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第3章 初めての……
1.
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「なあ。
なんか変わったか?」
網代さんがなにを言いたいのかわからなくて、まじまじと顔を見つめてしまう。
今日は会社帰りに、食事にきていた。
最近、網代さんが見つけたというロブスターを食べさせてくれる店だが、前に教えられたエビの嘘を思い出すと複雑な心境だ。
……変わったとはいったい、なにが?
考えてみるが、髪も切っていないし、メイクも変えていない。
服だっていつもと代わり映えのしない、ブラウスにフレアスカートなんて格好だ。
これのどこにそんなことを聞かれる要素があるんだろうか。
「僕は全然、変化ないんだよなー」
はぁーっとその場を群青色に染めそうなため息をつき、網代さんは無造作にロブスターの殻を放り投げた。
……ああ、そういう。
ようやく、彼の言いたい意味がわかった。
要するに私の彼に対する気持ちに変化はあったのか、と聞きたいのだ。
ならば、その答えは。
「私もないです」
清々しいまでににっこりと笑って言い切った。
いや、正直に言えばこのあいだ、一緒にヘビークレーマー対応したときに、ちょっぴりときめいた……ような。
でもあれが恋の予感だったのかと言われれば、まったくもって自覚がない。
なのでここは、〝ない〟が正解なのだ。
「だよな」
網代さんも笑っているが、あれは苦笑いというやつだろう。
「いつまでたってもイッチーは僕を愛称どころか名前ですら呼んでくれないし」
「うっ」
軽く睨まれ、危うく食べていたロブスターの身が変なところに入りそうになった。
「だって……」
実は密かに、チャレンジしてみたのだ。
しかし、恥ずかしすぎて喉から出てこなくて諦めた。
「まあ、いいけど。
それが親愛の証しってわけでもないし」
うんうんと激しく頷いて同意する。
名字のままでなにが悪いんだ。
「それでさ。
付き合ってもう一ヶ月が過ぎたのに、僕たちの関係になんの変化もない訳を考えた」
一度、言葉を切り、網代さんはグラスに残っていたビールを一気に飲み干した。
「これは、デートをしていないのが悪いんじゃないか?」
「……は?」
網代さんは僅かに眼鏡の下で眉を寄せて至極真剣だが、そういう問題なんだろうか。
そしれこれは、デートと呼ばないのか?
「この一ヶ月、僕たちがやったことはなんだ?」
レンズの奥から黒く綺麗な瞳が問いかける。
「……NYAINのやりとりとたまに食事、ですね」
そのとおりだと網代さんが頷く。
「しかも、NYAINのやりとりはこれだ」
一度手を拭き、彼は私に携帯の画面を見せつけてきた。
そこにはNYAINでの私と彼のやりとりが表示されていたが、わざわざ見せられなくてもそれくらい知っている。
「おはよう、おやすみ、お疲れ……。
それっぽいスタンプこそ貼ってあるが、これじゃ機械的にやっているに過ぎないじゃないか!」
携帯を握りしめた網代さんが、両手で軽くテーブルを叩く。
そのまま拳で思いっきりテーブルを押さえ、悔しそうにぶるぶると震えた。
「えーっと……」
それについてはまったく反論できない。
一応、恋人同士だからこれくらいすべきだよね、と決まった挨拶だけを義務のようにしていた。
それ以外は仕事の確認がほとんどだ。
しかし、言わせてもらえば。
「網代さんだってそれ以外、送ってこないじゃないですか」
「うっ」
私の反撃で、ビールを口に運ぼうとしていた網代さんが一瞬、止まる。
「……たしかに僕も悪かった。
でもイッチーとなにを話していいのかわからないんだ……」
ごくごくと勢いよくビールを飲み、はぁーっと酒臭い息を彼が吐く。
それは私も同じだ。
網代さんとのプライベートでの話題が見つからない。
なのでどうしても、ビジネスライクになってしまう。
「で、でも。
食事のときはそれなりに話していますよね?」
話がつまらないから網代さんとの食事に行きたくない、なんて思ったことはない。
それよりもちょっとだけ楽しみになっていた。
「顔をあわせてなら、仕事の延長線上でできるんだけどな。
