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お姫様ごっこ
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それは、余りにも突然の出来事だった。
大陸東部の人気のない森の中の道を歩いていた珮理達――珮理と、珮理の両親の風理と朧嵐――の前に、何の前ぶれもなく天楚国の歩兵のなりをした男達が大勢立ち塞がり、有無も言わさず襲いかかってきたのだ。兵士達は強引に三人に向かって突っ込んでくると、とっさに珮理を庇った朧嵐の腕をはねのけ、珮理を半ば強引に掴み上げた。
「珮理!」
珮理を取り上げられた朧嵐が血相を変えて兵士に飛びかかる。が、いくら朧嵐が日頃鍛えているとはいえ所詮は男女の差、兵士に押さえ込まれて珮理に近づくことすらできない。
「無法者!」
それを見た風理は押し寄せる兵士達を持っていた荷物で殴り倒すと、魔法を使う為に両腕を上げた。しかし、風理の放った魔法はほんの鼻先にいる兵士にさえも届かない。
「魔法結界!」
そこまで叫ぶより先に、風理の後頭部を鈍器が襲う。
「……母さん、父さん!」
頭から血を流して倒れる風理に、珮理は捕まえられている男の腕から逃れようと必死になってもがいた。その珮理の口に布が当てられる。甘い香りが口中に広がるとともに、何故かどっと眠気が押し寄せてきた。
珮理は易々と闇の中に落ちていった。
どれくらい眠っていたのだろうか。
珮理はふわふわした寝具の上で目を覚ました。
〈……あれ?〉
思考が定まらず、目をきょろきょろさせる。目に入ってくるのは、珮理が今まで目にしたことがないような豪華な部屋の様子。気を失う前にいたところとのギャップに、珮理の頭はくらくらしてきた。
〈何でボクはここに……?〉
ぼうっとした頭を落ち着かせた珮理の思考が一点で止まる。
「父さん、母さん!」
珮理が最後に見たのは、地に倒れたままの風理と珮理を取り戻そうと必死に兵士に追いすがる朧嵐の姿。二人はその後どうなったのだろうか?
とにかく、こうしてはいられない。珮理は背の高いベッドから勢いよく飛び降りた。が、まとわりつくような服の裾に足を取られ、床に鼻を強かにぶつけてしまった。
「痛ったぁ……」
床に尻餅をついて鼻を押さえる珮理の周りが、不意に暗くなる。見上げると、襞をたくさん取った緩やかなローブをまとった婦人が珮理の傍らに立っていた。
「起きたようね、私の可愛い子」
その婦人は珮理を優しく抱き起こすと、珮理を抱き締めてその頭を優しく撫でた。
婦人から発せられる柔らかな菫の香りが珮理をうっとりさせる。
が。次の瞬間、自分の母親のことを思い出す。
〈母さん……!〉
父さんと母さんが、無事なのかどうか、確かめなければ。その想いから、珮理は婦人の腕から逃れようと闇雲に体を動かした。
不意に、婦人の腕が珮理から離れる。息を吐く間も無く、珮理は即座に外に駆けだそうとした。だが。派手な音と共に、珮理の左頬がじんと熱くなる。叩かれたのだ、そう分かるのにしばらくかかった。
「いい、私の可愛い子」
叩いた婦人は優しげな声で、しかし目だけは冷たく言い放つ。
「私があなたのお母さん。それでいいわね」
嫌だ。絶対嫌だ。心の中ではそう叫んだが、その冷たい瞳に圧倒されて、珮理はうんと頷く他、無かった。
次に目が覚めた時には、薄いカーテンの掛かった硝子窓から優しい朝の光が部屋一杯に広がっていた。
「……お目覚めのようね、私の可愛い子」
ベッドの傍らでは、昨日珮理を叩いた婦人が優しげな笑顔で立っている。
「いらっしゃい」
半ば無理矢理手を引かれて外に出る。連れて行かれた先は、屋敷の中と同じくらい豪勢な作りの中庭だった。
その中庭の端に、豪奢な風景にそぐわない筵が二枚、大人の大きさぐらいの物体に被せるようにして置いてある。その筵から零れ出ていたものに気付き、珮理は驚愕した。
そこに見えたのは、銀色の髪。その色の髪を持つ者を珮理は一人しか知らなかった。
「母、さん……?」
朧嵐の銀色の髪は、彼女が特別な者である証なのだと前に風理から聞いたことがある。その色の髪がここにあるということ、は……!
