ろくでなしの君と

ショコリータ

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番外編 ろくでなしの君と見るスターマイン

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「……お前、ふざけてんのか」
 透が解いていた数学の課題の問題集を覗き込んだ喜多川が、頬杖をついたまま低い声を零した。
「えっ、何が……?」
 場所は喜多川の自宅マンション。
 リビングのテーブルで、透は小一時間ほど前から夏休みの課題と向き合っている。
 と言っても、課題を広げているのは透一人だけ。
 授業をまともに聞いていなくても成績の良い喜多川は、「課題なんか三日ありゃ充分だろ」と既に全ての課題を片付けてしまっていた。
 一方の透は、八月もそろそろ半ばになろうというのに、まだ半分も終えていない。
 別に課題をさぼっていたわけでは、断じてない。
 期末テストも散々な結果だった透は、単に行き詰ってなかなか進んでいないだけなのだ。
 そこで優秀な喜多川『先生』に助けを求めてやって来たのだが、至って真面目に取り組んでいたつもりの透に、喜多川は盛大な溜息を零した。
「今解いてるとこまでで、正解一問しかねぇぞ」
「!?」
 既に十問目まで解答を書き込んだ問題集を見詰めて、愕然とする。
「一問だけ合ってんのも、途中の計算式意味わかんねぇから多分まぐれだな」
「う、うそ……」
「嘘だと思いてぇのはこっちだっつの。さっき公式教えただろーが。それ当てはめるだけなのに、どうやったらこんだけ間違えられんだよ」
「ちゃんと当てはめてるつもりだったんだけど……?」
「問一と問二は、二乗抜け。問三から問六までは計算ミス。問八、√がねぇ。問九と問十はそもそも公式ぶっ飛んでる。奇跡的に合ってんのは問七だけだな」
「ええ~……」
 折角少し進んだと思ったのに……。
 ポッキリと心が折られて、透は力なく課題の上に突っ伏した。
「なんでこんなに出来ないんだろう……。喜多川の頭、少しでいいから分けて欲しい」
「期末で五教科中、四教科補習だったお前は、少しどころじゃ足りねぇだろ」
「うっ……それホントにショックだったんだから言わないでよ」
「しかもその内二教科は追試の追試だったな。そんなモン、初めて聞いた」
「どーせ俺一人でした!」
 ガバッと顔を起こして自棄気味に反論すると、喜多川はもう一度溜息を吐いて立ち上がった。
 そのままキッチンに向かい、冷蔵庫から缶コーヒーを二本取って戻ってくる。一本はブラック、もう一本はミルクが多めの微糖だ。微糖の方を、透に向かって無造作に放る。
 喜多川がそうやってさり気なく透に飲み物を渡してくれることにも最近は慣れてきたので、それを咄嗟にキャッチするくらいは、透にも出来るようになっていた。
「その集中力じゃ、このままやったってどーせ無駄だ。一回切り替えて公式から覚え直せ」
「……ありがと」
 喜多川の何気ない気遣いもそうだけれど、呆れながらも透を突き離さない喜多川の優しさに、透は口許が弛みそうになるのをどうにか堪えた。
 学校では寝てばかりで、生徒にも教師にも不遜な態度を崩さない喜多川のこんな一面を知っている人間は、一体どのくらい居るのだろう。
 高校二年になって、喜多川と同じクラスになったばかりの頃は、まさか彼の自宅にまで通うような仲になるなんて、思ってもみなかった。関わりを持つことすらないだろうと思っていたのに。
 

 初めて喜多川のマンションを訪れたのは、透にとって人生で初めてのキスを、喜多川と交わした日のことだった。
 招いてくれたのは、喜多川本人ではない。彼の異父兄である、二宮だ。
 二宮とは、白石の自宅から助けてもらったときに、今後の為にと連絡先を交換していたのだが、喜多川と屋上で丸一時間授業をサボった透の元に、突然二宮からメールが来た。

