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6 黄金 1
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翌日。
また本を借りるため、ジンは艦長室を訪れていた。
それほど広い部屋ではないが、一人用のベッドも事務机も、いくつかの本棚もある。その一つには仕事と特に関係の無い本が入っており、ジンはそこから借りていた。
しかしなんとなく気になっていた事を、ジンは机で書類を見ていたヴァルキュリナに訊いた。
「そういえば、婚約者さんの容態はどうだ?」
ヴァルキュリナはジンの方を向くが、表情は暗い。
「芳しくないな。脱出装置を使わなかったから、操縦席内の漏電や魔力回路の延焼でかなりのダメージが残っている」
他の騎士と違い、隊長のケイドは脱出せずに操縦席にいたままだった。
ジンがそれを知ったのは、今朝、クロカから聞いての事である。
「人間、普段練習してない事はできないって事か。まさかマジで自機と心中する気だったわけでもないだろうからよ」
他山の石としよう、とジンが思っていると、ヴァルキュリナは沈んだ顔のまま考えこむ。
「どうかな。白銀級機の操縦者であり貴光選隊の隊長だった事は、クイン卿の誇りそのものだったから……」
婚約者が言うならそうなのかもしれない。ジンは気づかれないよう小さな溜息をついた。
(だからって誇りが命より重いとか……理解できん)
ヴァルキュリナは軽く頭を下げた。
「すまないな、ジン。基地につくまで今まで通り、貴方達にこの艦を守ってもらわないと」
「それについては昨日も言った通り、了解だからよ。ま、基地までもう少しなんだろ? その先はスイデン国領。今までより安全だよな。基地で俺らの代わりの兵士やケイオス・ウォリアーを渡して貰えば、もう何の問題も無ぇ」
スイデン国の基地がある場所はスイデン領土。当然ジンはそう考えた。
だがヴァルキュリナは頭を振る。
「……スイデンの目の前ではある。でもスクク基地は領内ではない」
「はあ?」
意味がわからないジン。ヴァルキュリナは言う。
「国境の外に置かれた隠し基地なのだ」
この世界では、領土の外に軍事基地を作ってもいいらしい。
(この世界の文化と言っちまばそれまでだが……。まぁどの国の土地なのかわからん場所に重要な建物があるのはRPGじゃよくある事か)
無理矢理ゲームの話に置き換え、ジンは異文化に納得しようとした。
「しかしな。それだと基地の存在自体が機密事項だろ。俺らはそれを知ってしまったわけだが、いいのか? 基地につく前に降ろされるとしても、存在すると言う情報を持ってる事自体が問題だろ」
ジンは新たに生まれた懸念を口にする。
ヴァルキュリナは少し難しい顔をしたが、それでもはっきりと言った。
「それについては私が話をつける。おそらく……なんとかなる筈だ」
そして数日後。
赤茶色の荒野に岩山が連なる不毛の大地にて。
「あ……あれが基地だとぅ!?」
ジンは窓の外を見て驚愕の声をあげた。
「うわぁ、凄いや! パンゴリンのお兄ちゃんだ!」
同じく驚くナイナイ。
岩山に挟まれた沼の辺に、三つの巨体が伏せていた。
巨大なテントウムシ、巨大なダチョウ、巨大な亀。どれも人造の装甲で覆われた、この世界の軍艦である。
そして全てがCパンゴリンの倍以上、亀に至っては三倍を超えるサイズを持つ大型艦だった。
よく見れば艦の周囲には簡易テントがいくつも立っている。
「大型艦を並べて移動できる基地にしてあるの。必要な事はたいていできちゃうんだから!」
はしゃぐリリマナが説明する。
三つの巨大艦とそこの人員が基地としての役目を果たす――それがスイデン国のスクク基地なのだ。
Cパンゴリンは巨大艦の陰に伏せた。
亀――魔竜型艦Cアケロンから連結用通路と作業用アームがパンゴリンに伸びる。修理・補修に入ったパンゴリンから、ジン達を含むクルーは巨大艦へ移った。
巨大艦は基地として使われるだけあり、居住性は高かった。空調も水回りも一段上だったし、トイレも多いし、浴室にはシャワーがある。各種売店もあり、長期滞在のために造られている事が窺えた。
そんな巨大艦の中で、ジン達は――
「ねえ、ジン。僕ら、まだここにいるのかな?」
げんなりして呟くナイナイ。椅子にだらしなくもたれるジン。何も言わず頭をゆらゆらしているダインスケン。
三日目にして早くも食堂でうだっていた。
無論、毎日の訓練は欠かしていない。だがイマイチ身が入らないし、終わった後はだらだらするだけだ。
ジンは安い酒をちびちび啜る。
「ああ。やっぱり交渉が難航しているようだからよ……」
ジン達はもう艦を降り、次の生き方を模索する気になっていた。
だがどういう事か、まだ艦を降りる許可が出ない。ここまでの報酬も支払われていない。一応まだ艦にいるのだから訓練はするが、こんな状況でやる気が起きるわけがない。
ヴァルキュリナはあちこちをたらい回しにされているようだ。見かけた時にどうなっているのは聞いては見たが……
(「ジン達が降りてから基地が移動すれば、場所の秘密は守られる。それにはいろいろ手続きが必要だが、黄金級機が絡むとなれば許可は出る筈だ。ここまでの報酬も相場通りには出るよう頼むから、待っていてほしい」)
それが彼女の返事だった。
前に言っていた「話をする」「なんとかなる」と言ったのは、基地の移動を願う事だったのである。
それがわかったジンには心配があった。
