網代さんを怒らせたい

霧内杳/眼鏡のさきっぽ

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第2章 市松改めイッチー

5.

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「そうだ。
お昼、食べていきませんか?
腕を振るいますよ」

コーヒーを淹れにキッチンへ立った木村さんが、こちらを振り返る。

「いえ、そこまでご厄介になるわけには」

断る網代さんの横で、私も同意だと頷いた。
それに今日は戻りが昼頃になるだろうから、帰りになにか食べようと話していた。

「カフェで出すメニューの試食をして下さると助かるんですが……」

見る見る木村さんの表情が情けなく悲しそうになっていく。
ああいう顔を見せられると、断りづらくなる。

「……網代さん」

「……わかった、わかったから」

ちょいちょいと網代さんを指でつつき、上目で見上げたらはぁーっとため息をつかれた。

「では、お言葉に甘えてごちそうになります」

「ありがとうございます!」

一気に木村さんは上機嫌になり、鼻歌まで歌いながらキッチンに立った。
こういうところ、本当に憎めない人だ。

しばらくして出されたのは、オーソドックスなナポリタンだった。
文句を言うわけじゃないが、なんか拍子抜け。

「どうぞ」

「いただきます」

レンズの奥から見つめる、木村さんの期待の込められた目に気圧され気味にフォークを取る。
くるくると巻いてひとくち入れた途端、カッ!と目を見開いていた。
え、これ本当にナポリタン?
いままで食べていたのと全然違う。
具は人参とピーマン、それにウィンナーと普通と変わりない。
しかしほのかな甘さが酸味を引き立て、さらにタバスコが振られているのかピリピリとしてあとを引く。
それが辛すぎるかと言えば、普通のケチャップとは思えないマイルドさがあるのでいい。

「隠し味ってわけじゃないですが、とろけるチーズを入れてあるんです。
どうですか?」

「美味しいです!」

もう、即答だった。
こんなお店が近くにあったら、通うレベルだ。
網代さんも同じだったらしく、うんうんと頷きながら無心に食べている。

「美味しかったです、ごちそうさまでした……」

私も網代さんも、綺麗に残さず完食した。
こんなに美味しいナポリタンが世の中にあるだなんて知らなかった。
もう、大満足だ。

「満足していただけたならよかったです。
じゃあ、コーヒー淹れますね」

木村さんがコーヒーを淹れはじめ、いい匂いが鼻腔をくすぐる。

「どうぞ。
私がブラジルで選び抜いてきたコーヒーです」

目の前に置かれたカップの中身は、普通のコーヒーに見える。
口に運び、ひとくち飲んでまた、カッ!と目を大きく見開いていた。

「これがコーヒー……?」

ふくよかな花のような香りが鼻を抜けていく。
酸味の中にほのかな甘みがあり、それを苦みが引き立てる。
これがコーヒーならば今間ので飲んでいたあれはなんだったのか甚だ疑問になるほど、違う。
断然、こちらの方が美味しい。

「……豆の違いだけか……?」

隣の網代さんが手に持ったカップを見ながらぽそりと落とす。

「豆も違いますが、焙煎から淹れ方にまで拘っています」

「どおりで」

これが本物のコーヒーなんだ。
こんなの知ったら、もういままでのコーヒーが飲めなくなっちゃうよ。

「今日は本当に、ごちそうさまでした」

「いえいえ、こちらこそいろいろご迷惑をおかけして。
これからよろしくお願いします」

木村さんに見送られ、帰途に就く。

「ナポリタンもコーヒーも絶品でしたね」

思い出してまた、口の中が幸せになっていく。
はぁーっとため息をついたら、網代さんがくすりと笑った。

「ああ。
で、イッチーはあれが出る店のデザインをしなければならないわけだけど、……できるか?」

「やります」

あれを堪能するのにふさわしい、店のデザイン。
あんな美味しいものを食べさせてもらって、俄然やる気が出てきた。
難しいけれど、絶対に木村さんに納得してもらえるものを作ろう。
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