影の軍

風城国子智

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一八

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 石造りの建物の二階から黄昏に沈む街を見、濁酒を呷る。
 喉を焼く酒も、活気に満ちた街も、ヘクトの気持ちをかえって苛立たせた。
 本当なら、王となったリュエルの側に居ないといけない時間だ。だが、今の王宮には、一時だって居たくない。心の底からヘクトはそう、思っていた。だから、エッカート卿の屋敷の、しかも隠れ家的存在である街中の古屋敷の方にいる。
 厳格な兄は、この場所を知らない。それでもヘクトは、マチウが探しに来ていないかと、スラム街に近い外の様子にしばしば気を配った。
 気を配りながら、再び自棄酒を呷る。呷りながらも、やはり考えるのは仲間のこと。王位に就いてから、いや、正確にはトゥエが『逃亡』してから、リュエルは変わった。表情が乏しくなり、朗らかに笑わなくなってしまったのだ。しかもその上、リュエルの王位継承に反対した豪族達を冷静に粛正することまでやってのけている。
 リュエルが変わった、その理由を、「王位に就いたから」とか「乳兄弟であるトゥエが裏切ったから」と片付けるのは容易い。実際、兄のマチウも幼馴染みのウォリスもそう、言っている。だが、ヘクトは、そうは思わなかった。第一、あの、リュエルに対しての責任感が人一倍強いトゥエが、リュエルの代わりに処刑されるのを拒むはずがない。トゥエは自分の身も顧みず、何度もリュエルの命を救っているではないか。それを知っていて詰るマチウとウォリスに、ヘクトは正直腹が立っていた。
 ヘクトの伯父、エッカート卿も、この件に関しては密かに腹を立てているらしい。この屋敷でヘクトがサボっていても何も言わない。
「……全く、信じられん」
 ある時、卿がヘクトに対してこう、呟いたことがある。
「忠誠心の篤い者を、こうも簡単に切り捨てるとは」
 支配者に非情さは必要だが、ここまでの非情は諸刃の剣だ。卿のこの言葉が、ヘクトの心にずっと残っていた。
 一体、何故リュエルは、こんなにも変わってしまったのだろうか? 昔のリュエルなら。再び濁酒を呷りながら考えてみる。昔のリュエルならば、絶対にトゥエを庇っていたはずだし、一時の感情のみで敵対する豪族達の粛正も行わなかったはずだ。なのに今はどうだ。笑わないリュエルも、トゥエを責めるマチウやウォリスも嫌いだ。唇を噛みしめながら、ヘクトは濁酒を杯に注いだ。
 と、その時。
 街のざわめきから、トゥエという名が聞こえてくる。はっとして、ヘクトは思わず聞き耳を立てた。
「あの、トゥエ様が? 本当に?」
「ああ。王宮に乗り込んで返り討ちにあったと」
 聞こえてきた言葉に、頭の中が真っ白になる。
 トゥエが、死んだ……? しかも、手を下したのはヘクトの兄であるマチウだと、噂する声が言っていた。そして、リュエル自身は、幼馴染みが殺される様子を眉一つ動かさず見つめていたという。トゥエは、リュエルの為に、あんなに身体を張って頑張っていたのに、こんな結末は酷すぎる。知らず知らず、ヘクトは唇を強く噛み締めていた。
 しかもその上。
「遺体は明日、王宮前の広場に晒されるそうだ」
「酷い」
「まあ、仕方が無い。王の命を狙った者の末路よ」
 まだ続いていた噂話に、ヘクトの怒りが頂点に達する。酷い。酷すぎる。幾ら公式には『裏切り者』であるとはいえ、幼馴染みをそんな目に遭わせるとは。
 次の瞬間。衝動のままに、部屋を飛び出す。
 だが。
「待ちなさい」
 逸る身体が、ぐっと後ろに下げられる。苛ついて振り向くと、カルマンの小さい手が、ヘクトのマントを押さえていた。
「放せ! 邪魔するな!」
 押さえているカルマンの手を、力一杯振り払う。だが、何故か、どんなに力を入れてもカルマンの腕を振り払うことはできなかった。
「今は、駄目です。……夜を、待ちなさい」
 カルマンの静かな声が、ヘクトの耳を打つ。
「でも!」
「今行っても、トゥエを助けることはできませんよ」
 カルマンの言葉はヘクトの心を静めるのに十分な効果を持っていた。
 だから。静かなカルマンの言葉に、ヘクトは思わず頷いて、いた。

