影の軍

風城国子智

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 それは、単なる偶然だったのか。それとも必然だったのか?

 目の端に、見知った影が映る。
 あれ、は……。でも、まさか……! そう考えるより先に、トゥエの手は先ほどすれ違った少年の細い肩をしっかりと掴んでいた。
 不審そうに振り向いたその少年の顔には、幼いころの面影が確かに残っている。だが、彼の名前を呼ぼうとしても、声がうまく出てこない。何度も口をぱくぱくさせてから、やっと、蚊の鳴くような声が出た。
「……ウォリス?」
 そのトゥエの声に、むっと口をへの字に曲げた少年の瞳が俄に大きくなる。口を大きく開けて喘いでから、少年は掠れた声を上げた。
 「……まさか、トゥエ?」
 「ウォリス!」
 生きていた。嬉しさが、全身を包む。トゥエは幼馴染みの細い体をぎゅっと抱き締めた。
「良かった……」
 ただそれだけ、呟く。あの、戦とはいえない戦で亡くなってしまったとずっと思っていたのだから、喜びも一入。
「何してんだ、トゥエ?」
 不意に、大きな声がトゥエの背後で響く。幼馴染みであり、現在も一緒に働いているヘクトの声だ。トゥエは微笑を隠そうともせず、振り返りざまぱっと腕を広げてウォリスをヘクトの前に示した。勿論、ヘクトもウォリスのことは知っている。
「おい、トゥエ。……これ、って、まさか」
 トゥエの思惑通り、ヘクトの声が驚愕を帯びる。次の瞬間、ヘクトはウォリスをその太い腕で力一杯抱き締めていた。
「ちょ、ちょっと、ヘクト!」
 思わず、叫ぶ。図体の大きいヘクトに力一杯抱き締められては、誰だってどうなるかぐらいはすぐに分かる。
 案の定。
「く、苦しい。離して、ヘクト」
 太いヘクトの腕の下から、苦しそうなウォリスの声が響く。
「あ、ごめん」
 ヘクトはウォリスを離してから、肩を落として頭を掻いた。その顔に笑みが残っているのは、気のせいでは、ない。
「でも、嬉しかったから」
 それは、分かる。トゥエ自身も、同じ気持ちだ。
「君達も、生きていたんだね。良かった」
 おそらくウォリスも同じ気持ちなのだろう。
「でかくなったよなぁ、ヘクトは。……昔は僕より小さかったっけ」
 ヘクトのつんつんに立った濃い色の髪の毛から、石造りの廊下をしっかりと踏みしめている足まで眺めてから、ウォリスはクスッと笑って言った。
「それって、僕が大きくなってないように聞こえるんだけど」
 そのウォリスの言葉に、思わず反応してしまう。悪気は全く無いのだが、コンプレックスにはどうしても反応してしまうのだ。
「実際、全く成長してないし」
「んなわけないだろっ!」
 ヘクトの言葉にも、思わず反論してしまう。ヘクトの方にも悪気は全く無いのだろうが、それでもやっぱり、という部分は、誰にでも有る。
「うん、そうだね」
 半ばおちゃらけ気味の二人のやりとりに、ウォリスの心配そうな声が混じる。
「顔色も悪いし、何か病気でも?」
「これは、生まれつき」
 ウォリスの心配を払拭する為に、トゥエは殊更元気な声を出した。実際に、どう頑張っても青白いままの、血色の無い肌の色は生まれつきである。今更どうこうできるものではない。
「ところで」
 話が一段落したところで、トゥエはふと思いついたことをウォリスに尋ねる。
「何で、ここに?」
 現在三人が居る場所は、王宮の中庭に面した回廊。普通の一般庶民は入ることすらできない場所である。
「トゥエとヘクトこそ……って、その服装見れば分かるか」
 ウォリスの言葉に、トゥエとヘクトはにっこりと顔を見合わせた。トゥエもヘクトも、丈の短いチュニックの上に背中の半分ほどの長さしかない短いマントを羽織っている。このリーニエ王国で丈の短いマントを着用するのは貴族や騎士に仕える従者だけだ。
「ウォリスも、……服装で分かるな」
 対してウォリスは、踝までの長さがある暗い色のローブを着用している。リーニエ王国の首都アデールから馬で二日ほどの場所にある聖地キュミュラントの僧侶の服装だ。人差し指に光る僧侶用の銀の指輪も、現在のウォリスの立場を眩しく物語っていた。
「今日は第三王子付きの僧侶を選ぶとかで、僕も候補に選ばれたんだ」
 確かに、そのことはトゥエ達のまとめ役である従者頭のマチウに聞いている。第三王子の望みは、自分と同じ位の年の人間だ、ということも。と、いうことは。
「……ところで」
 もう一度顔を見合わせたトゥエとヘクトに、ウォリスが問う。
「リュエルは? ほら、あのどう見ても『お坊ちゃま』って感じだった子」
「ああ」
 そうだった。幼馴染みは、もう一人いたのだ。しかし、彼のことは、今話さなくても良いだろう。
「まさか、あの時の戦、で……」
 すぐに答えないトゥエを見て、ウォリスの表情が瞬時に曇る。
「いや、ちゃんと生きてる」
 そんなウォリスの肩を、ヘクトがぽんと叩いた。
「そのうち会うはずだよ。近いうちに、ね」
 これ以上何かを言うと、吹き出してしまいそうだ。トゥエは何とか笑いを噛み殺すと、ウォリスに王や王子との謁見の場所を教えた。

