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第2章 市松改めイッチー
4.
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それからも網代さんと恋人ごっこは続いた。
NYAINのやりとりは当たり前、一緒に帰ったりたまに食事に行ったりするが、それだけだ。
そもそも、ふたりともなにをしていいのかわからない。
付き合いだして一ヶ月ほどがたったその日は、仕事で一緒に外出していた。
「ふたりで外出とか、TLだったらなんかイベントがあるところだよな」
営業車を運転しながら網代さんはおかしそうにくつくつ笑っている。
彼の言うとおり、乙女ゲーだってイベントフラグだ。
「現実じゃないですよ」
あれば私たちの関係はなにか変わるんだろうか。
いや、いままでの状態からいってなにもなさそうだ。
「でもよかったです、息子さんが帰国して」
例のカフェの息子さんが近頃、ようやく帰ってきた。
一度、デザイナーにも挨拶がしたいというので、今日は網代さんにつれてきてもらった。
「期日的にはかなり厳しいけどな」
「うっ」
痛いところを突かれてちょっぴり息が止まる。
今日から速攻でデザインに取りかかるとしても、残業休日出勤確定だ。
「まあ、そこも交渉するから心配するな」
次の信号で車は止まった。
網代さんの手が、私のあたまをぽんぽんする。
「あのー?」
「ん?」
見上げたら、レンズ越しに目があった。
それで自分のやったことに気づいたのか、見る見る彼の顔が赤く染まっていく。
「あー、一度やったらなんか癖になったというか」
照れを隠すように眼鏡を上げ、信号が青に変わって網代さんは車を出した。
「……そうですか」
そういうのを見ていると私まで恥ずかしくなってきて頬が熱くなる。
でもこうやって慰められるのは悪くない……と、思う。
一時間ほどで目的地に着いた。
郊外の住宅地、静かで落ち着いていて、適度に自然も残っている。
さらに近くに大きな公園があるとなれば、カフェを開くにはいい環境だ。
店の予定地は自宅の隣で、地鎮祭だけが終わっている。
この自宅も三年ほど前に建て替えていて、今風のモダンな家だ。
今回は売りに出た隣家の土地をカフェにするために買い取ったそうだ。
「こんにちはー」
「はーい」
呼び鈴を押すと、すぐに中から声が返ってくる。
ドアを開けたのは網代さんと同じくらいの年の男性だった。
「よく来てくださいました」
案内されて家に上がる。
今日は老夫婦の姿はない。
「父と母は温泉旅行に出てまして。
どうぞ」
勧められてソファーに座った。
「自慢のコーヒーをお出ししたいところですが、先に話を済ませてしまいましょうか」
「そうですね」
タブレットを手に彼も斜め前のソファーに腰を下ろす。
先に話をしてくれるのはとても助かる。
「Sky End、営業の網代です」
「デザインの和倉です」
老夫婦との挨拶は済んでいるが、彼とは初対面なので挨拶からはじまる。
「木村(きむら)祐介(ゆうすけ)です。
すみません、帰国が長引いてしまって」
爽やかに笑う木村さんは、間違いなくイケメンだ。
ウェーブした長めの黒髪を無造作に低めのハーフアップにし、お洒落な黒縁スクエア眼鏡をかけている。
背が高くて肌も浅黒く一見、怖そうというか近寄りがたい雰囲気だが、眼鏡の奥で笑う目は優しげでいい人そうだ。
「いえ、無事に帰ってこられてよかったと思います。
……早速、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
網代さんの声で背筋が伸びた。
木村さんの希望は具体的で、イメージがとてもしやすかった。
「明るい店内で、子連れの方も過ごしやすくですね」
「はい。
こんな感じで絵本を読んだり、木のおもちゃで遊べるコーナーがあるといいなと思います」
タブレットを操作して見せてくれたのは、イメージのイラストだった。
「自分で描いたので、下手ですみません」
木村さんは恐縮しているが、こんなものが描けるのなら私はいらないんじゃないかというレベルだ。
「いえいえ、とてもお上手だと思います」
「ほんとですか!
