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風神の花嫁
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いつも見慣れている小川の畔に、いつの間にか小さなテントが立てられている。
「……これ本当に風理が立てたの?」
その中に入って辺りを見回した優理は、傍に座っている友人の朧嵐にそう訊ねずにはいられなかった。
「ええ」
額に汗を浮かべた朧嵐は、それでも満面の笑みを浮かべて頷く。このテントの作り方を教えたのは朧嵐だが、ここまで丈夫かつ小綺麗に作ってくれるとは、さすがの朧嵐も驚きを隠せない。だから、朧嵐としては褒められてとても嬉しかったのだ。
たとえ、これからどんなことが起こるとしても。
朧嵐と優理がいるのは、出産用に設えられたテント。
もうすぐ、朧嵐に子供が生まれる。
だから、『流浪の民』の慣習に則り、女しか入れない産屋を作り、手伝いの為に産婦の身内――優理は朧嵐の夫、風理の双子の妹である――が一人付いて出産を待っていた。
かつて一度だけ体験した痛みが来る。
確か、珮理のときはここよりもっと北の国にいたから、義妹の優理でなく姉の噫嵐が付いていてくれたんだっけ。痛みの中で朧嵐はそんなことを思い出した。あの時は、風理も大陸の西に行っていたから、産屋もなし、だった。
「……大丈夫、朧嵐?」
優理が汗を拭いてくれる。
優理は六角郷の領主夫人であるが、その『癒し手』としての能力と少女の頃に習った産婆術で近隣はおろか天楚国中にその名を知られている。朧嵐も出産は初めてではないのだし、それを考え合わせると心配することは何もないように思える。が。
「顔色が悪いわ。何か心配事があるの?」
さすがは何人もの赤ん坊を取り上げただけのことはある。優理は産婦の心理状態を確実に把握していた。
「……何でも、ないわ」
本当は、心配事は大いにある。しかしそれでも、朧嵐は優理に向かって首を横に振った。
「大丈夫」
優理に、というより自分に言い聞かせるようにそっと呟く。
第一、これは、生まれるまでは心配しても仕方の無いことなのだから。
何度も朧嵐を襲う痛みの波が一気に押し寄せ、思わず呻く。
「力を入れて。大丈夫だから」
優理の声に、テントの梁からぶら下がった綱を力いっぱい握り締める。
そして終に、充実感に似た意識の中で、朧嵐は新しい命の泣き声を聞いた。
ちゃんと生まれてくれた。嬉しさと誇らしさが、朧嵐の全身を駆け巡る。
だが。
「元気で可愛い女の子だわ」
赤ん坊に産湯を使わせている優理の言葉に、心臓がどきんと強く打つ。まさか……!
「あなたによく似てるわ」
優理が産着に包んだ赤ん坊をそっと手渡してくる。朧嵐は恐る恐る赤ん坊を覆っている布を外し、その髪を見た。……やはり。腕がぶるぶると震える。少しだけ生えている赤ん坊の髪は、きらきら光る銀髪、だった。
「……どうしたの、朧嵐?」
朧嵐の異変に優理が気付く。
「気分が悪いの?」
優理の言葉にゆっくりとかぶりを振る。しかし、その途中で涙が溢れてきてしまい、朧嵐は赤ん坊を押し抱くようにしてしゃくりあげた。
「朧嵐?」
心配そうな優理の声がすぐ近くに聞こえる。
「どうしたの? 何があったの?」
優理の問いに、朧嵐は再びかぶりを振った。
『流浪の民』の一員ではない優理は、多分あの『掟』を知らない。だけど、朧嵐の口からは、これだけはとても説明できない。
不意に、テントの入り口に垂れ下がっている布が大きく開く。
「誰?」
優理が見やった先にいたのは、朧嵐と似たような格好をした数人の女。おそらく、『流浪の民』の一族が、朧嵐の様子を見に来たに違いない。優理はその時はそう思った。
だが。彼女達はどかどかと産屋に入り込むと、驚く優理を無視して朧嵐の傍らに立つ。そして朧嵐の腕から赤ん坊を取り上げた。
「『風神の花嫁』が、生まれたのね」
「……はい」
彼女達に答える朧嵐の声は、悲痛なほどにか細い。
「では、風神に捧げよう」
女達はそう言うと、その腕に抱えあげた赤ん坊を朧嵐に返すことなくくるりと朧嵐に背を向けた。
「何を……!」
異変を察知し、優理が女達の前に出る。
