個体名、太宰治

キリシヲ

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中編1

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 御堂夏希、この学校の三年生。そして、引退した元新聞部の部長。
 可憐なルックスと甘い声で男や一部女子を虜にした魔性の女ではあるが、天然で抜けていて放っておけないように見えるだけで、サバイバル知識がそこらの登山部顔負けのある意味本当の意味での森ガール。
 熊とお話するわけではなく、熊を倒して熊鍋を作るタイプの森ガールだ。

「あの人と俺はそうだね。運命というべき出会いだったかも」
「同じ学校に通ってるんだから、出会いは結構です。飛ばしてください」
「気付いたら病院のベットで寝ていた」
「すいません。やっぱり出会いからお願いします」

 どうして出会いを省いたらそうなるんだ。
 出会い頭に心中とか、する人じゃない。
 それに、そういうのは多少風情があるものだ。

「もしかして、ロマンチストなの?」
「そう見える?」
「文学に恋してそうには見えるね」
「それこそ冗談」

 彼はおかしそうにくすくす笑うと、一冊の本を取り出した。
 御堂先輩がかつて愛読していた小説。

「『吾輩は猫である』夏目漱石」
「名前の縁があるから、好きだと言ってたわ」
「夏しか共通点がないじゃないか」
「父親が漱石って名前だって言ってた」
「そっちの縁か」

 吾輩は猫である、たしかある猫の生涯を猫の視点で書き連ねた物語。しかし、御堂先輩は作者同様、猫より犬派。漱石の作品は沢山あるし、これを何故選んでいたのかまでは知らない。単純に好きな系統の作品なのかもしれないし。
 当人が死んでいるから、答えはわからないままだが。

「ところで、御堂先輩には春香ってお姉さんがいたらしいよ」
「知りませんでした。先輩は一人っ子だと思ったので」

 彼は本の表紙をめくり、そこにある名前を見せてくれた。御堂春香。夏希という文字に大きくバッテンがされていた。
 お姉さんがいたらしい。らしいは過去形で、つまりお姉さんは何らかの理由でいないか姉ではなくなっている。先輩より先にいなくなっている。なのに、本に書かれた名前は。

「猫ってさ、犬とちがって自分がどう呼ばれてもあんまり混乱しないみたい」
「それは野良ならそうでは? 飼い主でなければ関心を持たないのであれば、名前に執着することもない」
「それは知らないけど、人間なら?」

 人間なら。

「別に、それが私を示すなら侮蔑以外は興味ありません。お好きに。吉井さんでもさおりんでもミトコンドリアでもより取り見取りですよ」
「ミトコンドリアってどうしたら付くあだ名なのか、気になるんだけど」
「あなたの『太宰治』ほど面白くはないですよ」
「失礼な」
「事実です」
「俺としては『太宰治』より『村上春樹』って呼んで欲しいな」

 話が逸れた。
 心中と過去に存在した姉。
 それがどう繋がるのだろうか。

「御堂先輩は疲れ果てていたんだろうね。『春香』を演じるのに」
「やはりですか」
「伏線、分かりやすかった?」
「えぇ、とっても」

 私は、学校での先輩しか知らない。過去に姉がいたこともだが、家族構成も葬式で把握できたくらいだし、かつての学友たちからも慕われていたことも。先輩の死に沢山の人が泣いたことも。悲しいと思うことも。

「そうは、見えなかったんですけどね」
「見えなくて当然さ」
「先輩の棺に縋って泣くお母さんは、夏希ってずっと呼んでましたし。父親も違う。先輩の名前は父親が考えたんだ。と前に言ってました」
「じゃあ、誰が御堂先輩を春香さんの代わりにしたんだろうね?」

 代わりにした。他に候補はいただろうか? 怪しい人はいなかったと思うし。

「心中した理由はそうでしょうけど、あなたがどうして誘いに乗ったのか知りません」
「それか」
「どうして、飛び降りるなんて方法を?」
「……じゃあ、説得しようとしたけど失敗した」
「警察に話してた嘘くさい理由ね」
「嘘くさいって、嘘だけど」
「嘘じゃないですか」