『夕方五時頃、ここに来てくれる? 部屋番号は「1005」。エントランスで番号呼び出してもらったら、多分すぐにわかると思う』

 目的も何もよくわからないそのメールには、地図が添付されていた。拡大してみると、都内にあるマンション名のところにマークが付いていた。
 白石のマンションに監禁されたばかりだった透は一瞬不安になったのだが、二宮が指定する場所ならそう危ない場所ではないだろうと信じて、放課後一度自宅に戻って私服に着替えてから、地図に記された住所に向かった。
 そこに建っていたのは、白石の自宅より更に大きなマンションだった。パッと見ただけでも、二十階くらいはあるんじゃないだろうか。
 白石が『隠れ家』として使っていたマンションはどちらかというと単身者向け、という雰囲気だったが、こちらは完全にファミリー層向けだろうと思えるくらいの広さがあるのは、外観からも見て取れた。
 どうして急にこんな場所へ呼び出されたのだろう……。
 やっぱり少しの緊張と不安を覚えながら、エントランスホールに設置されたパネルに、二宮から指定された部屋番号を入力して、呼び出しボタンを押した。
『……はい』
 少し間を置いてスピーカーから聞こえてきた気怠げな声に、透は返事も忘れて目を見開いた。
 短い返事からでも充分わかる。それは、聞き慣れた喜多川の声だった。
『ンだよ、悪戯か? ふざけんな───』
「き、喜多川……!」
 通話を切られそうになったので、透は慌ててスピーカー越しの相手に呼び掛けた。
 微かに、息を呑むような音がする。
『……何で眼鏡が居んだよ』
「あの……二宮さんから、ここに来るようにってメール貰って……」
『アイツ……』
 チッ、と舌打ちが続く。
 学校で、「一緒に寝てもいい?」と聞いた透を、喜多川は拒まなかった。けれど明確な約束を交わしたわけでもなかったので、さすがに追い返されるかと思ったのだが、喜多川はエントランスのオートロックを解除してくれた。
 それは、喜多川が透に対して心を開いてくれた瞬間のように思えた。


 二宮の粋な計らいで喜多川のマンションへの訪問を許された透は、それ以来度々ここへ訪れるようになった。
 十階にある、2LDKの広い部屋に、喜多川は一人で暮らしている。
 恐らく『口止め』が目的なのだろう。この部屋は、橋口いずみから与えられたものらしい。
 喜多川とその父親の為に購入されたらしいが、父親がここで一緒に暮らしていたことは一度もないと喜多川は言っていた。その為、リビングと寝室は使われているが、洋室が丸々ひと部屋、空き部屋になっている。
 橋口いずみと同様、喜多川は父親のことも『親』だとは思っていない様子だったので、透も深くは聞いていない。喜多川にとっては関心の無いことなのだろうと思ったし、いずれ喜多川が話そうと思うときがくるなら、それを待つのが一番だと思ったから。
 喜多川の自宅へ来ても、二人で特に何をするということも無い。
 時々は今日のように勉強を教わったりするけれど、喜多川はマイペースに昼寝をすることもあれば、意外なことに複数の新聞を隅々まで読みふけっていたり、ノートパソコンの画面を延々と眺めていたりする。昼寝以外は、きっと二宮の仕事に関係しているのだろう。
 それに、喜多川は料理もそれなりに得意なようで、食材を買いに出るのが面倒なとき以外は、大抵自炊しているということにも驚いた。透が来るときは、いつも何かしら食事を用意してくれる。最初は手伝いを申し出たのだが、「包丁の持ち方ヤバすぎだろ」とキッチンから追い出され、以来透はすっかりもてなされるばかりになってしまっていた。
 家でもダラダラと過ごしているのだろうと思っていただけに、真剣な顔で情報収集していたり、キッチンで料理をしている喜多川の姿は新鮮で、それをただずっと眺めている時間も、透はまた一歩喜多川に近付けている気がして嬉しかった。
 ただ、その一方でまだあやふやな部分もある。
 翌日学校が休みの日、透は喜多川の自宅に泊めてもらうことも何度かあった。
 喜多川は夜なかなか眠れないのだという二宮の言葉が、どうしても気になっていたからだ。
 二宮が喜多川の自宅の住所を教えてくれたのも、きっとそれを案じてのことだったのだろうと思う。透の親も、白石の自宅に泊めてもらったという嘘の土台があったお陰で、喜多川の自宅に度々泊まるようになった透を特に咎めることもなかった。
 夜を共に過ごすようになって知ったけれど、喜多川は本当にいつも夜遅くまで起きている。
 もうそろそろ両手で足りなくなるくらい、透は喜多川の自宅に泊まっているが、喜多川が眠るまで起きていられたことは、まだ一度もない。
 頑張って深夜二時過ぎまで起きていたときも、結局は透の方が先に限界を迎えて寝落ちてしまった。
 しかも、朝起きると喜多川は、いつもソファに長身を横たえて寝ているのだ。長い脚はソファから大きくはみ出してしまっていて、寝辛そうなことこの上ない。毎回透だけが、ベッドでぐっすり眠って朝を迎えるばかり。
 膝を貸すなんて言っておきながら、喜多川の夜型生活を一向に改善出来ていないのは、正直悔しかった。
 それに何よりもどかしいのは、こうして自宅を訪れる仲になったのに、屋上へ続く踊り場で交わして以来、喜多川とはキスの一つもしていないことだ。
 プライベートな空間にまで踏み込ませてもらって、確実に二人の距離は縮まっているはずなのに、喜多川の気持ちがいまいち曖昧なままで、透にはよくわからなかった。
 嫌われているならそもそも自宅になんて上げてもらえないだろうけれど、改めて好きだと言われたこともない。
 透の「一緒に寝たい」という気持ちは、あくまでも一方通行なのだろうか。
 喜多川にとって、自分はどういう存在なのだろう。
 透では、喜多川に安眠を与えることは出来ないんだろうか。
 喜多川が手渡してくれた甘めの缶コーヒーに口を付けながら、チラリと視線を上げる。テーブルを挟んで向かいに座った喜多川が広げている新聞には、昨夜開催された都内の花火大会の写真が掲載されていた。
 そういえば白石の手帳にも、毎週のようにあちこちで開催される花火大会の予定が書き込まれていたことを思い出す。
「もうすぐ、S川の花火大会だっけ」
 S川の河川敷で開催される花火大会は、毎年全国中継される規模の一大イベントだ。透の自宅からでも、辛うじて家々の隙間からほんの少しだけ花火の半円が見える。
「……喜多川って、花火とか見に行ったりする?」
 率先してイベントごとに参加するタイプには見えないが、喜多川なら、浴衣で着飾って張り切る女子たちからしょっちゅう誘いを受けていそうだ。もしも透が誘ったら、喜多川は一緒に花火を見てくれるだろうか、なんて淡い期待を抱く。
 けれど面倒臭がりでマイペースな喜多川は、「は?」とさも煩わしそうに紙面から顔を上げた。
「わざわざ人混みン中に出向いて何が楽しいんだよ。別に花火にも興味ねぇし」
「やっぱり喜多川はそうだよねー……」
 はい、玉砕!、と透は小さく項垂れる。
「どうせ俺も一緒に行くような友達居ないんだけど」
「まぁお前はそうだろーな」
「……意地悪なことなら、ホントいくらでも言ってくれるんだから」
 ポツリと呟いて、透は缶の中身を飲み干すと、再び課題に向き直った。
 喜多川とは初めてキスしたあの日以来、特に触れ合うこともなければ、一緒に出掛けたりしたこともない。
 この先だって、そんな予定は何もない。
 夏休みも、気付けばもう残りあと約半分。
 あやふやな関係のまま、自分たちの夏は終わってしまうんだろうか。
 