(……仮に上が物わかり悪かったとして、はて、ヴァルキュリナに交渉なんぞできるのか? 不安しかねぇ……)
だらけた姿勢で物思いに耽っていると、ナイナイが辺りを見渡す。
「やっぱり、なんか居心地悪いね」
巨大艦の食堂はCパンゴリンのそれより大きく、利用者も多い。
だがやはりジン達のテーブルの周りは全て空いていた。利用者達も遠巻きにジン達を見ている。視線は決して友好的ではない。
ジンは軽い溜息をついた。
「俺らの事を聞いてる奴もいるようだからな。そうじゃない奴も多いのが面倒な所だが……」
ジン達の事など聞いていないクルーによって、ゴブオは危うく斬り捨てられかけた。その兵士にしてみればなぜか軍艦に入り込んだゴブリンを退治しようとしただけであり、悲鳴をあげて逃げ回るゴブオを庇いながら必死に説明するハメになった。
仕方なく、ゴブオはジン達の部屋で待機している。
似たような事はダインスケンにもあったが、こちらは爪であっさり剣を受け止めたし、何も気にせずいつも通りジン達と共にいるので、本人の好きにさせてある。
腹を立てて翅を震わせるリリマナ。
「ジン達が大切な仕事をやってた事がいまいち伝わってないよね。エリート騎士なんかより役に立ったのにィ!」
その言葉が聞こえたようだ……ジンは後ろから声をかけられた。
「ああ。お前らが貴光選隊にケガさせたせいで、敵の親衛隊におくれをとったんだよな」
振り向けば、騎士が何人か苛立ちの籠った目でジン達を睨んでいる。
(ほう。そういう事にされてんのか)
ジンは理解した。
貴光選隊のメンツを守るためにワザとであろうが、どうやらジン達に厄介な形で情報が伝わっているらしい。事実も無ではないのが嫌らしい所だ。
声をかけてきた若い騎士が疑わしそうに言う。
「お前達、魔王軍の間者じゃないのか? だからワザと……」
「さっきからウダウダと、何の事だ? ウチのメンバーに手を出そうとした痴漢を叩きのめしはしたが、あんなのがいても魔王軍を倒せるわけねぇだろ」
「なにッ!?」
ジンの言葉に怒りを見せたのは別の騎士だった。貴光選隊の誰かと友人なのだろうか。
ゆっくりとジンは椅子から立ち上がる。
その右手にはひとふりの剣が……。騎士達にサッと緊張が走る。中には柄に手をかける者もいた。
「聞こえねぇのか。なら喋れないようにしてやった方が早いかもな……」
そう言いながら、ジンは――剣の刃を握った。
そして刃を握りしめる!
一瞬たわみ――刃はひしゃげた!
騎士達は、刃物が握り潰されるのを初めて見た。
数秒の沈黙の後、騎士の一人が後ろずさる。別の騎士が怯みながら叫んだ。
「お、お前ら! 気持ち悪いんだよ!」
彼らは足早に、しかし我先にとその場から去って行った。
ジンの右腕を覆う甲殻はそこらの剣では刃が通らない。ましてやさっきの剣は、ガラクタ置場から探してきた、刃こぼれしていたナマクラである。
そして右腕の握力を持ってすれば、多少ぶ厚くても鉄板を曲げる事など容易だ。
艦の雰囲気に険悪な物を感じ、先んじてハッタリパフォーマンス用に一本用意しておいたのだ。
準備しておいて良かったわけだが、ジンは嬉しくも無かった。
(くだらねぇ用心が役に立っちまった……)
うんざりした顔で椅子に座り直すジン。
ナイナイは沈んだ顔で頬杖をついていた。
「早くどこかへ行きたいな……」
「同感だ」
頷くジン。その肩にリリマナが停まり、両足をぶらぶらさせる。
「私もジン達について行こうかなァ。パンゴリンは私が見つけた物も正直に教えてくれないし。あそこにいても、親衛隊に襲われたらやられちゃうし。でもジン達と一緒なら大丈夫だもんね」
それを聞いて、ジンの頭には疑問がわく。
(どうかな。マスターウインドの奴が、俺達を味方にできるかもと考えて見逃さなかったら、俺達も今息をしていられないわけだが。黄金級機の設計図を奪える機会を逃してまでとは、俺らも評価されたもんだぜ)
と、そこまで考えた時――
(うん?)
別の疑問がわいた。気づいた、というべきか。
(機会を逃したのか? いつでも奪えるからちょっと後回しにしてやった……なんて事は無ぇだろうな? だとしたら……)
ジンは椅子から立ち上がる。肩のリリマナは突然の事に「ワワっ?」と叫んでバランスを崩した。
慌てて手をばたつかせるリリマナをキャッチし、ジンは訊く。
「ちと聞きたい事ができた。クロカは今どこにいる?」
クロカは資材倉庫にいた。何かの表を挟んだバインダーを片手に、置いてある物をチェックしていたらしい。
「私らを見張ってた敵? レーダーの範囲内にはいなかったけど?」
押しかけてきたジン達の質問――したのはジンだけだが――に、困惑しながらも答えるクロカ。
だがジンの中からは何故か不安が消えなかった。
(俺の考えすぎだったか? なら良いんだがよ……)
寝返るかもしれないから見逃してやる、いつになるかわからないが待ってやる――強大な侵略者にしてはえらく優しい話だ。
この世界最強の兵器を見送ってでもチャンスをくれて、上司に怒られる事も無いらしい。
そう考えると、どうにも不気味で仕方が無いのだ。
ジンが心配していると――突然、艦が震えた!
大きな爆発音とともに!
たまらず転がるクロカ。
「アヒィ!? なんなんだ!?」
直後にけたたましく鳴る警報!
その意味をリリマナは一瞬で理解する。
「敵襲だよォ!」
大慌てて宙を舞う妖精の下、激震によろめきながらもジンは吐き捨てるように叫んだ。
「チィッ! やっぱり俺らは見張られていたのか!?」
だがレーダーの外に出るほど離れて、どうやって追跡できたのか?