「その子をどこに連れて行こうというの!」
事情は知らないが、生まれたてでまだ母親の乳も飲ませてない赤ん坊を連れて行かせるわけにはいかない。だが、女達は強引に優理を押しのけると、優理の抗議の声を無視して赤ん坊と共に産屋を出た。
「待ちなさい!」
その後をすぐに追いかける優理。
しかしながら、優理がテントを出たときには、女達は既に何処かに去ってしまった後だった。
「……いいの、優理」
その背後でか細い声が聞こえる。
「仕方の無い、ことなの」
振り返ると、朧嵐の真っ赤な目が優理を見つめて、いた。
『流浪の民』の間では、銀色の髪を持つ女の子が生まれると、『風神の花嫁』だといって森の中に捨てる習慣がある、と、朧嵐は泣きながら優理に話した。大昔に起きたある出来事がそのきっかけ、らしいのだが、そこまでは朧嵐自身にも分からない。ただ分かっているのは、銀髪の女の子は必ず捨てられる、ということだけ。
「でも、もし誰かが拾ってくれたら、あの子は育つかもしれない」
実際、同じ『風神の花嫁』である朧嵐も、蛇神の森の守護女神毘央に目を掛けてもらえたからこそ、これまで生き延びることができたのだ。
「あの子も、私のような『幸運』を持っていてくれれば……」
「ひどすぎるわ」
朧嵐の話に、心の底から怒りがこみ上げてくる。生まれてすぐ死んでしまう赤ん坊が多いことを知っている優理には、あんなに元気な赤ん坊を捨てるような行為は、どんな理由があろうとも許せることではない。
しかし。朧嵐が所属する『流浪の民』と、優理は、異なる者。優理は、『流浪の民』に異を唱える立場には、無い。今の優理にできることは、あの赤ん坊の為に祈ることだけ。それが、……悔しい。優理は思わず唇を噛み締めた。
同じ頃。
朧嵐の夫と娘、風理と珮理は、同じ蛇神の森の中を薬草を探して歩いていた。
「ねえ、父さん」
前を歩いていた珮理が風理のほうを向いて話しかける。
「母さんの赤ちゃん、もう生まれたかなぁ」
まだ五つになったばかりだったが、母親のおなかに赤ん坊がいてもうすぐ生まれることを、珮理はちゃんと知っていた。
「そうだね。もう生まれている筈だよ」
珮理の問いに、風理がはっきり答える。
「男の子かな、女の子かな?」
そんな風理に、珮理は更に質問を重ねた。
『母さんの赤ちゃん』のことを考えるたびに、ものすごくどきどきする。私の妹か弟になる子は、一体どんな子、なのだろうか?
「妹がいいな」
「そうかい」
珮理の言葉に、風理の顔が一瞬だけ曇る。風理は『風神の花嫁』のことを知っていたが、知らない珮理はあくまで無邪気だった。
と。
草むらの向こうから赤ん坊の声が聞こえた気がして、珮理ははっとして立ち止まった。こんなところに赤ちゃんがいるのだろうか? 風理の手を振り切り、珮理は草むらを掻き分けてみた。
すると。
「……あっ!」
思わず、大声を上げる。大きくて平たい岩の上に、泣いている小さな布包みがちょこんと置いてあったのだ。
恐る恐る近づいてみる。布包みを開いてみると、柔らかな銀髪が零れ落ちた。
「……『風神の花嫁』だね」
後ろから風理の声が聞こえる。
「風神の、花嫁?」
聞き慣れない言葉に、珮理は鸚鵡返しに聞き返した。
「そう、だよ」
そんな珮理に風理は『風神の花嫁』のことを手短に話して聞かせる。
「で、『風神の花嫁』は、拾った人が育てないといけない決まりなんだけど」
「分かった」
小さな珮理の腕には余る赤ん坊の髪を撫でながら、珮理は無意識のうちに叫んでいた。
「ボクが育てる」
「おいおい」
思いがけない珮理の返答に、風理は苦笑いを浮かべてしまう。
「君に赤ん坊の世話ができるのかい、珮理」
「できるもん」
「これから妹か弟ができるのに?」
風理の言葉に、珮理は返答に詰まった。
確かに、これは一度母さんに相談したほうが良さそうだ。
その小さい腕で赤ん坊を抱えたまま、朧嵐がいるテントの前に立つ。
「父さんは男だから、母さんのところに行くことができないんだ」
ここまで連れて来てくれた風理は、そう言って珮理の腕に赤ん坊を預け、少し離れたところで待っている。
「母さん、いる?」
珮理はそう言ってから、その小さい肩で入り口の布を押して中に入った。