  ◆◆◆◆


『今日、うち来い』

 喜多川からそんな短いメールが届いたのは、課題を教わりに行った三日後のことだった。
 これまで「そっち行ってもいい?」と聞くのはいつも透からだったので、喜多川の方から誘いを受けるのは初めてだった。
 時間の指定も特になかったので、一体どうしたんだろうと思いつつ、透は昼食を済ませて身支度を整えてから、喜多川のマンションへ向かった。
 インターホンを鳴らすと、
『……早すぎんだろ』
 と、明らかに寝起きとわかる欠伸混じりの掠れた声が応答した。
「ごめん、時間書いてなかったから……。もっと遅い方が良かった?」
 部屋に着くなり謝った透に、喜多川はまだ眠そうな顔をしながらベランダに続く窓へ視線を向けた。
「陽が落ちんの何時だよ。あと四、五時間はあんだろ」
「……? 陽が落ちてから何かあるの?」
 呼び出された理由が未だにわからない透がキョトンと首を傾げると、喜多川はじとっと透を見下ろして呆れた息を落とした。
「花火大会って、お前が言ったんだろーが」
「え……?」
 慌てて携帯で日付を確認する。
 今日は、S川花火大会が開催される日だった。
「なんで……花火、興味ないって……」
「俺は別に興味ねぇよ。どーせ毎年こっから見える」
 言われて初めて、喜多川の部屋のベランダが、丁度S川の方角に位置していることに気が付いた。
「……俺が言ったから、呼んでくれたの?」
「見てぇなら好きにしろっつーだけだ」
 そう言って、喜多川は盛大な欠伸を漏らした。
「朝まで冬治に付き合わされたから、しばらく寝る」
 リビングに透を残して、喜多川はさっさと寝室に引っ込んでしまった。
 眠いのに、わざわざメールを送ってくれたのかと思うと、嬉しさと愛おしさで胸がジンと熱くなる。
 いつも言葉は足りないけれど、喜多川は透が思うよりずっと、透のことを考えてくれているのかも知れない。
 話を振った透ですら、今日の花火大会のことなんてもうすっかり忘れてしまっていたのに、あの些細なやり取りを、しっかり覚えてくれているくらいには───。
 寝室のドアを開けっぱなしにしたまま、喜多川は既にベッドで寝入っている。開け放たれたドアも、もしかしたら喜多川の心の表れなんだろうか。
「……その内、ちゃんと一緒に眠れるかな」
 そろりとベッドに歩み寄った透は、寝息を立てる喜多川のアッシュグレーの髪へ、起こさないようほんの微かに触れるだけのキスを贈った。