 その夜。
 ヘクトは堂々と正門から王宮へ入った。
 王宮に入るなり、すぐ近くの衛兵を一人捕まえ、昼間の顛末を聞く。どうやらトゥエの遺体は、明日広場に晒す為に地下牢の一つに投げ込まれているらしい。
〈……さて〉
 廊下の松明を一本失敬して、湿った地下へと降りる。
 本当は、兄を捜し出して一発殴りたかったのだが。
「トゥエを助けたいのであれば、目標はそれだけに絞りなさい」
 カルマンの静かな言葉を、心の中でもう一度繰り返す。
 兄を殴るのは、この先いつでもできる。だが、トゥエを救い出すことは、今夜でないと駄目だ。心を自制しつつ、ヘクトは王宮の地下の奥深くにある地下牢へと足を踏み入れた。
 誰もいない牢を一つ一つ、慎重にチェックしながら進む。不意に目に入ってきた前方の小さな明かりに、ヘクトははっと息を飲んだ。
〈先客、か?〉
 こんな陰鬱な場所に何の用があるのだろう。そう思い、松明を高く掲げてみる。次の瞬間、目に入ってきた光景にヘクトは口をぱくぱくさせた。光の先、地下牢の一番奥にいた先客は、ウォリス。彼は丁度、斃れているトゥエの腹部に細いナイフをあてがったところ、だった。
「何をしている!」
 思わず、大声で叫ぶ。
 狭い空間に響く声に、ウォリスはゆらりと立ち上がり、鋭い目でヘクトを見つめた。騎士階級であるヘクトやマチウに遠慮してびくびくしている、いつものウォリスではない。ヘクトははっきりと、そう、感じた。
「君も、トゥエと同じく僕に反対する?」
 唐突に、ウォリスがそう、言葉を紡ぐ。言われたことがとっさには分からなくて、ヘクトはしばしば唖然とした。
「へ……?」
 ヘクトのその沈黙を、ウォリスは答えだと受け取ったらしい。いきなり、多量の空気がヘクトの全身を押し潰す。
「ウォリス! てめぇ!」
 咳き込みつつ松明を床に落とし、剣を抜く。だが、戸惑いを隠せないヘクトよりも、ウォリスの行動の方が早かった。目の前に、ウォリスが来た。そう思う前に、ヘクトの剣はいつの間にか遠くの床に落ちてしまっていた。
「なっ……!」
 ウォリスに、こんな技が使えたとは。呆然と、ナイフを構えたウォリスを見つめる。
「どうする?」
 冷たいウォリスの声が、地下牢中に響き渡る。
「僕も、あまり人は殺したくない。僕のすることに目を瞑っていてくれるのなら、君の命までは取らないよ」
 人を見下した言葉の調子に、全身がかっと熱くなる。ウォリスの行動を見過ごすわけにはいかない。今のウォリスの行動を見過ごすということは、トゥエにこれ以上の危害を加えるということだ。最初に見たウォリスの行為からそう判断したヘクトは、次の瞬間ウォリスに向かってその太い腕を振り上げた。
 だが。
「熱っ!」
 全く唐突に、ヘクトの全身が炎に包まれる。
「全く、大人しくすれば良かったのに」
 焦るヘクトの目に前に、赤く映るウォリスの平然とした顔が、あった。
 火を消す為には床を転がればよい。頭ではそれが分かっているのだが、身体が全く動かない。まるで、金縛りに遭っているようだ。ウォリスもトゥエと同じくらい上手く魔法が使えることは知っていた。だが、トゥエより強力な魔法が使えるなんて、聞いていない。身を焦がす炎の中で、ヘクトは殆ど絶望していた。
 と、その時。不意に、ヘクトの周りの炎が消える。
「うぐっ……」
 目の前を見ると、床に倒れて呻いているウォリスの上に、見かけない小柄な影があった。
「だ……!」
 思いがけない展開に、しばし唖然とする。しかし、好機であることも確かだ。ヘクトは速攻でウォリスの側に跪き、その無防備な頭の上に拳を下ろす。だが、次の瞬間。ヘクトの目の前で、ウォリスの姿は煙のように消え失せてしまった。
「え……?」
 再び、ヘクトは唖然となった。これも、魔法なのだろうか。
 信じられない思いのまま、殊更ゆっくりと辺りを見回す。地下牢にあるのは、ヘクトと、先ほどまでウォリスの上にいた小柄な影のみ。よく見ると、この影は女、しかも少女、だ。
「だ、誰だっ!」
 掠れた声で、それだけ叫ぶ。
「しいっ」
 ヘクトの目の前の少女は自分の唇に人差し指を当ててから、床に転がっている消えそうな松明の光でヘクトを上から下まで眺めた。
 そして。
「質問させて。あなたも、トゥエに害を為そうとしているの?」
 唐突な質問に、再び言葉が詰まる。だが。この質問には、ヘクトは胸を張って答えることができた。
「俺は、トゥエを助けたいと思っている」
「なら、同志ね」
 ヘクトの答えを聞いて安心したのだろう。少女はヘクトに少女らしい笑みを見せた。どうやら、この少女は『味方』であるらしい。ヘクトも正直ほっとした。幾らトゥエの為とはいえ、少女にまでは手をかけたくない。
 少女から静かに目を逸らす。そして改めて、ヘクトは床にうち捨てられているトゥエの亡骸を見つめた。乾ききった血が、トゥエの背に大きな染みを作っている。本当に、トゥエは、……亡くなってしまったのだ。悲しみで、ヘクトの全身は痺れた。しかしここで時を浪費するわけにはいかない。
 トゥエの縛られたままの腕の縄を切り、静かに抱き上げる。力無く凭れ掛かる小柄なトゥエの身体が、ヘクトにはとても重く感じられた。
「あなた、もしかして、ヘクト?」
 その時になって、それまで黙っていた少女が再び口を開く。
「ああ、そうだが」
 内心首を傾げながらも、ヘクトはこくんと頷いた。この見知らぬ少女は、何故自分の名を知っているのだろう? だが、ヘクトの疑問には、今度は簡単に答えが見つかった。
「あ、じゃあ、味方ね」
 これまでとは打って変わった、明らかにほっとした声で、少女が言葉を継ぐ。
「カルマンっていう人が、ここへの抜け道を教えてくれたの。あなたにも教えるよう言われてるわ」
 カルマンが? 思わず、少女をまじまじと見つめる。
 この少女は、ヘクトの記憶には無い。おそらく他の仲間達の中で、この少女の友達だという人間はいないだろう。……トゥエを除けば。
 おそらくこの少女は、トゥエに頼まれたか何かして(あのトゥエが頼み事をするとは思えないが)ここにいるのだろう。しかしそれでも、少女とカルマンとのつながりが分からない。トゥエが王宮に行く前にエッカート卿の屋敷を訪れたのならば、こんな惨事にはなっていないはず、だ。
 だが。ともかく、……今はトゥエを助けるのが先だ。
 首を傾げつつも、ヘクトは、歩き出した少女――リベットと名乗った――の後を大急ぎで追った。