その答えは――すぐに教えてもらえた。
「お前達の体は魔王軍に造られた物。手元にあった物の場所を探知する【ロケーション】系の魔法があれば、追うのは容易い」
そう言いながら、揺れなど物ともせずに暗がりを歩いて来る男が一人。
その声には聞き覚えがある。
「マスターウィンド!?」
ナイナイが目を見開いた。
そう……悠然と迫って来る逞しい男は、一度生身でジン達を追い詰め、先日ケイオス・ウォリアーで苦渋を舐めさせた男。魔王軍の親衛隊員マスターウインドだった。
苦虫を噛み潰したように顔を歪めるジン。
「なるほど……俺達を見逃したわけだ。どこかにスイデン軍の基地がある事を知っていたから、場所を特定するためにトドメを刺さなかったんだな」
「一方で、そんな事はどうでもいいから黄金級機の設計図をさっさと手に入れろという声もあってな。どうするか決めるために仕掛けたのが前回の襲撃というわけだ」
ジンの言葉を言外で肯定しつつも、マスターウインドはそう言った。
ジンは訊ねる。
「なるほど。やっぱり魔王軍の中でも派閥があるって事かよ」
「あるさ。暗黒大僧正に仕える軍団長……四天王同士でさえ結束しているわけではないし、その直下の親衛隊同士でも考えや方針は違う」
あっさり認め、マスターウインドはニヤリと笑った。
「俺はお前達に興味があってな。魔王軍に来るなら、お前達自身の情報を全て得られるようにしてやろう。超個体戦闘員……その生産計画についての全容をな」
初めて聞く単語だが、それがジン達の体を改造――というより造り替えたプランらしい。
「こういう取引ってのは、先にそのスーパーオーガコンボとやらの説明を聞いてからじゃ選択肢が生じないのか?」
ジンが訊くと、マスターウインドは軽く肩を竦める。
「一応は魔王軍の機密だからな。どうしてもというなら……一度こちらの軍門に降ってみればどうだ。その後、気に入らなければ出奔なり裏切りなりすればいい。無論、その時には粛清されるがな」
冗談のような言いぐさだが、ジンはその言葉に剣呑な物を感じた。
(裏切れ、と堂々と言うか。よほど俺達を殺せる自信があるんだろうがよ)
「それでどうする?」
マスターウインドの目が鋭さを増した。
断れば間違いなくこの男と戦いになる。
勝てる自信は、無い。
そんなジンの頭をよぎるのは――この世界で目覚めてから最初の街で見た、いや、見せられた光景。
『戦火に巻き込まれた人々がどうなるか』という、誰でもわかる事を、容易に想像がつく事を、字か言葉の向こうにあった知識の上での事を、手を伸ばせば届く間近で、自分が只中にいて体験した光景だった。
魔王軍に、一時的だろうが入るという事。それは――
(今度は俺が、あれをやるのか……)
「魔王軍に入る気は無ぇな」
言葉の方から口をついて出たようだった。
ジンの返事を聞き、マスターウインドがゆらりと身構える。
「わかった。残念だ」
敵の動きに反応し、ダインスケンが前傾姿勢で身構えた。ジンの隣で、いつでも相手に跳びかかる事のできる体勢だ。
だがナイナイの動きは鈍い。武器を手にもせず、かといって逃げようともせず……どうしたものかと判断しかねている。
戦う事そのものに迷いが出ているのだ。
それをジンは気配で察した。
だからジンは振り向かず、背中越しにナイナイへ声をかけた。
「ナイナイ。お前は下がってろ。俺らがやられたら、逃げるなり魔王軍に入るなり好きにしろ」
「そんな!?」
ナイナイは驚きと批難の混じった声で叫ぶ。
「ふむ。確かに、我らに抵抗しないなら後で別待遇にしてやってもかまわんな」
事もなげに言うマスターウインド。その殺気がジンに向けて集中する。
それを感じ、ダインスケンはいよいよ敵へその爪で斬りかかろうとした。
だがそれより早くマスターウインドが動く。
どこからか数個の石を取り出し、己とダインスケンの間へ放り投げた。
床に転がる石ころ――それに奇妙な模様と文字が描かれているのをジンは見た。そして次の瞬間、その石が猛烈に膨れ上がり、身の丈2メートルを超える巨人になるのを!
「チッ、護衛も持ってきてやがったか!」
ジンの舌打ちが早いか、人造石兵の群れがダインスケンを取り囲む。
必殺の爪をふるうダインスケン。だが石の塊を容易く斬れる筈もない。
ダインスケンを横目に、マスターウインドは悠然とジンに迫る。
「お前達の実力は前の手合わせで大体わかっている。一対一を繰り返す限り、俺の勝ちは動かない事も」
そして床を蹴り、宙を舞うがごとくジンに打ちかかった!
ジンとて、以前戦った時より腕は上げている。
だがまだマスターウインドとは技量の隔たりがあった。
「グヘッ!」
側にあった大きな空き箱にぶつかるジン。敵の強烈な蹴りを食らい、その衝撃で叩きつけられたのだ。
その体にはいくつもの痣が痛々しくつけられている。胸当てにはいくつもの亀裂が走り、左腕の手甲は既に砕けて床に転がっている。出血も一カ所ではない。
対するマスターウインドは……無傷だ。
ジンの攻撃により、左の肩当てにはヒビが入り、服が二、三カ所破けてはいる。
だがその体を痛めつける有効打は一撃も入ってはいなかった。
「ケケェーッ!」
ダインスケンが叫び、爪を振るう。
斬れ難い筈の体を砕かれ、人造石兵は次々と半壊して床に崩れ落ちていた。並の人間を容易に撲殺するその拳も、ダインスケンにはほとんど当たらず、身に触れるのは攻撃を受け止められた時のみ。
倒されるのに時間がかかるだけで、戦闘力そのものは圧倒的にダインスケンが上だったのである。
だが時間がかかる事が、今は致命的だった。
「思った以上にてこずらせてくれた。だがそれもここまで――死ね!」
マスターウインドが叫び、獲物を仕留める猛禽類のごとくジンへ襲い掛かった。
その手刀がジンの頭を必殺の威力をもって斬る。
その筈だった。
その一撃より本当に紙一重、一瞬だけ早く、不可視の衝撃が炸裂した!
