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第二章 湖を臨む都
2.23 ヴィリバルトの不可解な言動
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微かに響く雨音と、小さいが規則正しいサシャの寝息に、ほっと息を吐く。
秋分祭から一週間、まだ眠っている時間が多いサシャだが、毒の刃で切り裂かれた脇腹の傷はだいぶん良くなっているようだ。良かった。ようやく戻ってきた心の温もりに、トールはもう一度、安堵の息を吐いた。
弛緩した心で、辺りを見回す。
サシャが眠るベッドの横にある腰棚の上に置かれているのは、トールの他に、水が半分ほど入った小さな水差しと、見舞いに来たカジミールが置いていった菓子入りの小さな袋、そしてつい先刻までこの部屋にいたエルネストが置いていった薄い詩の本。エルネストを修道院の玄関まで見送りに行ったサシャの叔父ユーグは、もうそろそろ戻ってくるだろう。再びサシャの規則正しい息づかいを確かめたトールの耳に、部屋の戸が軋み開く音が聞こえてきた。
だが。
部屋に入ってきた、明らかにユーグではない二つの大柄な影に、緊張が走る。一人は、アラン師匠。そしてもう一人は、……ヴィリバルト! 鎧は身に着けていないが、トールを見つめたあの蒼い瞳だけで、トールにはすぐに判別がついた。
「良くなってきているようだな」
大柄な影の一つ、ヴィリバルトが、その大きな手でサシャの髪を優しく撫でる。
「貴様が指示した解毒剤のおかげでな」
もう一つの大柄な影、アラン師匠の声は、やはり、いつになく刺々しく聞こえた。
そのアラン師匠の声を気にすることなく、ヴィリバルトは、トールの横にあったカジミールの見舞いの品を手に取る。小袋の口を留めていた紐をするりと外し、中に入っていたクッキーのような物を口にした次の瞬間、ヴィリバルトの頬はトールが見ても分かるほどにくっきりと引きつった。
「苦いな、これ」
カジミールからの見舞いの品は、『星読み』達が星を観察する時に食べる、目に良いと言われている薬草を混ぜたお菓子。おそらく覚醒の効果も入れてあるのだろう、サシャも、『星読み』達に勧められて口にした時には、飲み込む前に苦そうな顔をしていた。
「確かめもせず、何でも口に入れる癖は相変わらずだな」
それでも、吐き出すことなく咀嚼して飲み込んだヴィリバルトに、アラン師匠が呆れた声を出す。
「気をつけろよ」
おそらく、毒殺を気にしているのだろう。高校の頃に本で読んだ歴史を思い出す。
「いつまでも子供扱いしないでもらいたい、同じ名前の従兄殿」
一方、注意されたヴィリバルトの方は、そのような懸念を全く無視したように鼻を鳴らした。
「で、ここで何の話だ?」
そのヴィリバルトを睨み、サシャの寝息を確かめたアラン師匠が、ヴィリバルトに正対する。
「例の暗殺者の黒幕、夏炉のとある貴族について、だ」
次に響いた、ヴィリバルトの言葉に、トールの背に緊張が走った。サシャを害するかもしれない者のことは、きちんと記憶しておかなければ。
耳を澄ますトールの横で、ヴィリバルトがおもむろに口を開く。
古代の神々への信仰を強制し、従わない者を弑する狂信者達を密かに援助する者の名は、クラウディオ。王権が弱体化し混乱が続く夏炉の小貴族家の末子。夏炉は、八都の真ん中に位置し、交易においては最重要な場所であるが、その所為か、貴族の争いは昔から多いと、これは北辺の修道院にあった地理の本に書かれていた。貴族の出ながら頭の良かったクラウディオは帝都での勉学を希望するが、「貴族に勉学は不要だ」という理由から、保護者はクラウディオに帝都での勉学を許さなかった。そのことを恨んだクラウディオは、長じて、保護者と兄弟全てを謀を以て弑し、小貴族としての地位と財産を一人占めした上で、狂信者達を援助することで夏炉での勢力を拡大している。
「狂信者達を味方に付けて何がしたいのかは分からないが」
震えを覚えるトールの耳に、あくまで冷静なヴィリバルトの声が響く。
「まあ、用心に越したことはない」
「そう、だが」
ヴィリバルトの話を黙って聞いていたアランが、小さく首を傾げるのが、見えた。
「何故ここで俺に話す?」
アランの疑問に、ヴィリバルトがにやりと笑ってアランから視線を逸らす。そのヴィリバルトの、全てを見透かす蒼い瞳は、確かに、トールの方を一瞬だけ、睨んだ。
「そいつに同情しろ、とでも」
震えが止まらないトールの前で、アランが肩を竦める。
「それは無い」
「だろうな」
鼻を鳴らしたヴィリバルトに、アランもにやりと笑った。
「気をつけろ、ということか」
「そう受け取ってくれて構わない」
おそらく、暗殺を止めたサシャを、クラウディオは逆恨みするだろう。トールの全身に緊張が走る。
「相変わらずだな」
それで話は終わったようだ。アランに頷いたヴィリバルトが、サシャとトールに背を向ける。
ヴィリバルトが教えてくれたクラウディオに関する情報は、しっかりと覚えておく必要がある。トールから離れていく大柄な背に、小さく頷く。だが、……『本』であるトールに、一体何ができるのだろう? いや、弱気になってはいけない。サシャを守るために、最善の策を考えなければ。アランとヴィリバルトが去り、ユーグが戻ってきてからもずっと、トールは一つのことだけを、唸るように考えていた。