 大柄なヘクトでも何とか通れる抜け道を通った先にいたのは、カルマン。
 彼の後ろには、馬が二頭、闇夜の中で静かに佇んでいる。両方とも、エッカート卿の馬房にいる、耐久力に優れた名馬だ。エッカート卿の名で動いていることは、明白。
 カルマンはトゥエの亡骸を抱いたヘクトを認めると、余計なことは一切しゃべらずに馬の轡を側のリベットに差し出した。
「トゥエを、キュミュラント山の祠へ葬りなさい」
 そこなら、『石』の力を完全に封印することができる。山の霊力と、トゥエ自身の『鎮める力』で。カルマンは静かにそう説明すると、ヘクトに大きな麻袋を渡した。
「『石』を落としては、トゥエの死が無駄になります」
「『石』? ……リュエルが持ってた、あれか?」
 麻袋を受け取りながら、ヘクトの疑問は最大にまで達していた。
 しかしながら。確かに、リュエルが変わったのは、キュミュラント山の祠に祭られていた『石』を持つようになってからだ。その因果関係だけは、ヘクトにもはっきりと理解できた。
「ええ。それが、全ての元凶」
「それは後で私が説明してあげるから、今は早く行こ」
 静かなカルマンの声を、リベットの急くような声が破る。そうだ。カルマンの言う通り、今はトゥエの意思を尊重しなければならない。
 だが。
「カルマン」
 渡された麻袋にトゥエの亡骸を入れ、縄でしっかりと封をして馬に積みながら、ヘクトは疑問を思ったまま口にした。
「おまえは、一体……?」
「私は、人の未来を視る力を持っています。……ほんの少しだけ、ですが」
 唐突なヘクトの問い。だがカルマンは、あくまで簡潔に答えた。
「人の想いは、誰にも止めることはできません。私にできるのは、そこから生じる悲劇を最小限に留めることだけです」
「そうか……」
「急いで、ヘクト」
 リベットの声が、ヘクトの思索を破る。
 ヘクトはリベットの差し出す轡を取ると、ひらりと馬に跨った。
「ありがとう、カルマン」
 馬の上から、それだけ言う。
「エッカート卿にもお礼を言っておいてほしい」
「分かりました」
 その時初めてヘクトは、カルマンの微笑を見た。
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