「昨日侵入してきた賊です。……返り討ちにしましたが」
女主人の声が珮理の心に冷たく響く。
自分の目の前が真っ暗になるのを、珮理は止めることが出来なかった。
どれくらい経ったのだろう。
珮理は、始めにいたのと同じベッドの上で目を覚ました。
〈……父さん、母さん……〉
目覚めてすぐに思い出したのは、両親のこと。二人とも、すでにこの世にいないなんて俄には信じられない。しかし、風理が後頭部を殴られて倒れたところも、朧嵐の銀色の髪が死体を包んだ筵から流れ出ていたのもしっかり見ている。
珮理の目から大粒の涙が一粒こぼれ落ちた。
「……あら、お目覚めになっていらっしゃる」
不意に、珮理のずっと遠くで女の人の声が聞こえた。
「お目覚めなら、お食事を召し上がってくださいな」
次に聞こえてきたのは、テーブルの上にお盆を載せる音。聞こえてくる音全てを、珮理はまるで人事のように聞いていた。
「ほら、温かくておいしそうなスープですよ」
お仕着せの服を着た女の人が、珮理の横に立ってにこっと笑う。その女の人を見るともなしに見ていた珮理は、次の瞬間、驚きで思わず起きあがった。
〈ま、まさか……!〉
珮理の目の前で、見慣れた茶色の優しい瞳が微笑っている。この人、は。
「……父、さん?」
珮理の問いに、その女の人は笑い顔を更に強めた。
「そうだよ」
その笑顔は、間違いなく風理の笑顔だ。
「で、でも、父さん、女の人、だし。そ、それに……」
まだ風理だと信じられない珮理は、女の人に向かって次々と質問を投げかける。そんな珮理を、風理はしっかりと抱き締めた。
「驚いただろう? でも、女性として潜入した方があまり怪しまれずに済むからね」
元々女顔の風理だから、女の人に化けるのは容易。風理の友人、珮理の叔母である{優理}(ゆうり)の夫、天楚の騎士でもあるクラメルに頼みこみ、侍女として推薦してもらうのに少しだけ手間取ったけど。珮理が無事で良かった。普段よりも少し高く聞こえる声が、珮理の耳をくすぐる。
「そう、なの……」
しかし珮理は、風理の言葉の半分も聞いていなかった。
抱き締められている腕の暖かみが、その人が確かに父親であることを示している。とすると、もう一つの心配の方、も。
「……母さん、は?」
心に引っ掛かっていることをおそるおそる尋ねる。
「ああ、屋敷の外にいるよ」
返ってきた風理の答えは珮理をほっとさせるものだった。
「……よかった」
「どんなときでも、ちゃんと頭で考えて行動しないと、ね」
そんな珮理の頭を、風理は優しく撫でてくれる。
「朧嵐には、外で『魔法結界』を解いてもらっているんだ」
マース大陸東部の上流階級の屋敷には大抵、外からの魔法攻撃を防ぎ屋敷内での魔法使用を妨げる『魔法結界』がはってある。この屋敷も例外ではなく、そのために風理得意の風魔法で珮理を簡単に連れて逃げるわけにはいかないんだと風理は珮理に告げた。
「だから、朧嵐が外の、私が中の『魔法結界』をまず外そう、ということにしたんだ」
『魔法結界』を解くには少々時間がかかる。しかし、解きさえすればこっちのものだ。
「と、いうことだから、しばらくおとなしく『お姫様』していてくれないかな」