中にいるのは、母さんと優理叔母さん。その叔母さんが、珮理を見て驚愕の表情を浮かべた。
「……珮理ちゃん!」
珮理の手から赤ん坊を取り上げて叫ぶ。
「この子、どこから連れて来たの?」
「え……?」
何が何だか分からない。
唯一つ分かったのは、目を真っ赤にした母さんの表情が急に明るくなったこと、だけ。
「これは、風神の思し召しじゃろう」
『流浪の民』一族内で祭祀を取り仕切る『おばば』は、風理と朧嵐の話を聞いてそう評した。
「と、すると」
確かめるように朧嵐が言う。
「この子を、私たちが育てていいのですね」
「そうじゃな」
朧嵐が生んだ『風神の花嫁』を、その娘である珮理が拾ったのは、単なる偶然に過ぎない。だから、そう判断して間違いはないだろう。おばばはゆっくりとそう言った。
「ありがとうございます」
朧嵐はおばばに頭を下げ、銀髪の女の子をしっかりと抱きしめた。一度は失ったと思った自分の子が、手元に戻ってきた。そのことが朧嵐にはとても嬉しかった。
「……そういえば」
不意に風理が珮理のほうを向く。
「『風神の花嫁』は拾った人が名前をつける決まりだったはず、だけど」
「そうね」
風理の言葉に、朧嵐とおばばが笑いながら同時に頷く。
「えっ!」
突然の言葉に面食らう珮理。
「私が、つけるの?」
文字の書き方はまだ習い始めたばかりだから、珮理が知っている言葉も文字もまだまだ少ない。しかし、それが『決まり』なら。
「……じゃ、じゃあ、『禎羅』に、する!」
自分が知っている嶺家文字を駆使して赤ん坊の名前を考える。
「禎羅か、いい名前だね」
文字を良く知っている風理に褒めてもらい、これで決まった。
珮理は、自分の妹でもあり『名付け子』でもあるその赤ん坊をしっかりと抱きしめた。
赤ん坊の温かさがじんわりと身体中に伝わる。
この子を見つけてよかった、と珮理は心からそう思った。
「……これ本当に風理が立てたの?」
その中に入って辺りを見回した優理は、傍に座っている友人の朧嵐にそう訊ねずにはいられなかった。
「ええ」
額に汗を浮かべた朧嵐は、それでも満面の笑みを浮かべて頷く。このテントの作り方を教えたのは朧嵐だが、ここまで丈夫かつ小綺麗に作ってくれるとは、さすがの朧嵐も驚きを隠せない。だから、朧嵐としては褒められてとても嬉しかったのだ。
たとえ、これからどんなことが起こるとしても。
朧嵐と優理がいるのは、出産用に設えられたテント。
もうすぐ、朧嵐に子供が生まれる。
だから、『流浪の民』の慣習に則り、女しか入れない産屋を作り、手伝いの為に産婦の身内――優理は朧嵐の夫、風理の双子の妹である――が一人付いて出産を待っていた。
かつて一度だけ体験した痛みが来る。
確か、珮理のときはここよりもっと北の国にいたから、義妹の優理でなく姉の噫嵐が付いていてくれたんだっけ。痛みの中で朧嵐はそんなことを思い出した。あの時は、風理も大陸の西に行っていたから、産屋もなし、だった。
「……大丈夫、朧嵐?」
優理が汗を拭いてくれる。
優理は六角郷の領主夫人であるが、その『癒し手』としての能力と少女の頃に習った産婆術で近隣はおろか天楚国中にその名を知られている。朧嵐も出産は初めてではないのだし、それを考え合わせると心配することは何もないように思える。が。
「顔色が悪いわ。何か心配事があるの?」
さすがは何人もの赤ん坊を取り上げただけのことはある。優理は産婦の心理状態を確実に把握していた。
「……何でも、ないわ」
本当は、心配事は大いにある。しかしそれでも、朧嵐は優理に向かって首を横に振った。
「大丈夫」
優理に、というより自分に言い聞かせるようにそっと呟く。
第一、これは、生まれるまでは心配しても仕方の無いことなのだから。
何度も朧嵐を襲う痛みの波が一気に押し寄せ、思わず呻く。
「力を入れて。大丈夫だから」
優理の声に、テントの梁からぶら下がった綱を力いっぱい握り締める。
そして終に、充実感に似た意識の中で、朧嵐は新しい命の泣き声を聞いた。
ちゃんと生まれてくれた。嬉しさと誇らしさが、朧嵐の全身を駆け巡る。
だが。
「元気で可愛い女の子だわ」
赤ん坊に産湯を使わせている優理の言葉に、心臓がどきんと強く打つ。まさか……!