「……まだかな?」
 何度目かの台詞を、ヘクトが呟く。
 その台詞が言いたいのは、トゥエも同じだ。だがトゥエは、部屋の真ん中にあるテーブルの上に菓子の入った壺をもう一つ置きながらヘクトに向かって首を横に振った。
「まだじゃないの? 最近の王陛下の話は長いって言ってたから」
「そうか」
 ヘクトは残念そうにそう呟くと、部屋の掃除に戻った。
 第三王子付きの小姓である二人の夕方の仕事は、王子が使う部屋の掃除。そのついでに菓子類の準備をしているのは、勿論。
「ただいま。トゥエ、ヘクト」
 明るい声とともに、派手な色合いのマントを羽織った小柄な影がトゥエ達の目の前に現れる。彼が、リーニエ王国の第三王子であり、トゥエの乳兄弟であるリュエル。トゥエより少し背が高いだけの少年だが、それでも、王子としての威厳はしっかりと、持っているようにトゥエは思っている。薄い色の髪と肌に、濃い色のマントがよく似合う。トゥエはリュエルをまぶしく見つめた。
 そのリュエルの後ろには、従者頭でヘクトの兄であるマチウがいる。しかし、トゥエとヘクトは、二人の後から入ってきたウォリスの驚愕で何も言えない様子に笑いをかみ殺すのに必死だった。
「ヘクト、トゥエ」
 そんなトゥエとヘクトを苦い顔で睨み付けたマチウが、おもむろにウォリスを二人の前に押し出す。
「今度新しくリュエル付きになった……」
「あ、多分紹介しなくても大丈夫だから」
 そのマチウの言葉を遮ったのは、リュエルだった。
「多分、二人とも知ってる。ね」
 さいごの「ね」は、ウォリスに向かって放たれた言葉。
「は、はい……」
 ウォリスのあまりの慌て具合に、トゥエとヘクトはとうとう爆笑してしまった。
 だが。
「……どういうことだ?」
 明らかに怒気を含んだ声に、笑いが凍りつく。振り向かなくとも、マチウの怒りが明らかに沸点を超えていることだけは、トゥエにも分かった。おそらくヘクトにも。固まったヘクトの、そこだけ動いた瞳の表情に、トゥエは何とか思考を巡らせた。
「えっと」
 マチウの罵声から逃れる為には、どこからどう説明したらよいのだろうか? 焦る頭ではまとまるものもまとまらない。そんなトゥエを救ったのは、リュエルの明瞭な声だった。
「昔、一緒に遊んだんだよ。……ウプシーラで」
 今から丁度十年前。当時、トゥエ達は、リーニエ王国の北境の街ウプシーラにあった王宮で暮らしていた。ウプシーラの王宮は小さく、遊ぶための中庭も無かったので、その当時からリュエルの小姓であったトゥエとヘクト、そしてリュエルは大人達や小姓頭であるマチウの目を掠めてよく街中に遊びに行っていた。
 三人がよく遊びに行っていたのは、小さいが石作りでがっちりとした教会の前に広がっていた広場。そこで知り合ったのが、当時教会内の孤児院にいたウォリス。四人は共に遊び、また教会にいた僧侶達から文字や計算も教えてもらった。だが。……十年前の夏の夜、全ては終わってしまった。石造りの美しい街だったウプシーラは、北からの侵略者である魔皇帝によって一晩で完膚無きまでに破壊されてしまった。
「あの夜、どうやって逃れたんだ?」
 テーブルの上に用意された、ウォリスを歓迎する為のお菓子を頬張りながら、ヘクトがウォリスにそう尋ねる。
「教会の地下室の奥にあった壺の中に隠れたんだ」
「あの魔物達は、探さなくてよいものしか喰わない」
 ウォリスの言葉の同調したのは、マチウだった。
「ちょうど良い隠れ場所だったということ、か」
「うん。でも、喰われた友達も多いよ」
 魔物達が街を蹂躙していた夜、トゥエもリュエルと一緒に地下室に隠れた。そして朝になると同時に、大人達の監視を振り切って街へ飛び出した。その時の光景は、今でも忘れることができない。あの朝、街を支配していたモノは、静寂、腐臭、そして赤黒い血の色。そして生きて動いているものは、トゥエとリュエル以外何もなかった。何処を探しても人っ子一人見あたらず、悲しむより先に途方に暮れてしまったことを覚えている。
 しかしながら。今、奇跡的にウォリスと再会できた。心の奥底で、何度目かの安堵の息を吐く。これからもずっと、誰一人欠けることなく穏やかに暮らしていくことができれば、どんなに素敵なことだろう。