「うん!」
風理の言葉に、珮理は今度は満面の笑みで頷いた。
それからというもの、珮理は『表面的には』すっかりおとなしくなった。
屋敷の女主人である婦人の言うことも、屋敷内で働いている人達の言うこともよく聞き、いつもより『模範的』な生活をしている、と珮理自身思っていた。
「……無理してないか、珮理?」
毎夜寝る前に来てくれる侍女姿の風理がそう心配するほどだ。
「うん、平気」
心配顔の風理をよそに、珮理はこの生活を結構楽しんでいた。
おとなしくなった珮理を、婦人は毎日着飾らせ、中庭の散歩に連れ出したり、部屋の中でお話を聞かせてくれたりしている。そんなときの婦人の顔はとても幸せそうだ。珮理はそう感じていた。
「……でも、何であんなに嬉しそうなんだろう?」
ある時、珮理は部屋に来た風理に思っていた疑問を口に出した。
「うーん。……父さんにも良く分からないけど」
珮理の問いに、少し考えてから風理が答える。
「でもおそらく、廊下に掛かっている絵に関係があるのかもしれない」
この屋敷の廊下には、たった一カ所にだけ肖像画が飾ってある。そこに描かれているのは、可愛らしい感じのする、珮理と同い年くらいの女の子、だった。
それから二、三日経った、ある嵐の夜。
ひどい風のせいでがたがたと鳴る鎧戸の音に眠れずうとうとしていた珮理は、音を全く立てずに部屋に忍び込んできた風理に揺り起こされた。
「珮理、逃げるよ」
その言葉に珮理ははっと飛び起きた。
「父さ……」
「しっ!」
思わず叫びそうになった珮理の口を風理が塞ぐ。そしてそのまま、風理は珮理をしっかりと抱き上げた。
その時になって初めて、風理の後ろにもう一人いることに気がつく。その人、は。
「母さ……」
「しいっ」
今度は朧嵐の手が珮理の口を塞ぐ。珮理は風理をすり抜けて朧嵐に飛びついた。暖かい。確かに『母さん』だ。
「元気だった?」
朧嵐の手が珮理の頭をゆっくり撫でる。珮理は朧嵐の胸に顔を埋めた。
と、その時。
「その子は連れて行かせない!」
部屋の扉が乱暴に開き、大声が部屋中に響き渡る。灯りが無くとも、そう叫んだのがこの屋敷の女主人であることはすぐに分かった。
「渡さ、ないわ。あなた達、には……」
興奮の為か、喘いでいるのが気配で分かる。
そんな女主人に、朧嵐は珮理を抱いたまま一歩だけ近づくと静かな声で言った。
「あなたには分かるはず。子供を無理矢理奪われた者の気持ちが」
朧嵐の言葉に泣き崩れる婦人。
「……行こう」
そんな婦人の様子に、顔を見合わせた風理と朧嵐はやるせなさげな溜息をふっとついた。
「風よ……」
右手を挙げて風理が呪文を唱える。
次の瞬間、珮理の瞳に映ったのは、見慣れた夜の、森の風景。
兵士を使って珮理を掠わせた婦人は、天楚国のとある公の娘で、ある伯の妻になったがつい最近娘を置いて離縁されたらしい。『魔法結界』を解く傍ら調べ上げた物事を夫の風理に話す朧嵐の声を、二人の胸に抱かれながら聞く。
愛娘から引き離されたその心情は理解できる。しかし、だからといって人の子供を拐かす行為は許されない。毅然とした母の声に、小さくしか頷けなかったのは、何故だろうか?