「あなたによく似てるわ」
優理が産着に包んだ赤ん坊をそっと手渡してくる。朧嵐は恐る恐る赤ん坊を覆っている布を外し、その髪を見た。……やはり。腕がぶるぶると震える。少しだけ生えている赤ん坊の髪は、きらきら光る銀髪、だった。
「……どうしたの、朧嵐?」
朧嵐の異変に優理が気付く。
「気分が悪いの?」
優理の言葉にゆっくりとかぶりを振る。しかし、その途中で涙が溢れてきてしまい、朧嵐は赤ん坊を押し抱くようにしてしゃくりあげた。
「朧嵐?」
心配そうな優理の声がすぐ近くに聞こえる。
「どうしたの? 何があったの?」
優理の問いに、朧嵐は再びかぶりを振った。
『流浪の民』の一員ではない優理は、多分あの『掟』を知らない。だけど、朧嵐の口からは、これだけはとても説明できない。
不意に、テントの入り口に垂れ下がっている布が大きく開く。
「誰?」
優理が見やった先にいたのは、朧嵐と似たような格好をした数人の女。おそらく、『流浪の民』の一族が、朧嵐の様子を見に来たに違いない。優理はその時はそう思った。
だが。彼女達はどかどかと産屋に入り込むと、驚く優理を無視して朧嵐の傍らに立つ。そして朧嵐の腕から赤ん坊を取り上げた。
「『風神の花嫁』が、生まれたのね」
「……はい」
彼女達に答える朧嵐の声は、悲痛なほどにか細い。
「では、風神に捧げよう」
女達はそう言うと、その腕に抱えあげた赤ん坊を朧嵐に返すことなくくるりと朧嵐に背を向けた。
「何を……!」
異変を察知し、優理が女達の前に出る。
「その子をどこに連れて行こうというの!」
事情は知らないが、生まれたてでまだ母親の乳も飲ませてない赤ん坊を連れて行かせるわけにはいかない。だが、女達は強引に優理を押しのけると、優理の抗議の声を無視して赤ん坊と共に産屋を出た。
「待ちなさい!」
その後をすぐに追いかける優理。
しかしながら、優理がテントを出たときには、女達は既に何処かに去ってしまった後だった。
「……いいの、優理」
その背後でか細い声が聞こえる。
「仕方の無い、ことなの」
振り返ると、朧嵐の真っ赤な目が優理を見つめて、いた。
『流浪の民』の間では、銀色の髪を持つ女の子が生まれると、『風神の花嫁』だといって森の中に捨てる習慣がある、と、朧嵐は泣きながら優理に話した。大昔に起きたある出来事がそのきっかけ、らしいのだが、そこまでは朧嵐自身にも分からない。ただ分かっているのは、銀髪の女の子は必ず捨てられる、ということだけ。
「でも、もし誰かが拾ってくれたら、あの子は育つかもしれない」
実際、同じ『風神の花嫁』である朧嵐も、蛇神の森の守護女神毘央に目を掛けてもらえたからこそ、これまで生き延びることができたのだ。
「あの子も、私のような『幸運』を持っていてくれれば……」
「ひどすぎるわ」
朧嵐の話に、心の底から怒りがこみ上げてくる。生まれてすぐ死んでしまう赤ん坊が多いことを知っている優理には、あんなに元気な赤ん坊を捨てるような行為は、どんな理由があろうとも許せることではない。
しかし。朧嵐が所属する『流浪の民』と、優理は、異なる者。優理は、『流浪の民』に異を唱える立場には、無い。今の優理にできることは、あの赤ん坊の為に祈ることだけ。それが、……悔しい。優理は思わず唇を噛み締めた。
同じ頃。
朧嵐の夫と娘、風理と珮理は、同じ蛇神の森の中を薬草を探して歩いていた。
「ねえ、父さん」
前を歩いていた珮理が風理のほうを向いて話しかける。
「母さんの赤ちゃん、もう生まれたかなぁ」
まだ五つになったばかりだったが、母親のおなかに赤ん坊がいてもうすぐ生まれることを、珮理はちゃんと知っていた。
「そうだね。もう生まれている筈だよ」
珮理の問いに、風理がはっきり答える。
「男の子かな、女の子かな?」
そんな風理に、珮理は更に質問を重ねた。
『母さんの赤ちゃん』のことを考えるたびに、ものすごくどきどきする。私の妹か弟になる子は、一体どんな子、なのだろうか?