マスターウインドが倉庫の壁へ叩きつけられる。あまりの衝撃に壁がたわみ、亀裂が走るほどに。
彼にジンの放った右拳が命中し、それほどの威力で反対側へ吹き飛ばしたのだ……!
並の人間なら絶命必至の反撃。マスターウインドは数秒間、完全に動けなくなる。「ガハッ!」と血を吐き、壁からずり落ちて膝をついた。
だが……それほどの打撃を受けながら、この男はまだ力を失っていなかった……!
(この俺の動きを捉えたか。もはや猶予はならんな。ここで仕留める!)
ゆらりと立ち上がり、再び身構える。余裕を無くしはしたものの、闘志も殺意も微塵も揺るがぬ目をジンへ向けていた。
だがジンの方は、渾身の反撃一打で限界だった。
膝をついたまま荒い息を吐き、立つ事ができないでいる。
マスターウインドを睨みつけはするものの、もはやそれ以外の抵抗はできなかった。
一歩一歩、ジンへ迫るマスターウインド。
もはや跳躍一つで最後の一撃が入る、その間合いまで来た。その時――
「やめて!」
ナイナイがジンの前に出た。
「ほう。お前も命はいらんのか」
殺気をそちらへ向けるマスターウインド。
だがナイナイは――恐怖に震え、涙さえ薄っすら浮かべてはいたものの――断固として言い放つ。
「二人を見殺しにして僕だけ行くわけないだろ! お前達も軍の人も、みんな好き勝手ばかり……なら僕も勝手にする! 僕は僕の大切な人といるんだ!」
マスターウインドの拳がナイナイへ向けられる、まさにその時。
「まてまてェ! こいつがどうなってもいいの? 獲りに来たんでしょ、黄金級機の設計図を!」
皆の頭上から叫ぶリリマナ。
その場にいる誰もが上を見た。
リリマナが抱える、様々な光彩を放つ透き通った珠。記録を詰めこむアイテムである事は、先日ジン達も聞いた通りだ。
リリマナはそれを紐で縛り、花火を括りつけていた。しかも既に着火してある。
「貴様! 何を!?」
嫌な予感にマスターウインドが初めて狼狽を見せる。
構わずリリマナは宝珠から手を離した。
「飛んでけェ!」
リリマナから離れた瞬間、花火が火を吹いた。
打ち上げ式の花火である。ロケットのごとく火を吹き、倉庫の遥か奥へ、宝珠を括りつけたまま飛んでいく!
すぐに倉庫の奥で、爆発音とともに光が爆ぜた。何かが吹っ飛ぶ音、転がる音が響き渡る。
「ほらァ、探しにいかなくていいの? 早く探さないと、何かに引火して燃えちゃうかもだよ!」
リリマナが大声をあげた。
忌々し気にリリマナを、そしてジンをも睨むマスターウインド。
「クッ……運のあるうちは死なん物だな!」
そう吐き捨てて、彼は倉庫の奥へ走り去った。己の第一目的を見失う男では無かったようだ。
マスターウインドが去ったすぐ後、最後のゴーレムがダインスケンに倒された。
リリマナはジンの目の前にふわりと降りてくる。
膝をつきながらもジンは手を差し伸べ、彼女を受け止めた。
「ヘッ、ナイス機転だ。だがスイデンの軍にバレたら銃殺モンなんじゃねぇか?」
それに答えたのは、物陰から恐る恐る出て来たクロカだった。
「あれはあんたらに見せた市販品の安物。中のデータはあんたらの機体の修理記録さ。軍にバレても何も言われないけど、マスターウインドにバレたら今度こそ皆殺しだから! 早く逃げないと!」
リリマナは手の上でジンに不安の目を向ける。
「ジン、大丈夫?」
言われたジンはなんとか立ち上がろうとした。
だが途中でぐらりとバランスを失い、再び膝をついてしまう。
「こりゃ仕方ねぇ。俺は置いていけ。こっちはなんとか隠れる場所を探してみるからよ」
「できるわけないだろ!」
溜息混じりのジンに、ナイナイは涙声で叫ぶ。
ジン達が往生していると、倉庫の奥――宝珠が飛んでいった方から、運搬用のゴーレムがのそのそ歩いてきた。
ダインスケンが倒した戦闘用の物と違い、荷物を載せた台車を牽引するしか能のない木製のゴーレムである。台車には様々な資材が山と積まれ、ゴーレムに肩車される形で行き先を指示しているのは――部屋にいるはずのゴブオであった。
ゴブオはジン達を見て驚きに目を見開く。
「アニキ? 何やってんです、マスターウインドが向こうに走っていきましたぜ。早く逃げるっス」
「お前、何してんだ?」
逆に訊くジン。
「へえ、ヒマだったしもうすぐ軍をやめるというしで、ちと値打ち物を探してたんスよ」
いけしゃあしゃあと言うゴブオ。
「コイツ……当たり前みたいに窃盗しやがって……」
クロカがひきつった顔で漏らした。
実はマスターウインドも、なぜか資材を漁っているゴブリンがいるのは見かけたのだが、なにせ貴重品を追いかけていた(つもりだった)ので、雑魚モンスターなど無視したのである。
「まぁ助かった。俺も載せろ。行き先は俺らの機体だ」
呆れながらも命じるジン。
「はあ、確かにケイオス・ウォリアーも貰わないといけませんね。了解っス」
少し勘違いしてはいるが、ゴブオは一も二も無く同意した。
台車で運ばれながらジンはクロカに訊く。
「ところで回復魔法とかアイテムとかは無いか?」
少し考えるクロカ。
「治療術師達の所まで寄り道する事になるけど。ま、途中にあるからついでに寄れるか」
「よし……ならなんとかするかよ」
傷を抑えてそう決めるジン。
マスターウインドとの再戦はすぐに来る。そう予感していた。
また本を借りるため、ジンは艦長室を訪れていた。