プロの方に褒められるなんて嬉しいなー」
ぱーっと木村さんは顔を輝かせ、にこにこしだした。
とてもわかりやすい人だ。
「その」
せっかく喜んでいるのを邪魔するのは悪いが、先に話を進めさせてもらう。
「子連れの方も過ごしやすくというのと、ひとりで静かにコーヒーを楽しんでもらうというのの両立はこう、難しいと思うんですが」
子連れ差別をするつもりはないが、小さい子はどうしても騒いでしまう。
静かにコーヒーが楽しめる店だと思って入ったのに、それではお客様も困る。
「……ですよね」
しゅん、とみるみる木村さんが萎れていく。
それを見るととても気の毒な気持ちになった。
彼としては両方叶えたい店のコンセプトで、それが難しいのもわかっているのだろう。
なにか、いいアイディアはないだろうか。
重い沈黙を破ったのは、網代さんだった。
「思い切って時間帯を分けませんか」
それならありかもしれない。
子連れの昼間と大人の夜間、とか。
けれどそのあたりはもう私たちの関わる部分ではない。
「それはいいアイディアです!
夜はお酒も出る店にしたいと思っていたので」
私の懸念をよそに、木村さんはノリノリだ。
しかしながらそれには、心配事項がある。
「同じ店なのに、昼と夜でまったく顔が違うとかいいですよね」
思い浮かべているのか木村さんがうっとりとした表情を浮かべ、予感的中で身体がびくっと反応した。
「そういうデザインでお願いします」
「わ、わかりました……」
内心、だらだらと汗を掻いた。
まったく違うコンセプトをひとつの店で両立させなければならない。
これは難問だ。
しかも、期日は迫っている。
「これで具体的なデザインに入れるわけですが」
ひとしきりデザインの打ち合わせが終わったところで、網代さんが切りだす。
「期日までがあまりに短いので、もう少し伸ばしていただけないかと。
工務店さんとの兼ね合いもあるのはわかります。
しかし……」
「いいですよ」
思わず、網代さんと顔を見あわせていた。
こんなにあっさりと了解がもらえるなんて思っていない。
「だいたい、私が予定を延長して長々とブラジルにいたのが悪いんですから。
妥協はしたくありません。
工務店さんと両親には話をしておきますので、納得がいくデザインができるまでじっくりやってください」
真摯に木村さんがあたまを下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
慌てて私もあたまを下げた。
顔だけじゃなく性格もイケメンなんだ。
こんな人と仕事ができるのは心が弾む。
出された課題は難題だが、やりがいがある。
NYAINのやりとりは当たり前、一緒に帰ったりたまに食事に行ったりするが、それだけだ。
そもそも、ふたりともなにをしていいのかわからない。
付き合いだして一ヶ月ほどがたったその日は、仕事で一緒に外出していた。
「ふたりで外出とか、TLだったらなんかイベントがあるところだよな」
営業車を運転しながら網代さんはおかしそうにくつくつ笑っている。
彼の言うとおり、乙女ゲーだってイベントフラグだ。
「現実じゃないですよ」
あれば私たちの関係はなにか変わるんだろうか。
いや、いままでの状態からいってなにもなさそうだ。
「でもよかったです、息子さんが帰国して」
例のカフェの息子さんが近頃、ようやく帰ってきた。
一度、デザイナーにも挨拶がしたいというので、今日は網代さんにつれてきてもらった。
「期日的にはかなり厳しいけどな」
「うっ」
痛いところを突かれてちょっぴり息が止まる。
今日から速攻でデザインに取りかかるとしても、残業休日出勤確定だ。
「まあ、そこも交渉するから心配するな」
次の信号で車は止まった。
網代さんの手が、私のあたまをぽんぽんする。
「あのー?」
「ん?」
見上げたら、レンズ越しに目があった。
それで自分のやったことに気づいたのか、見る見る彼の顔が赤く染まっていく。
「あー、一度やったらなんか癖になったというか」
照れを隠すように眼鏡を上げ、信号が青に変わって網代さんは車を出した。
「……そうですか」
そういうのを見ていると私まで恥ずかしくなってきて頬が熱くなる。
でもこうやって慰められるのは悪くない……と、思う。
一時間ほどで目的地に着いた。
郊外の住宅地、静かで落ち着いていて、適度に自然も残っている。
さらに近くに大きな公園があるとなれば、カフェを開くにはいい環境だ。
店の予定地は自宅の隣で、地鎮祭だけが終わっている。
この自宅も三年ほど前に建て替えていて、今風のモダンな家だ。
今回は売りに出た隣家の土地をカフェにするために買い取ったそうだ。
「こんにちはー」
「はーい」