秋分祭から一週間、まだ眠っている時間が多いサシャだが、毒の刃で切り裂かれた脇腹の傷はだいぶん良くなっているようだ。良かった。ようやく戻ってきた心の温もりに、トールはもう一度、安堵の息を吐いた。
弛緩した心で、辺りを見回す。
サシャが眠るベッドの横にある腰棚の上に置かれているのは、トールの他に、水が半分ほど入った小さな水差しと、見舞いに来たカジミールが置いていった菓子入りの小さな袋、そしてつい先刻までこの部屋にいたエルネストが置いていった薄い詩の本。エルネストを修道院の玄関まで見送りに行ったサシャの叔父ユーグは、もうそろそろ戻ってくるだろう。再びサシャの規則正しい息づかいを確かめたトールの耳に、部屋の戸が軋み開く音が聞こえてきた。
だが。
部屋に入ってきた、明らかにユーグではない二つの大柄な影に、緊張が走る。一人は、アラン師匠。そしてもう一人は、……ヴィリバルト! 鎧は身に着けていないが、トールを見つめたあの蒼い瞳だけで、トールにはすぐに判別がついた。
「良くなってきているようだな」
大柄な影の一つ、ヴィリバルトが、その大きな手でサシャの髪を優しく撫でる。
「貴様が指示した解毒剤のおかげでな」
もう一つの大柄な影、アラン師匠の声は、やはり、いつになく刺々しく聞こえた。
そのアラン師匠の声を気にすることなく、ヴィリバルトは、トールの横にあったカジミールの見舞いの品を手に取る。小袋の口を留めていた紐をするりと外し、中に入っていたクッキーのような物を口にした次の瞬間、ヴィリバルトの頬はトールが見ても分かるほどにくっきりと引きつった。
「苦いな、これ」
カジミールからの見舞いの品は、『星読み』達が星を観察する時に食べる、目に良いと言われている薬草を混ぜたお菓子。おそらく覚醒の効果も入れてあるのだろう、サシャも、『星読み』達に勧められて口にした時には、飲み込む前に苦そうな顔をしていた。
「確かめもせず、何でも口に入れる癖は相変わらずだな」
それでも、吐き出すことなく咀嚼して飲み込んだヴィリバルトに、アラン師匠が呆れた声を出す。
「気をつけろよ」
おそらく、毒殺を気にしているのだろう。高校の頃に本で読んだ歴史を思い出す。
「いつまでも子供扱いしないでもらいたい、同じ名前の従兄殿」
一方、注意されたヴィリバルトの方は、そのような懸念を全く無視したように鼻を鳴らした。
「で、ここで何の話だ?」
そのヴィリバルトを睨み、サシャの寝息を確かめたアラン師匠が、ヴィリバルトに正対する。
「例の暗殺者の黒幕、夏炉のとある貴族について、だ」
次に響いた、ヴィリバルトの言葉に、トールの背に緊張が走った。サシャを害するかもしれない者のことは、きちんと記憶しておかなければ。
耳を澄ますトールの横で、ヴィリバルトがおもむろに口を開く。
古代の神々への信仰を強制し、従わない者を弑する狂信者達を密かに援助する者の名は、クラウディオ。王権が弱体化し混乱が続く夏炉の小貴族家の末子。夏炉は、八都の真ん中に位置し、交易においては最重要な場所であるが、その所為か、貴族の争いは昔から多いと、これは北辺の修道院にあった地理の本に書かれていた。貴族の出ながら頭の良かったクラウディオは帝都での勉学を希望するが、「貴族に勉学は不要だ」という理由から、保護者はクラウディオに帝都での勉学を許さなかった。そのことを恨んだクラウディオは、長じて、保護者と兄弟全てを謀を以て弑し、小貴族としての地位と財産を一人占めした上で、狂信者達を援助することで夏炉での勢力を拡大している。
「狂信者達を味方に付けて何がしたいのかは分からないが」
震えを覚えるトールの耳に、あくまで冷静なヴィリバルトの声が響く。
「まあ、用心に越したことはない」
「そう、だが」
ヴィリバルトの話を黙って聞いていたアランが、小さく首を傾げるのが、見えた。
「何故ここで俺に話す?」
アランの疑問に、ヴィリバルトがにやりと笑ってアランから視線を逸らす。そのヴィリバルトの、全てを見透かす蒼い瞳は、確かに、トールの方を一瞬だけ、睨んだ。
「そいつに同情しろ、とでも」
震えが止まらないトールの前で、アランが肩を竦める。
「それは無い」
「だろうな」
鼻を鳴らしたヴィリバルトに、アランもにやりと笑った。
「気をつけろ、ということか」
「そう受け取ってくれて構わない」
おそらく、暗殺を止めたサシャを、クラウディオは逆恨みするだろう。トールの全身に緊張が走る。
「相変わらずだな」
それで話は終わったようだ。アランに頷いたヴィリバルトが、サシャとトールに背を向ける。
ヴィリバルトが教えてくれたクラウディオに関する情報は、しっかりと覚えておく必要がある。トールから離れていく大柄な背に、小さく頷く。だが、……『本』であるトールに、一体何ができるのだろう? いや、弱気になってはいけない。サシャを守るために、最善の策を考えなければ。アランとヴィリバルトが去り、ユーグが戻ってきてからもずっと、トールは一つのことだけを、唸るように考えていた。
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