 やはり彼は嘘つきのようだ。

「告白されたからなんだ」
「罪とかの?」
「愛の方」
「『夏希と一緒に死んでほしい』って」

 それは人選ミスという者ではないだろうか。

「それで、一緒に飛び降りたと?」
「うん。相手は俺でなくてもよかったみたい」
「違いますね。来て欲しい相手ではなかった」
「当たり」

 本当は死にたくなかったのだと思う。精神的に追い込まれても、身体は生物として生きようとする。だから根本的に自殺なんてましてや心中ができるとは思ってない。電車のホームに飛び込むのとはまた違う。
 漫画やゲームとちがって、ここの学校の屋上の鍵は生徒は持てない。ベランダは乗り越えられないつくりになっている。
 その前の前提として、学校は心中にましてや自殺に向かない場所なのだ。

「相手は多分、先生じゃないかな」
「それとあなたとどう関係が?」
「ないさ。俺は捨てられた手紙を拾って屋上に行ったんだから」
「告白されたのでは?」
「俺に。とは言ってないよ」

 自殺したくなるほど、丁度その時期西村先生は婚約したことを教えてくれたし、小田原先生は産休の準備に入ろうとしていた。大方どちらかなのだろう。

「まあ、俺は野次馬根性で巻き込まれたのさ」
「思った以上に自業自得のデリカシーゼロ」
「だから、お詫びに一緒に死のうとしたの。失敗したけど」
「命がお詫びとか、江戸時代でもないです」

 しかし、それだと『春香』さんに繋がらない。

「そうだね」
「その前に、御堂先輩の本をどうして」
「もらった。形見分けって名目で」
「あなた、恋人でもないでしょう」
「惚れたからね。あの時。だからこれは大切にするさ」
「死ぬ間近とか危ない性癖ですか」
「何と言おうが惚れたんだ。じゃなきゃ、詫びに命なんか出さないよ」

 当人がいないから、想像にしかならない。

「多分だけど、『春香』ってお姉さんは最初からいない」
「いない?」
「うん。御堂先輩の本をもらうとき聞いたんだ。夏希って名前は夏に産まれたって意味で、希望をもって生きて欲しい。そんだけの願い」

 彼は本に表紙をかけ直していた。居眠りした恋人に、毛布をかけるように優しい手つきで。

「名前の由来はお茶請け程度。でだ、世の中に似ている人は三人いる」
「人間ですからね。系統が似ていれば似せることはできると思います。ですが、それは外見でしょう?」
「そう。中身まで一緒ではない」

 俺の空想なんだけど。と彼が話し出した。

「御堂先輩は似ていたんじゃないかな。『春香』さんって人に」
「苗字まで?」
「別に珍しくはないだろう?」
「私は初めて会いましたけど」
「それでも、割といる」
「それで、代わりを務めていた。もしくはそれを利用されていた」
「あるいは、先輩はそうしてまで振り向いてほしかった。とか」

 彼の話だと、相手へのラブレターは捨てられていた。
 相手が夢から覚めたか、もしくはふんぎりがついてしまった。
 終ぞ、自身を見てくれなかった愛しい人への最後の懇願。

「御堂先輩は目の前で死ぬつもりだった。その人の目の前で。そうじゃなきゃ、『春香』さんを塗りつぶせなかった」
「来なかったけどね」
「そう。本気だと思わなかっただろうし、屋上に鍵があるから安心していたんだろうね」
「それで、あなたと心中を」
「あぁ、空のデートだ。丁度俺も死にたい気分だったし」
「そうだったの」
「うん。課題の作成忘れてたからさ」
「くだらない」

 こっちの理由はアホみたいだけど。

「っで、気付いたらベットで寝ていたってわけだ」
「どう端折ったらそうなるか分からないけど、聞きたいことは聞けた」
「なにか分かった」
「なりすましや代理行為はのめりこむとロクでもない」
「うーん、現代っ子!」

 彼のリアクションは一々オーバーだ。
 それとも、私が淡白なだけだろうか。

「それじゃあ、次の話をしようか。君はむしろ、そっちが本命じゃないかな」
「どういうこと」
麻生渚アソウナギサ。君の母親の名前だろう」
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