それほど広い部屋ではないが、一人用のベッドも事務机も、いくつかの本棚もある。その一つには仕事と特に関係の無い本が入っており、ジンはそこから借りていた。
しかしなんとなく気になっていた事を、ジンは机で書類を見ていたヴァルキュリナに訊いた。
「そういえば、婚約者さんの容態はどうだ?」
ヴァルキュリナはジンの方を向くが、表情は暗い。
「芳しくないな。脱出装置を使わなかったから、操縦席内の漏電や魔力回路の延焼でかなりのダメージが残っている」
他の騎士と違い、隊長のケイドは脱出せずに操縦席にいたままだった。
ジンがそれを知ったのは、今朝、クロカから聞いての事である。
「人間、普段練習してない事はできないって事か。まさかマジで自機と心中する気だったわけでもないだろうからよ」
他山の石としよう、とジンが思っていると、ヴァルキュリナは沈んだ顔のまま考えこむ。
「どうかな。白銀級機の操縦者であり貴光選隊の隊長だった事は、クイン卿の誇りそのものだったから……」
婚約者が言うならそうなのかもしれない。ジンは気づかれないよう小さな溜息をついた。
(だからって誇りが命より重いとか……理解できん)
ヴァルキュリナは軽く頭を下げた。
「すまないな、ジン。基地につくまで今まで通り、貴方達にこの艦を守ってもらわないと」
「それについては昨日も言った通り、了解だからよ。ま、基地までもう少しなんだろ? その先はスイデン国領。今までより安全だよな。基地で俺らの代わりの兵士やケイオス・ウォリアーを渡して貰えば、もう何の問題も無ぇ」
スイデン国の基地がある場所はスイデン領土。当然ジンはそう考えた。
だがヴァルキュリナは頭を振る。
「……スイデンの目の前ではある。でもスクク基地は領内ではない」
「はあ?」
意味がわからないジン。ヴァルキュリナは言う。
「国境の外に置かれた隠し基地なのだ」
この世界では、領土の外に軍事基地を作ってもいいらしい。
(この世界の文化と言っちまばそれまでだが……。まぁどの国の土地なのかわからん場所に重要な建物があるのはRPGじゃよくある事か)
無理矢理ゲームの話に置き換え、ジンは異文化に納得しようとした。
「しかしな。それだと基地の存在自体が機密事項だろ。俺らはそれを知ってしまったわけだが、いいのか? 基地につく前に降ろされるとしても、存在すると言う情報を持ってる事自体が問題だろ」
ジンは新たに生まれた懸念を口にする。
ヴァルキュリナは少し難しい顔をしたが、それでもはっきりと言った。
「それについては私が話をつける。おそらく……なんとかなる筈だ」
そして数日後。
赤茶色の荒野に岩山が連なる不毛の大地にて。
「あ……あれが基地だとぅ!?」
ジンは窓の外を見て驚愕の声をあげた。
「うわぁ、凄いや! パンゴリンのお兄ちゃんだ!」
同じく驚くナイナイ。
岩山に挟まれた沼の辺に、三つの巨体が伏せていた。
巨大なテントウムシ、巨大なダチョウ、巨大な亀。どれも人造の装甲で覆われた、この世界の軍艦である。
そして全てがCパンゴリンの倍以上、亀に至っては三倍を超えるサイズを持つ大型艦だった。
よく見れば艦の周囲には簡易テントがいくつも立っている。
「大型艦を並べて移動できる基地にしてあるの。必要な事はたいていできちゃうんだから!」
はしゃぐリリマナが説明する。
三つの巨大艦とそこの人員が基地としての役目を果たす――それがスイデン国のスクク基地なのだ。
Cパンゴリンは巨大艦の陰に伏せた。
亀――魔竜型艦Cアケロンから連結用通路と作業用アームがパンゴリンに伸びる。修理・補修に入ったパンゴリンから、ジン達を含むクルーは巨大艦へ移った。
巨大艦は基地として使われるだけあり、居住性は高かった。空調も水回りも一段上だったし、トイレも多いし、浴室にはシャワーがある。各種売店もあり、長期滞在のために造られている事が窺えた。
そんな巨大艦の中で、ジン達は――
「ねえ、ジン。僕ら、まだここにいるのかな?」
げんなりして呟くナイナイ。椅子にだらしなくもたれるジン。何も言わず頭をゆらゆらしているダインスケン。
三日目にして早くも食堂でうだっていた。
無論、毎日の訓練は欠かしていない。だがイマイチ身が入らないし、終わった後はだらだらするだけだ。
ジンは安い酒をちびちび啜る。
「ああ。やっぱり交渉が難航しているようだからよ……」
ジン達はもう艦を降り、次の生き方を模索する気になっていた。
だがどういう事か、まだ艦を降りる許可が出ない。ここまでの報酬も支払われていない。一応まだ艦にいるのだから訓練はするが、こんな状況でやる気が起きるわけがない。
ヴァルキュリナはあちこちをたらい回しにされているようだ。見かけた時にどうなっているのは聞いては見たが……
(「ジン達が降りてから基地が移動すれば、場所の秘密は守られる。それにはいろいろ手続きが必要だが、黄金級機が絡むとなれば許可は出る筈だ。ここまでの報酬も相場通りには出るよう頼むから、待っていてほしい」)
それが彼女の返事だった。
前に言っていた「話をする」「なんとかなる」と言ったのは、基地の移動を願う事だったのである。
それがわかったジンには心配があった。
(……仮に上が物わかり悪かったとして、はて、ヴァルキュリナに交渉なんぞできるのか? 不安しかねぇ……)
だらけた姿勢で物思いに耽っていると、ナイナイが辺りを見渡す。
