ハミルトン・ヴァレーの客人令嬢

駒野沙月

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 いつの間にやら、カウンターの向こうの店主は皿を二つ手にしていた。
 ひとつはハムとチーズのホットサンド、もうひとつは小さく盛られたボロネーゼのパスタ。店主の手で美しく盛り付けられたそれらは、皿の上でほかほかと湯気を上げている。

「お、うまそ」
「手くらい合わせろよ、お嬢さんの前で行儀悪い」
「わあってるって」

 ルーカスが注文したホットサンドは直接渡し、彼はカウンターの戸を開けた。
 もう片方、彼女用のボロネーゼは、店主が自分の手で彼女の元へと運んでくれた。

「お待たせしました、当店特製のボロネーゼでございます」
「ありがとう。…い、いただきます…」
「はい、めしあがれ」

 言われた通りに彼女が手を合わせるのを見て、店主は淡く微笑んでいた。
 早くもホットサンドを口にしているルーカスの隣で、彼女は一緒に手渡されたフォークで一口分のパスタを巻く。
 おそるおそる口に運んでみて、彼女はその美味しさに目を見開いた。

「美味しい…」
「お口に合ったようで何より」

 パスタは少し幅の広めな平打ち麺。後で聞いたところ、これも店主の手作りらしい麺は、少しだけ芯の残るくらいの程よい硬さに茹で上げられている。
 幅広の麺によく絡んだソースはトマトベースのもの。ワインや塩胡椒で味付けされ、野菜やひき肉の旨味が溶け込んだそれは、似た材料で作るミートソースに比べればどこか大人っぽい味わいだった。
 流石、店主が一番得意と言っているだけはある。

 …と、感動していた彼女だったが、半分ほど食べた所で、隣のルーカスが食べているホットサンドがふと目に留まる。
 これが具材をそのままパンで挟むサンドイッチであれば、軽食やアフタヌーンティーの場でもよく目にするので、さほど興味を抱かなかったかもしれない。しかし、そのサンドイッチを丸ごと焼いてしまうという、ホットサンドの発想は彼女にはあまり馴染みがなかったのである。

「ん、姫さんも食う?」
「…うん」
「でもちょっと姫さんには多いか、パスタもあるし」
「切ってやろうか?」
「おう、頼む」

 低い位置からちらちらと向けられる視線に気づき、ルーカスは彼女に尋ねた。
 彼女が頷けば、まだ手をつけていない分を渡された店主はそれをナイフで半分に分けた。切り分けられた小さなホットサンドは、彼女の元に置かれる。

 小皿に載せられたそれに戸惑うように、彼女は少し視線を彷徨わせた。だが、隣でそれらをもぐもぐと頬張るルーカスを見て、彼女はすぐにそれを手に取る。
 隣の彼に倣うようにして、彼女も両手で持ったそれに意を決して口を寄せた。

 焼かれてから少し経っているせいか、外側のパンは少しだけサクッとした食感を残しつつももっちりしている。黒胡椒で味付けされたハムは肉厚で、少量でも食べ応えがあるようだ。
 とろけたチーズが細く伸びるのには少々慌てたが、それすらも彼女は楽しんだらしい。その目をきらきら輝かせたまま、彼女はそれを平らげていた。


 その後、残っていた分のパスタも完食し、彼女は残っていた紅茶を飲んで一息つく。
 これほど腕の立つ料理人がこんな所にいたなんて、できるならうちに引き抜きたいものだ…などと考えている彼女に、当の店主は思い出したかのように尋ねた。

「…ああそうだ。お嬢さん、デザートとかいかがです?」

 「お口に合えばいいんですが」と出されたのは一切れのケーキだった。曰く、店主が試しに作ってみたチーズケーキだという。
 いつの間に作ったのだろう、頼んでないのに、と訝しむ彼女に、店主は「サービスですよ。シリルを見つけてくれた貴女にね」と片目を瞑ってみせた。

 これを見越してのことか、店主はパスタを相当少なめにしてくれていたものの、彼女はついついホットサンドも分けてもらっていた。興味心からねだってしまったのもちょっと恥ずかしかったし、ものすごく余裕があるわけではなかったので少し迷う。だが、スイーツというものはだいたい別腹という。
 お言葉に甘えて、彼女はそれを頂くことにした。

「もし食べ切れないようでしたら無理はなさらず」
「なあデリ、俺にもそれくんない?」
「断る。今度また持ってってやるから我慢しろ」
「へいへい」

◇◇◇

 お礼にと振舞われたケーキも堪能して、二人はそろそろ店を出ようかと話始めた。

 美味しい紅茶に食事、おまけにデザートまで振舞われ、この時彼女はいたく上機嫌だった。凝った食事だけでなくスイーツまで作れるなんて、ますます公爵領に引き抜きたい、などと考えていたくらいだ。

「んじゃ、勘定はいつも通り後日で」
「一回くらいまともに払ってくれてもいいんだがな」
「一回くらいは払ってるぞ」
「ありがとうデリエル、どれも美味しかった…です」
「いえいえ、こちらこそ。高貴なご令嬢とお近づきになれて嬉しい限りです。またいつでもいらしてくださいね」

 お礼の言葉とともにぺこりと頭を下げ、椅子から降りようとしたところで、彼女はふと、とあることに思い至る。カウンター越しの店主の顔を、彼女は椅子から見上げた。

「…今、なんと言った?」
「今ですか?いつでもいらしてください、と」
「そこではない。その前だ」
「その前、と言うと…『高貴なご令嬢とお近づきになれて嬉しい』でしょうか」

 それが何か?と、何ともないかのように告げる店主に、彼女は背筋が凍る思いがした。彼女はこの街で、ルーカス以外には自分の身分を話していない。そのルーカスだって、彼女の身分をそう容易く広めるような人間ではないのだ。
 いくら彼と親しいとはいえ、彼女の感覚からすれば、ただの料理人がそれを知っているはずはないのである。

「ルーカスに聞いたのではありませんよ。ただ、なんとなくそうかなって」

 当たっているようなら何より。
 その美貌に妖しげな笑みを浮かべ、店主はその言葉を口にした。

「初めまして。シャーロット・クレイドル公爵令嬢さま」
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