「凄い……! 十階からだと、こんなに綺麗に見えるんだ……!」
 数分前から上がり始めた花火を眺めて、透は思わず感嘆の声を上げた。
 片鱗しか見えない透の自宅と違って、喜多川の部屋のベランダからは、見事な光の輪が咲いていく様が遮るものもなく見える。
 花火の音や鮮やかさに興奮したのは、何年ぶりだろう。
「……それより暑すぎだろ」
 ベランダの手摺りに齧りついて花火に見入る透の隣で、少し前に起こされた喜多川が顰め面で呟いた。
「昼間よりはだいぶ涼しいよ。ここ高いから、結構風もあるし」
「わざわざ出向いてまで見に行くヤツの気が知れねぇ」
 眉を寄せたまま、喜多川は陽が沈む前に透が近所のコンビニで買ってきたフランクフルトを齧っている。その横顔が、夜空に開く花火の光に照らされて、いつもより彫の深さが際立って見えた。
 綺麗だな、と透は花火だけでなく、すぐ隣に立つ喜多川を見詰めて思う。
 もう何度も訪れている喜多川の部屋。いつもと変わらない場所なのに、全く知らないところへやって来たような気分だった。
 マンションの一室のベランダが、今だけはまるで二人きりの特等席みたいだ。
 実際に間近で見たことはないけれど、河川敷まで行って見上げる花火より、今この場所で喜多川と見る花火が一番綺麗な気がする。
「一瞬で消えんのに、花火の何がいいんだよ」
 食べ終えたフランクフルトの串をベランダのゴミ箱に放り込んで、喜多川が透の横で手摺りに寄り掛かった。
 少しだけ目を細めて花火を見詰める喜多川の声が、どこか寂しげに花火と一緒に散っていく。
 母親の橋口いずみも、その不倫相手の父親も、そして擦り寄ってくる数々の女性たちも。喜多川にとっては、花火みたいにあっという間に消えていく存在だったのかも知れない。
 透だって、喜多川と親しくなることがなければ、この先もわざわざ花火を見たいなんて、きっと思わなかっただろう。たった一人で眺める花火は、とても儚くて寂しく見える。
 ───でも、今はそうじゃない。
「……一瞬で消えるから、いいんじゃないのかな」
 パッと咲いて、轟音を響かせては夜空に溶けていく花火を見ながら呟く。隣で、喜多川が続きを促すように視線を向けてきた。
「花火って、全く同じものは一つもないから。今、喜多川と見てるのと同じ花火は、もう二度と見られない。そう考えると凄く特別だなって思うし、だからこそ来年も、また次も……って、見たくなるんじゃないかなって」
「……お前は来年も高二かも知れねぇけどな」
「その冗談笑えないからやめて! ……もー、なんでそうやって水差すかな」
 折角浸ってたのに、と口を尖らせる透の傍らで、不意に喜多川が身を屈めた。
 薄らと汗の浮いた項に唇の感触を感じて、思わずビクッと肩が震える。
「なっ、なに……!?」
 この前は何をされたのかもわからなかったけれど、さすがに二度目な上、汗を掻いていることもあって、驚いた顔で喜多川を見上げる。しばらくまともに触れ合ってもいなかったので、心臓がバクバク騒いでうるさい。
 そんな透を、喜多川は涼しい顔で見下ろしながら言った。
「お前、相変わらずあのクソ野郎と実行委員やってんだろ」
「クソ野郎って……白石先輩のこと?」
「夏休み中も委員会とか、正気かよ」
「別に白石先輩と二人だけってわけじゃないし……っていうかそもそも喜多川も実行委員だよね!? 喜多川が夏休みに委員会なんか出てくれるわけないから、俺が一人で行ってるんですけど!?」
「だから馬鹿なんだよ、お前」
「なにそれ理不尽……!」
 結局いつものようなやり取りになってしまったものの、以前と同じように喜多川に口付けられた項だけが異様に熱い。
 αとΩが番うとき、その証を刻む場所。噛み付かれればそれで番の関係が成立してしまうが、敢えてそこに口付けだけを残されると、却って意識してしまう。
『マーキング』なんて、白石は言っていたけれど……。
「……あのさ。さっきの、前もしてくれたよね?」
「あ?」
 ここ、と透は自分の項を軽く擦る。
「白石先輩の家から帰るとき。これってどういう───」