「やっぱり、なんか居心地悪いね」
巨大艦の食堂はCパンゴリンのそれより大きく、利用者も多い。
だがやはりジン達のテーブルの周りは全て空いていた。利用者達も遠巻きにジン達を見ている。視線は決して友好的ではない。
ジンは軽い溜息をついた。
「俺らの事を聞いてる奴もいるようだからな。そうじゃない奴も多いのが面倒な所だが……」
ジン達の事など聞いていないクルーによって、ゴブオは危うく斬り捨てられかけた。その兵士にしてみればなぜか軍艦に入り込んだゴブリンを退治しようとしただけであり、悲鳴をあげて逃げ回るゴブオを庇いながら必死に説明するハメになった。
仕方なく、ゴブオはジン達の部屋で待機している。
似たような事はダインスケンにもあったが、こちらは爪であっさり剣を受け止めたし、何も気にせずいつも通りジン達と共にいるので、本人の好きにさせてある。
腹を立てて翅を震わせるリリマナ。
「ジン達が大切な仕事をやってた事がいまいち伝わってないよね。エリート騎士なんかより役に立ったのにィ!」
その言葉が聞こえたようだ……ジンは後ろから声をかけられた。
「ああ。お前らが貴光選隊にケガさせたせいで、敵の親衛隊におくれをとったんだよな」
振り向けば、騎士が何人か苛立ちの籠った目でジン達を睨んでいる。
(ほう。そういう事にされてんのか)
ジンは理解した。
貴光選隊のメンツを守るためにワザとであろうが、どうやらジン達に厄介な形で情報が伝わっているらしい。事実も無ではないのが嫌らしい所だ。
声をかけてきた若い騎士が疑わしそうに言う。
「お前達、魔王軍の間者じゃないのか? だからワザと……」
「さっきからウダウダと、何の事だ? ウチのメンバーに手を出そうとした痴漢を叩きのめしはしたが、あんなのがいても魔王軍を倒せるわけねぇだろ」
「なにッ!?」
ジンの言葉に怒りを見せたのは別の騎士だった。貴光選隊の誰かと友人なのだろうか。
ゆっくりとジンは椅子から立ち上がる。
その右手にはひとふりの剣が……。騎士達にサッと緊張が走る。中には柄に手をかける者もいた。
「聞こえねぇのか。なら喋れないようにしてやった方が早いかもな……」
そう言いながら、ジンは――剣の刃を握った。
そして刃を握りしめる!
一瞬たわみ――刃はひしゃげた!
騎士達は、刃物が握り潰されるのを初めて見た。
数秒の沈黙の後、騎士の一人が後ろずさる。別の騎士が怯みながら叫んだ。
「お、お前ら! 気持ち悪いんだよ!」
彼らは足早に、しかし我先にとその場から去って行った。
ジンの右腕を覆う甲殻はそこらの剣では刃が通らない。ましてやさっきの剣は、ガラクタ置場から探してきた、刃こぼれしていたナマクラである。
そして右腕の握力を持ってすれば、多少ぶ厚くても鉄板を曲げる事など容易だ。
艦の雰囲気に険悪な物を感じ、先んじてハッタリパフォーマンス用に一本用意しておいたのだ。
準備しておいて良かったわけだが、ジンは嬉しくも無かった。
(くだらねぇ用心が役に立っちまった……)
うんざりした顔で椅子に座り直すジン。
ナイナイは沈んだ顔で頬杖をついていた。
「早くどこかへ行きたいな……」
「同感だ」
頷くジン。その肩にリリマナが停まり、両足をぶらぶらさせる。
「私もジン達について行こうかなァ。パンゴリンは私が見つけた物も正直に教えてくれないし。あそこにいても、親衛隊に襲われたらやられちゃうし。でもジン達と一緒なら大丈夫だもんね」
それを聞いて、ジンの頭には疑問がわく。
(どうかな。マスターウインドの奴が、俺達を味方にできるかもと考えて見逃さなかったら、俺達も今息をしていられないわけだが。黄金級機の設計図を奪える機会を逃してまでとは、俺らも評価されたもんだぜ)
と、そこまで考えた時――
(うん?)
別の疑問がわいた。気づいた、というべきか。
(機会を逃したのか? いつでも奪えるからちょっと後回しにしてやった……なんて事は無ぇだろうな? だとしたら……)
ジンは椅子から立ち上がる。肩のリリマナは突然の事に「ワワっ?」と叫んでバランスを崩した。
慌てて手をばたつかせるリリマナをキャッチし、ジンは訊く。
「ちと聞きたい事ができた。クロカは今どこにいる?」
クロカは資材倉庫にいた。何かの表を挟んだバインダーを片手に、置いてある物をチェックしていたらしい。
「私らを見張ってた敵? レーダーの範囲内にはいなかったけど?」
押しかけてきたジン達の質問――したのはジンだけだが――に、困惑しながらも答えるクロカ。
だがジンの中からは何故か不安が消えなかった。
(俺の考えすぎだったか? なら良いんだがよ……)
寝返るかもしれないから見逃してやる、いつになるかわからないが待ってやる――強大な侵略者にしてはえらく優しい話だ。
この世界最強の兵器を見送ってでもチャンスをくれて、上司に怒られる事も無いらしい。
そう考えると、どうにも不気味で仕方が無いのだ。
ジンが心配していると――突然、艦が震えた!
大きな爆発音とともに!
たまらず転がるクロカ。
「アヒィ!? なんなんだ!?」
直後にけたたましく鳴る警報!
その意味をリリマナは一瞬で理解する。
「敵襲だよォ!」
大慌てて宙を舞う妖精の下、激震によろめきながらもジンは吐き捨てるように叫んだ。
「チィッ! やっぱり俺らは見張られていたのか!?」
だがレーダーの外に出るほど離れて、どうやって追跡できたのか?