次の日。
南へ向かう街道に、三人はいた。
「少し、天楚から離れていた方がいいだろうな」
「そうね」
風理の言葉に朧嵐が答える。その二人の間で、珮理はにこにこと二人を見つめていた。
「……ところで珮理」
そんな珮理に、少し意地悪そうな目で笑いながら風理が問う。
「本当は、ずっとお姫様の方がよかったんじゃないのか?」
「ううん」
その言葉に、珮理は素直に首を横に振った。確かに、『お姫様』の暮らしは旅暮らしより楽だし、ご飯も苦労せずに食べられる。でもしかし、父さんと母さんと一緒にいた方が、それよりもずっと嬉しい。
風理と朧嵐に手を引かれて歩きながら、珮理は心からそう、思った。
大陸東部の人気のない森の中の道を歩いていた珮理達――珮理と、珮理の両親の風理と朧嵐――の前に、何の前ぶれもなく天楚国の歩兵のなりをした男達が大勢立ち塞がり、有無も言わさず襲いかかってきたのだ。兵士達は強引に三人に向かって突っ込んでくると、とっさに珮理を庇った朧嵐の腕をはねのけ、珮理を半ば強引に掴み上げた。
「珮理!」
珮理を取り上げられた朧嵐が血相を変えて兵士に飛びかかる。が、いくら朧嵐が日頃鍛えているとはいえ所詮は男女の差、兵士に押さえ込まれて珮理に近づくことすらできない。
「無法者!」
それを見た風理は押し寄せる兵士達を持っていた荷物で殴り倒すと、魔法を使う為に両腕を上げた。しかし、風理の放った魔法はほんの鼻先にいる兵士にさえも届かない。
「魔法結界!」
そこまで叫ぶより先に、風理の後頭部を鈍器が襲う。
「……母さん、父さん!」
頭から血を流して倒れる風理に、珮理は捕まえられている男の腕から逃れようと必死になってもがいた。その珮理の口に布が当てられる。甘い香りが口中に広がるとともに、何故かどっと眠気が押し寄せてきた。
珮理は易々と闇の中に落ちていった。
どれくらい眠っていたのだろうか。
珮理はふわふわした寝具の上で目を覚ました。
〈……あれ?〉
思考が定まらず、目をきょろきょろさせる。目に入ってくるのは、珮理が今まで目にしたことがないような豪華な部屋の様子。気を失う前にいたところとのギャップに、珮理の頭はくらくらしてきた。
〈何でボクはここに……?〉
ぼうっとした頭を落ち着かせた珮理の思考が一点で止まる。
「父さん、母さん!」
珮理が最後に見たのは、地に倒れたままの風理と珮理を取り戻そうと必死に兵士に追いすがる朧嵐の姿。二人はその後どうなったのだろうか?
とにかく、こうしてはいられない。珮理は背の高いベッドから勢いよく飛び降りた。が、まとわりつくような服の裾に足を取られ、床に鼻を強かにぶつけてしまった。
「痛ったぁ……」
床に尻餅をついて鼻を押さえる珮理の周りが、不意に暗くなる。見上げると、襞をたくさん取った緩やかなローブをまとった婦人が珮理の傍らに立っていた。
「起きたようね、私の可愛い子」
その婦人は珮理を優しく抱き起こすと、珮理を抱き締めてその頭を優しく撫でた。
婦人から発せられる柔らかな菫の香りが珮理をうっとりさせる。
が。次の瞬間、自分の母親のことを思い出す。
〈母さん……!〉
父さんと母さんが、無事なのかどうか、確かめなければ。その想いから、珮理は婦人の腕から逃れようと闇雲に体を動かした。
不意に、婦人の腕が珮理から離れる。息を吐く間も無く、珮理は即座に外に駆けだそうとした。だが。派手な音と共に、珮理の左頬がじんと熱くなる。叩かれたのだ、そう分かるのにしばらくかかった。
「いい、私の可愛い子」
叩いた婦人は優しげな声で、しかし目だけは冷たく言い放つ。
「私があなたのお母さん。それでいいわね」
嫌だ。絶対嫌だ。心の中ではそう叫んだが、その冷たい瞳に圧倒されて、珮理はうんと頷く他、無かった。
次に目が覚めた時には、薄いカーテンの掛かった硝子窓から優しい朝の光が部屋一杯に広がっていた。
「……お目覚めのようね、私の可愛い子」
ベッドの傍らでは、昨日珮理を叩いた婦人が優しげな笑顔で立っている。
「いらっしゃい」
半ば無理矢理手を引かれて外に出る。連れて行かれた先は、屋敷の中と同じくらい豪勢な作りの中庭だった。
その中庭の端に、豪奢な風景にそぐわない筵が二枚、大人の大きさぐらいの物体に被せるようにして置いてある。その筵から零れ出ていたものに気付き、珮理は驚愕した。
そこに見えたのは、銀色の髪。その色の髪を持つ者を珮理は一人しか知らなかった。
「母、さん……?」
朧嵐の銀色の髪は、彼女が特別な者である証なのだと前に風理から聞いたことがある。その色の髪がここにあるということ、は……!
