで降りて行き、そのまま二階廊下へと消えてしまった。一人にするのは危険だと後を追おうとすると、縁はすぐに廊下から戻って来た。しかし階段を上ろうとはせずに下からこちらを見上げており、何故か右手にはアルミ製バケツをぶら下げていた。

「オイどうしたンだ! 勝手な行動はするな!」
「そこで止まって」
「一体何が……!」
「いいから」

 そう言うと縁は慎重な様子で一段また一段と階段を上り始めた。そして踊り場へと到達した瞬間、彼女が持っていたバケツが突如として青い色をしたポリバケツへと変化した。何らかの前兆などは一切無しに、まるで粗雑なカット編集でも施したかの様に変化したのだ。

「えっ!?」
「どうなってンだよ……」
「さっき階段を下りてて気付いた。そこの階段、踊り場や三階に誰かが着く度(たび)に段数が変わってる」

 それを聞いて七不思議の一つに『上がる度に段数が変わる階段』というものがあった事を思い出した。縁の言っている事が本当だとするのなら、今自分と翠が立っている階段がまさにそれであり、もしどちらかが踊り場か三階に到達すると段数が変化するらしかった。

「ヤバイ……」
「み、みやちゃん……?」
「翠、もしかしたら一番ヤバイのはこいつかもしれねェぞ。さっきバケツが変わったのがその証拠だ」
「ん……私も確かめるためにバケツを取りに行った」
「この階段の真の異常性は段数が変わる事じゃねェ……そういう事かよ、ベートーヴェンと花子さんが黄泉川と屋上の少女を見間違えた理由が分かった……」
「ど、どういう事?」
「段数が変わってるンじゃねェ……この学校そのものが変化してるンだ」

 この階段はただ段数が変わるという可愛らしい怪異などでは無かった。誰かが踊り場か三階に着いた瞬間、この学校に関連する全ての存在を改変しているのだ。段数、バケツの材質、そして七不思議という怪異そのものまで改変している。いや、改変というのは正しいのだろうか。花子さんが自分達をトイレに引き摺り込んだ後に何故か三階のトイレに戻って来ていた。その時初めて音楽室を発見した。もしかしたら改変なんて生易しいものじゃないのかもしれない。
 縁も同じ考えだったのか踊り場から動かない様にしながら喋った。

「ねぇ。こんな話、聞いた事ある?」
「な、何?」
「多元宇宙論。平行宇宙」
「え、えっと確か……こことは別の宇宙が存在してるかもってやつだっけ? テレビでやってたのを見た気がするけど……」
「やっぱり君もそう思うか」
「ん、可能性の一つだけどね。でもオカルト好きからすれば、否定したくない理論だけど」
「ああ、だな。今ほど否定したい時はねェが……」

 あくまでアタシや縁の憶測に過ぎない話ではあったが、もしそれらの宇宙が実在しており、更にそういった宇宙とこの現行宇宙を繋げるポータルの様なものがあるのだとしたら、今起きているこの現象はそういう事としか思えなかった。
 スマホを開いてSNSへの投稿動画を確認してみると、自分達の考えを補強する記録が残っていた。『てんとう』が見つけてきた動画だったのだが、映像内で語られていた『ぶくぶくさん』という名前が無くなっていたのである。編集されたような痕跡は無く、初めからそんなものは存在していなかったかの様に動画は進行していった。そして屋上の少女の顔は見た事もない赤の他人へと変化していた。どこをどう見ても決して縁とは言えなかった。

「……最悪だ」
「えっ……?」
「……当たってた?」
「ほぼ間違いねェ。この階段が学校そのものを別宇宙のものに変化させてンだ。アタシらが最初に見つけたあの動画は『黄泉川縁が七不思議になった世界線』のものだったンだ」
「ん、それならベートーヴェンも花子さんの件も納得出来る。私の偽物じゃなくて、アレは私本人だったんだ。別世界の私」
「じゃ、じゃあどうするの!? この学校から出ればいいの!?」
「もしまた何かのタイミングで世界が変われば、『黄泉川縁という少女がここで自殺した』って情報が残っちまう。幸か不幸か学校側が隠蔽してたってのに、それが明るみに出ちまう。それだけは避けたい……」

 それを聞いた縁が下から声を掛けてくる。

「じゃあ三人で一斉に移動すればいい。私がここから三階まで上がる、二人はそのまま引き返して同じ様に三階に上がる。最後の一段を一緒に上がれば、少なくとも改変は一回で済む、でしょ?」
「一か八かだが、それが一番現実的か……」
「で、でもその後は? どうやって外に出るの……?」
「単純だろ」
「ん。だね」

 縁と声が重なる。

「飛び降りればいい」

 翠は思わぬ答えに動揺している様子だったが、階段の昇降がトリガーになっている以上は複数回使う訳にはいかなかった。エレベーターがある訳でもないこの学校で他に方法など思いつかなかった。

「行くよ」

 縁は踊り場から三階を目指して上り始め、アタシも翠の背中を押して三階へと引き返し始めた。そして丁度最後の一段まで登ると、三人で息を合わせて三階へと足を踏み入れた。その瞬間、一瞬のぐらつきが体を襲い、何かが変わった事を示していた。しかし、まずは脱出が優先であるため廊下にある窓の一つへと向かい、内鍵を開けて開け放った。覗き込んでみると下には植え込みがあり、上手く落ちれば負傷は軽く済みそうだった。死なないという理由からか、縁がまずは足を掛けて身を乗り出した。
 そんな中、聞き覚えのある旋律が流れ始め、少なくともここがさっきまで居た世界とは違うところなのだと示してきた。縁はそれを意に介さないかの様にその身を外へと投げ、直後植え込みに落ちる音が聞こえてきた。

「行くぞ」
「う、うん……」

 アタシは開いた窓に腰掛けると左腕で翠を抱き寄せて、そのまま重力に身を任せる様にして体を後ろへと傾けた。
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