NYAINでいざとなるとなにも出てこない」
それはわかるかも。
こうやって食事をしているときは、今日も西沢さんののろけが凄かったよねとか、天倉社長ののろけもたいがいだよねとか話せるのだ。
しかしNYAINとなると、こんな話くらいでしていいんだろうかと尻込みしてしまう。
「そもそも世の恋人たちは、いったいなにをNYAINしてるんですかね……?」
「まったくもってわからん……」
ふたり同時にはぁーっと重いため息が落ち、思わず顔を見あわせていた。
「西沢さんにでも聞いてみます?」
「いや、それは危険だ」
想像しているのか、ぶるぶると網代さんは身体を震わせた。
まあ、それもそうか。
聞かなくても毎日、あののろけっぷりだ。
奥様とどんなやりとりをしていたんですか?とかきいたらそれこそ、仕事そっちのけで一日中語り続けるに違いない。
「NYAINの話はいったん置いておいて、やはり親睦をもっと深めるために、デートした方がいいと思う」
これが正解だと言わんばかりに網代さんが眼鏡を上げる。
「一応、確認しますが。
……これはデートじゃないんですか?」
ただ食事をしているだけだと言われればそうかもしれない。
しかし仮にも付き合っているのだ。
「デートになる……のか?」
網代さんの首が右に傾く。
なぜに疑問形?
「デートってどこからどこまでがデートなんだろうな?」
そんな、質問をさらに質問で返されても困る。
「まあ、付き合っている人間がプライベートで会えばデートになるんじゃないですか?」
「じゃあ、これはデートなのか……?」
私は一応、デートなのだと思っていたが、網代さんはどうもそうじゃなかったらしい。
「僕はデートとは、特別なイベントだと思っていたな」
これは男女の考えの違いなんだろうか、それとも網代さんと私の差?
「そうか、これもデートだったのか。
ひとつ勉強になった」
真面目に頷いている網代さんがおかしくてつい笑ってしまい、眼鏡の奥からじろりと睨まれた。
「……スミマセン」
あやまったものの、これってそんなに真面目に考えることなのかな?
なんか変わったか?」
網代さんがなにを言いたいのかわからなくて、まじまじと顔を見つめてしまう。
今日は会社帰りに、食事にきていた。
最近、網代さんが見つけたというロブスターを食べさせてくれる店だが、前に教えられたエビの嘘を思い出すと複雑な心境だ。
……変わったとはいったい、なにが?
考えてみるが、髪も切っていないし、メイクも変えていない。
服だっていつもと代わり映えのしない、ブラウスにフレアスカートなんて格好だ。
これのどこにそんなことを聞かれる要素があるんだろうか。
「僕は全然、変化ないんだよなー」
はぁーっとその場を群青色に染めそうなため息をつき、網代さんは無造作にロブスターの殻を放り投げた。
……ああ、そういう。
ようやく、彼の言いたい意味がわかった。
要するに私の彼に対する気持ちに変化はあったのか、と聞きたいのだ。
ならば、その答えは。
「私もないです」
清々しいまでににっこりと笑って言い切った。
いや、正直に言えばこのあいだ、一緒にヘビークレーマー対応したときに、ちょっぴりときめいた……ような。
でもあれが恋の予感だったのかと言われれば、まったくもって自覚がない。
なのでここは、〝ない〟が正解なのだ。
「だよな」
網代さんも笑っているが、あれは苦笑いというやつだろう。
「いつまでたってもイッチーは僕を愛称どころか名前ですら呼んでくれないし」
「うっ」
軽く睨まれ、危うく食べていたロブスターの身が変なところに入りそうになった。
「だって……」
実は密かに、チャレンジしてみたのだ。
しかし、恥ずかしすぎて喉から出てこなくて諦めた。
「まあ、いいけど。
それが親愛の証しってわけでもないし」
うんうんと激しく頷いて同意する。
名字のままでなにが悪いんだ。
「それでさ。
付き合ってもう一ヶ月が過ぎたのに、僕たちの関係になんの変化もない訳を考えた」
一度、言葉を切り、網代さんはグラスに残っていたビールを一気に飲み干した。
「これは、デートをしていないのが悪いんじゃないか?」
「……は?」
網代さんは僅かに眼鏡の下で眉を寄せて至極真剣だが、そういう問題なんだろうか。
そしれこれは、デートと呼ばないのか?
