影の軍

風城国子智

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一九

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 エッカート卿ご自慢の駿馬は、二日かかる道を一日(正確には一昼夜)で走破した。
 今、ヘクトの目の前には、キュミュラント山の堂々とした山影がある。
「もう少し明るくなってから、登ろう」
「そうね」
 用心の為、焚火は作らず、岩陰に並んで座る。
「話さなきゃいけないことも、いっぱいあるしね」
 辺りが明るくなるまでの、僅かな休憩時間。その間に、ヘクトはリベットから色々な話を聞いた。トゥエと出会った時のこと。リーニエ王国に向かう途中でウプシーラに寄ったこと。リベットの前から『逃げた』トゥエを追ってアデールに潜入し、偶然カルマンに出会ったこと。そして『力有る石』のこと。
「……じゃあ、『力有る石』は、本当は使ってはいけないものなんだ」
 『力有る石』の話を聞いた後、ヘクトはリベットにそう、言った。
「そうね」
「でも、君の『御館様』は、それを使っている」
 リベットが『敵』である魔皇帝軍に所属すると聞いても、憎しみも怒りも湧かなかった。おそらく、『トゥエの友達』ということだけで、リベットを許しているのだろう。しかし、リベットのことは、魔皇帝を憎まない理由にはならない。『石』の危険さを聞いた今となってはなおさらだ。
「うん」
 ヘクトの問いに、リベットは自信なさげに呟いた。
「……石を滅ぼしてくれる『担い手』が現れるまでだと思うけど」
 リベットの答えには、正直不満が残る。しかし、それは仕方の無いことだ。心の隅で、ヘクトはそう、思っていた。『石』を操る為の『意志』の強弱は、結局は個人の問題なのだから。人がどう生き、他人とどう触れ合うかによって決まる、個人の『心の力』。それが、『石』を操る『意志』になる。トゥエがそう言っていたと、リベットはヘクトに言った。
 そうこうしているうちに、夜明けが近くなる。
 キュミュラント山の岩陰に馬を隠してから、ヘクトはトゥエの遺体の入った麻袋を担ぎ上げ、大股で山道を進んだ。
 春近い日の朝方らしく、あたりは真っ白な霧に覆われている。足下に注意しないと、木の根や岩に足を取られてしまう。自分はともかく、トゥエを落とすわけにはいかない。ヘクトは用心に用心を重ねて細い山道を進んだ。そんなヘクトの後ろには、抜き身の短刀を構えたリベットが鋭い目を左右の影に向けながら歩いている。女のくせに、隙がない。振り向いたヘクトは妙なところで感心した。
 もうすぐ、祠に着く。祠に着いて、トゥエをそこに葬れば、トゥエの願いは果たされる。ヘクトは半ばほっとした面持ちで、祠の前まで辿り着いた。
 だが。祠の前にいたのは、見知った影。
「ウォリス!」
 来ているだろうとは、分かっていた。しかし思わず叫んでしまう。
「おまえ、いつの間に」
 目の前のウォリスは、王宮の地下牢であった時と同じ顔色をしていた。その顔に浮かんでいる不敵な笑みも、同じだ。
「魔法を使えば簡単なこと」
 地下牢で聞いたのと同じ調子で話すウォリス。そう言えばトゥエも、自分がよく知っている場所に移動できる『水鏡の術』とやらをよく使っていた。ウォリスが同じ魔法を使うことができたとしても、全然不思議ではない。だが。ここで、こいつにトゥエを渡すわけにはいかない。ヘクトはトゥエの亡骸を抱えたまま、ウォリスに向かって突進した。狙うのは、無防備な足。
 だが。
「うっ……」
 動かしていたはずの足が、急に硬くなる。勢いのついたヘクトの身体は慣性のままに地面へ激突した。
「無様ですね」
 顔を上げると、目と鼻の先にウォリスの不敵な面があった。だが、いつの間にか足ばかりではなく身体全体が動かなくなっている現在のヘクトでは、そのうっとうしい面を殴ることすらできない。それでも。トゥエだけは、渡さない。トゥエを庇うように地面に伏せる。しかし、それでウォリスの魔法が止められるわけがない。冷たい気配が、ひしひしと伝わってくる。ヘクトは思わず目を閉じた。
 と、その時。
「消えなさい!」
 悲鳴のようなリベットの叫びと共に、放物線を描いた水流がウォリスに襲いかかる。忘れていた。リベットも、居たのだ。
 次の瞬間。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!」
 悲痛に満ちたウォリスの声が、山全体にこだまする。唖然とするヘクトの目の前で、ウォリスの身体はあっという間に溶けてしまった。後に残ったのは、キュミュラントの僧侶が嵌める銀の指輪と、ぼろぼろになったローブのみ。
「……ウォリス」
 呆然と、煙の立つローブを見つめる。
「ごめん」
 その後ろから、リベットの悄気た声が聞こえてきた。
「でも、『石に魅入られた者』は、滅ぼさないといけないの」
 そのことも、リベットから説明を受けた。それに、リベットのこの行為のおかげで、自分もトゥエも救われているのだ。感謝こそすれ、リベットを責める理由はない。だが。……それでも、かつての幼馴染みの死は、悲しすぎる。何も言えず、ヘクトはその煙を見つめた。
 その時。
「ヘクト!」
 聞き知った声が、ヘクトの耳を打つ。この、声は。……でも、まさか。
「リュエル! 兄者も!」
 しかし、振り返ると確かにそこには、リュエルの姿があった。
 リュエルの顔は、二、三日前に王宮で見た時よりも心なしかさっぱりとしているように見える。リュエルの後ろには勿論、兄のマチウもいる。兄に逢ったら絶対殴りたいと思っていた気持ちは、この時既に何処かへすっ飛んでしまっていた。
「何で……?」
「トゥエが昔くれた魔法札を使ったんだよ」
 少しだけ微笑み、そう言うリュエル。
 そしてリュエルは、地面に落ちている麻袋に優しく手を触れた。
「トゥエ……」
 リュエルの口から漏れたのは、間違いなく、嗚咽。
「済まない」
 その言葉に、今まで我慢していた涙が、ヘクトの双眸から零れ落ちた。

 筋力のあるヘクトとマチウで、トゥエの亡骸を祠のある洞窟の中に安置する。その後で、側にあった大岩を転がして、祠を完全に封じた。
「これで、『石』が何処にあるか分からないわね」
 明らかにほっとしたリベットの声が、ぐちゃぐちゃだったヘクトの気持ちを少しだけ落ち着かせた。これで、トゥエも、……静かに眠れるだろう。
 そして。
 祠の前に、リュエルは砂と岩で小さな塚を作った。塚の上には、キュミュラントの僧侶が嵌める銀の指輪が置かれている。ウォリスの墓だ。
「トゥエもウォリスも、私の仲間だった。……想いが、違うだけで」
 できあがった塚と、祠があった場所を静かに眺め、リュエルがそう、呟く。
「私は、良い国を作らねばならぬな。……想いが、悲劇を生まないような国を」
 そうしてほしい。トゥエと、……ウォリスの為にも。
 リュエルの言葉を聞きながら、ヘクトは心からそう、思った。
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