「昨日侵入してきた賊です。……返り討ちにしましたが」
女主人の声が珮理の心に冷たく響く。
自分の目の前が真っ暗になるのを、珮理は止めることが出来なかった。
どれくらい経ったのだろう。
珮理は、始めにいたのと同じベッドの上で目を覚ました。
〈……父さん、母さん……〉
目覚めてすぐに思い出したのは、両親のこと。二人とも、すでにこの世にいないなんて俄には信じられない。しかし、風理が後頭部を殴られて倒れたところも、朧嵐の銀色の髪が死体を包んだ筵から流れ出ていたのもしっかり見ている。
珮理の目から大粒の涙が一粒こぼれ落ちた。
「……あら、お目覚めになっていらっしゃる」
不意に、珮理のずっと遠くで女の人の声が聞こえた。
「お目覚めなら、お食事を召し上がってくださいな」
次に聞こえてきたのは、テーブルの上にお盆を載せる音。聞こえてくる音全てを、珮理はまるで人事のように聞いていた。
「ほら、温かくておいしそうなスープですよ」
お仕着せの服を着た女の人が、珮理の横に立ってにこっと笑う。その女の人を見るともなしに見ていた珮理は、次の瞬間、驚きで思わず起きあがった。
〈ま、まさか……!〉
珮理の目の前で、見慣れた茶色の優しい瞳が微笑っている。この人、は。
「……父、さん?」
珮理の問いに、その女の人は笑い顔を更に強めた。
「そうだよ」
その笑顔は、間違いなく風理の笑顔だ。
「で、でも、父さん、女の人、だし。そ、それに……」
まだ風理だと信じられない珮理は、女の人に向かって次々と質問を投げかける。そんな珮理を、風理はしっかりと抱き締めた。
「驚いただろう? でも、女性として潜入した方があまり怪しまれずに済むからね」
元々女顔の風理だから、女の人に化けるのは容易。風理の友人、珮理の叔母である{優理}(ゆうり)の夫、天楚の騎士でもあるクラメルに頼みこみ、侍女として推薦してもらうのに少しだけ手間取ったけど。珮理が無事で良かった。普段よりも少し高く聞こえる声が、珮理の耳をくすぐる。
「そう、なの……」
しかし珮理は、風理の言葉の半分も聞いていなかった。
抱き締められている腕の暖かみが、その人が確かに父親であることを示している。とすると、もう一つの心配の方、も。
「……母さん、は?」
心に引っ掛かっていることをおそるおそる尋ねる。
「ああ、屋敷の外にいるよ」
返ってきた風理の答えは珮理をほっとさせるものだった。
「……よかった」
「どんなときでも、ちゃんと頭で考えて行動しないと、ね」
そんな珮理の頭を、風理は優しく撫でてくれる。
「朧嵐には、外で『魔法結界』を解いてもらっているんだ」
マース大陸東部の上流階級の屋敷には大抵、外からの魔法攻撃を防ぎ屋敷内での魔法使用を妨げる『魔法結界』がはってある。この屋敷も例外ではなく、そのために風理得意の風魔法で珮理を簡単に連れて逃げるわけにはいかないんだと風理は珮理に告げた。
「だから、朧嵐が外の、私が中の『魔法結界』をまず外そう、ということにしたんだ」
『魔法結界』を解くには少々時間がかかる。しかし、解きさえすればこっちのものだ。
「と、いうことだから、しばらくおとなしく『お姫様』していてくれないかな」
「うん!」
風理の言葉に、珮理は今度は満面の笑みで頷いた。
それからというもの、珮理は『表面的には』すっかりおとなしくなった。
屋敷の女主人である婦人の言うことも、屋敷内で働いている人達の言うこともよく聞き、いつもより『模範的』な生活をしている、と珮理自身思っていた。
「……無理してないか、珮理?」