「妹がいいな」
「そうかい」
珮理の言葉に、風理の顔が一瞬だけ曇る。風理は『風神の花嫁』のことを知っていたが、知らない珮理はあくまで無邪気だった。
と。
草むらの向こうから赤ん坊の声が聞こえた気がして、珮理ははっとして立ち止まった。こんなところに赤ちゃんがいるのだろうか? 風理の手を振り切り、珮理は草むらを掻き分けてみた。
すると。
「……あっ!」
思わず、大声を上げる。大きくて平たい岩の上に、泣いている小さな布包みがちょこんと置いてあったのだ。
恐る恐る近づいてみる。布包みを開いてみると、柔らかな銀髪が零れ落ちた。
「……『風神の花嫁』だね」
後ろから風理の声が聞こえる。
「風神の、花嫁?」
聞き慣れない言葉に、珮理は鸚鵡返しに聞き返した。
「そう、だよ」
そんな珮理に風理は『風神の花嫁』のことを手短に話して聞かせる。
「で、『風神の花嫁』は、拾った人が育てないといけない決まりなんだけど」
「分かった」
小さな珮理の腕には余る赤ん坊の髪を撫でながら、珮理は無意識のうちに叫んでいた。
「ボクが育てる」
「おいおい」
思いがけない珮理の返答に、風理は苦笑いを浮かべてしまう。
「君に赤ん坊の世話ができるのかい、珮理」
「できるもん」
「これから妹か弟ができるのに?」
風理の言葉に、珮理は返答に詰まった。
確かに、これは一度母さんに相談したほうが良さそうだ。
その小さい腕で赤ん坊を抱えたまま、朧嵐がいるテントの前に立つ。
「父さんは男だから、母さんのところに行くことができないんだ」
ここまで連れて来てくれた風理は、そう言って珮理の腕に赤ん坊を預け、少し離れたところで待っている。
「母さん、いる?」
珮理はそう言ってから、その小さい肩で入り口の布を押して中に入った。
中にいるのは、母さんと優理叔母さん。その叔母さんが、珮理を見て驚愕の表情を浮かべた。
「……珮理ちゃん!」
珮理の手から赤ん坊を取り上げて叫ぶ。
「この子、どこから連れて来たの?」
「え……?」
何が何だか分からない。
唯一つ分かったのは、目を真っ赤にした母さんの表情が急に明るくなったこと、だけ。
「これは、風神の思し召しじゃろう」
『流浪の民』一族内で祭祀を取り仕切る『おばば』は、風理と朧嵐の話を聞いてそう評した。
「と、すると」
確かめるように朧嵐が言う。
「この子を、私たちが育てていいのですね」
「そうじゃな」
朧嵐が生んだ『風神の花嫁』を、その娘である珮理が拾ったのは、単なる偶然に過ぎない。だから、そう判断して間違いはないだろう。おばばはゆっくりとそう言った。
「ありがとうございます」
朧嵐はおばばに頭を下げ、銀髪の女の子をしっかりと抱きしめた。一度は失ったと思った自分の子が、手元に戻ってきた。そのことが朧嵐にはとても嬉しかった。
「……そういえば」
不意に風理が珮理のほうを向く。
「『風神の花嫁』は拾った人が名前をつける決まりだったはず、だけど」
「そうね」
風理の言葉に、朧嵐とおばばが笑いながら同時に頷く。
「えっ!」
突然の言葉に面食らう珮理。
「私が、つけるの?」
文字の書き方はまだ習い始めたばかりだから、珮理が知っている言葉も文字もまだまだ少ない。しかし、それが『決まり』なら。
「……じゃ、じゃあ、『禎羅』に、する!」
自分が知っている嶺家文字を駆使して赤ん坊の名前を考える。
「禎羅か、いい名前だね」
文字を良く知っている風理に褒めてもらい、これで決まった。
珮理は、自分の妹でもあり『名付け子』でもあるその赤ん坊をしっかりと抱きしめた。
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