桜花火

風城国子智

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遅咲き、の

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 五月初めだというのに、暑い。思わず、罵声が出そうになる。だがすぐに、ソウは気を鎮めるように深く息を吸った。
 鼻腔から入って来た、新緑の匂いが、清々しい。空も、心に染みる程、青い。そうだ、春なんだ。冬より暑いのは当たり前ではないか。それに。今日行く場所に、怒りや憤りを持って行くべきではない。それは、ユキには似合わない、感情だ。ゆっくりと息を吐いて心を鎮めてから、ソウは、オンボロの木造駅を後にした。
 目的地は、最寄り駅から歩いて十分程の所にある、墓地。この墓地に、幼馴染みのユキが、ユキの家族と共に眠っている。
 ユキは、ソウの父が経営する医院の患者で、ソウが中学生の頃からの顔見知り。幼い頃に両親と妹を事故で亡くし、伯父の家に引き取られたという境遇にも拘らず、穏やかで、誰にでも優しい少年だった。そして、その優しさのまま、誰も、運命すらも呪わず、ただ静かにこの世を去った。
 ユキが亡くなってから、まだ五ヶ月しか経っていない。だが、その五ヶ月の間に、ソウの周りはがらりと変わってしまった。ユキの従姉で、ソウの恋人だったマリアが、ソウから離れアメリカへ留学に行ってしまったことが、大きい。アメリカやヨーロッパだけではなく、アジアの国にも学びに行きたい。留学を決めた時にマリアはそう言ったと、風の噂で聞いた。負けず嫌いで寂しんぼな性格をサッパリとした態度で隠していたマリアだから、この言葉に嘘は無い。マリアらしいと、ソウは思っている。
 淋しくは、ない。そう言ったら嘘になる。だが、……マリアの手を、放したのは、ソウ自身。マリアが、従弟であるユキのことを従弟である以上に思っていることは、マリアとユキに会った直後から気付いていた。しかし、そのユキは、マリアやソウの手の届かない所に行ってしまった。それなのに、マリアはユキを想うことを止めない。不毛だ。そう思ったから、ユキの呪縛からマリアを解き放つ為に、ソウはマリアに愛を告白し、ユキの病状を最後まで隠した。そして、それでもマリアの心がユキの方に有ると分かると、母親同士が知り合いだというマリアの先輩、ハルカと付き合うことでマリアに嫉妬心を起こさせようとした。しかしながら。
「結局、効果は無かったな」
 空に向かって、息を吐く。結局マリアは、自分で自分の心に折り合いをつけ、ソウとは別の世界へ飛び立った。ハルカの方も、映画好きというところで意気投合したにはしたが、互いに忙し過ぎて――ソウ自身は医学の勉強で、ハルカは就職先の業務で――今では疎遠になっている。
 これで、良かったのだ。何度目かの言葉を、静かに吐く。だが、結局のところ、マリアをユキから解放する為に、いや、ユキを想い続けるマリアの心を自分の方へ向けたくて、ソウが取った行動は、二人の女性を傷付けただけだった。その事実が、ソウを責める。だから、今の淋しさを、ソウはしっかりと、受け入れなければならない。そう、思う。

 墓所には、先客がいた。
「井川」
 その者の名を、呟く。ソウの声に、振り向いた端麗な顔は驚きに歪んだ。
 井川セツナ、ユキの短い大学生活の中での、唯一の友人。顔に相違してぶっきらぼうで無口な大男だが、ユキとは何故か気が合っていた。二人で大学周りの美味しい食べ物屋を殆ど制覇していたと、ソウの家の裏に住む大学教授アマギが言っていた。
「何故、ここに?」
 思わず、尋ねる。ソウもマリアも、ユキが眠っている場所をセツナには教えていない筈だ。マリアはセツナを嫌っていたし、ソウは、……セツナに、少しの妬みの感情を、抱いていたから。だから、セツナの答えは、ソウを驚かせるのに十分だった。
「前に、マリアに教えてもらった」
「マリアが?」
「偶然、だ」
 三月の終わり、セツナがこの近くの寺院に咲く桜を撮影しに来た時に、たまたまマリアと出会ったという。
 それならば、分かる。三月終わりといえば、マリアが留学に出る直前。多少の蟠りがあったとて、セツナにユキの眠る場所を教えることぐらい、あの頃のマリアはしただろう。マリアは、そういう女性だ。
 と。
「それは?」
 セツナが手にしていた、一葉の写真に、目を留める。
 そこに写っていたのは、細い枝に僅かに咲いた、白い花。
「桜だ。……ユキと、見る約束をした」
 単調な口調に、過去を思い出す。ユキの死の直前、セツナはユキを病室から連れ出した。何の為にそんなことをしたのか、ソウはセツナ自身から聞いている。ユキと交わした「一緒に桜を見る約束」を、果たしただけだと。
 セツナの行為を、ソウは許している。親から見捨てられたセツナを拾ってくれた叔父が愛していた『桜』に対する呪縛を持っていたセツナ。花火大会の帰り道で起きた事故によって家族を亡くしたユキが持っていた『花火』に対する矛盾した好悪。二人の、どうしても解決できない想いが、それゆえに、二人を近づけたのだろう。
 事実はともかく、ソウとしては、ユキが幸せであれば、それで良いのだ。……ユキと、マリアが。引っ込み思案な性格の所為か、友達を作ることができなかったソウにとって、ソウを受け入れてくれたユキとマリアは、掛け替えの無い存在、なのだから。

 これで、良かったのだ。半ば無理矢理、心を整理してから、空を見る。
 澄明な空は、ユキの心のようで、ソウの目から思わず涙が零れ落ちた。
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