 だが。それは叶わぬ夢だ。
 あの『魔皇帝』がいる限り、トゥエ達は国の民を守るためにリュエルと共に魔皇帝に立ち向かわなければならないのだから。

 遥かなる時代よりマース大陸全土を支配していた{嶺家}(れいか)王朝が突如崩壊してから五十年余り。大陸は混乱を極めていた。混乱を治め、あわよくば天下をものにしようとする輩が日々戦闘を繰り返し、無駄に命を散らしていく。ここ大陸西方においては、北方から現れた『魔皇帝』を名乗る男カルダーノが、その支配領域を着々と広げていた。
 『魔皇帝』カルダーノは、『魔物を操る力』を持ち、通った後には草も生えないような残酷な侵攻でその名を知られている。そして、それを止められるような力を持つ者は、何処にもいなかった。
 トゥエの所属するリーニエ王国も、既にその北半分を魔皇帝に奪われ、南半分も何時魔皇帝の手に落ちるかと戦々恐々としている。王国の最南部にあるここ、王都アデールでは、魔皇帝の脅威は殆ど感じない。だが北へ行けば、魔皇帝の侵略の爪痕は至るところに残っている。
 リュエルもトゥエも、もう十七。戦士として戦える年齢だ。だから、魔皇帝の侵略が再び開始されれば、魔皇帝率いる魔物達と、あるいは魔皇帝自身と退治しなければならない。
 ……国と、大切な人を守る為に。

 トゥエとリュエルは乳兄弟である。
 戦乱の中、トゥエを身篭って路頭に迷っていたトゥエの母ジュリアを拾ってくれたのが、リュエルの母である第四王妃リーゼだった。だから、リュエルとトゥエは生まれ落ちた時から一緒に育っている。
 リュエルの後見人であるエッカート卿の息子、マチウとヘクト。そして、都に住んでいた頃、よく四人で王宮を抜け出して遊んだ下町の子ウォリス。みんな大切な仲間だ。そしてこの国には、母や第四王妃、遊び仲間など、大切な人達がたくさんいる。
 だから、魔皇帝の進軍を許すわけには、いかない。

 しかしながら。
 魔皇帝を退ける術など、有るのだろうか? あの強大な『力』を持つ、魔皇帝に。

「……悲しいね」
 何時になく沈んだリュエルの声が、トゥエをはっと現実に引き戻す。
「やはり、魔皇帝の好きにさせるわけにはいきませんね」
 マチウの声も、トゥエやヘクトをしかる時とは別の熱を帯びていた。
「ウプシーラのようなことは、二度とごめんだ」
 ヘクトも、それに同調する。
 でも。
 ……自分達には、魔皇帝に対抗する為の『力』は、無い。

 どうすれば、良いのだろう?
 疑問だけがずっと、トゥエの頭の中をぐるぐると回って、いた。
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