呼び鈴を押すと、すぐに中から声が返ってくる。
ドアを開けたのは網代さんと同じくらいの年の男性だった。
「よく来てくださいました」
案内されて家に上がる。
今日は老夫婦の姿はない。
「父と母は温泉旅行に出てまして。
どうぞ」
勧められてソファーに座った。
「自慢のコーヒーをお出ししたいところですが、先に話を済ませてしまいましょうか」
「そうですね」
タブレットを手に彼も斜め前のソファーに腰を下ろす。
先に話をしてくれるのはとても助かる。
「Sky End、営業の網代です」
「デザインの和倉です」
老夫婦との挨拶は済んでいるが、彼とは初対面なので挨拶からはじまる。
「木村(きむら)祐介(ゆうすけ)です。
すみません、帰国が長引いてしまって」
爽やかに笑う木村さんは、間違いなくイケメンだ。
ウェーブした長めの黒髪を無造作に低めのハーフアップにし、お洒落な黒縁スクエア眼鏡をかけている。
背が高くて肌も浅黒く一見、怖そうというか近寄りがたい雰囲気だが、眼鏡の奥で笑う目は優しげでいい人そうだ。
「いえ、無事に帰ってこられてよかったと思います。
……早速、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
網代さんの声で背筋が伸びた。
木村さんの希望は具体的で、イメージがとてもしやすかった。
「明るい店内で、子連れの方も過ごしやすくですね」
「はい。
こんな感じで絵本を読んだり、木のおもちゃで遊べるコーナーがあるといいなと思います」
タブレットを操作して見せてくれたのは、イメージのイラストだった。
「自分で描いたので、下手ですみません」
木村さんは恐縮しているが、こんなものが描けるのなら私はいらないんじゃないかというレベルだ。
「いえいえ、とてもお上手だと思います」
「ほんとですか!
プロの方に褒められるなんて嬉しいなー」
ぱーっと木村さんは顔を輝かせ、にこにこしだした。
とてもわかりやすい人だ。
「その」
せっかく喜んでいるのを邪魔するのは悪いが、先に話を進めさせてもらう。
「子連れの方も過ごしやすくというのと、ひとりで静かにコーヒーを楽しんでもらうというのの両立はこう、難しいと思うんですが」
子連れ差別をするつもりはないが、小さい子はどうしても騒いでしまう。
静かにコーヒーが楽しめる店だと思って入ったのに、それではお客様も困る。
「……ですよね」
しゅん、とみるみる木村さんが萎れていく。
それを見るととても気の毒な気持ちになった。
彼としては両方叶えたい店のコンセプトで、それが難しいのもわかっているのだろう。
なにか、いいアイディアはないだろうか。
重い沈黙を破ったのは、網代さんだった。
「思い切って時間帯を分けませんか」
それならありかもしれない。
子連れの昼間と大人の夜間、とか。
けれどそのあたりはもう私たちの関わる部分ではない。
「それはいいアイディアです!
夜はお酒も出る店にしたいと思っていたので」
私の懸念をよそに、木村さんはノリノリだ。
しかしながらそれには、心配事項がある。
「同じ店なのに、昼と夜でまったく顔が違うとかいいですよね」
思い浮かべているのか木村さんがうっとりとした表情を浮かべ、予感的中で身体がびくっと反応した。
「そういうデザインでお願いします」
「わ、わかりました……」
内心、だらだらと汗を掻いた。
まったく違うコンセプトをひとつの店で両立させなければならない。
これは難問だ。
しかも、期日は迫っている。
「これで具体的なデザインに入れるわけですが」
ひとしきりデザインの打ち合わせが終わったところで、網代さんが切りだす。
「期日までがあまりに短いので、もう少し伸ばしていただけないかと。
工務店さんとの兼ね合いもあるのはわかります。
しかし……」
「いいですよ」
思わず、網代さんと顔を見あわせていた。
こんなにあっさりと了解がもらえるなんて思っていない。
「だいたい、私が予定を延長して長々とブラジルにいたのが悪いんですから。
妥協はしたくありません。
工務店さんと両親には話をしておきますので、納得がいくデザインができるまでじっくりやってください」
真摯に木村さんがあたまを下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
慌てて私もあたまを下げた。
顔だけじゃなく性格もイケメンなんだ。
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出された課題は難題だが、やりがいがある。
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