毎夜寝る前に来てくれる侍女姿の風理がそう心配するほどだ。
「うん、平気」
心配顔の風理をよそに、珮理はこの生活を結構楽しんでいた。
おとなしくなった珮理を、婦人は毎日着飾らせ、中庭の散歩に連れ出したり、部屋の中でお話を聞かせてくれたりしている。そんなときの婦人の顔はとても幸せそうだ。珮理はそう感じていた。
「……でも、何であんなに嬉しそうなんだろう?」
ある時、珮理は部屋に来た風理に思っていた疑問を口に出した。
「うーん。……父さんにも良く分からないけど」
珮理の問いに、少し考えてから風理が答える。
「でもおそらく、廊下に掛かっている絵に関係があるのかもしれない」
この屋敷の廊下には、たった一カ所にだけ肖像画が飾ってある。そこに描かれているのは、可愛らしい感じのする、珮理と同い年くらいの女の子、だった。
それから二、三日経った、ある嵐の夜。
ひどい風のせいでがたがたと鳴る鎧戸の音に眠れずうとうとしていた珮理は、音を全く立てずに部屋に忍び込んできた風理に揺り起こされた。
「珮理、逃げるよ」
その言葉に珮理ははっと飛び起きた。
「父さ……」
「しっ!」
思わず叫びそうになった珮理の口を風理が塞ぐ。そしてそのまま、風理は珮理をしっかりと抱き上げた。
その時になって初めて、風理の後ろにもう一人いることに気がつく。その人、は。
「母さ……」
「しいっ」
今度は朧嵐の手が珮理の口を塞ぐ。珮理は風理をすり抜けて朧嵐に飛びついた。暖かい。確かに『母さん』だ。
「元気だった?」
朧嵐の手が珮理の頭をゆっくり撫でる。珮理は朧嵐の胸に顔を埋めた。
と、その時。
「その子は連れて行かせない!」
部屋の扉が乱暴に開き、大声が部屋中に響き渡る。灯りが無くとも、そう叫んだのがこの屋敷の女主人であることはすぐに分かった。
「渡さ、ないわ。あなた達、には……」
興奮の為か、喘いでいるのが気配で分かる。
そんな女主人に、朧嵐は珮理を抱いたまま一歩だけ近づくと静かな声で言った。
「あなたには分かるはず。子供を無理矢理奪われた者の気持ちが」
朧嵐の言葉に泣き崩れる婦人。
「……行こう」
そんな婦人の様子に、顔を見合わせた風理と朧嵐はやるせなさげな溜息をふっとついた。
「風よ……」
右手を挙げて風理が呪文を唱える。
次の瞬間、珮理の瞳に映ったのは、見慣れた夜の、森の風景。
兵士を使って珮理を掠わせた婦人は、天楚国のとある公の娘で、ある伯の妻になったがつい最近娘を置いて離縁されたらしい。『魔法結界』を解く傍ら調べ上げた物事を夫の風理に話す朧嵐の声を、二人の胸に抱かれながら聞く。
愛娘から引き離されたその心情は理解できる。しかし、だからといって人の子供を拐かす行為は許されない。毅然とした母の声に、小さくしか頷けなかったのは、何故だろうか?
次の日。
南へ向かう街道に、三人はいた。
「少し、天楚から離れていた方がいいだろうな」
「そうね」
風理の言葉に朧嵐が答える。その二人の間で、珮理はにこにこと二人を見つめていた。
「……ところで珮理」
そんな珮理に、少し意地悪そうな目で笑いながら風理が問う。
「本当は、ずっとお姫様の方がよかったんじゃないのか?」
「ううん」
その言葉に、珮理は素直に首を横に振った。確かに、『お姫様』の暮らしは旅暮らしより楽だし、ご飯も苦労せずに食べられる。でもしかし、父さんと母さんと一緒にいた方が、それよりもずっと嬉しい。
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