その答えは――すぐに教えてもらえた。
「お前達の体は魔王軍に造られた物。手元にあった物の場所を探知する【ロケーション】系の魔法があれば、追うのは容易い」
そう言いながら、揺れなど物ともせずに暗がりを歩いて来る男が一人。
その声には聞き覚えがある。
「マスターウィンド!?」
ナイナイが目を見開いた。
そう……悠然と迫って来る逞しい男は、一度生身でジン達を追い詰め、先日ケイオス・ウォリアーで苦渋を舐めさせた男。魔王軍の親衛隊員マスターウインドだった。
苦虫を噛み潰したように顔を歪めるジン。
「なるほど……俺達を見逃したわけだ。どこかにスイデン軍の基地がある事を知っていたから、場所を特定するためにトドメを刺さなかったんだな」
「一方で、そんな事はどうでもいいから黄金級機の設計図をさっさと手に入れろという声もあってな。どうするか決めるために仕掛けたのが前回の襲撃というわけだ」
ジンの言葉を言外で肯定しつつも、マスターウインドはそう言った。
ジンは訊ねる。
「なるほど。やっぱり魔王軍の中でも派閥があるって事かよ」
「あるさ。暗黒大僧正に仕える軍団長……四天王同士でさえ結束しているわけではないし、その直下の親衛隊同士でも考えや方針は違う」
あっさり認め、マスターウインドはニヤリと笑った。
「俺はお前達に興味があってな。魔王軍に来るなら、お前達自身の情報を全て得られるようにしてやろう。超個体戦闘員……その生産計画についての全容をな」
初めて聞く単語だが、それがジン達の体を改造――というより造り替えたプランらしい。
「こういう取引ってのは、先にそのスーパーオーガコンボとやらの説明を聞いてからじゃ選択肢が生じないのか?」
ジンが訊くと、マスターウインドは軽く肩を竦める。
「一応は魔王軍の機密だからな。どうしてもというなら……一度こちらの軍門に降ってみればどうだ。その後、気に入らなければ出奔なり裏切りなりすればいい。無論、その時には粛清されるがな」
冗談のような言いぐさだが、ジンはその言葉に剣呑な物を感じた。
(裏切れ、と堂々と言うか。よほど俺達を殺せる自信があるんだろうがよ)
「それでどうする?」
マスターウインドの目が鋭さを増した。
断れば間違いなくこの男と戦いになる。
勝てる自信は、無い。
そんなジンの頭をよぎるのは――この世界で目覚めてから最初の街で見た、いや、見せられた光景。
『戦火に巻き込まれた人々がどうなるか』という、誰でもわかる事を、容易に想像がつく事を、字か言葉の向こうにあった知識の上での事を、手を伸ばせば届く間近で、自分が只中にいて体験した光景だった。
魔王軍に、一時的だろうが入るという事。それは――
(今度は俺が、あれをやるのか……)
「魔王軍に入る気は無ぇな」
言葉の方から口をついて出たようだった。
ジンの返事を聞き、マスターウインドがゆらりと身構える。
「わかった。残念だ」
敵の動きに反応し、ダインスケンが前傾姿勢で身構えた。ジンの隣で、いつでも相手に跳びかかる事のできる体勢だ。
だがナイナイの動きは鈍い。武器を手にもせず、かといって逃げようともせず……どうしたものかと判断しかねている。
戦う事そのものに迷いが出ているのだ。
それをジンは気配で察した。
だからジンは振り向かず、背中越しにナイナイへ声をかけた。
「ナイナイ。お前は下がってろ。俺らがやられたら、逃げるなり魔王軍に入るなり好きにしろ」
「そんな!?」
ナイナイは驚きと批難の混じった声で叫ぶ。
「ふむ。確かに、我らに抵抗しないなら後で別待遇にしてやってもかまわんな」
事もなげに言うマスターウインド。その殺気がジンに向けて集中する。
それを感じ、ダインスケンはいよいよ敵へその爪で斬りかかろうとした。
だがそれより早くマスターウインドが動く。
どこからか数個の石を取り出し、己とダインスケンの間へ放り投げた。
床に転がる石ころ――それに奇妙な模様と文字が描かれているのをジンは見た。そして次の瞬間、その石が猛烈に膨れ上がり、身の丈2メートルを超える巨人になるのを!
「チッ、護衛も持ってきてやがったか!」
ジンの舌打ちが早いか、人造石兵の群れがダインスケンを取り囲む。
必殺の爪をふるうダインスケン。だが石の塊を容易く斬れる筈もない。
ダインスケンを横目に、マスターウインドは悠然とジンに迫る。
「お前達の実力は前の手合わせで大体わかっている。一対一を繰り返す限り、俺の勝ちは動かない事も」
そして床を蹴り、宙を舞うがごとくジンに打ちかかった!
ジンとて、以前戦った時より腕は上げている。
だがまだマスターウインドとは技量の隔たりがあった。
「グヘッ!」
側にあった大きな空き箱にぶつかるジン。敵の強烈な蹴りを食らい、その衝撃で叩きつけられたのだ。
その体にはいくつもの痣が痛々しくつけられている。胸当てにはいくつもの亀裂が走り、左腕の手甲は既に砕けて床に転がっている。出血も一カ所ではない。
対するマスターウインドは……無傷だ。
ジンの攻撃により、左の肩当てにはヒビが入り、服が二、三カ所破けてはいる。
だがその体を痛めつける有効打は一撃も入ってはいなかった。
「ケケェーッ!」
ダインスケンが叫び、爪を振るう。
斬れ難い筈の体を砕かれ、人造石兵は次々と半壊して床に崩れ落ちていた。並の人間を容易に撲殺するその拳も、ダインスケンにはほとんど当たらず、身に触れるのは攻撃を受け止められた時のみ。
倒されるのに時間がかかるだけで、戦闘力そのものは圧倒的にダインスケンが上だったのである。
だが時間がかかる事が、今は致命的だった。
「思った以上にてこずらせてくれた。だがそれもここまで――死ね!」
マスターウインドが叫び、獲物を仕留める猛禽類のごとくジンへ襲い掛かった。
その手刀がジンの頭を必殺の威力をもって斬る。
その筈だった。
その一撃より本当に紙一重、一瞬だけ早く、不可視の衝撃が炸裂した!