「『数学18点』って書いた」
「嘘ばっか! ていうか何で点数まで知ってるわけ!?」
「『俺以外触んな』って書いた」
「だからそういうの───…………え?」
 不意打ちで寄越された言葉がすぐには理解出来なくて、呆然と喜多川の顔を見上げる。花火の音で、耳がおかしくなってしまったんじゃないかと思った。
「今、なんて……」
「さぁな。つーか、今日は先に仕掛けたの、お前だろ」
「先?」
「クソ真面目そうな顔して寝込み襲いやがって、エロ眼鏡」
「エロ……って、起きてたなら言ってよ……!」
 てっきり熟睡していると思っていたのに、本人に気付かれていたことを知ってカッと顔が熱くなる。赤くなった顔が、フィナーレで立て続けに打ち上げられる花火に照らされて、一層恥ずかしくなった。
 ───顔が熱いのは、恥ずかしいからだけじゃない。
 喜多川が初めて、透への想いを口にしてくれたからだ。
「花火も終わったし、寝るわ」
 フワ…、と欠伸を零しながら、喜多川が室内へ引き返す。「待って!」と、透も慌てて追いかけてその背中にしがみ付いた。
「今日、泊まってもいい?」
「……俺朝帰りだっつっただろ。今日くらいベッドで寝かせろよ」
「ベッドでいいよ。……だから、喜多川と一緒に寝たい」
 喜多川の背に張り付いたまま訴えた透に、呆れた溜息が返ってくる。
 くるりと振り向いた喜多川の腕が強引に透の身体を引き剥がしたかと思うと、額にデコピンが飛んできた。
「いたっ」
「どんだけ馬鹿だよ。一緒に寝るって、どういうことかわかってんのか」
「どういうって……?」
「発情期でもあっさり失神しやがったクセに、正常なときにヤられる覚悟あんのかっつってんだ」
「ヤられ……!?」
 キスだって学校で交わして以来一度もしていないので、喜多川が透に対してそんな欲求を抱いていたなんて思いもしなかった。
 もしかして、だからこそ敢えてこれまで全く触れられなかったんだろうか。
 一晩限りの相手とは誘われるまま身体を重ねていたのに、透に対してそうしないのは、あやふやなんかじゃなくて、喜多川がそれだけ大切にしてくれているから……?
 泊めてもらったとき、透が寝てからいつもソファで窮屈そうに眠っていたのも……。
 相変わらずわかり辛い喜多川の優しさが、今になって沁みてきて、鼻の奧がツンと痛くなる。
「どうせ来月あたりに、また発情期来んだろ。次は前みてぇに加減してやらねぇから、精々体力温存しとけ」
「……次の発情期も、また助けてくれるの?」
「はぁ? ……次あのクソ野郎に触らせてみろ。タダじゃ済まさねぇ」
 脅しのように、喜多川が透の首筋へ、痕が残らない強さで甘く歯を立てる。
 ゾクリと背が震える、歯痒い刺激がもどかしい。
 喜多川が長身を起こす前に、透はその胸倉を掴んで強引に唇を合わせた。
「……俺だって、我慢してるから」
 一瞬軽く目を瞠った喜多川が、滅多に見せない笑みを浮かべた。
「次は、失神しても叩き起こす」
「わ、わかった……! じゃあ今日は俺がソファで寝るから、泊まってってもいい?」
「好きにしろよ。……もう襲ってくんなよ、エロ眼鏡」
「その呼び方、学校で絶対しないでよ!?」
 透の悲痛な叫びを欠伸で受け流して、喜多川は再び寝室へ入っていった。
 次に透の発情期が来たら、喜多川との関係は、また一歩深まるんだろうか。
 来年の夏も、透は喜多川の隣に居られるだろうか。
 また来年も、喜多川と一緒に花火が見たい。
 来年も、再来年も、またその先も……毎年二人で見る花火は、この目にどう映るんだろう。
 いつの日か、喜多川も透と見る花火を「綺麗だ」と思ってくれる日がくればいい。そしてその頃には、花火を見終えた後、二人でゆっくり朝まで眠れる関係になっていたい。
「……おやすみ、喜多川」
 今はまだ隣の部屋で眠る仲だけれど、そういえば「おやすみ」の挨拶も出来るようになった自分たちは、確かに少しずつ前に進んでいる。

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