「この一ヶ月、僕たちがやったことはなんだ?」
レンズの奥から黒く綺麗な瞳が問いかける。
「……NYAINのやりとりとたまに食事、ですね」
そのとおりだと網代さんが頷く。
「しかも、NYAINのやりとりはこれだ」
一度手を拭き、彼は私に携帯の画面を見せつけてきた。
そこにはNYAINでの私と彼のやりとりが表示されていたが、わざわざ見せられなくてもそれくらい知っている。
「おはよう、おやすみ、お疲れ……。
それっぽいスタンプこそ貼ってあるが、これじゃ機械的にやっているに過ぎないじゃないか!」
携帯を握りしめた網代さんが、両手で軽くテーブルを叩く。
そのまま拳で思いっきりテーブルを押さえ、悔しそうにぶるぶると震えた。
「えーっと……」
それについてはまったく反論できない。
一応、恋人同士だからこれくらいすべきだよね、と決まった挨拶だけを義務のようにしていた。
それ以外は仕事の確認がほとんどだ。
しかし、言わせてもらえば。
「網代さんだってそれ以外、送ってこないじゃないですか」
「うっ」
私の反撃で、ビールを口に運ぼうとしていた網代さんが一瞬、止まる。
「……たしかに僕も悪かった。
でもイッチーとなにを話していいのかわからないんだ……」
ごくごくと勢いよくビールを飲み、はぁーっと酒臭い息を彼が吐く。
それは私も同じだ。
網代さんとのプライベートでの話題が見つからない。
なのでどうしても、ビジネスライクになってしまう。
「で、でも。
食事のときはそれなりに話していますよね?」
話がつまらないから網代さんとの食事に行きたくない、なんて思ったことはない。
それよりもちょっとだけ楽しみになっていた。
「顔をあわせてなら、仕事の延長線上でできるんだけどな。
NYAINでいざとなるとなにも出てこない」
それはわかるかも。
こうやって食事をしているときは、今日も西沢さんののろけが凄かったよねとか、天倉社長ののろけもたいがいだよねとか話せるのだ。
しかしNYAINとなると、こんな話くらいでしていいんだろうかと尻込みしてしまう。
「そもそも世の恋人たちは、いったいなにをNYAINしてるんですかね……?」
「まったくもってわからん……」
ふたり同時にはぁーっと重いため息が落ち、思わず顔を見あわせていた。
「西沢さんにでも聞いてみます?」
「いや、それは危険だ」
想像しているのか、ぶるぶると網代さんは身体を震わせた。
まあ、それもそうか。
聞かなくても毎日、あののろけっぷりだ。
奥様とどんなやりとりをしていたんですか?とかきいたらそれこそ、仕事そっちのけで一日中語り続けるに違いない。
「NYAINの話はいったん置いておいて、やはり親睦をもっと深めるために、デートした方がいいと思う」
これが正解だと言わんばかりに網代さんが眼鏡を上げる。
「一応、確認しますが。
……これはデートじゃないんですか?」
ただ食事をしているだけだと言われればそうかもしれない。
しかし仮にも付き合っているのだ。
「デートになる……のか?」
網代さんの首が右に傾く。
なぜに疑問形?
「デートってどこからどこまでがデートなんだろうな?」
そんな、質問をさらに質問で返されても困る。
「まあ、付き合っている人間がプライベートで会えばデートになるんじゃないですか?」
「じゃあ、これはデートなのか……?」
私は一応、デートなのだと思っていたが、網代さんはどうもそうじゃなかったらしい。
「僕はデートとは、特別なイベントだと思っていたな」
これは男女の考えの違いなんだろうか、それとも網代さんと私の差?
「そうか、これもデートだったのか。
ひとつ勉強になった」
真面目に頷いている網代さんがおかしくてつい笑ってしまい、眼鏡の奥からじろりと睨まれた。
「……スミマセン」
あやまったものの、これってそんなに真面目に考えることなのかな?
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