マスターウインドが倉庫の壁へ叩きつけられる。あまりの衝撃に壁がたわみ、亀裂が走るほどに。
彼にジンの放った右拳が命中し、それほどの威力で反対側へ吹き飛ばしたのだ……!
並の人間なら絶命必至の反撃。マスターウインドは数秒間、完全に動けなくなる。「ガハッ!」と血を吐き、壁からずり落ちて膝をついた。
だが……それほどの打撃を受けながら、この男はまだ力を失っていなかった……!
(この俺の動きを捉えたか。もはや猶予はならんな。ここで仕留める!)
ゆらりと立ち上がり、再び身構える。余裕を無くしはしたものの、闘志も殺意も微塵も揺るがぬ目をジンへ向けていた。
だがジンの方は、渾身の反撃一打で限界だった。
膝をついたまま荒い息を吐き、立つ事ができないでいる。
マスターウインドを睨みつけはするものの、もはやそれ以外の抵抗はできなかった。
一歩一歩、ジンへ迫るマスターウインド。
もはや跳躍一つで最後の一撃が入る、その間合いまで来た。その時――
「やめて!」
ナイナイがジンの前に出た。
「ほう。お前も命はいらんのか」
殺気をそちらへ向けるマスターウインド。
だがナイナイは――恐怖に震え、涙さえ薄っすら浮かべてはいたものの――断固として言い放つ。
「二人を見殺しにして僕だけ行くわけないだろ! お前達も軍の人も、みんな好き勝手ばかり……なら僕も勝手にする! 僕は僕の大切な人といるんだ!」
マスターウインドの拳がナイナイへ向けられる、まさにその時。
「まてまてェ! こいつがどうなってもいいの? 獲りに来たんでしょ、黄金級機の設計図を!」
皆の頭上から叫ぶリリマナ。
その場にいる誰もが上を見た。
リリマナが抱える、様々な光彩を放つ透き通った珠。記録を詰めこむアイテムである事は、先日ジン達も聞いた通りだ。
リリマナはそれを紐で縛り、花火を括りつけていた。しかも既に着火してある。
「貴様! 何を!?」
嫌な予感にマスターウインドが初めて狼狽を見せる。
構わずリリマナは宝珠から手を離した。
「飛んでけェ!」
リリマナから離れた瞬間、花火が火を吹いた。
打ち上げ式の花火である。ロケットのごとく火を吹き、倉庫の遥か奥へ、宝珠を括りつけたまま飛んでいく!
すぐに倉庫の奥で、爆発音とともに光が爆ぜた。何かが吹っ飛ぶ音、転がる音が響き渡る。
「ほらァ、探しにいかなくていいの? 早く探さないと、何かに引火して燃えちゃうかもだよ!」
リリマナが大声をあげた。
忌々し気にリリマナを、そしてジンをも睨むマスターウインド。
「クッ……運のあるうちは死なん物だな!」
そう吐き捨てて、彼は倉庫の奥へ走り去った。己の第一目的を見失う男では無かったようだ。
マスターウインドが去ったすぐ後、最後のゴーレムがダインスケンに倒された。
リリマナはジンの目の前にふわりと降りてくる。
膝をつきながらもジンは手を差し伸べ、彼女を受け止めた。
「ヘッ、ナイス機転だ。だがスイデンの軍にバレたら銃殺モンなんじゃねぇか?」
それに答えたのは、物陰から恐る恐る出て来たクロカだった。
「あれはあんたらに見せた市販品の安物。中のデータはあんたらの機体の修理記録さ。軍にバレても何も言われないけど、マスターウインドにバレたら今度こそ皆殺しだから! 早く逃げないと!」
リリマナは手の上でジンに不安の目を向ける。
「ジン、大丈夫?」
言われたジンはなんとか立ち上がろうとした。
だが途中でぐらりとバランスを失い、再び膝をついてしまう。
「こりゃ仕方ねぇ。俺は置いていけ。こっちはなんとか隠れる場所を探してみるからよ」
「できるわけないだろ!」
溜息混じりのジンに、ナイナイは涙声で叫ぶ。
ジン達が往生していると、倉庫の奥――宝珠が飛んでいった方から、運搬用のゴーレムがのそのそ歩いてきた。
ダインスケンが倒した戦闘用の物と違い、荷物を載せた台車を牽引するしか能のない木製のゴーレムである。台車には様々な資材が山と積まれ、ゴーレムに肩車される形で行き先を指示しているのは――部屋にいるはずのゴブオであった。
ゴブオはジン達を見て驚きに目を見開く。
「アニキ? 何やってんです、マスターウインドが向こうに走っていきましたぜ。早く逃げるっス」
「お前、何してんだ?」
逆に訊くジン。
「へえ、ヒマだったしもうすぐ軍をやめるというしで、ちと値打ち物を探してたんスよ」
いけしゃあしゃあと言うゴブオ。
「コイツ……当たり前みたいに窃盗しやがって……」
クロカがひきつった顔で漏らした。
実はマスターウインドも、なぜか資材を漁っているゴブリンがいるのは見かけたのだが、なにせ貴重品を追いかけていた(つもりだった)ので、雑魚モンスターなど無視したのである。
「まぁ助かった。俺も載せろ。行き先は俺らの機体だ」
呆れながらも命じるジン。
「はあ、確かにケイオス・ウォリアーも貰わないといけませんね。了解っス」
少し勘違いしてはいるが、ゴブオは一も二も無く同意した。
台車で運ばれながらジンはクロカに訊く。
「ところで回復魔法とかアイテムとかは無いか?」
少し考えるクロカ。
「治療術師達の所まで寄り道する事になるけど。ま、途中にあるからついでに寄れるか」
「よし……ならなんとかするかよ」
傷を抑えてそう決めるジン。
マスターウインドとの再戦はすぐに来る。そう予感していた。
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